3-1 カーバンクルと撮影機

「イツキ君」


 呼び掛けに誘われるように瞼を持ち上げると、紫水晶の瞳に見詰め返された。


「……リー? リーリュ……?」


「はい」


 元来勝気なはずの彼女の表情が、今は柔らかい。


 イツキは上半身を起こし、彼女の正面に胡坐を掻いた。


 リーリュ。キメの細かい灰色の肌を持つダークエルフの少女。


 懐かしさが、頭上でお湯の入った桶をひっくり返されたように、全身を流れていった。


 周囲には夜闇が溜まり、広さを目測できない。

 風船くらいの大きさの光の玉が上下に波打つように舞い、視界の端から端へ、現れては消えた。


「――――お前が死んでからさ、」


 唐突すぎるほど唐突に、イツキは切り出した。


「ええ」


 リーリュは受容的に先を促した。


「楽しかったことを、ずっと、繰り返し、思い出すようになったんだ。

 お前が死んだ時、……酷かったじゃん? まともな死に方じゃなかったじゃん?」


「そうなのですね、リーは存じませんが。……苦しむ間もなく死にましたので」


 リーリュはしらを切った。


「や、でも、そう。まともじゃなかったんだよ。だから、てっきり、悪夢になると思ってた。お前が死んだ瞬間ばっかこの先永遠に、繰り返し思い返すんだろうって漠然と思ってたのにさ」


「ええ」


「……それが、蓋を開けてみたら、三年も経ってみれば、今はもう良い事ばっかなんだよ。思い出すのが笑い合ったことばっかりで。まいるよ。

 ……が、もう死んでることを忘れそうだ」


「そうなのですか。しかし、イツキ君、」


「リーっ! イツキ君! 何か楽しそうだな!」


 何かを語り出そうとしたリーリュを、快活な声が遮った。


 イツキ達の背後から割り込んだ人物は、「あ、もしかして大事な話の最中だった?」と申し訳なさそうに眉尻を下げた。


 彼はレオンハルト。リーリュの双子の兄だ。


 彼の傍にもう一人立っていた。

 堅物そうに口を引き結んでいる彼はルーク。リーリュとレオンハルトの兄だ。


 三人とも灰色の肌。彼らはダークエルフ三兄妹だ。


「俺たちに明かせぬ話なのでしょうか?」


 一番上のルークは、頑としてイツキを射竦めた。


 エルフ族は人間と比較して異様に知的好奇心が強い。秘匿された事柄が存在するなど我慢ならないのだ。


「別に違ぇよ。……何か最近さ、楽しかったことばっか思い出すなあって話」


「……もしや走馬灯?」


 ルークは大真面目にぴんと人差し指を立てた。


「俺まだ死なねえよ⁉」


 やけに合点がいったようにニッコリしたのは、ダークエルフ次男のレオンハルト。


「俺は人間界の銭湯に行くのが夢です」


「……ごめんレオ、文脈が分からん」


「んーと、過去の楽しかった出来事ばかりが想起されるとなれば、それ以上に楽しい現在の思い出を早急に作らねば、という話ではないのですか? 俺は銭湯がいいです」


「……あー」


 イツキがリアクションに困って空を仰ぐと、急に滝壺に来たような激しい水音が耳朶を打った。


「と仰っている間に、銭湯に着きましたね!」


 いつの間にかリーリュが藍の生地に白の麻の葉柄が整然と行き渡った、夏らしい浴衣姿になっていた。


「は?」


 眼前に、もくもくと湯気が広がった。


 イツキは撥ね退くように立ち上がった。熱風がすねに当たって、白い湯煙が背後に逃げていった。


 姿を現したのは、一抱えほどの岩に囲まれた円形の泉。

 岩場の湯口からとめどなく吐き出される湯水の奔流。鼻をかすめた硫黄の匂い。


 露天風呂だ。風呂を囲む塀の向こうに、初夏の星空と雄大な山影が見渡せた。


 ……限りなく日本っぽいけど何処だここ⁉


 気付けば、自分もレオンハルトもルークも、皆揃って藍色の浴衣を纏っていた。


「イツキ君、銭湯の作法をご教授ください」


 ルークは入る気満々だ。


「ええと、まず服脱がないと駄目で……」


「わーい! 温泉だー」


 レオンハルトは聞く耳を持たない。


「わーい! 一番乗りですわ!」


 誰かが足踏みする度、岩場を流れる湯煙が更に掻き混ぜられ渦になった。


「わーいじゃねえ! リーは女風呂!」


「ええー、ケチですねえ」


 ケチかどうかは関係ねえから。


 そうツッコミを入れようとしたら、リーリュが得意そうに笑窪を作っていた。揶揄いに成功してご満悦なのだろう。


 レオンハルトはまだお湯に浸かってもいないのに満足気で、普段は寡黙なルークも頬に笑みを刻んでいた。


 ――ああ、実際にこんなに笑い合ったことって、あったっけ……。





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