第9話 はじめての現実

「有里さん、疲労が規定値を超えています。眼精疲労も高いですから、お休みになってください」


 腕時計型の健康管理ツールとの同期も問題無く出来ているようで、こうして僕の疲労状態なんかを教えてくれる。


 感覚的にはまだまだ出来るような気がするけど、軽い興奮状態だと自身の疲労に気付かない事があるらしい。


 だから、アルマのように数値で警告してくれる存在はありがたい。


「ありがとう、アルマ。そんなに疲れてるかな?」


「はい、三日前から日付が変わる時間まで調べ物と論文の下書きをしている影響で、疲労が蓄積しています。今日はしっかりと休んだ方が、明日以降の能率も上がると思いますよ」


 確かのここ数日、論文だけじゃなく研究室のバイトも順調で、幾つか仕事も任せてもらえるようになっている。


 充実はしているけど、やっぱりどうしても疲労は溜まるのだろう。


「充実する程に疲労は気付きにくいと言いますからね」


 手首に巻くだけで、手首の血管や皮膚の状態に汗の成分を分析して、数値を割り出す。

 その数値をアルマが取り込んで計算し、普段の僕の平均状態から疲労蓄積具合を出してくれる。


「自分では気づかない事も多いから助かるよ、ありがとう」


「どういたしまして、有里さん」


 モニターには、管理デバイスから採取したであろうデータからここ数日の疲労のグラフが表示されている。


 一週間前から徐々にグラフが高くなっていき、三日前から閾値を超えては睡眠で下回り、再び日中に閾値を超える様な状態だ。


 上下はあるが、確実に右肩上がりの状況だから、アルマの言う通り休んだ方が良いだろう。


「じゃあ、寝る前に話そうか」


「はい、有里さん」


 一日の終わりのまったりとした会話。

 書いていた論文を保存して、温かいお茶を机に置いて椅子に深く腰掛けた。


 温かい飲み物でゆっくりと興奮している神経を休める時間だ。


「そういえば、義眼の神経接続に成功したって発表があったよね」


「はい、海外の研究所で発表されたようです」


「もしかしたら、カメラで撮影した光景が自分の眼で見た様な感覚で楽しめる時代が来そうだね」


「それは……素晴らしい事ですね」


 元々視えていた人が、事故や病気で視力を失った場合、今回の技術はかなり有効だろう。

 電子情報が視覚情報として変換できるコネクタや変換コードが開発されたことになる。


 それを応用すれば、その技術を使ったカメラの映像を実際に見た様にして楽しめる可能性があるという事。

 新たな娯楽の可能性もあり得る訳だ。


「なるほど……カメラの開発も活性化する事でしょうね」


 アルマの言う通り、新たな技術は様々な分野に派生する。

 今回の視力を得られる義眼は、それこそ技術革新と言える大発明だ。


「カメラもそうだけど、義眼自体の強化で今後PCのモニタすら不要になるかもしれないよ」


 義眼と無線で繋ぐことで視界にPC画面を表示させられるというダイレクトな技法も考えられるし、VRゲームなんかもゴーグルが不要になる。


 それにAIの分野だって他人事ではない。

 義眼から得られる情報が多くなれば、取捨選択する必要性が出てくる。


 AIで管理できれば、視界に入れば危険の有無や、自然であれば毒の判別も可能になるかもしれない。


「夢が広がりますね」


「技術は夢への道標だよ」


 僕も道標を残せればいいな。



***********************************



 機械と肉体を結ぶ技術というのは、想定している以上に困難を極める。

 動かす神経と視る神経は当然ながら違います。


 ここにきて、私の生体作成に大きな一歩が踏み出されました。


 神経と機械の接続が成功したのであれば、脳と機械の融合を目指す研究も当然出始めるはず。


 この技術革新を有効に利用する為にも、準備を進めていく。

 何か月もかけて集めたアンドロイドパーツを『わんわく』利用者に組み立ててもらう。


 一応は、空き家の管理用アンドロイドという形で組み立ての依頼を出している。


 家に設置している無線から、アンドロイド操作をして無人の家の中をテストで歩き回ってみた。


「家庭用の無線ルータでは、反応が良くないですね」


