第3幕 圧倒
「オラァッ!」
大気が揺らめき、爆発しそうなほどの熱が頬をかすめる。サイドステップで斬撃を回避し、紅羽は体勢を深く沈めた。癖の強いポニーテールをなびかせ、赤と黒の弾丸のようにアルに迫る。
「そいやぁ!」
「っと、甘ぇ甘ぇ!」
大斧と炎の剣が打ち合い、火花すら散りそうな鍔迫り合いを繰り広げ――ガキン、と音を立て、斧が宙に飛んだ。
「……っ!」
瞬間的に爆ぜる炎をバック転で回避するけれど、その足先が焼かれて焦げた。荒く息を吐き、紅羽は翻ったスカートの裾に手を伸ばす。そのまま中に両手を入れると、中から出てきたのは、銀色に輝く二本のスローイングナイフ。
「いくらあたしがバカでもこのくらいはわかるよ……接近戦は不利っぽいね?」
「ハハッ、それはどうかな?」
その手にはもう炎の剣はない。恐らく先程の打ち合いで壊れてしまったのだろう。そんな今がチャンスだとばかりに二本のスローイングナイフを投擲するけれど――次にアルが引き抜いたのは、五つの穂先を持つ槍。
「〝
鋭い金属音と同時に、スローイングナイフが弾かれる。それはケルト神話の太陽神ルーが持っていたとされる槍。その異様な雰囲気が、静電気のように肌を刺す。弾かれたように飛び退りつつ、紅羽は盛大に両手を振る。
「ちょっと待ってちょっと待ってお兄さんっ!?」
「いやそれ古いんだよッ!」
「ねえアルくん、キミいろいろとデタラメすぎない!? こちとらお腹空かせた一般ピーポーなんだけど!?」
「知るかよ……『勝てば官軍』って言葉もあんだろぉ!?」
言い放つその口元には、純粋に戦闘を楽しむような笑顔が浮かんでいて。嵐が激しくなっていく中、アルは五叉の槍を振りかぶり――投擲した。
「行けぇッ!」
「ちょ、ヤバ……ッ!?」
本能的な危機感に、首元に電撃のような予感が走る。避けられない。空腹すら上書きするほどに、警報は脳裏で鳴り響く。それでも生存本能に任せて飛び退るけれど、五つの穂先は光弾と化し、紅羽を追尾するように殺到する。首筋を走る雷のような感覚は止まらない。それどころか、さらに激しさを増して、五つの光弾からは逃れられる気がしなくて。
(嫌だ、嫌だ……痛いのは嫌だ、死ぬのは嫌だ)
いくらこの戦闘で実際に死ぬことはないからといって、嫌なものは嫌だ。
(……やるしかない、のかな。あんなもので引っくり返せるとは、思ってないけど)
やりたくはない。デメリットの多い
「
刹那、空間が歪んだ。異様な気配に、アルの口元が引き攣る。黒く歪んでいく二人の間の空間、そこに割り込んできたのは、狼に似た獣だった。漆黒の毛皮、紅羽に似た赤い瞳。それは紅羽の身代わりになるように光弾を受け止め、仰け反った。断末魔のような絶叫が響く。それでも咆哮し、アルに向かっていく獣と、スカートの内側からスローイングナイフを取り出す紅羽。だが。
「はぁん、面白ぇじゃねえか……なら、まとめてぶちのめしてやるよ!」
アルが片手を伸ばし――地中から引き抜いたのは、一本の長槍。それは北欧神話の主神オーディンの槍。トネリコの枝で作られた柄と、鋭いフォルムを描く穂先。
「……〝
荒い息を吐き、槍を構えるアル。何度も武器の創成を繰り返し、彼の方も体力を消耗してしまっているようだ。だが、紅羽の方にも余裕はない。メイン武器を失い、あるのは頼りない暗器と制御できない獣だけ。無駄に派手なアクションを繰り返したせいで、肉体的にも消耗がある。そして何より、彼女が知る世界の外側の存在と相対したことによる、精神的な疲労。
(……万事休す……かな)
目を薄く閉じかけた瞬間、彼女の前に黒い影がよぎった。思わず光のない瞳を見開き、目の前の光景を見つめる。嵐の中、癖の強いポニーテールが激しくはためいて、紅羽の喉が嗚咽のような音を立てて。
同時、投げられた槍が、空間を抉り取るほどの砲撃と化す。圧倒的なエネルギーに押され、黒い獣は蒸発するような音を立てて消えていった。それはすぐ後ろにいた紅羽自身にも飛来して、たかが獣一匹が相殺できるエネルギー量など、たかが知れていて。だけど、そんなことはどうでもよかった。
(……あの子も、もしかしたら、良い子だったのかな?)
走馬灯のように、あの獣との思い出が脳裏を満たす。
自分が食べようと思っていた敵を
食欲だけで構成されたような獣。人を喰っては喜んでいた獣。だけどその本質は、召喚者である紅羽自身と、同じではないのか――。
(……あぁ――そういえば、あたし)
嵐の音すら遠ざかってゆく中、その名前を呼ぼうとして、気付く。
(あの子に……名前、付けて、なかった、や)
そんな物思いを、爆発的なエネルギーが塗りつぶしてゆく。
圧倒的なエネルギーに貫かれ、抉られ、少女は蒸発するように消し飛んでゆく。
あとには肉片一つ、残らなくて。
ただ、男が一人、先程まで一人と一匹がいた空間を見つめていた。
◇
「……なんつーか、消化不良なんだよな」
多重プラットフォームが溶けてゆく。焚火で炙ったマシュマロのように。その中心で、片手を天に掲げ、アルはどこか不満そうに独り言ちていた。
「迅兎が及ばなかった相手がいるって聞いて、喜び勇んで戦いに来たのに……こんなんじゃ、全然足りねぇよ」
勿論、赤と黒の少女も決して弱くはなかった。
普通の人間としては、だが。
確かに身体能力には目を見張るものがあった。けれど、それはあくまで一般的な人間の範疇でしかなくて。迅兎が戦った人間兵器のような、人の道を外れた圧倒的な強さは、そこにはなくて。
終始アルが相手を圧倒していたが、それはアルが望むような戦いではない。力と力のぶつかり合い、死力を尽くしての戦い……そういうのを、望んでいたというのに。
――期待外れ。消化不良。そんな感想だった。
「……どうせなら、もっと強ぇ奴と戦いたかったよ」
雨の中、多重プラットフォームが溶けてゆく。溶岩のように、
『魔法の金属細工師』の異名で呼ばれる光の妖精アルヴが、悪魔へと半堕ちした存在。それが妖魔アルの正体だ。この金属製のプラットフォームなど、容易く崩壊させることができる。だからこそ殺し合いに応じ、そちらを優先したのだ。
用意されていたラスボスだろうか、白い警察用ロボットと思われる影が、溶解した金属に流されて遠ざかってゆく。ドローンや自走式ロボットが、津波に流される瓦礫のようにちっぽけに見えた。悔しそうに唇を噛み、アルはただプラットフォームを溶かしてゆく。
……次こそは、骨のある戦いができればと、内心を荒れ狂わせながら。
【結果】
【勝利条件達成により、アルの勝利とする】
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