【零章最終話】遥かなる祈りを渡り見る神

 できることなら、最南端の地に流れ着いてほしい。

 彼のその願いは、理想の形で成就した。


 待ったその日、木洩日の気配を、ニライの地で感じた。場所はニライ最南端、『煌めきの海の岬』。

 その先に待ち受ける領域は危険度一、『広大な森の平原』。その先もしばらくは、ルートを選べば高危険度の領域を通らずに済む、まさに理想の漂流地点。


 ……その天佑神助てんゆうしんじょは文字通り、ただの偶然ではないのだろう。彼は改めて、【あるまいてぃ】の原神に深く感謝を捧げた。

 彼はすぐさま飛び立ち、不完全な翼の力で、幾日かをかけてその地へ降り立った。


 彼は神らしくもなく、胸を高鳴らせていた。緊張、嬉しみ、僅かな不安――。

 しかし続いて湧き上がった思い、木洩日を『最果ての聖域』へ連れてゆくという絶対の覚悟が全てを塗り潰し、彼の心は静まった。

 一息をつき、前を向くと、覚悟をそのまま吐き出すような声つきで、声を張り上げた。



「木洩日はいるかッ? この村に、早坂 木洩日はいるかッ?」



 そして、木洩日と再会を果たした。



「木洩日ッ! ――無事だったか……!」



 しかし彼女はただ名も無き神と自身の運命に戸惑っており――彼はそれが何故だか、少しだけ悲しかった。

 それがどうしてなのか、彼には分からない。

 違和感を初めに感じたのは、このときであった。


(…………?)

(私は、何かに対し、焦っていた……?)


 疑問は生まれたが、それを考えるようなことはしなかった。



「木洩日に私のことを思い出してほしいんだ。そして私の名を呼んでほしい」



 その頼みを口にしたときすら、を考えないようにしていた。

 しかし、その不安から目を反らし続けることはできなかった。



「――いや……」

「いや、友達という仲ではなかった。私は……私がそう思うことは許されていなかった」



 木洩日は、自分を思い出さないのではないか。

 どうしようもなくそれを不安に思っていたことに気付くまで、時間はかからなかった。

 自分がいったい、木洩日に何をしたのか。

 ただ不幸を与えただけではないのか。

 こうして木洩日の助けになることも、自身の罪を清算するための償いでしかないのではないか。



 光そのものである真心向けられようと、どんな幸いも与えなかった存在。

 木洩日の中に、私というものは在り得ないのではないか。



 神格薄れ朦朧とした意識の中、彼はそう考えた。

 それは当然といえば当然の事情であった。

 ……それでも、自分は全てを賭け木洩日を守り通すだけだ。そう強く思い抱いても、擦り切れるような虚しさは変わらない。

 隣に在ることで、狂おしい愛しさは増すばかりだった。


 思い出してほしい。身勝手な欲望はどうしようもなく溢れた。その度、【あるまいてぃ】から貰ったあの熱を思い出していた。

 私も、あのように在れれば……。

 ……彼は内心で首を振り、自身の中で渦巻く心情に見切りをつけた。そんなものに気を取られている場合ではない。


 彼は木洩日と繋いだ手、そこから伝わる体温をそっと握り締めると、ただ真っ直ぐに前を向いた。

 木洩日の中に私が無くとも。

 私の中に木洩日は在る。

 ……それでいいのだ。



「夜の森の獣だ! 木洩日、私の後ろに隠れなさい!」



 かつて人から忘れ去られたあのときのように、木洩日が私を忘れ去ることが怖い。

 そのような情けない些細、今は考えるべきでない。



「……やっと、四肢あるこの体で君の助けになれるんだ。例え私の神格が滅ぼうとも、この子だけは守ってみせる」



 今はただ、懸命すべきだ。

 そうできることがそも、幸せであるのだから……だから他のことは些細として無視できる。

 私は前を向ける。



「……何者かが、ここからは遥か遠い彼方かなたの地、【銀灰ぎんはい砂漠さばく】という魔境を空間ごと切り取り、この森の地の一部と入れ替えたんだ」



 たとえどんな試練が待ち受けていようと、立ち向かって行ける。私はこの子を最後まで守り通すだろう。それは疑いようもないことだ。

 だから、……この寂しさは、胸の内にしまっておこう。

 この子の幸いを守ろう。



「コマ。今ね、一つ思い出したことがあるの。カナイでの記憶、って言っていいのかな、これ……?」



 この子の幸いを。



「コマ、あなたは私にたくさんの救いをくれた。本当よ?」



 それが清算だとしても。



「あなたがくれたものは呪いなんかじゃなかった。……幸いだった。他の誰が笑っても揺るがない、私の真実よ?」



 私は。



「――思い出した」



 その温度に意味のない、虚無の神であろうとも――。



「あなたの名は――」




葉弥栄はやさかノ、狛犬こまいぬ







 ……ただ、もしこの子が私の名を呼ぶことあらば、私はもう二度と倒れ伏すことないだろう。

 そのような幸いがあるのだろうか?

 分からない。



「……ねえコマ。出来ればだけど、コマが私を守るためにしたことを、私に隠さず教えてほしいの。……そうしないと、私はこうしてコマの手を握り続けることができなくなってしまう気がするから……」



 木洩日と繋ぐこの手に意味が宿ったなら、私は――。



「うん、大丈夫……」

「コマが私の傍にいてくれるのなら。私は、大丈夫」



 ――――【あるまいてぃ】のあの体温を、今一度思い出す。

 他の誰が私にあのような温かみを向けてくれずとも。願うことなら私は、あのような温度を木洩日に伝えたい。

 黒衣くろぎぬのような夜闇の降りた原始の森を歩きながら、コマと呼ばれる縁の神は、ただ、そう考えていた――。


 

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遥かなるカナイを目指して。~一歩目、広大な森の平原~ 一理 @itiri-yuiami

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