追憶の海で

ヤグーツク・ゴセ

追憶の海で


       近い私の記憶



また雲が近づいてくる。空はどこまでも鋭く青い。またこの季節か...。記憶の中で彼は笑ってる。笑ってるようで泣いている。



高校生になって勉強、部活で毎日息ができないほど忙しく、人間関係は複雑で、私は授業中にもかかわらず息抜きに高校近くの海辺まで行くことがあった。現実逃避してる自分に酔っていたのかもしれない。海辺へ行く日は大体快晴で海も空も青さを極めていた。




遠い夏の記憶。もう会えなくても。記憶の中で彼は生きてる、とか言ってみたり。訳もわからず泣いてみたり。これを青春と呼ぶのかかな。あの頃を思い出す。追憶の彼を




2時間目、古典の授業。気がつくと私は高校から外へ出る階段を駆け降りていた。勢いよく駆け降り、海へ近づいていく。風も私の背中をあと押しした。いつもは人のいない海岸線に誰かがいる。高校生くらいに見える。浜辺に着いた私は恐る恐る彼を見た。彼はずっとずっと水平線を眺めているようだ。制服を着ていない。私も同じように水平線を見た。吸い込まれるような青さだ。どこまでも広い。濃い。太い。鋭い。綺麗だ。彼は私に気付いたようで逃げるように去っていった。 

 次の日。私は1時間目から海へ向かった。彼に会いたいとか。そういうのじゃない。ただそこに非日常がありそうで期待した。だが海辺には誰もいなかった。波打ち際で空を仰ぎ見る。このまま波に飲み込まれて北極まで連れて行ってくれないかな、。違う世界線に行けたらもっと楽なのかなとか考えていると視界が無くなっていく。波の音がする...。


声がする。誰の声だ。男の人の声だ。

「起きてください。」と優しく聞こえた。その言葉ではっと目を覚ました。気持ちよくて寝てしまっていた。波打ち際で寝たもんでそれを危ないと思って声をかけてくれたのは昨日の彼だった。その時一瞬彼の目を見た。

彼は私の目を見ているようで遠くを見ているような目をしている。綺麗な目だ。

「すいません。寝ちゃってました。気持ちよくてつい、、。」彼はその言葉を聞いて気持ちよく笑った。その日はその会話だけで別れた。

 次の日。私は昼休みに海辺に向かった。彼はテトラポッドの上で海を眺めていた。昨日助けられた私は再度お礼を言いにそこへ向かった。彼は私に気づいて笑いかけた。その日はお昼からの授業のことは全部忘れて彼と他愛もない会話をした。海は綺麗だとかどこの海を見てみたいとか。海の話がほとんどだった。名前も聞かず年齢も知らない彼。彼はずっとずっと遠くを見ている。

 彼とは毎日海辺で会うようになった。楽しかった。海の話をするのが。身の上話はしない。それが暗黙の了解となっていた。なぜだろうか。

いつかのある日。雨が重々しい音を出し私の気持ちを締め付けるようにずっとずっと降り続けていた。風も強い。今日はこの大雨もあり、早くに帰ることができた。帰り道、彼がいるはずもない海辺を高校の階段から眺める。ハッと思った。黒い影が見えた。まさかと思うが。この天候でいるはずはない。でも、なぜか私は確認しに向かった。案の定、海は荒れ、逃げ場のない海辺は絶望の淵とふ化していた。彼は荒波に今にも襲われそうな場所で海を眺めていた。私は驚きながらも彼の元へ走り急ぎ、叫ぶ。「危ないよ。早く、離れよ。」

彼は悲しい顔をしている。彼はその場を離れようとしない。私が無理やり腕を掴んで海から離れさせようとすると彼は怒ったように

「俺は、俺は早くこの波に飲み込まれて終わりにしたい、俺の人生を。だから手を離してくれ。」と叫んだ。私も躍起になって「何を言ってるの。何があっても死んじゃだめ。」自然とつよいことばになる。そこでやっと彼は力を抜いてその場を離れた。そうすると雨が不思議に止んできた。風も不思議と止む。彼は走って去っていった。

次の日。これまでにない快晴だ。何もない空。怖いくらい何もない空。彼に会うために学校には向かわずそのまま海辺へ向かう。足が軽くなっていく。今日の風は一段と私の背中を押す。昨日の荒れた海が嘘のように静かになっている。沈黙の時間がゆっくり流れているかのような。海に青い畳が敷かれたように凪いでいる。彼は波止場にいた。悲しそうな顔をして私に笑いかけた。そんな顔しないでよ。胸が苦しくなる。彼の気持ちが分からなくて。

私は彼とちゃんと向き合おうと誓った。私は彼に手を振り、近づく。彼は昨日のことを謝った。それから私は彼自身のことを聞いた。彼は「俺の親は最近亡くなって、おばあちゃんに引き取ってもらった。高校にも行けず何もしたいことはない。だから、だから、俺は、死ぬことしか、、」私はその言葉を遮るように「死にたいなんて言うな。」彼はそれでも悲しい顔を変えない。風が私の頬を強く打ち付ける。彼は何も言わず海を横目に私の横を通り過ぎて立ち去った。彼は手紙を私のポケットに無理やり入れた。私もこんなに強く人を怒ったのは初めてで泣いた。涙は波のように溢れた。風が揺れる。





今でも覚えている。彼の悲しい笑顔を。夏の太陽とは対象的な顔。今でも胸が苦しくなる。




私が泣いたあの日の次の日。彼はあの海辺近くで遺体となって見つかった。その頃海は不思議と凪いでいた。




後で分かったことだが2年前、彼の両親は入水自殺をして亡くなっていたそうだ。




彼の死からどれほどかの時が過ぎて、彼が私に託した手紙をその海辺で開けた。海の絵が入っていた。どこかもわからない海の絵が。美しい絵。美しくも儚い。色彩がない絵。波が強く押し寄せてきている。水平線が歪み、海は黒く濁っている。あぁ。なるほど。彼にはこの海がこう見えていたんだと分かった。ある言葉が目に入った。その言葉は




"あなたの見たあの夏の海で、青く澄んだ海で、ずっとずっと広がる海で、会えていたなら僕はどれだけ幸せだっただろう。ありがとう"




あぁ。だめだ。涙が込み上げてくる。「ありがとうなんて...。私は何もしてないよ。ありがとうなんて、、。」

彼はずっと青い海を見たかったのだろう。





遠くまで広がる海は悲しさも嬉しさも色んな感情も人生も背負っている。私は過去の波に飲み込まれないうちにまた彼と出会いたい。今日の海は一段と綺麗に見えた。今日もまた青い畳が敷いてるかのように凪いでいる、彼が見たかった海のように。




       遠い夏の記憶、

        

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追憶の海で ヤグーツク・ゴセ @yagu3114

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