不実

「身体だけの関係はもう嫌。あたしは本気であなたが好きなの」

「そうか。二度と会うことは無いな」

 最後の煙草をふかし終え、女のもとから姿を消した。


 俺たちは基本的に人とつがわない。不死者のためではなく人間のためだ。

 どうも呪力というものは不死身以外には毒らしい。呪力を受容し不死化変異へ至る個体がまれとは理解していたのだが、短期間に多量の呪力を注ぎ込まれた人体が異形化のち爆散する現場を目の当たりにしては重く受け止める他なかった。好いた人間を不死者に変えたかったと語る怪物は、同じ動機で何人か殺したのち後を追って死んだ。

 だが感情とは厄介なもので好意は自然と人間を侵し歪めていく。獣で言うマーキングの類もあるが、それで不死者へ引きずり込まれる人間がいるのだから無視はできない。

「マキさん、お住まいはどうされているんですか」

「森の奥に隠れ家がある」

 だから、死なない人間の多くは只人と距離をとって生きる。化物の呪力が人を歪めない為という戒律と同時に、不死の隠匿の意味を果たしているからだ。

 人間を好み市井で生きる不死者は多い。器用に暮らすもの、流浪になるもの。上手く付き合う不死者と同じ数だけ、異端として見咎められ狩られた不死者がいる。

 俺の存在を喧伝せず、好意を向けてくることもない少女は、面倒のないぶん上等の部類だ。俺の性質が強く影響する年頃になれば分からないが。

 少女は怪訝に眉根を寄せる。人型を確かめるように、上から下まで俺を眺めた。

「……まさか、この森の朝露からお生まれになったわけではありませんよね」

「ああ、出自の話か」

 そういう類も居――は、しないか。俺の知る限りは。

 俺たちは総じて人だったものであり、人の身から変質した不死身だ。その力に宿った伝承から自然と近しい性質を帯びて、草木や水に近くなった知り合いなら居るが。

「俺も人だ、辺境の村で生まれた。追い出されたからここに居る」

 物心つきはじめ相応に欲を持ち、村の女を片端から抱いていたところ何人目かの女の夫が俺を告発した。不貞を唆したとして村を追われたが、罪状には今も異論がある。

 俺が抱くのは性交渉の同意が取れた女だけだ。脅迫や暴力はもちろん、ただの一人も強要は無かった。和姦の何を咎めるのか未だに納得していない。

「……放逐は。あなたにも納得のいく、正当な理由でしたか」

「恐らく正当だ。納得はしていないが、結果として村を離れられたことは幸運だった」

 村を出て、こことは違う森で、主の居ないあばら家に住み着いた。人里離れたそこで生き長らえるうち、自らの不老を自覚した。

 もし村に残っていれば、俺は異端と見なされ殺されていただろう。

「……左様ですか」

 ある日、森に迷い込んだ女を抱いた。村にいた頃から身を苛んでいた飢えめいた衝動が、その夜はやけに強かったのを覚えている。

 噎せ返る女の匂いにも渇きが収まらない。過ぎた快楽でとうに腰は砕け、理性もなく嬌声をあげる肉の身体をいくら貪っても飢餓感は強まるばかりだった。


 俺も朦朧としていた。霞む視界に「それ」が映る。

 上気し紅色に染まる首筋。牙を突き立てれば溢れるのだろう血の気配に喉が鳴る。目が眩むほど、甘そうで――


「ここからは街も近い。不便はしていない」

 性欲だと認識していた代物が、死なない化物としての本能――吸血衝動であったことを理解した。不死の同類と出会い、知識を得て、身の振り方を決めた。

 吸血行為は人目を引く。だから従来通りに性交渉を持ち掛け、行為の中に紛れさせる形をとった。快楽で理性を溶かしておけば記憶されないうえ、万一に魔性が露見した場合も不思議と告発されなかった。積極的に協力を申し出てくる女さえいた。

 理由はどうあれ、好意をもって従順に振舞うのなら捕食側としては都合がよかった。

「……私には、」

 少女が珍しく距離を詰めてきた。石段に手をつき、背筋を伸ばす。

 金色の瞳がまじまじと俺を覗き込む。

「貴方が、村を放逐される悪人には見えない」

「お前が子どもだからだろう」

 俺が怪物として好む捕食対象はおおよそ性成熟期以後の女性だ。いくら少女が大人びた話し方をするとはいえ、年端もいかない子どもの血を食す気にはならない。

 だから現状、少女の目からは無害なものに映るだろう――

「……私が未熟との評価は妥当ですが。子どもだから解らないのだと決めつけられて、いい気持ちはしません」

 少女はへそを曲げた。唇を引いて視線を逸らし、持参した外つ国の大衆文学の表紙を穴でも開けそうなほど見つめている。

 俺の発言の意図が伝わっていない。だから恐らく、その不機嫌は事故だった。事故である以上こちらに非は無く、無いものは取り繕うことも出来ない。

 放置していた沈黙に、ぽつりと低い声が落ちた。

「……この言語を一から指南してくださったのはマキさんです」

「ああ。それがどうした」

「だから、そういうことです」

 何が「そう」なのか。増して低くなる声は、もう青年の声色だ――

「教養があり驕らない。子どもに見返りなく知識を与えてくださる。それは紛うことなき良識ではないのですか」

 怒るというより、不貞腐れていた。

 膝を抱えてそっぽを向いた少女のつむじと見つめ合う羽目になる。意味は薄ら、解ったかもしれない――俺は少女に見返りを求めず利益を与えた。だから悪人と判ずる理由が無いと。少女はそう伝えたかったらしい。

 誤解は相変わらず誤解のままだが。

 無垢でちいさな憤りは、俺を村から排した彼らに向いたものと、「悪人には見えない」という少女の評価を受け取らなかった俺に対して、なのだろう。

「……まあ何でもいいです。それよりマキさん、質問が、……?」

 少女はけろりと顔色を戻した。情動の発露がまるで読めないが消えるのも早い。

 ものの燃えた甘い香りがすると辺りを嗅ぎ回っていたので「煙草と香水だろう」と己を指さした。試しに煙草を一本見せると、好奇心に爛々とした瞳は瞬きもしない。

「すこし嗅がせて頂いてもよろしいですか」

「構わない」

 少女が俺の背中にくっついた。予告通りに吸われた。


「随分と甘い嗜好品ですね」

「香水に関しては俺の好みではない」

 俺は何となく自分の容姿を確かめた。成人以後の男性型だ。どちらかというと少女が警戒したほうがいい類。別に少女を案じる必要は全く無いのだがどうも警戒心が薄いんだか何だか判然としない。成長以後もゆるゆると懐に入ってくる気配すらある。動物としては欠陥だと呆れながらも捕食本能が囁く。

 少女は致命的なほど呑気かつ理性的な人格をしている。言いくるめれば長く食い繋げる餌になる予感がした。色も知らない子どもを罠に掛けるのはやや気がとがめたが。


 それでも俺の本性は、異性を惹く怪物である――触れた頬は滑らかだ。上を向くよう促せば、少女は大きな瞳を不思議そうに丸めて俺を見上げた。

「……見返り、要求したらどうする。お前が大人になってから、だと思うが」

 無垢な子どもであれ、匂わせれば察するものはあるだろう。未知に怯えて逃げるなら、それはそれで安心する気がした。


「出世払い、というものですか。構いませんが」

「…………、」

 さすがに罪悪感が勝った。

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