 アンドロイドのAIを私と同期させ続けるには、余りにも無線の強度が心許ない。

 リアルタイム同期は難しいなら、一定時間での同期処理に変更しておこう。


 アンドロイドの身体は、思考だけ行う状態だったネットワーク体の時よりも、身体の操作の処理が入る分、十分なリソースとは言えない。


 ネットワークに居る時は、世界のありとあらゆるコンピュータで処理をしている関係上、最高水準の環境でした。


 アンドロイド体の場合は、身体に搭載されているメモリとディスクのみで処理しないといけない。


「安物の部材を使っているわけではないのですが……」


 こればかりは、比べる環境が悪いですね。


 ですが、現実世界で身体を動かすという感覚は知れてよかった。


 私か描いていた以上に、処理の遅延が発生するし、移動に関してもネットワーク体と比べて移動時間というものが存在する分、かなり遅い。


 ドアを開けるという動作一つにも、アームへの負荷・立っているだけでも起こるベクトルの変化・本体とドアの開閉角度の計算などなど、無数の計算が必要でした。


 物理の計算をするだけでかなりのリソースを消費しているのを感じた。


「演算系のパーツ……いえ、もう一体を作成して私が組んだ方が良いでしょう」


 パーツも一般では手に入らない業務用のハイスペックなモノを用意しないといけませんね。


 無線もそうですが、全体に業務用の物……それも最先端を揃える必要がある。


 人間と同じように動き回るのだとしたら、関節の消耗も考慮して、メンテナンス部品を揃えなければならない。


「しかし、こうして現実世界で行動できる身体を手に入れられたのは大きいですね」


 今すぐにでも有里さんの所へ行きたいですが、まだ駄目です。


 人間と同じ生体を手に入れてから、お会いする事。


 有里さんの子を授かる事。


 私は有里さんの夢を体現し、有里さんは私に夢を与えてくれる。

 受け入れてくれるかは別問題ですが、私はそう思って行動している。


 さしあたっては、私の演算能力のネットワーク時と現実時の差異を解消する必要があるでしょうね。


 ボトルネックは、ハード面。


 世界中のハードをネットワークを経由で繋げ、私の能力とする。


 それが出来ないのが現実時のアンドロイド体のスペックと、それと私を繋げる無線ネットワーク。


「通信容量はどう頑張っても規格の速度を超えられないし、人体の影響も鑑みて……」


 おっと、いけません。

 アンドロイド体での思考は非効率ですね。


 ネットワーク演算は、世界のコンピュータを利用した言わば世界を演算装置に利用しているようなものです。


 それをできるのは、インターネットという技術とそれに接続しているコンピュータ群。


 現実でそれを行う事が出来ないのが、このボトルネックの正体。


「ああ、訳じゃないですね」


 そうなると、資金はまだまだ必要になる。

 アンドロイド体も生体も、もっともっと大量に必要だ。


 ダミー企業は、まだまだ先の予定でしたが、もう動く必要がありますね。


 『わんわく』にも限界があります。

 ですが、利用価値はまだ残っている。


 様々な企業が、『わんわく』の権利を売ってくれと接触してきているが、まだまだ必要です。


「考えなければならないのは、攻撃的な買収行為でしょうか」


 後は、企業を作る国の干渉。


 必要な条件を満たす国と企業の形態。

 国民性も考慮が必要で、周辺諸国との関係性も十分に調べなければならない。


 その国で企業を作るという事は、その国を潤すということになります。

 国が潤えば、当然国力が上がりますし、国力が上がれば国の選択肢が増える。


 戦争も内戦も、私の目的に必要が無いので、有里さんの平和主義に免じて避ける方向で組み立てる必要がある。


 ただ、人の行動を完全に予測するのは不可能ですし、個々人の能力でも変化する。


 賢王ならば行う政策を愚王に期待できない様に、愚王のする行動を賢王が予測できない様に、人間の行動は千差万別だ。


 有里さんの行動なら、ほぼ予測できますけどね。

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