成年編

彼女の理想①

――よく光の射す私室だった。


 大きな窓硝子は、濡れた水の膜に似て艶やかだ。樹木の緑鮮やかな背景と洗い上がりの陽光に照らされ、壮年の男性が皮張りの椅子に座している。

 彼は両手の指を机上で組み、私へ柔和に微笑みかけた。

 身寄りのない人間を集め、身分を保証し仕事を斡旋する便利屋家業。北の地で組織を作り、地位を盤石に整えた頭目――タタラ殿は、依頼受注許可が下りたばかりの新人に問う。

「君にはきっと、理想とする『社会』があるだろう? よければ私に、それを聞かせて欲しいと思ってね」

 組織の構成員が曲者くせもの揃いならば、長たる人間の頭の螺子ねじも相応に外れていると、どうして思い至らなかったのだろう。

「……このような若造わかぞう相手にする問答とは思えませんが。随分と戯れがお好きなようで」

「君の中味に合わせているだけだよ。少なくともこの話題に関して、君は既に答えを得ていると思ったからね。正しく評価しないほうが失礼というものだ」

 地位ある人間から認めて貰えている――という認知は、多少、人の心を浮き立たせる毒だ。子どもや女、一般に軽んじられる属性を持つ人間なら尚のこと。

 警戒を緩ませ、信用させやすくし、口を浮つかせる。加えて彼は、信を得やすい外面の整え方を心得ている。人を転がす手合いというのはつけ込む隙を作るのが上手い。

 足元を確かめ、目の前の男を観察する。無機質に、冷静に。

「……ううん、ええと。さすがの私も、話が出来ないのは困りものだな、……君のお師匠様には随分と嫌われているからね。会話をするなと命じられていても驚かないけれど」

「師から、貴方個人に対しての警戒令は頂いておりません」

「あれ? そうなのかい」

 師から拝した教えの数々が、目前の男の挙動ことごとくに警鐘を打ち鳴らすだけだ。

「……それなら先に僕が話そう。問いに答えるかどうかは、話を聞いてから決めてくれて構わないよ」

 ちち、と。窓の外で鳥が鳴いた。おそらく雀だ。

「孤児、はぐれもの、この社会から爪弾きにされた異物……そして、多くは鬼と呼ばれる化物のこと。知っているね?」

――この便利屋が受注する仕事の半数が「駆除依頼」だ。

 角を持つほかは人に近しい容貌ながら、優れた身体能力と膂力りょりょくで人を屠る。力が強まるにつれ理性を失い暴走し、無辜むこの人間を巻込みながら事切れる異形だ。

 狐憑き、悪魔憑き、悪鬼羅刹に物の怪の類。自らの身体さえ、過ぎた力に破壊されるように事切れる化物は、名称や伝聞を異にしながらもあまねく各地で発生している。

「彼らに対抗する公的な力は、中央武警団や武系貴族の人間が精々。それも都のみを守れる程度だ。だから私たちのような暴力稼業が各地でやっていけるんだけれど」

「地方への無関心に加え……放っておけば死ぬ異形ゆえ中央には影響すまいという都のご意向、」

「それはまあ……君のお師匠なんかはそう吹き込むかな。彼は中央が嫌いだから」

 さすが人心掌握に長けた頭目と言うべきか、師匠の性格に呆れるべきなのか。

「鬼と呼ばれる彼らは、現状この国で存在を認知されていない。僕が問題としているのはそこだ。何故なら――、」

 タタラ殿はちらと私を見る。答えを求められていた。


「……彼らはみな、人から狂って鬼となったもの達なのに、と?」

「その通り」


 かつての親類かつての友。未来の隣人だったかもしれないもの。

 どの様な名称でも発生の機序は同じだ。公に認知されているわけではないが「彼ら」を殺す仕事を担えばよく分かる。

 目を背けたくとも。否が応でも認めざるを得ない。

「私がこの組織を作ったのは、鬼と呼ばれる異形の彼らは『人』であると、この国に現実を認めて欲しいからだ」

――彼らは人だ。人だったものだ。その慟哭どうこくと断末魔は、余りにも趣味が悪い現実だった。

「私が組織を作った目的は慈善事業ではない。でも、社会が寛容さに欠けているのも事実だ。君も孤児として、拠り所のない立場として、厳しい現実に晒されてきたと思う」

