大迷惑2

外出緩和時間も終わろうかという夕方四時前。

ピンポーン、とチャイムが鳴る。今日は久々に玄関先が賑やかな事で。


『失礼します!児童相談所の生田と申します!』

「訪問ありがとうございます、上がって行かれますか?」

『出来ればそうしたいです!防護服を脱ぎ着出来るスペースなどはありますか?』

「でしたら、玄関脇に勝手口が見えますかね?一階は荷物置き兼ガレージになってますから、そこをご自由にお使いください。と言っても、自家用車持ってないのでスペースは余ってるくらいでして。……そう、右手側です。二階が住居スペースでして、階段上がってすぐの戸口前に除菌スプレーもありますので」

『完璧ですね。お邪魔致します!』

物々しい防護服姿の男と、荷物を抱えた性別不明の二名が背後に控える物々しい映像をタブレット経由で確認すると、玄関の施錠を解除する。

「はちのひと」

リビングに設置されているインターホン画面を見上げて、幼女がポツリと呟く。なるほど、養蜂場の作業員に見えなくもない。

「ミツバチの人かな。確かに似てる」

「ちがう?」

「これは区役所の人」

「くやくしょ」

「みんなの生活を支える、大事な仕事をしてる人達」

実際、半年前から区役所のみならず官公庁務めの人々は厳しい都民生活の維持に奔走している。ただただ自宅に閉じこもって自衛に専念出来るのは彼等の尽力があるからに他ならない。

ノソノソと防護服の抜け殻三体を残し、階段を上がって扉前でスプレーを全身に密封プラケースにと振りまく姿を確認し、二階居住スペースへの施錠を解除する。来たのは生田と名乗る男性と荷物抱えた男女二名の三人。いずれもこのクソ暑い中、防護服内にビシッとスーツ姿だったとは。スーツはジトジト顔面汗まみれで気の毒になり、タオルを手渡しがてらアイスコーヒーを支度する。

「あっ、すみません!お構いなく!」

「そうもいかないでしょ。八月の真夏日に防護服とか、脱水症状起こしますよ?」

「出先の飲食は制限されてまして(喉カラッカラで死にそうなんだけど麦茶禁止されてるしキッツー)」

「?……どうして」

「健康調査に行った先で麦茶飲んだ奴が腹下しまして」

あー、と唸る。

「十把一絡げで規制するのやめてほしいですね」

「いやまあ!アハハ(そうなんすよねぇ)」

「まあ、今朝淹れたての冷コーなら当たらないでしょ。お一つどうぞ」

「あ、では、すみません!(助かる!)」


わかりやすい。生田氏、正直で好感持てるな。

他二人も同様で、儀礼的な謝辞に連ねて心中は心底助かる生き返るを連呼している。

どれだけハードなんだ公務員。激しくお疲れ様だ。



担当職員との面会と説明、各種手続きは一時間程で済んだ。

結局、実母も義父も連絡無視又は引取拒否で取り付く島も無し、児童施設は軒並みパンク状態と、職員的には「是非ご協力を!」と警戒されるどころかめちゃくちゃ頭を下げられまくった。


質問1→いきなり見ず知らずの他人、しかも成人男性に預けても(世間的にも)大丈夫なの?

回答→路傍さんならいいだろ、とトップダウンで決定したので大丈夫です!


この時点で既に「上司ぃぃぃぃ!!!!」とは、なった。

よく考えろよ児相。

そりゃあまあ、丁重に扱いはしますが。

なまじ名前が知れてるのが良くないのだろうか。


質問2→それは私が有名人だから?

回答→でも(遺伝子的には)実父なんですよね?


アッハイそこですよねやっぱり!

やっぱりそういう解釈と推測で頼んできましたよね!!

んな訳ないだろぉーーーーーーーが!!!

我が身の黒歴史と最大級のトラウマ・そして何よりゴシップ雑誌の飛ばし記事を根拠に物を言うとか。

しかもよくわかってなさそうな幼児の前でコソコソ耳打ちしてくるんじゃありません事よ。はっ倒すぞコラ。

そう思ってたのが露骨に顔に出ていたのか、生田氏はアハハと笑って誤魔化す。

前言撤回。君らちょっと調子いいだけだな?


質問3→ところで(戸籍上)父親だった奴は?

