怪物の誤解

「お前の黒髪は美しい」と、言葉を掛けられていた。


 偶然に少女を見掛けた。中央を訪れているとも知らなかった――そして隣に男がいた。

 男と連れ立って市街を散策し、菓子店に目を輝かせる。真剣な表情で吟味した焼菓子を男にも分け与えてやり、素直に喜色を浮かべる男を見て表情を緩ませていた。

 溌剌として多弁な男だが相手には多弁を強要しない。寡黙な少女は有難がる人種だろう。男は武官らしく逐一周囲を警戒しながら、迷子の子供を見付けると率先して親元へ送り届けてやる習性もあった。

 善人をかたるにしては大袈裟すぎるし、男は顔が知られていた。街の人間に「なつめさま」と手を振られるたび、男は慌てて少女の耳を塞ぎ相手に口止めを頼んでいた。

 勘ぐっているわけではない。男は少女を「少年」と呼ぶし、少女も男装のうえ声を偽り壮年の声色で喋っている。睦まじくとて男に男色の気が無いならコトが起きようもない。

 そもそも少女が許すわけないと、

「話は分かった、お前に甘えたい。構わないか?」

「何なりと。未熟者ではございますが、精一杯つとめさせていただきます」

 前後もわからず飛び出して、少女の手を掴んでいた。


 少女はいつも通りに挨拶をしてきた。声がまったく冷静で、余計に言葉が霧散した。

 俺が言い淀むうちにてきぱきと予定を立てて会話を畳み、男のもとへ戻っていく。

 二人は宿屋に消えてゆき、その後のことを俺は知らない。


 人目をはばかるなら宿屋で聞くと言われたが断り、酒場の隅の卓席を選んだ。

 恐らく少女の滞在する部屋は、あの男が招き入れられた部屋であるから。

「……あの武官の男とは、どうなった」

「どう、……ええと、彼にはご満足頂けたようでしたが……」

 言葉が出ない。内臓のせり上がる圧迫感が喉を潰す。十日前と同じだ。

 焦燥感に駆られる理由も不明だが、問い質さずにはいられなかった。

「……嫌じゃなかったか」

「好き嫌いといいますか……街歩きでお世話になりましたし。借りをお返しできていないと居心地が悪いので、むしろ申し出いただいて有難かったです」

「見返りを要求するために近付いたんじゃないのか、」

「目的は初めから伺っておりましたし、交渉のうえ納得いただいたお話ですよ。思っていたより大変でしたが、素直に従って頂けたのでやりやすかったです」

「…………」

 武官に守られながら羽を伸ばす少女の姿を、触れがたいもののように感じた。

 誰かに庇護されて生きる未来もあったのだと今さら気付かされた。

 研鑽を積み、防衛手段を獲得した少女に疑問を抱かなかったのは何故だろう。庇護を選ぶ可能性が過ぎりもしなかった理由。少女がいつも一人だったからか。虐待を受けながらも手が届く限りの努力を重ね、自立の意志を育てているのを知っていたからか。

『貴方が聞きたかったことは、何ですか?』


 違う。

「他者に助けを求める」選択が欠けているのを、知っていたから。

 どんな目に遭っても、どの様に尊厳を穢されても。絶対に「助けて」と言わなかった少女を、ずっと傍で見ていたからだ。


 言葉がうまく出力されない違和感は、当時も覚えた不具合だった。

 あの時の俺は、少女に何を期待したのか分からなかった――もしかするとと唱えた言葉が、過去の煩悶はんもんまでも払拭して腑に落ちる。

 俺が少女に言って欲しかったことは、

「さが、」

「髪質が似ていて助かりました。炎症も起きず、師の髪染めと同じ感覚で進言しても問題なさそうでしたから」

「…………、……悪い。初めから時系列を追って説明を頼みたい」

「承知しました」



 俺は何を取り乱していたのか。

 途中から無性に聞いていられなくなり、強い酒を頼んだ。少女も飲むと言ったのでグラスを二つ。酒を舐めながらも、整然とした説明は明瞭な語り口で続いている。

「幼い時分、弟を人攫いにかどわかされ亡くしておられるそうで。以来、弱いものを死なせたくなくて神経質になってしまうのだと、そんなことを仰っていました」

 染料の試験待ちで手持ち無沙汰になる間、武官は少女に身の上話をしたらしい。

 母に次いで弟を亡くし、涙が枯れるほど泣いたこと。父と兄に抱きしめられたこと。気丈に振る舞う陰で嗚咽おえつを殺していた二人の背中と、焼け爛れた死体が腐りはじめてもなお懺悔する父親の姿――他人の根幹に関わる話だからだろう、掻い摘んで要点をぼかし多くを語らない少女の声は、乾いていた。

「練習も兼ねて金髪の一部だけ黒染めしたので奇天烈なことになりましたが、ご本人は満足そうに帰ってゆかれました。あの日起きたことは以上になります」

 残る酒をあおってから少女が固まり、すまなそうに身を縮める。

「……ごめんなさい。ええと、……酔いは回っていませんので、マキさんにお許しいただけるなら御用向きをお聞かせ願えますと助かります……」

「いや、大丈夫だ。無くなった」

「え、……左様でしたか。すみません、あの様な約束をしたばかりに無用なご足労をいただいてしまい」

「気にするな。飲まないか?」

「……では、少しだけ」

 かちりと器を合わせ、強い酒精を飲み下す。洋梨に似た芳香が鼻を抜けていく。


 少女はザルだった。体格や年齢を鑑みても破格の分解能だ。毒といい酒といい――虐待の薬物もだが、少女はその手の有害物質に対してやけに耐性がある。

 理性もまったく頑健で、酔って口を滑らせることも、正体をなくすこともないのだろう。

「辛い経験を経て優しくなれるひとと、そうでないものは、何が違うのでしょう」

「何か感じたのか。武官の身の上話に」

「……いいえ。当たり前のことを、当たり前に実感しただけです」

 橙色の酒場の灯が揺れて、伏し目の睫毛に影が落ちる。

 さらりとした酒精の水面を見つめる少女が、器を包む白い指を組替えた。ゆらゆら屈折する光を閉じ込めた酒を、すいと飲み干してしまう。

「まともなひと、やさしいひとは、家族が亡くなることは悲しく、悲しければ涙が出るのだと。その程度のことです」

 母親を亡くしたとき、少女も泣いたのだろうか。

 表情を確かめようとして、目前の人間から香ったモノに意識が逸れる。


 生々しい傷から立ち上る、薬と血の匂いがした。

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