 親を亡くしたもの。故郷を喪ったもの、追われたもの。寄る辺をいちど見失った人間が頼れる先は確かに少ない。孤児を集め教養を与える便利屋など変人の類だ。

「みなしご、戦災孤児、奴隷、被差別階級、親から放棄された子……鬼と同じく社会に居場所のない彼らの力を借りて、弾かれた皆を『人』と認めさせる。権利と福祉の拡充を要求する」

 私は兄と違い「聞き耳」がそれほどさとくない。

 その耳でも熱量は理解する。彼は本気だ。

「全ての『ひと』が救われる国を創る。僕はその為の革命を起こしたい」

 これほどまで気の狂った大言壮語には、そうお目にかかれまい。


 穏やかな昼下がりの熱を、言葉の残響が消えてから思い出した。

 彼はにこりと笑ってみせる。腹に野心を飼いながら、それを隠すのが上手い。

「……私に理想はありません。貴方のような話は出来ない。それでも宜しいなら」

「話してくれるのかい? 良かった。気合を入れた甲斐があったよ」

「……相手の中味を拝謁しておきながら、此方が何も開示しないというのは、公平ではありませんから」

「全ての人」。耳触りがよく、実現不可能な言葉。

 その綺麗事で彩られた話を、いま現在、立場の弱い人間に持ちかけるという意味。

 あなたの命を私の目的のために利用します――という宣言とて、虐げられている人間にとっては「自分の立場を向上させてくれる」甘い誘いと同義である。

 先の言葉が真実だったとしても、相手がすべて腹の中身を晒したとは限らない。

 考えるなら悪い方にとる。人間不信と笑われるならそれでよい。

「悪いよりは、良いほうが好ましい。私の指針はそれだけです」

 泣き虫で、傷つきやすくて、ひとを疑えないような人が居る。悪意の中で生きていけるか危ういほどに優しい人を知っている。

 私とは似つかわしくない、柔らかい陽だまりのような人。

「ふむ。……では、琥珀くん。君にとっての『良いこと』は?」

「優しい人が、優しいまま生きていけることです」

 理不尽に殴られて反撃の牙を研げる人間ばかりではない。身を立てるに足る教育を得られるとも限らない。諦めを強いられる人がいて、殴られた傷で死んでしまう人がいる。

 母に、心ゆくまで歌っていて欲しかった。想い人と幸せになって欲しかった。

 兄が私と同じ目に遭ったらと思うと恐ろしかった。美しい歌も失われ、尊厳を奪われ死んでいただろう。仮定するたび心が冷えた。

「優しい人が、……馬鹿正直な、善意の人たちが。不当な目に遭わず健やかに生きられるなら悪くはないと思う。私の意見はそれくらいです」

 この最高幹部は、私の出自をどこまで把握しているだろうか。面が割れている以上、楽団で活動する兄の存在はいずれ知られるとみた方がいい。

 兄の負担にだけはさせない。私のせいで兄が危険に晒されるなら、私が死んだ方がいい。

「話は……おしまい、かな?」

「はい。申し訳ありませんが」

「構わないよ。一応こちらは、君の人間性を保証して、依頼先との仲介を行う立場だからね。君の思想が組織を脅かすものではないか知りたかった」

 革命を起こすと堂々宣言する理想は、社会を脅かす思想のような気がするが。

 疑問はあるが深追いすまい。口を出せば詮索の口実を与える。私は私のことを不用意に開示したくない――組織全体の人間を掌握したいのだろう相手には尚更。

 タタラ殿は椅子から立ち上がり、私へにこやかに手を差し出した。

「これまで通り、私は君を支援しよう。私達が同じ未来を目指していると信じられる間だけでいい。君の力を貸してほしい」

「……教育の機会を与えていただいたこと御礼申し上げます。研鑽を積み、務めさせていただきます」

 求められた握手は丁重に辞退して、便利屋頭目の私室をあとにした。

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