回答→もう半年以上行方不明です。


西園寺さんとは一年前から音沙汰無いみたいですね、と説明されてすぐ続けざまに「ご存知無かったのですか?」と生田氏は意外そうな口ぶりで本音を零す。


「もう、随分連絡とってませんでしたしね」

最後に会ったのは、いつだったか。それさえ判然としない。

破れ鍋に綴じ蓋だったとはいえ、数年間よく夫婦でいられたものだ。

離婚後、霧香はすぐに従兄と婚約→再婚→半年で破局したとはいえ、そっちの義父にももう少し強くねじこめよと思うが……まあ、何となく察するものはある。とすると、アイツも従兄もねねの実父ではなかったという訳か。


「そんなもんですか」

「そんなもんですよ」

久夛良木青人くたらぎあおとさん、でしたっけ」

「そうですね」

声音から感情が失せたのを察したか、女性職員は声を潜め居住まいを正す。一応こちらは腐っても芸能人、ネットニュースを検索するみたいに気軽に訊いただけなのだろう。若いみたいだし尚更だ。そこは怒らない。あいつとのアレコレでいちいち腹を立てたくない。


「で」

「はい」

「こちらで預かるとしていつまで」

今度は職員全員揃ってしょっぱい顔になったのを見て頭を抱える。

大丈夫ですよ!と女性職員が気まずい沈黙を引き攣り顔で破ると持ち込んだプラケース内からタブレットとパンフレットを取り出す。


「これから毎週、担当職員が児童向け支援物資供給と見回り訪問に参ります!必ず!リモート保育用タブレットと無料チャンネルもお渡ししますのでご利用方法とタイムテーブルはこの後」

「そうではなくてですね」

一時預かりの期間ですよ、と強調すると、三人顔を見合わせる。


「……未定、です」

意を決した様子の生田氏が厳しい表情で答える。


「未定とは」

「……現在、児童保護施設に空きが無いのはご説明した通りです。今後、数は増えこそすれ減ることはないでしょう」

「でしょうね。医療関係者を中心に例の殺人ウィルスに感染し亡くなられたご両親や家族に取り残された未成年者が爆発的に増えてるとか」

「そうなんです。その児童の生存確認と保護だけでも人出が足りない上に、外出出来ない密室状態での児童虐待、ネグレクト、またウイルス感染以外での保護者の突然死等々……都の生活課全体が既にパンクしていますし、先日など」

「都内老人ホームと乳児院のクラスター感染」

「そうです。どちらも新規入居者を入れた直後の騒ぎで、結果両方全滅ですよ」

新型コロナの比じゃないですよあれは、と疲れきった表情で肩を落とす。


「それで、どこも新規受け入れを拒むようになってしまい……」

説明されきられてしまい、逃げ場を失う。

やはりそうだよなとは思っていたが。


果たして、この子はどこまで自分が置かれた現状を把握しているのだろうか。


私は一体「誰」だと思われているのだろう。

いっそ全く赤の他人ならもう少し割り切れたのに。

脳裏をチラつくのは、傲岸不遜な元マネージャーの睨みつける醜い顔と派手な深紅のスーツ姿。

あの女の娘でさえなければ。


「……あー、あのですね。なるべく、早くご実家に避難出来ますよう善処致しますので」

確か徳島ですよね!と女性職員に訊かれて曖昧に頷く。

「その時は、この子も一緒に?」

「えっ?!っと、それは(そのつもりでいた、どうしよ)」


だろうと思ったよ。

それがどういう意味を為すのか全く考えずに「私が父親」と決め打って押し付けようとしてくるとは。

呆れる。そして同時に世間に知れれば自然とそうみなされるのかなと、想像するだけで気が重い。

違うよ、と思うと同時に、本当に?と自分の内側から問いかける声がする。

断言できない。でも検査などしたくない。

もし本当にこの子が自分の娘だったら?


あり得る話では?と目の前に座る職員らの視線が暗に訴えている。

だとしたら。いやそもそも。


『……本当に、何も覚えていらっしゃらないのですか?』

『……そうですか。それは不幸中の幸いかもしれませんね』


あんたらは事件の被害者に加害者の子どもを押し付けようとしてるんだが?

