1-8 和菓子職人とホッチキス

 ☆☆☆


 年を越しても猶、絶え間なく雨は降り続いていた。この悲しみを乾かす間など与えないと言うように。


 クコはフリルたっぷりのロリータワンピースを着せられ、白いタイツと赤いヒールを履かされていた。

 刻々と成長していく生命のさざめきを内面に持つ少女には、フランス人形さながらの格好は似合っていなかった。


 クコはまるで誰かに呼ばれたように、濡れたような黒目で窓に振り向いた。


「おとうさん、きた!」

 与えられた人形を放り出して、窓に貼りつく。


 クコは「お父さん」と呼んだが、それは有り得なかった。


 クコは既にムカゴの結婚相手の令嬢の屋敷に引き取られていた。その屋敷の子供部屋は三階。窓の外に他に建物やよじ登れる樹木はなかった。


 窓の向こうには冬の雨に青く煙る街が広がる。暗い影のわだかまる住宅街に灯りが点々と見え、道路を右に左に車の前照灯が行き交い、光の川を作る。


 屋敷の窓硝子は厚く、雨音は室内からは閉め出されている。

 そのはずなのだが、クコは定期的に小さく首を動かすのだ。まるで誰かの呼び掛けに懸命に耳を傾けんとするかの如く。


「おとうさん、きて。おやつあるよ」

 ついには一人でおままごとを始めた。


 それを離れたところで見ていた令嬢は「気持ち悪い……」と零し、カーテンを閉めた。令嬢は少し後悔し始めていた。


 写真を見て、一目でクコの魅力に取り込まれた。

 化粧やパーマやフリフリの服で覆った人工的な可愛さではない、内面に秘めた美しさを悟らせ、絶世の美女になると予感させる少女だったからだ。


 あの子を手元で育てて自分の隣に置けば、さぞ見栄えがいいだろう。引き立て役に丁度いい、そう思ったのに。

 異常な行動はまともな親に育てられてないからか……。


 と、クコがぐるんと首を回した。幼児らしくまんまるに見開いた瞳……。

 いや、違う。


 クコは、つー、と目尻を下げ、自然に口角を上げた。この世の清らかさを体現したような表情だった。


「安心なさい。私はあなたの人生の邪魔をする者ではありませんから」


 クコは恩情と深慮の宿った言葉を、あどけない発音に乗せた。


 令嬢は誰と対峙しているのか一瞬、分からなくなった。


 が、次の瞬間にはクコの乳母としてつけられた使用人に「クコ様」と呼ばれ、そちらにパッと顔を向けた。

 少女は配膳用の台車に乗せられたおやつを目に入れると、ほくほくと笑った。


「これ、なにー?」

 先程の様子が嘘のように、好奇心旺盛に背伸びをして使用人の手元を覗く。


「これはボーロですよ」


「ぼーろ、なにー?」


「クコ様、食べますか?」


「たべる!」


 お菓子への欲求を隠さず、人懐こく使用人について回る。

 けれど、抱き着きはしない。出会って数日の大人との適切な距離を測ろうとする聡明さ。

 それら一連の仕草は全て二歳という年齢相応の範囲内だった。


 使用人がふと令嬢に目を留めた。

「お嬢様? お顔の色が優れませんが……?」


 令嬢は寒気がして、立っていられなかった。


 クコは椅子の半分にだけお尻を乗っけた。ダイニングテーブルにはホットミルクとボーロが用意された。

 一口頬張ると、クコは頬に手を当てて「おいしー!」とはしゃいだ。


「ねっ、おいしーねー。おとうさん!」



(「1.和菓子職人とホッチキス」終わり)

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