怪物は変化に気付く

「マキさんは白雪姫だと認識していました」

 吸血鬼おれの変身能力を悟られていないか探りを入れたところ、返答がこれだった。


 北の街の茶店は従業員の干渉がない店を選び、阻害術式を薄く張る。仮に聞こえても理解できない音声として知覚されれば問題ない。

 かねてからの予想通り、少女は他人を声で識別している。付属情報は色彩と印象――「星のひとたち」「野生の良心」「菓子泥棒」「狸」苦情も混じっているのだろうか。

 ポーカーで役を揃えるごとく、複数の情報をより小さな概念に圧縮した結果が「白雪姫」だろう。黒檀の髪、新雪の肌、血色の唇、ではないが瞳。

 理屈が見えれば手遊び感覚で解けるが、唐突に圧縮概念を放られると面食らう。大人の男を捕まえて姫と形容しないで欲しい。「森のお家にお住いでしたし」それはそうだが。

 少女が俺の茶髪を観察している。興味対象に向ける集中は昔から変わらない。

「髪が薄くなってしまわれたので、もう黒檀ではないのだなと思いました」

「薄くなってはいない。色が変わっただけだ」

「そうですね。薄く」

「薄くない」

「さよですか」

 だが顔立ちは記憶していない。俺が全く別人の容姿で現れた異常も認識していない。

 少女が獏に処分される危機は免れた。安堵で満ちるべき胸に、あわい異物が混ざる。

「……顔を覚えるのは苦手か」

 少女はこくりと頷きうつむく。

 ふと思いつき補足した。

「そういう人間は珍しくない」

「……顔を、ですよ?」

「ああ。顔を全く認識できない特性の人間もいる」

 相貌失認といった。少女はどちらかというと興味の有無や情報圧縮の癖に原因がある気もするが、問題とするほどの異常は感じない。

 話すうちに表情がすこし晴れた。嬉しかった。


 窓から風が吹き込んでくる。

 柔らかな気流が濡鴉の短髪を撫でた。ばらばらの長さで刈られた髪は不格好に舞う。

 少女が紅茶を置いて窓に目をやり、黒髪を耳に掛けた。

「風の強い日が、あったな」

 過ぎる記憶が口をついた。

 少女の瞳が俺を射抜く。「お前がまだ幼い頃、森で」「ああ、」得心がいったらしい。

「ぱたぱたとなびいて、たまに顔に被さってくるそれを、避けた。……そういう、」

「よく覚えておられますね。いまは短くなりましたから、貴方の視界を邪魔することもないでしょう」

 変わらぬ面影を見るたび、変わってしまった点に目が向く。

「琥珀」は男の設定であるし、髪が邪魔で身体操作に支障が出ても困るらしい。「そろそろ伸びましたね」と、いつも散髪を頼む大人の帰還時期を思い出そうとしている。髪型を見る限り下手の部類だが、毎回仕上がりの違う短髪を博打感覚で楽しんでいるそうだ。

「切るのか」

「はい。邪魔ですから」

 返答が分かりきった問い掛けをした――これではない。

 釈然としない、のか。物足りなさか。どのような言葉で出力すればいい。

「お前の頭じゃあない」

「……これは私の頭ですが」

「…………、」

 言語化の結果が不可解だ。思考の圧縮癖でも伝染ったか。

 不明瞭な喪失感を埋めるように、すこし伸びた黒髪に触れた。

「中途半端に伸びているなら、切るよりも、束ねてしまったほうが邪魔にならない」

「……そうですか?」

「短髪を維持するのも面倒だろう」

「! なるほど、」

 長髪を美しく保つのも手間ではあるが、散髪頻度が減る点は嘘ではない。

 少女は散髪予定を修正し、中途半端に長い後ろ髪を束ねられないか思案していた。

「しかし、一本結いは揺れて邪魔そうですね」

「団子にして頭に固定できる結い方を教える。なるべく簡単なものを」

「……魔法の鏡?」

「知恵を褒められる分には悪い気もしないが、せめて魔法使いにしてくれ」

 俺は、真実に誠実な器物ものではない。

 髪を切らせないための理屈を説いた。曖昧な自分の情動のために、都合のいい事実だけ言葉にした。恣意的に、きわめて自己中心的な助言をした。俺は吸血鬼ばけものだからそういうものだと――言い訳じみた言葉を拾いなおす。


 俺はいつも聞かれたことに答えた。少女の形容するところの器物に近しい存在でいた。

 では今、変わっているのは俺なのか。不変の、不死の化物が?


「マキさん。今日も御用はおしまいですか」

 今日の面会も困り事の依頼ではないのかと問われた。

 俺は肯定した。俺の異能がばれていないと確信できたので、目的は達成されている。

「残っているのは俺ではなく、お前の用事だろう」

「私の用事、と」

「お前が言ったんだろう。俺に返したいものがあるから会って欲しいと」

「、……それで最近いらしてたんですか」

 少女はまず、不完全な約束を取り付けたことを詫びた。

「用意ができたらご連絡差し上げて、私がそちらに伺うかたちを取りたいのですが。手紙も難しいですか?」不死者の住処は明かせない。

「……俺個人で使える連絡先はない。お前の職場の方がまだ機能する」

「では準備でき次第、電話番の職員に言伝を預けておきます。マキさんがそれを確認してから予定を調整したほうが手間がありません。いかがですか」

 曖昧に頷いてから気付く。

――少女に会いに来る理由が、無くなった。

 少女が金を払い戻ってくる。長居は無用と離席を促し、足早に店を出る背中を追った。


「……増えてる。背中と右脚、また」

 少女はいつも怪我をしている。吸血鬼ばけものでもないのに血の匂いを纏っている。

 毒に身体を慣らす訓練や、新たな怪我の頻度。少女が便利屋で担う職務は守秘義務らしく明言されないが、観測される限りの事実は屋根裏での負傷具合に迫っている。

 どこが「比較的良心的」かという議論は今更しない。だとしても。


 少女の情動は快復した――はずじゃあ、ないのか。

「本当によく嗅ぎつけますね」

 どうして、木偶デクでも見る目で自身を眺める。

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