それは問題ないのか?と訊きたい。問いたい。

だがそうなると、ねねの行き先がなくなるのだろう。

手詰まりの末の苦肉の策。透かして見える区役所の疲労困憊と公的機関の限界。

私が男だから、逆に捩じ込んでも良いと思ってるのかね。

もしも霧香と私が立場と性別逆なら絶対にしてこないような暴挙だろうに。


『貴方は、一ヶ月間も昏睡状態で眠り続けていたんですよ』

『ですから、今は十月末です。……計算が合わない?九月ではと?ですから』


『貴方はその前に一ヶ月間、ずっと監禁されていたんですよ』

『貴方のお兄さん、ずっと枕元で手を握って俯いておられましたよ』


まずい。冷や汗出てきた。こんな背筋の凍る感覚は久しくなかったのに。

落ち着け。呼吸を整えて。口元を軽く包んで塞いで鼻呼吸を意識して。

いつも通り、手慣れた仕草で鼻の頭に山を作るように両の掌で包み込む。

己の吐息が手中に篭る。僅かに乱れた呼吸を浅く、深く、悟られぬよう思慮黙考している風を装いながら。

大丈夫。大丈夫。もう大丈夫。息をしろ。鼻から深く。息を吸って。吐いて。


……落ち着いた。


ああくそ。

……いや、まあいい。この件は口にしたくない。

考えたくない。気分が塞いでくるし実際頭の後ろがズンと重くなってくる。


『主犯の双子はお互いを刺殺しあって失血死。共犯と見張り役はその二人によって既に殺された後でした』

『……犯行動機は現在調査中です。ただ』


『……主犯の双子が経営するゲイバーに、西園寺霧香が出入りしていたという証言が複数人から出ています』


だが、このままなし崩しで引き取る事にでもなれば嫌でもあの女と繋がりが出来てしまう。

そうなればどれほど無茶な言いがかりでたかってくる事か。

それだけではない。それ以外にも言いたい事、考えられる厄介事が山ほど頭に浮かんでは消える。

自分の兄弟にも、何より順調に進んできていた彼女との関係さえも拗れかねない。

ねねに罪は無い。

もしかしたら、あの女も本当に無関係なのかもしれない。(到底そうとは思えないけど)

だけど、この子の母親は何もしていなくても浪費とマウンティング、何かをすれば破滅と不和を引き寄せる破壊の申し子みたいな息するだけで穢らわしい疫病神だ。

嗚呼、何でこんなタイミングで押し付けてきやがったあの女!!

腹が立つ。腹立たしい。どの面下げて来やがった!!


「あの、路傍さん(すみません、わかってはいるんですが)」

「……あ、はい。なんでしょう」

「今は非常事態です。お気持ちは察して余りありますが、どうか(どうしよう、やっぱり霧香の娘ってだけで虐待とかするんだろうか)」

「しませんよ、そんな事」

「へっ」

「一時保護、という名目で良いのですよね?」

「アッハイ」

「それなら、構いません。ただ、ずっとはダメです。無理です。そもそも、この家は私一人のものでもありません」

ご存知ですかね?と問うと、職員三人ともキョトンとしている。

うう、微妙な空気すぎて辛い。彼女の方は結構有名だと思ったんだが。

「生田さん、私のラジオ聞かれてないですね」

「ああ、確か朝六時前から八時までされてるとか」

「毎週月曜日から金曜、朝五時五十五分から放送のモーニングファイズ、ラジオパーソナリティを務めさせて頂いてますが。私、公言している事がありまして」

「はい」

「私、一番最後に東京出るつもりでいますので」

「え?」

東京の現状はお分かりですよね?と一応尋ねると、彼等は頷く。


2021年初頭、降って湧いた第二のパンデミック。

しかも明確に人為的・故意に撒き散らされたと判明している殺人ウイルスによる全世界テロ。

ばら撒かれたHKV=ヒューマンキラーウイルスによって生活は更に一変した。

新型コロナウイルスの治験も進み、来年中には収束の目処も、なんて言われていた年末が遠い昔のようだ。


「アレを世界中に散布したのって、本当に多国籍のテロリスト集団なんでしょうかね」

「そこは疑うべくもないのでは?」

女性職員の疑問に、私も生田氏も疑念の余地はない。

「でも上陸前に、部隊員諸共で乗組員全員がHKウイルス感染で死滅してるなんて」

彼女が言っているのは、東北へ就航する外国籍の定期フェリーでの話だ。

この散発的なテロ行為には不可解な点も多い。

二月末、死者のみを積んでやってきた死のフェリーは日本国中の恐怖を更に煽るに丁度良い事件だった。

この件もあって、当初から囁かれていた海外の無差別テロリスト説の疑惑が強まり世論の後押しもあって全国都道府県の空港や主要駅の警戒と封鎖が加速した。

もっとも、西日本側は六月時点で既に主要都市の安全確認が完了したと防衛省から正式に発表が出されている。街中を行き来する民間車両も増え、現在の西日本に漂う浮かれた空気もそれが遠因と言えた。


