6.魔法使い

 王都に来てから既に一週間が経とうとしていた。王城での暮らしは退屈だった。


 皆が自身の職務を遂行するため、王城の周囲を歩き回りせわしなく動いている。何もすることがなく暇な時間を持て余している健二にとっては、昼間の王城は、騒がしさはあれど、皆が自分の姿をまるで見えていないかのように通り過ぎていく。張り合いのない日々が続いている。


 女王との謁見後。リックは旅を続けるために、王都を離れた。リックに同行を求めたが、優しく諭された。精霊王としての自覚を持つように、と。今の世界の情勢は悪化しつつある。各地で戦争が起こっている中、連れを同伴して旅をするにはリスクが高すぎる。健二の身に危害が及ぶことになれば、世界を窮地から救おうというもくろみが失敗することになる。


 今後のリックの旅は、各地を巡り儀式に関する伝承や記録を集めて回るとのことだ。


 健二は自室のカウチに腰を沈め、呆然と天井を見上げる。このまま、堕落したような生活を享受したままで良いのだろうか。そんなことを考えていると、部屋のドアを叩く音がした。


 ドアを開くと、そこにシューベンタルトが立っていた。


「――何か用」


「あなたが退屈しているようだと、侍女たちが噂しているのを耳にしましてね。私も暇な身分ではないのですが、話したいこともありますし、少し外を歩きましょう」


 王城には広い庭がある。四方を高い壁に囲まれており、外界からは完全に遮断されている。壁の内側は、美しい世界が広がっている。庭園として全てに手入れが行き届いた庭には、様々な植物が咲き誇っている。一区画に十種類の花々が、あちらこちらにある。庭園には、花壇だけではなく小さな池がある。そこには鯉らしい淡水魚も多く生息しており、芸術のレベルでその美しさが見てとれる。この庭園を言葉に例えるならば、『天界』という言葉が相応しいのかもしれない。


「それで、ここに連れてきた理由は」


 健二は連れてこられた理由を問おうと、シューベンタルトに尋ねる。すると、シューベンタルトは宥めるように言う。


「まあまあ、焦らないでください」


 どうやら、健二が詰め寄っているように見えたらしい。確かに、ここ数日は退屈しており、何となくストレスは感じていたが、そこまで苛立っているように見えるのだろうか。


「あなたが退屈しているのは、私も何となく感じていたところです」


「まあね。一日中何もすることないし。ただ城の中で過ごすだけじゃ」


「確かに。あなたは籠の中の鳥、というような状況ですからね……そこで、私から提案があるのですが」


 そう言うと、シューベンタルトは庭園の中を突っ切り、池の傍らに建つ東屋に向かう。


 東屋に据えられたベンチに腰掛け、軽く咳払いをすると健二を手招きする。


 シューベンタルトの意味ありげな行動に不服を感じながらも、健二もベンチに腰を据える。


「陛下よりお達しがありましてね。明日、精霊の泉に向かうことになりました」


 突然の告知に、健二は面食らう。


「何で。儀式の方法がわからないから今は無理だって」


「それは、ただ方法がわからない、というだけのことです。あなたが実際に現地に行ってみれば、何かがわかるかもしれない。陛下はそうお考えのようです」


 シューベンタルトの言葉に、健二はなぜか安堵した。この状況から抜け出せるのなら、何でも良い気がする。


「わかった、それは理解できたけど……何でこんな場所まで連れてきたの。部屋で話せば済んだことじゃ」


 素朴に疑問を感じた健二の問いに、シューベンタルトはにやける。その表情が、自分を見下しているように感じてしまい苛立ちを覚える。実際とのところはそうはないことは、数日間、シューベンタルトと関わりを持っていく中で理解していた。それがわかっていても、そのにやけ顔が、不快感として変換されてしまう。


「実はもうひとつ、あなたに言っておかなければならないことがありまして」


 シューベンタルトは、そう言って面白がるように言葉を告ぐ。


「あなたには魔法使いとしての特訓を受けてもらいます」


 その言葉に健二は困惑する。自分が魔法使いの特訓を受ける、という言葉を理解するのに時間を要し、なぜ自分がそのようなことをしなければならないのかが理解できず、首を傾げる。


 そんな健二の反応に、シューベンタルトはため息交じりに言う。


「以前、私に対して加減のない防御魔法を放ってしまいましたよね。あの魔法は本来、相手の攻撃を弾くだけで、ダメージを与えるはずのない低級の防御魔法のはずなんです。しかし、あなたは加減知らずで放ってしまいました。あれを受けたのが私でなければ、死んでいてもおかしくない状況でした。無自覚に強力な魔力があるだけに、無差別に相手を傷付けることがあってはなりません。故に、私があなたに魔法の制御の方法を教授して差し上げる、と言っているのです」


