第7話

 サンタクの首都リングベルト。

 世界一綺麗な音を奏でる祝福の鐘と、黒の城とも謳われるドゥンケルハイト城が世界遺産にも登録されている、世界的にも有名な街だ。

 ラクトとレオナが出会ったこの街から車で一時間も離れていない。そんな街の路地裏を抜けた先にひっそりと開業されているのが、レージェント診療所だった。

 その二階にあるリビングにいきなりやってきた無礼者を、グリアは睨みつける。


「それで、一年以上姿を見せずにどこをほっつき歩いておった?」

「ちょっとゴミ箱まで自分探しに」


 それだけで彼がどこにいたのか把握したグリアは呆れたように視線を下げる。


「まったく呆れた男じゃな。一年前のあれはお主のせいじゃないと、あれほど皆で口を酸っぱくして言ったというのに、まだ分かっておらんかったのか」

「多分一生わからないんだろうな。俺は馬鹿だから」

「大馬鹿じゃ。それでその大馬鹿はまた同じことを繰り返そうとしとるのか?」

「……そんなつもりはなかったんだけどよ」

 常に飄々としているラクトには珍しく、歯切れを悪くして口籠る。そうは言うものの彼自身、レオナを彼女と重ねて見ている部分があるのを否定出来なかったからだ。


「ふう、そんなに思い詰めるな。相変わらずお主はリフォンの事になると真面目じゃのぉ。それくらい他の者にも真面目になれれば、皆お主を見る目も変わるじゃろうに」

「真面目な俺とか誰も得しねえよ」

「不真面目なお主はもっと得せんがな」

「ひっでぇ」


 そう軽口を応酬しつつ、互いに変わっていないことを再確認すると、二人揃って笑みを浮かべる。


「まあ何にしても、よくぞ無事に帰ってきた。お主が簡単にくたばらん事はよく知っておるが、それでも儂等の業界はいつ死んでも可笑しくないからの」

「誰か死んだのか?」

「いんや。皆ピンピンしておるわ。相変わらずやりすぎて警察には目を付けられておるがの」

「はは、そりゃ相変わらずだ。どうせ追いかけられたらここに逃げこむんだろ?」

「全くいい迷惑じゃがな。文句ばかりで金一つ落としていかん癖に、自分が困ったらすぐ寄って来るんじゃから。お主みたいにのぉ」


 そう言いながら嬉しそうに話す姿を見て、相変わらず素直でないと内心笑ってしまう。

 文句ばかり言いながらも結局頼られれば助けてくれるのがカログリア・レージェントという女性なのだ。そんな彼女だからこそ捻くれ者のラクトも真っ先にここへ向かった。


「しかしお主もタイミングが悪い。最近は色んな所で悪魔憑きの事件が起きとるから、皆この街から出掛けてしまっとるわ」

「いいっていいって。別にあいつらに挨拶するためにゴミ箱から出てきたわけじゃねえし」

「……あの子か」

「診察したんだろ? どうだった?」

「間違いなく悪魔憑きなんじゃが、どうにも妙でな」

「妙? 悪魔憑き専門の医者であるアンタでもよくわからない状態なのか?」

「うむ。間違いなく悪魔憑きで、悪魔の力も漏れ出しておる。ここまでは間違いない。じゃというのに、あそこまで弱ったあの子に悪魔の方が一切干渉しようとしておらぬのじゃ」

「それは……確かに妙だな……」 


 悪魔は人間の深い欲望によって目覚め、そして欲望を叶えるための力を与える。力を与えられた人間は代償として自分の魂を差し出さなければならない。そして悪魔は欲望を叶えた後、抜け殻となった肉体に入り込み、自由にその力を使いこなす。


 これが一般的に伝えられている悪魔憑きの伝承だった。

 ただしそれはあくまでも伝承に過ぎない。実際は悪魔と自身の肉体を奪い合い、精神的に勝つ事が出来れば、悪魔に魂を渡すことな力を得る事が出来る。そうして悪魔の力を得た者こそが、ラクト達ニードと呼ばれる存在だった。


「お主も知っての通り、儂らニードと悪魔憑きの違いは悪魔を支配するか支配されるか、ただそれだけじゃ。現世で大した力を持たない悪魔は人間に取り憑き、機会を待つ。確実に肉体を奪うために心が弱くなるその瞬間をな。そして得られた機会は決して逃さないのが悪魔なのじゃが……」

「レオナは悪魔の力を使っていた。だがあいつは自分がニードである自覚はないぞ」

「だから妙なのじゃ。悪魔の力を使っているというのに、悪魔に乗っ取られている痕跡を見つけることが出来んかった。あそこまで悪魔側の力が現世に出ていると言うことは、すでに肉体主導権は悪魔側に移っている筈にも関わらず、あの子は間違いなく自我が残っておる」


