大迷惑


「迎えに来れない?」

ちっこ事件から更に一時間、そろそろ外出緩和時間も終わろうかという昼下がりに最悪な連絡が区役所から飛び込んでくる。スマートフォン越しでよかった。対面なら顔が思いっきり不快感で歪んでいるを見られたこったろう。あーくわばらくわばら。つーか既に最大級の稲妻に被弾したも同じだから唱えても詮ない。


『申し訳ございません、現在親御さんとは連絡が取れない状況でして……(仕方ないだろ!母親は電話に出ないし義父側は施設に放り込めとか言ってんだ空気読んでくれ!頼む!)』


……実際の通話から流れ出る音声を追いかけるように、被さってくる相手の『本音』。

人の思考はタイムラグが常に生じている。会話しながら別事をするにも、まず相手との会話に脳内のキャパシティを割き、後ほどその会話に付随した本心がセルフボケツッコミのように脳内で言語化されていく。

その過程で「建前」と『本音』が別である場合、私には『本音』がコダマのように追いかけて聴こえてくるのだ。

タイムラグは人それぞれで、建前と本音がサラウンド状態……吹き替えの二重音声で聴こえてくるような輩は嘘つきの典型と言える。息するように嘘をいい、というやつ。


実家の梅婆からは『霊聴』と呼ばれていた異能。


スマートフォンの向こう側、役所の担当職員はそうとも知らずにキチンキチンと建前に本音を連ねてくれるのでいっそ聞き返す手間が省けて助かる。


「とすると、こちらとしてはどう対処すれば」

『一晩で良いので、お預かり頂ければ……(保護施設は既に全滅でした!残念!つーかこの緊急事態に保護者が健在な子まで引き取る余裕無いの察して!)』

お察しはやぶさかではないが、と顎をさする。


「問題が二つ。まず、私みたいな見ず知らずのおじさんが幼児、しかも女児預かるのは問題無い訳?」

『問題無いです!(むしろお願いします!)』

「あとでネグレクトかました親側から、無い事無い事訴えられたら困るんだけど?」

『あー、そ、それは(上司からはGOサイン貰ってはいるけど言っていいのか?これ)』

「上司に、電子文書でいいから一筆書いてもらって送付頂ける?一蓮托生してもらえるなら良し」

『すぐメールに添付します!』

霊聴が聞こえないのは、本音と発言が合致しているから。この担当、わかりやすいな?とニンマリしてしまう。

「その上でもう一つ」

『何でしょう?(まだ何か?)』

「この子、小さいリュックしか背負ってない。中を確認させてもらいたいがそれは現状無理そうですし、パッと見た感じ、着替えも数日分とか期待できないサイズに見えるけど」

『は!?へぇ!?(着替えすら置いていってないだと!?)』

「そう、着替えすら無い!お泊まりセットも期待できない!と言いますか、ウチはそもそも児童を預かるような事なくって、室内設備も全て大人用。子どもに必要なものが何一つ無いんです」

