第4幕 『デストリエルの巫女』
耳を打ったのは、静かなピアノの旋律だった。
はた、と
(もう、そこまで到達していただなんて……急がないと)
吊り天井の応接間に、静かな靴音を響かせる。それは鳴り響く『月光』の中に溶けて、消えていった。仕掛けを警戒して慎重に進むけれど、それらは対戦相手によってすべて解除されているのか、何かが起こる気配はない。
(……漁夫の利を得てしまうみたいで、なんだか心苦しい……けど、勝てなければ元も子もないもの。仕方ない、そう、仕方ないの……)
無理やりに自分を納得させながら、彼女は足を進める。と、鳴り響く楽曲は唐突に激しさを帯びた。スケルツォ、もしくはメヌエット……第二楽章が始まった。急かすように鳴り響く音楽に、唯祈は応接間を駆ける足を速める。
(早く、行かないと――……)
「――ッ!?」
物陰から、何かが飛び出す気配。反射的に両手に持った剣を構え直し、神気を宿して桜色に輝かせる。強く踏み込み、一閃。朱色と桜色の刀は灰色のゾンビの首を切り離し、先程まで隠れていた物陰に叩きつけられた。
(……この先に対戦相手がいるのは確実。ここまで来たら穏便な解決は望めない……)
両手の刀を握り直し、凛とした大きな瞳を瞬かせる。
(倒すしかない)
朱色の刀から、桜色の光を抜かぬまま。
ピアノがあると思われる部屋の扉に手をかけ、勢いよく開け放つ。
◇
派手な音を立て、サロンの扉が開いた。思わず
長い黒髪。凛と光る大きな瞳。黒いラバースーツのような特殊繊維に包まれた、バランスの良い身体。そして、両手に握られた朱色の直刀。
(……対戦相手はこの娘、なのね。しかも、明らかに強い……)
椅子から立ち上がり、少女の正面へと歩き出す。ツインテールにされた金髪が揺れ、ゴシックロリィタの裾がひらめく。彼女はマリンブルーの瞳を少女に向け、ゴシックロリィタの裾をそっと持ち上げて礼をした。
「初めまして、ね。私は『マチュア・デストロイド・カンパニー』代表取締役社長、
その名乗りに、黒髪の少女はわずかに目を見開く。目の前の少女は、おそらく自分と大して変わらない年齢だろう。そんな彼女が一会社の社長? そう簡単に信じられるはずがない。
そして、その隙を唯は見逃さなかった。素早く拳銃を抜き放ち、構える。流れるような動作で引き金に指をあて、発砲した。
「――ッ!?」
地を軽く蹴って後退しつつ、両手に持った朱色の刀で銃弾を相殺する。その首筋に冷や汗が流れ、口元が緊張に強張った。退魔士としては、これが初戦。訓練とは、違うのだ。
「……へぇ?」
対し、唯は軽く片眉を跳ね上げた。その口元が緩く弧を描く。少女は油断なく刀を構えたまま、武士のように名乗りを上げる。
「……ユイ、ね。私は
「ええ」
「ふふ、やるじゃない……気に入ったわ。
刹那、
(この人――普通じゃない!)
反射的に緋色の槍を刀状に戻し、片方を前方に向けて構える。
「さぁ、ひれ伏しなさい! 『デストリエルの巫女』の名のもとに!」
「――破魔鏡ッ!」
金色の天使の幻影が現れるのと、不可視の反転磁場が発生するのは同時だった。刹那、
「まさか……貫通できない!?」
「舐めないでよねッ!」
反転磁場を維持したまま、踏み込む。
「――ッ!?」
掌底で刀を叩き落とそうと、伸ばした手。しかし、その手のひらは返す刀で刺し貫かれた。同時に一瞬だけ解除された反転磁場、それこそが
「――やめなさいッ!」
「……ッ!」
首に衝撃が走る寸前で、朱色の刀が止まった。
「戦闘経験の浅さが仇になったわね……そこで大人しくしてなさい」
「……」
震えながら、
◇
「……ふぅん。これが例のワクチンってわけね」
地下の研究室。棚に置かれた小瓶を手に取り、その中の透明な液体を検分する。ラベルに記されているのは、英語のようで英語ではない言語。単語一つ一つのスペルは同じだが、明らかに語順などの文法が違う。しかし、それをフィーリングで解読し、唯はふっと笑みを深めた。
「
相手の動きは封じた。身体の自由も、頭の自由も奪った。『デストリエルの巫女』の権能は、人をその名のもとに屈服させるもの。反抗しようとする思考回路は破壊され、あとにはただ吹き荒れるような悔しさと絶望だけが残る。
彼女はまだ何か、切札を隠している感じがした。しかし、それを使おうという思考に至ることはない。
(だけど――もし再戦が叶えば、化けるかもしれないわ)
彼女に思いをはせながらも、
「ふふ……見ていますか、デストリエル様?」
ワクチンを両手で握り、マリンブルーの瞳をそっと閉じる。
「……この勝利……あなた様に、捧げます」
【結果】
【勝利条件達成により、
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