東日本は外出するのも怖いんです、と女性職員は身を震わせる。

「今でこそ自衛隊と米軍が警戒に当たってテロが鎮静化しているから、私達公務員はこうして外出も可能ですけど、軍隊がいなかったらあっという間に攻め滅ぼされてテロリストに占拠されてたかもしれないって。現に、あいつら複数の軍事施設をウイルステロで壊滅させて最新鋭の軍艦や装備を奪取してるって聞きましたし」

ロシアが沈黙しているのだってそれが原因だとか、と舌鋒鋭くなってきた女性職員を生田が動画の見過ぎだ、と制する。

「ダメですよ、そういうプロバガンダ動画見てたら(まだそんなデマ流す動画あるのかよ)」

「す、すみません。久しぶりに民間の方とお話できる機会だからつい……(垢BANされる前に見ておかないとヤバイじゃん!!)」

ううっ、と涙ぐむ女性職員の背中を生田氏が優しくさする。

だが、女性は本心で(触るなピザデブ)と舌打ちすらしている。グスグスとハンカチで包んだ涙目の向こう側から、こちらを品定めする視線を向けながら。

「(この人、ラジオの司会してるなら何か裏情報とか知らないのかな?テロリストが潜伏してる東京なんか長居したくないのに、逃げ道も逃げる方法もないし!ああもう、早く西日本に逃げたい、こんな仕事やってらんないっての……!!)」

正直かつ、かなり追い詰められている。

目の前に幼児がいるにもかかわらず、そんなあけすけな話題を振って熱弁振るってる時点でお察しだが。


「もうやめましょうよ、ねねちゃんがポカンとしてますよ」

「あっ……(子どもどうでもいいよ。どうせ西園寺バカ香の娘だし)」

正直か。この女性職員は信用ならんな。正直だけど。


「すみません、路傍さん(このバカ、ロクでもない話題振りやがって!!)」

生田氏はまだ理性的だ。こちらと話を詰めよう。

もう一人の男性職員は正直いても存在感が無い。何しに来たんだこの人?荷物持ちか?

皆さん厳しいですよね、と労りの言葉を口にすると覿面に空気が和らいだ。


「とはいえ、少しづつ事態が収束していくなら次第に西日本への避難民受け入れ等も本格化するでしょうが、テロリストとの選別が難しい現状、やはり当面東日本は通常のテレビやラジオの報道には戻せないでしょう」

「と、仰いますと」

「東京都を含む関東七都県の主要メディアは既に政見放送と官庁発表のニュース以外流せない状態となっています。悪質カルトやテロリストのプロバガンダ防止という名目はあっても、今やバラエティ番組の再放送すら流せない。不謹慎だから、と。番組制作はおろか、人質懸念のある有名人や著名人は全て関西圏に逃がし、報道関係者は無闇に取材出来ぬよう防衛省が一括で取り仕切った結果だ。高速道路から国道県道農道に至るまで自衛隊が完全に封鎖してしまっているしで、我々は完全に外部との連絡手段を制限されています」

約百年ぶりの実質戦争状態という緊急事態でしたから仕方ないのですが、と前置きし。


「そんな状況だからこそ、皆さん外部情報……もっと言えばHKVテロ事件の真相と、今現在の他人の様子。何よりお篭り生活の窮屈さを癒す娯楽に飢えていらっしゃる。スマイルビジョンやYOUMoveといった個人配信サイトは全て規制が入り、少しでも疑わしければ即アカウント凍結の憂き目に遭う。皆さん外出もろくに出来ないから、隣の人が何をしてるかさえ把握出来ない状態が半年以上続いています。ゴミ出しすら周辺一帯に消毒剤散布された午前中に家や部屋の前へそそくさと出すだけ。外に一歩も出られない。片手を出すだけでさえレインコートやナイロン手袋で完全防備して、出したら出したで全身に除菌スプレーを散布しなくてはならない。外にいるのは防護服に身を包んだ物々しい清掃員と、生活維持を支える宅配便のトラックやバイク便ばかり」