 むむむ……とグリアは腕を組んで考え込む。見た目は愛くるしい少女が可愛らしい仕草をしているようにしか見えないが、この瞬間にも膨大な数の考えが頭の中を駆け巡っていることをラクトは知っていた。


 ニード専門医、カログリア・レージェント。


 元々閉鎖的で情報が漏れにくい業界でもあるニード達の中で、世界的に有名な存在である。

 これまでニードの肉体は人のそれを超えるため、怪我をしたとしてもまともに治せる人間の医者などいなかった。が、彼女はそんな常識を覆した第一人者だった。深い知識と豊富な経験を生かして、多くのニード達を体はもちろん、心さえ救ってきた女傑だ。


「まあ悪いことじゃねえんだ。そんなに深く考えなくてもいいんじゃねえか?」

「しかし未知を目の前に思考を止めてしまえば、それ以上成長出来んぞ。昔からお主は深く考えずに行動するが悪い癖じゃ」


 眉間に皺を寄せながら言うグリアを見て、ラクトは鼻で笑う。


「はっ! ならまずその成長しない体をどうにかしろよ。それこそ最大の未知じゃねえか」

「あっ、お主今言ってはならないことを言ったな! これでもほんの少しずつじゃが成長してるんじゃぞ! ただ悪魔のせいで人より成長が十倍ほど遅くなっただけじゃし!」

「ロリババアここに現れる。知ってるか、アンタ昔からファンクラブの間じゃ『ロリババア最高っ』とか言われて語り継がれてるんだぜ」

「知りたくなかったわそんな事実っ! ま、まあしかし儂にもファンクラブがあるということは、まだまだ若い者に負けてないという――」

「ちなみにファンクラブの平均年齢は七十歳な」

「高過ぎじゃろ!? どう考えてもロリババアとかいう単語を知らん世代ではないか!」


 その言葉を聞いた瞬間、ラクトはニヤリとイヤらしく笑う。胸ポケットから一冊の手帳を取り出した。


「な、なんじゃそれは……」


 その問いには答えず、無言でアンケート結果と書かれた手帳を広げると、謳うように読み始める。


「『あの子の話し方を聞いていると先に逝ってしまったトメさんを思い出すのぉ……ロリババア最高っ!』東の島国の翁、八十二歳」

「可笑しいじゃろ! トメさんとロリババアに関連性が全くないではないか!」

「『ペログリアちゃんペロペロしたい……ペロリバアア最高っ!』自称ペロリスト、五十五歳」

「ひぃっ! もはやただの性犯罪者じゃ! よく五十五歳まで捕まらずに生きてこれたな!」

「『昔は誰よりも真面目で責任感のあったはずの夫が、最近は寝ても覚めてもロリババアロリババアばかり言っています。たまたまその話をした人が探偵さんだったので調べて貰ったところ、どこぞの街の診療所にいる青髪のロリババアに出会ってから可笑しくなったみたいです。絶対に許さない。月のない夜を狙って――』おっとこれ以上は言えねえな。四十代主婦」

「ちょっと待てっ! 最後の可笑しい。絶対にそいつはファンではない! いやそれより月のない夜って、儂一体何されるんじゃ!?」

「特にこの主婦、熱心にアンタのこと調べてたんだぜ。あんなに真剣な瞳で色々聞かれたら俺も応えないわけにはいかないからな。探偵ってことであることないこと言わせてもらったぜ」

「何余計なことしとんじゃ己はぁぁぁ!!」


 キランッ、と効果音が聞こえそうなほど最高の笑顔で親指を立てる男に、一発くれてやろうと椅子から降りた瞬間――


「そういや今日は丁度月のない夜だったっけな?」


 そうラクトが意味ありげに呟く。

 グリアの動きが止まる。窓の外を見ると、大宇宙に煌めく星々があるものの、確かにいつも闇夜を照らしているはずのお月様が見当たらない。それを確認したのとほぼ同時に、グリアの背後でガチャッとノブが回り扉を開く音が聞こえた。

 額から一粒の汗が流れ落ち目に入るが、それどころではない。ギギギ、とまるでブリキ人形のようにゆっくりと首を音のなった方へと向けようとする。


「人がうなされてる時に、ずいぶん楽しそうねアンタ達……」

「ひゃうぅっ!」

「あ、おい!」


 が、それよりも早く不機嫌な声が聞こえ、脱兎のごとくグリアがラクトの背中に隠れる。

そうしてブルブル震えながら涙目で声の主を覗き見ると、そこにいたのは目の下にクマがはっきりと浮かび上がり、美しかった金髪もボサボサにしたレオナ・グレイナスであった。

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