第10話

 翌日。

 ラクトは太陽が頂点を過ぎても起きてこないレオナを起こそうと立ち上がったところで、グリアによって無理やり外へ追い出された。

 昨日の悪ふざけより信用を無くしてしまったのか、部屋に入ることすら許しても貰えなかったのだ。

 もしかしたら両手に持った紐付きの洗濯バサミが悪かったのかもしれないが、酷い誤解もあったものだと憤慨する。

 ついでと言わんばかりに買い物を押し付けてられてしまう。

 久しぶりに見渡すリングベルトの街並みは、ラクトが住んでいたダストボックス内とは百八十度異なる活気に溢れたものだった。


 休日でもないのに、真昼間からエールを飲みながら笑う男達。野菜市場の前でどれが新鮮かを吟味している女性達。時折言い争いらしきものも聞こえてくるが、それすらも平和な日常の一幕でしかない。

 ゴミ箱では酒を飲むのは現実逃避の為。野菜は虫やネズミに食い荒らされた余りものばかり。一度言い争いにでもなれば、すぐに刃物が飛び出し刃傷沙汰へと発展するのだから、普通の街並みと比べてみれば如何に腐った世界だったかよくわかる。

 こんな風に平和な日常に身を落とすことなど、一年前には考えられなかった。もう二度と戻ってくるものかと思っていた自分の決意は、どうやら中学生の家出程度の重みしかなかったようだ。


「情けねえな……」

 結局自分はこうして戻ってくるきっかけがずっと欲しかったのだろう。リフォンという世界で最も大切な彼女を失った瞬間、この世界に未練などないと言い切った自分が、格好だけだと思うと情けなかった。


 ――どんな傷も時間と共に回復する。それが例え心の傷であってもね。僕は君が戻ってくるまでずっと待ってるよ。


 それは世界で最も憎い男の言葉だった。だが、実際に的を得ていたのだ。事実、ラクトは彼女の事を思い出して悲しくなっても、一年前ほどの情動を持ち合わせていないのだから。


「どうすっかねぇ……」


 こうして過去の事を思い返していると脳裏に浮かぶのは、突如自分の前に現れたレオナの事だった。ゴミ箱から外の世界に出ようと思ったのも、彼女が外に出たいと言ったからだ。

 別に通りすがりの、それもゴミ箱の中にいるような少女の願いなど叶えてやる必要もなければ義理もない。それでもラクトが彼女に興味を持った理由は、出会ってすぐに与えられた突っ込みと、からかった際に繰り出された蹴りの一撃だった。

 人間ではあり得ない威力を誇っていたにも拘わらず、人間のチンピラ程度に追い掛け回されている少女。

 銃弾すら弾くこの体を沈めたのは、どう考えても悪魔の力を使っている証拠なのだが、少し話してみれば彼女がはぐれの悪魔憑きでないことは分かる。

 ではニードかと思えば、彼女の身体能力は自分を攻撃したとき以外、普通の人間とそう変わらなかった。

 悪魔の力を持っているはずなのに、どこまでも人間に近い存在。一年以上も変わらない世界で生きてきたラクトにとって、それは妙に惹かれる存在だった。

 なにより彼女は眩しかった。ゴミ箱の中に居ては絶対に見ることの出来ない意志ある瞳の輝きは、いつまでも引き篭もっている自分を叱責されているようにも感じた。

 それにレオナは己を普通の人間だと思い込んでいるにもかかわらず、ニードである自分を受け入れた。だからこそ、ラクトもそんな彼女をもう少し見てみようと思い、外の世界まで足を運んだのだった。 


「おお! もしやそこにいるのはラクトではないか!?」

「ん?」


 唐突に自分の名を呼ばれ振り向く。

 ラクトよりも頭一つ分高い身長に、細身でありながら服の上からでもわかる引き締まった筋肉。肩まで伸びた赤髪を紐で結って一纏めにした、まるで俳優のように整った顔立ちの男が笑顔で近づいてきた。


「はは、やっぱりそうだ。久しぶりじゃないか!」

「お前……ナルかっ。久しぶりだな」


 男はナル・バレンティアと言い、ラクトがまだニードとして悪魔狩りをしていた時からの知り合いだった。グループは違えど、それなりに交流のある人物で時折共同戦線を張ることもあった。

 互いに時間があることを確認すると、二人はどっちからと言わず近くの喫茶店に足を運んだ。


「しばらく見なかったけど元気だったかい?」

「ああ。そっちはどうなんだ? 最近は悪魔憑きの事件が多発してるらしいじゃねえか。まあ見た感じ怪我もしてなさそうだが」

「ふふふ、私に関しては心配無用だ! 何たって私は世界が誇る大スターだからな! 誰も私に悪魔憑きと戦わせようなんて考えないさ!」

「大スター? お前が? 泣き虫ナルが?」


 泣き虫ナル、というのはこの街を拠点にしているニードのグループではかなり有名だ。ニードの癖に臆病な彼は、悪魔憑きと相対するたびに怯えながら泣いて逃げ回ることから付けられた名前だった。


「そんな昔の話は止めてくれよ。一体どこに記者の目が隠れてるかわからないんだ」


 ナルはそう言うと、チラチラ何かを警戒するように周囲を伺う。見た目も体格も良い男だが、妙に怯え気味なのは昔から変わらないなと思う。

 確かに周囲の気配を探ってみると、こちらを、と言うよりナルを隠れて見ている視線をいくつも感じた。

 気配の消し方が素人だという事を考えると、彼の話もあながち嘘ではないらしい。実際、隠れている視線とは全く別で、ナルの事を遠目で見ているファンらしき者達もいた。


「というか本当に知らなかったのかい? これでもいくつか映画やドラマにも出演して、だいぶ人気も出てきているんだが……」

「あ、悪い。俺ここ一年以上テレビとか一切見てねえからわかんねえや」

「そ、そうかい……まあこれから少しずつ知っていってくれればいいさ。このリングベルトが生み出した世界的大スター……になる予定のナル・バレンティアを!」


 ポーズを決めながらうざいくらい調子に乗っている泣き虫ナルを、小突いて泣かしてやろうかと思う。

 だが、下手に突っ込んで記事にされると面白くないので自重しておくことにした。


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