 シューベンタルトの言葉を聞いても健二は、未だ自分が魔法使いであることが理解できずにいた。


「本当に俺って魔法使いなの」


「そうでしょうとも。自分のことを知らなければ、自分の身すら守れないですよ」


 健二は自分が、益々ややこしい事態に身を置きはじめているような気がして、嫌気が差した。その言葉に反発しようとも思ったが、シューベンタルトのやる気に満ち、清々しいまでの表情。おそらく、自分が何かを言ったところで、引き下がりそうもない。


「だけど。俺が魔法使いだってことと、ここへ来たことの関係は何」


「今から始めるということです……さあ、立ってください」


 シューベンタルトの言葉を理解するまで時間が掛かり、健二は唖然とする。


「何言ってるの」


「今すぐに、このときをもって特訓を始めると言っているんですよ」


 シューベンタルトの宣言通り、即座に魔法の特訓が始まった。


 まずは魔法の理解を深めることが大切だ、とのことだ。


 魔法使いは体内に精霊を宿している。精霊を介して、魔法を発動し万物に干渉して事象を発生させるのだが、事象の発生には『言霊』というものが関わっているらしい。魔法使いは、精霊に言霊を与え事象の発生を促すのだが、実際に唱えずとも良いらしく、自身が宿す精霊に働き掛けることが目的であるため、心の中で念じるだけで用は足りるのだ。


 魔法の強弱は精霊の質量に比例し、質量の高い精霊を宿している魔法使いは、強力な存在になるのだ。カトラリア王国の女王は、この数世紀の中でも高質量の精霊を宿した魔法使いの一人らしく、先代の精霊王であったアンメイザにも引けをとらない実力との噂がある。


 魔法の発動条件は言霊以外にも『術式』というものが存在する。


 『術式』による魔法の発動は、言霊とは違い発動者が魔法を行使するために、円形の図式に文字や記号などを記述することで発動が可能となる。『術式』は体内に宿る精霊ではなく、世界に存在している精霊に働き掛ける。術式を展開することで、精霊に魔法の発動を働き掛けるのだ。言霊に比べ、発動に時間や労力を費やすることにはなるが、メリットとしては一度発動すると、術式を破壊するか停止させない限り無効化されず、魔法も強力になるのだ。また、研究が進んだ魔法であれば、術式を固定し持ち歩くことで、言霊で発動する魔法よりも迅速、且つ強力な発動が可能になるのだという。


 健二は短時間で、自分の概念にはない『魔法』という学問に翻弄され、頭の中が沸騰しそうになるのを必死に堪えていた。


 魔法の特訓は、座学という形で魔法に対して理解を深めることが目的であるらしい。


 シューベンタルトの長々とした、お世辞にも雄弁とは言えない無駄話を聞きながら、健二はなんとか魔法について理解を深めようとした。だが、自分が今まで、触れてきたことのない常識を目の前にして、未だ魔法という存在に実感が湧かない。


 そんな健二を見かねてか、シューベンタルトは魔法の一部を見せてくれた。


 シューベンタルトの口は無駄に達者であり、不快感を覚えるほど鬱陶しい。だが、魔法の実力は、健二の心を確かに掴んだ。シューベンタルトは洒落の効いた魔法を実演した。


 目の前に光る輪と小動物を創造し、まるでペットを調教するかのように宙を舞わせて跳ねらせる。


「実際にこのような魔法を言霊にして現実に作用させるのには、経験と万物への理解が不可欠となります。まあ、これも経験です。幸いにも、魔法使いは無駄に長命ですので、知識を深める時間は持て余すほどあります」


