不可知

『人間は、自分の背中を見ることができない』。そう言った人物がいた。


 俺は定期的に、市井で怪物の伝聞を探す。大衆が信じる姿に近いほど適切で、真摯な研究論文より民衆に好まれる醜聞の方が上等。それを通俗的と呼ぶならば、俗説であるほど俺の目的に即している。

 吸血鬼。人の生き血を渇望する、蘇った死人または不死の存在。日光を嫌い夜を好む。招かれていない家に入ることはできない。その変身能力は人に留まらず霧や動物にも変化でき、神出鬼没、変幻自在の怪物である。餌である人間を魅了する造形が多い。

 殺害するには、木の杭や銀の弾丸で心臓を穿つ必要がある。

 また、吸血鬼の寵愛は人間を不死に変え、悠久を添い遂げるという。


 怪物の姿は「信仰」のかたちだ。

 不死者の伝聞が伝承となり広がったのか、性質から怪物の名を得た不死が「信仰」によって完成したのか――怪物が先か信仰が先か。疑問を解く術はない。

 信仰という土台に「食事」の糧。どちらが消えても怪物は弱体化する。

 人間が変質した結果の不死身。圧倒的な異能をかざす強者は、結局のところ人間なしには存在が危うい。伝承から受ける印象よりも、ずっと頼りのない身の上なのだ。


 俺は自分の姿が知りたい。

 恐らくその希求は、人の身よりも遥かに強い。

「お前から見て、俺はどういう形をしている」

 野草探索の合間――俺から少女への尋ねごとは珍しい。

 会話の端から俺の知識を嗅ぎつけた少女は、訪問目的をすっかり教養講義にすり替えている。好奇心に輝く瞳で教示を乞う姿は、苦悩しながら歌唱練習を重ねる時より生き生きと見えた。

「近隣の土地柄とは異なる顔立ちとみえます。私の知るうちでは……母に近いです。舞台映えのよい、くっきりした印象を受けます」

 人見知りを自称し愛想も無い。他者の存在で緊張して歌えなくなる。舞台に向かない己の気質を、少女は自覚しているのだろうか。

 とはいえ指摘はしない。どの様な願望であれ、夢見るまでは平等だ。

「嘘がなく寡黙で、必要最低限の語りしかなさらない」

「それはよく似た毒草だ。葉の形状と、茎の断面を見較べると分かりやすい」

「ありがとうございます。精進します……それと、森に慣れた経験のあるかたです。恐らく護身もお出来になる」

「どういう理屈だ」

「獣の襲撃に怯える素振りが見受けられません」

 人間好きの小獣がちらちら少女を窺っている。本人は草に夢中だが。

 少女が欠かさず社に捧げる「挨拶」という名の信仰は、土地神の気に召しているとみえる。森に満ちる気配が柔いのはそのせいだろう。

「緊急時は私を囮にしてください。どのみち幼子の足では逃げ切れません」

「ああ。分かった」

 それをやると確実に土地神の怒りに触れる。神の名をいただくとはいえ死に体の不死身ひとり、どうとでも捩じ伏せられるので気にすることは無いが。


 恐怖を刻む怪物より、災禍を退ける神のほうが忘れられ易いとは皮肉な話だ。

 災いからの救いを求めて祀りあげ、平穏が戻れば忘れ去られる。神も魔物も信仰が尽きれば消えるだけだ。そうして無数の信仰が生まれては消える。神というのは消耗品だ。

 俺が初めて森を訪ねた当時、土地神に息は無かった。それが森に影響を及ぼせる程度まで力を戻しているなら、少女の信仰がそれだけ強く作用したのだろう。意思疎通が可能なら挨拶に向かうべきかもしれない。

 此処の土地神の起源は何だったか。祟り神の類でないことを祈るばかりだ。

「黒檀の髪に血の瞳、新雪の肌……、…………」

 呟き続ける少女が、毒草両手に俺を見上げた。

「姫?」

「錯乱したか」

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