2-10 妖精と箸置き

 イツキという青年からクコに加え、レーヴェという子供を引き取らないかと提案された。


 レーヴェと紹介された少年が、昔ヒガンのきょうだいだったことは分かっていた。レーヴェは、タンポポの面影を全く残さないほど正反対の性格だった。


 イツキの説明が終わり、間髪入れずにレーヴェが強引にヒガンの腕を取った。


「今から俺はヒガンの子供になるの。ね、ね、いいでしょ」


「あんたみたいなのが子供なんてうんざりよ」


 ヒガンが突き飛ばしても、レーヴェは跳ね起きた。


「じゃあ、居候だよ」


 めげる気配のない少年。

 不意にすっと無邪気さの度合いを下げ、クコに聞こえない音量で言った。


「精々、俺を養ってね」


 それでヒガンの心は決まった。ソラの代わりが見つかった、と思った。

 傍に置く人間はクズならクズの方がいい。まあ、レーヴェは人間ではないのだろうが、それはヒガンにとっては些細な事だった。


 レーヴェがヒガンにしな垂れかかった。


「俺さ、服が欲しいな。これ一着しか持ってないんだ」


 ヒガンが一万円札を財布から抜いて渡すと、レーヴェは眉を顰めた。


「ちょっと! これだけ? 仮にも会社令嬢の子供として暮らすんだよね?ってことは、それなりの格好する必要があるってことでしょ? 少なすぎない?」


 その言葉に従い、ヒガンが五万円を差し出すと、レーヴェはやっと満足げに笑った。

「ありがと」と口先だけの礼を言い、お札をズボンのポケットに押し込んだ。


「……仕方ないなあ……」


 ヒガンが呟くと、イツキの顔が引き攣っていた。


「あの、何で嬉しそうなんスか……?」


 訊いたくせに答えを聞きたくなさそうな顔をしていたので、イツキのことは無視した。


 執事の迎えが来て、ヒガンはさっさと車に乗り込んだ。

 続いて、ムカゴと、クコ、レーヴェが乗り込む。


「忘れ物は無いか?」


 イツキが外から確認した。何故そんなことを部外者に訊かれるのかと不可解に、いっそ不愉快に思うと、イツキは警戒を解かせるためか苦笑した。


「……あのさ、ここには二度と帰って来られないと思った方がいいと思う。人間の世界を忠実に再現してはいるけど、ここ『この世』じゃないから」


 あの世とこの世の狭間のような世界なのだと聞かされた。信じられないが、嘘を吐く理由もなさそうだった。

 レーヴェ――妖精ピクシーの存在がこの世と曖昧な狭間を繋ぎとめていたが、それはレーヴェが立ち去れば消えるらしい。


 ヒガンは村を遠ざかる車の助手席で揺られながら、自分は何処で育ったのだろうとふと考えた。

 そういえば、母の死をきっかけにそれまで面識もなかった父親が降って湧いた。それも関係するのだろうか。


 あの世でもこの世でもない場所で死んだ母は、果たして本当に“死んだ”のだろうか。


 これまでは死ねば母と同じ場所に逝けるのだと漠然と思っていた。

 母の元に行きたいという衝動から目を背けるために、自分の存在意義を探した。つまりは、ソラのようなヒガンに依存しなければ生きられない人間を傍に置きたがった。


 車内で、レーヴェは必要品を口頭でリストアップした。


「当面ヒガンには俺たちの生活を保障してもらわないと。生活のためにはそれなりにお金が要るでしょ」


 少年は皮肉めいた声音を作ろうとしていたが、急ごしらえの感が否めなかった。

 しかし、ヒガンはその不自然さを意識の外に追いやった。

 何故ならば、あなたを愛しているから傍に居る、よりも、お金が要るから傍に居る、の方がよっぽど信じられたからだ。

 


 車の後部座席でムカゴは、俯いているレーヴェの頭にぽんと手を当てた。


 これまでの言動がレーヴェの本心ではなく、ヒガンに捨てられないための振る舞いだと気付いてしまったから。

 レーヴェはムカゴに気を遣わせまいと気丈に笑った。


 クコが「んっ」と顎を上げた。自分も撫でての合図だ。


 ムカゴは、はっと顔を強張らせて、こわごわとクコの髪に触れない程度に手を翳して、すぐに引っ込めた。


 今回の事件を通し、自分が近付いたせいでクコが人間でなくなってしまうかもしれない、という恐怖が克明に刻まれてしまった。だから、触れてあげられない。

 この時ムカゴは、早くこの子を遠ざけなければ、と焦っていた。


 クコは父に避けられたことを察知し、ショックを受けた顔をした。泣き出しそうに顔をくしゃっと歪めた。


「あ、泣かないで、クコっ……」


 ムカゴが困ると、クコは慌ててぐっと口を引き結んだ。


 レーヴェの頭は撫でるのに、クコにはそうしてやれない。クコにとっては酷い理不尽であるはずなのに、ムカゴを困らせまいとしているのだ。いじらしくて敵わない。


 クコはすんすんと鼻を鳴らして、堪えていた。

「これで鼻かんで」とチリ紙を差し出してやることはできても抱き締めてあげることはできない。


 ムカゴはいつか再び愛娘を抱き締めてあげられる日を待ち焦がれていた。




 村から出て、ふと振り返れば、かつてヒガンが母親と暮らした村も、降りてきた山道すら跡形もなく消えていた。


 霧が出てきた。ムカゴは、この霧を抜ければこの世だ、と心中で呟いていた。車が進み霧が晴れていくほどに、生きた心地が蘇ってくるような感覚があった。


 自分は人間でなくとも“この世”で生きたいのだ、と思えたのは初めてのことだった。




(「2.妖精と箸置き」終わり)





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