異常ですよ、と言い切る。

職員は三人とも沈痛な面持ちで項垂れる。


「責めてる訳では無いんですよ」

顔を上げてください、とつとめて優しく促す。

時々注意しないと語気が強くなりすぎて威圧してしまう。

他人以上に「言霊」には気をつけねばならない身であるのに、やはり自分はどこか脇が甘い。

だからこんなことになるんだ、と頭の片隅で誰かが囁くようだ。


「せめて、ネット配信で関西圏の今やってるテレビなりバラエティ番組が見られたら良いのですが」

これも再放送ではなく「今」というのがポイント。

都市封鎖された関東民は生放送はおろか新番組も歌番組も全てが再放送であり、国の合格証を交付された番組(主に防衛省と警視庁が検閲したもの)のみに放送許可が降りている。最新の情報はニュースのみ、しかもHKV感染・警戒情報と都内県内での外出緩和区域、その他連絡事項のみ。放送は一貫して壮年男性のみ。

花もない。音もない。流れてくるのはテロップとアナウンサーの朗読のみ。

シュール通り越して味気ない。娯楽要素皆無。女子アナは全員関西に逃げた。

それを詰るネット民のツブヤイターアカウントは全て問答無用で削除された。

「ネットが一番の規制対象ですからね(ツイもガセネタまみれになってるもんなぁ)」と、一番若い男性職員も話に割って入ってくる。

「路傍さんもやっぱり退屈ですよね……ちなみに、普段どんなものご視聴なさってるんです?(あーーーーーーすっげえ個人的に話してえええーーー俺ずっと前からファンだったんすよねえええええーーー生田さんに釘刺されてなかったらずっとインタビューしてぇ〜〜〜)」

(あっ察し)と顔に浮かんだのがわかったのだろう。生田氏のこめかみに青筋が浮いているのを見つけて、男性職員は大人しく口をつぐんだ。

「バナナTVあたり規制解除して貰えたらなーとか思うんですけどね……(民放はニュースと再放送しかしなくてゴミ。存在価値なし。ネット配信復活はよはよ)」と、しおらしそうなフリしてネットかぶれな毒舌女性職員。

苦笑する生田氏の苦労がしのばれる。

「あそこは一番無理でしょ……(あんなスクープ流しちゃったんだから)」


生田氏の本音が全ての答え。

だからといって、市民の安全と治安の為に情報規制という建前も、そろそろ限界だろう。


「そう。だから我々のような公共電波のラジオは目こぼしされて、都民や関東で孤立している方々の心の受け皿になっている」

「有難い事です」

「こちらこそ」

お互いに一礼する。ねねは傍らで大人たちの顔を交互に見てはうさちゃんのつむじをいじっている。

多分、話が難しすぎてついて来れないのだろう。職員の目も気になるし、手短に済ませよう。


「だからこそ、全員が安全に避難出来る、もしくはテロリスト予備軍や狂信者全てがいなくなり平和が取り戻されるまで、私はここを離れるわけにはいかないんですよ」

「お仕事熱心なんですね(ええー……使命感もいいけど、有名人こそ率先して避難して欲しいんだけどなー……万一テロに巻き込まれて亡くなられたら何故死なせた!とか行政に意味不明なクレームバンバン来て困るし……あ)」

「気づかれましたかね」

生田氏はそういう事か、と腑に落ちた様子でこちらを見つめている。

そう。私が長い口上で誤魔化してるのは、きっと自分自身だ。

本音はもっとシンプルで、きっと皆が思ってること。


「あの」

「はい」

「シェリーさん、まだ、何の連絡も」

「もうそろそろ半年になりますが、何一つ連絡はありません」

年明けには香港から戻ると聞いてたんですけどね、となんの気無しに零すと全員黙り込んでしまった。

傍らでは、ねねが不思議そうにこちらを見上げている。


「だから、私は待たなければならないんですよ。そもそも、ここは彼女の帰る家ですから」


ここは私の終の居場所ではない。彼女がこれからも過ごす場所になるはずだった家。

防音と空調の行き届いた音響設備もある。録音ルームもある。屋上には菜園だって作るんだ。

それは全て、彼女の望んだものだった。私に何度も尋ねては、これもいいあれも欲しいと言っていたのを思い出す。

ここを一旦出たら、もう踏み入れられなくなりそうで。

誰かの手に渡って二度と戻って来なくなるんじゃないかと思えて。

だから、離れられない。つまらない、怯えてるだけの小さな意固地を拗らせてるだけ。


シェリー。いや志絵里ちゃん。

早く帰っておいで。メッセージでもいい。

たった一言でいいのに。

それさえ、全てあの日から途絶えたまま時間だけが過ぎていった。

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