 そう言ってシューベンタルトは、軽く笑う。その表情はなぜか呆れているように見えた。


 魔法使いは長命であるだけに、人生を振り返る機会は多いのかもしれない。普通の人間にとっては気が遠くなる永いときも、魔法使いにとってはごく普通のことなのだろうか。




 翌日はシューベンタルトが言っていた通り、精霊の泉へ向かうことになった。


 日が昇らないうちに、熟睡していた健二は突然叩き起こされた。


「さっさと起きろ寝ぼすけ。お前のために泉に行くんだ。俺を待たせるようなことしているとしばき倒すぞ」


 現れたのは、ジラルモだった。ジラルモは不機嫌そうに凄むと、寝ぼけている健二の寝具を剥ぎ取る。


 ジラルモが寸分の距離で顔を真っ赤にしている。視界に突如として現れたその顔に飛び上がり、不運なことに健二の額が、ジラルモの鼻を強打してしまった。


 不意の強打にジラルモは後方に仰け反ると、苦痛を我慢するように低く唸る。


「あっ……大丈夫ですか」


 悪意はなかったものの、ジラルモに不意打ちをしてしまった健二は、いたたまれない気持ちで声を掛ける。


 ジラルモは、赤くなった鼻を押さえながら健二を睨み付ける。


 ジラルモの報復に身を構えた健二だったが、ジラルモは背を向けて言う。


「そんなことはどうでも良いんだよ。さっさと準備しろ」


 それだけ言うと去ってしまった。


 健二が着替えを終え、エントランスに出ると既に皆が集まっていた。


「遅いぞ」


 健二の姿を認めたジラルモが低い声で言う。


「あれ、シューベンタルトは」


 健二はシューベンタルトの姿がないことに気付き、ジラルモに尋ねると素っ気なく、


「今日はいない。陛下直々に命を下されたのだ」


 シューベンタルトがいないことに少しばかり落胆した。


「どんな命なの」


「いちいちお前に説明する必要はない」


 健二の言葉にジラルモは凄む。


 ジラルモの表情に健二は萎縮してしまった。この男がなぜこれほど自分に高圧的な態度をとるのかがわからず困惑する。


「ジラルモ、そのように強い口調で言ってしまっては健二が気の毒ですよ」


 そう言ってジラルモを宥める声の方へ視線を向けると、そこには女王が立っていた。


「陛下。何故こちらへ」


「泉へ向かうあなたたちを見送りに来たのです。今回の任務はあなたに一任します、ジラルモ」


「承知しております。必ず吉報を携えて参ります」


「そんなに力まなくても良いのよ。何かしらの手掛かりが掴めるのなら良いと私は思っているわ」


 そう言って女王は微笑む。


「承知いたしました」


 女王の言葉に、ジラルモは深々と頭を垂れる。


「――健二。あなたも、焦らずゆっくり自身のことや魔法のこと、その他の様々なものを学ぶと良いでしょう。これがあなたにとって最良なものになると信じています」


 健二はそんな女王の微笑みに励まされる思いだった。今は自分が何者か、自分に何ができるのか探っていく。それが自分にできる最大の努力なのかもしれない。




 精霊の泉は、王都から東にある山脈の麓にあり、外界からは完全に断絶された樹海を抜けた先に密かに存在するのだという。樹海に迷い込めば、たちまち方向感覚を失い一度迷ってしまうと永遠に向け出すことができない、と噂されている。


 精霊の泉に辿り着くのは、定石の方法では不可能であり、特殊な方法を辿らなければならないのだ。


 一行の面々は健二、ジラルモの他には三人。兵士が二人と魔法使いが一人だ。

兵士は普段、女王の近衛兵として勤めているのだが、今回は特任として一行に随伴している。


 魔法使いは、ジラルモの弟子らしい。


 歳は十五前後だろうか、背が高く高価な衣装に身を包んでいるせいか、大人びた出で立ちではあるが、顔には幼さが残る少女だった。


 ジラルモによると、今回は人手が足りず、弟子の手を借りる他なかったとのだという。現在のカトラリア王国は、各地で戦争の火種が燻っているため、各地の防衛拠点に戦力が分散している。必然と各地が戦力不足となるため、このような特任に余分な人員は割けないのだという。


「陛下からお貸し頂いた兵士はたった二人。おまけに、この世界に不慣れなお前ときている。俺はどれだけ不運なのだ」


 そう言って愚痴られて居所が狭い健二であったが、ジラルモの弟子であるイーリスとは打ち解けていた。年頃が近いせいか、気兼ねなく話せるだけでなく、イーリスの明るく活気のある性格が、健二の緊張をほぐし、気持ちを明るくさせてくれた。


「へえ、健二は向こうの世界の出身なんだね。それで雰囲気が違うんだ。向こうの世界ってどんな感じなの」


 イーリスはそう言って健二に詰め寄る。好奇心が旺盛らしく、知識に対しては貪欲さが垣間見える。


「それで、健二は誰に魔法を教わっているの」


「一応、シューベンタルトに教わってはいるけど。どうなんだろう。師匠って感じでもないし」


「おい、何を喋ってるんだ。ピクニックじゃないんだぞ。気を引き締めろ」


 ジラルモに叱咤され、二人は凍り付く。それでも、今の雰囲気に健二は居心地が良かった。イーリスも苦笑いを浮かべ、二人で密かに笑った。


 一行は永遠に続く広大な樹海を目の前にしていた。話には聞いていた樹海ではあったが、実際にその姿を目にするとその広大さに圧倒される。


 樹海は背丈が三十メートル以上もある針葉樹が所狭しに生い茂り、外界のものを寄せ付けまいとしていかのように聳えている。確かに、この中で迷ってしまうと抜け出せない、というのも頷ける。


「これから樹海に入るが、中では先行者の背中から目を離すな。一瞬の油断が死に繋がると心得ろ」


 ジラルモはそう言うと、健二に視線を向ける。その視線が怒りではなく不安の色が見えたのに、健二は少し気になった。

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