『アッハイ(あのクソ親何を考えてるんだ)』

「だから悪いけど、ウチには大人用の衣服しかない」

『あ、あの……(シェリーさんのは大きすぎるかな?流石に)』

「は?」

『アッハイ(感づかれた!こちらの意図を即刻読まれた!!)』

当たり前だバカちん。こちら伊達に(もとい勝手に)陰陽師呼びされてる訳じゃありませんからね。

……自分で(しかも内心で)啖呵切ってナンですけど、自分で陰陽師呼びとかめっちゃ恥ずかしい。

私は田舎のしがない宮司でちっぽけな人生を終わらせる予定の身の上なんだから。

シェリーの事さえ落ち着いたら、あんなテロが起こらなかったら、本当は私徳島にいたはずですし。

普段考えないようにしている彼女=シェリーの事を思い出して胸が痛むが、今は急務が優先。

「超法規的措置で預けるなら、そちらもそれなりにサポートして欲しいのですが」

『アッハイ……(ですよね……つか、子どもが可哀想すぎんだろこれ……見ず知らずのオッサン家に遺棄するとか地獄かよ)』

私もそう思うよ、と若い職員の本音に激しく同意する。

「他にも、何を食べさせていいのかもわからないし、アレルギーの記録とか、飲ませちゃダメな薬とか、とにかく出せる情報とフォローお願いします」

『承知しました!すぐ手配します!』

出来るだけ早く対応しますから、と通話が終わるなりどっと疲れてダイニングのチェアに深々ともたれかかる。

疲れた。

ていうか、朝早いから体を休めたいもとい昼寝なりしたいのに、まだまだ面倒事は終わらないらしい。しんどすぎて笑えない。


「あの」

気配に気づかず、呼ばれて身体が跳ねた。

椅子に座したまま首を回すと、幼女がうさちゃんだっこしてこちらを見ている。


「ちっこいいですか」

「ちっこいいですよ。ウチのトイレは好きに使えばいいから」

汚さないよう気をつけて、とだけ言い添えると、リュックを背負った背中はちまちまとトイレに向かう。せめて荷物くらい下ろせばいいのに、とは思ったが、警戒されて当然なので言わないでおいた。



「ねねちゃん、少しいいかな」

四角いクッションをソファに座る幼女の向かいにそっと置くなり、腰を下ろしテーブル越しに顔を合わせる。警戒は続いているらしい、縦長い白うさぬいぐるみを抱いて顔を半分埋めている。さもありなん、こちらは見知らぬオッサンであるのだし。


「まずは自己紹介しておきましょう。それとも、私の事は知ってるかな?」

幼女は首を左右に振る。

「私は御堂坂路傍。ロボウと呼んでください」

「ロボちゃん」

ちゃん、かぁ。田児さんにも同じ呼ばれ方するのに妙に照れ臭い。

「そう、それでいい。色々と聞きたい事があるんだ。いいかな?」

幼女は小さく頷く。

「まず、貴女のお名前は?」

「ねねちゃん」

「ご苗字は?」

「さいおんじ」

「合ってるね。西園寺寧々。おいくつかな?」

「……さんさい、です」

指を折り、おずおずと指をかざして見せる。

「うん。パパとママはわかるかい?」

「……パパしらない。ママは、……」

「ママは?」

「……しらない(どっかいっちゃった)』

「ママに、私が誰か聞いてるかな?」

「……」

無言になられると困る。

基本的に、私の霊聴は音声を発せられないと聞き取れない。つまり、あーでもウーでもいいから喋って貰わないと本音の残響が聴こえないので、イコールダンマリには効果が無い。

……まあ、やろうと思えば内心の声を拝聴することも出来なくはないが、そこまではしたくない。

三歳児にだってプライバシーくらいはあるだろう。


……いや、私が見たくないだけだ。

きっとあの霧香の事、絶対に胸糞悪い現実が透かして見えて来るだけ。

そんなもの見聞きさせられて同情なんかしたら、この子を放っておけなくなる。

それは、多分、一番まずい。

兄貴や弟に顔向けできなくなる。


「友達とか、家族とか、何か聞いてる?」

幼女はふるふると首を振る。

「そうかぁ」

大した情報は無さそうか。もとい、物心もついてるか定かでない児童からの聞き取りはあまり頼りにならなそうだ。探りは程々に、事務的に粛々と進めるしかないか。


「ママには、ここのおうちについて、何か聞いてる?」

「……ここに、いなさいって」

「他には?」

幼女はふるふると首を振る。

思わず溜め息が零れる。


「ねねちゃんママは説明不足だな」

「そう、なんでしゅか?」

「ママ、あれからどこ行ったか分からないんだそうだ。何も連絡無しに、見知らぬ人の家に自分の子どもを置いていくのはダメな事で、今警察の人が」

「ママ、つかまる?(こまる)」

「場合によってはね」

不安げにこちらを見つめる女児の泣きそうな顔に同情しかける一方、油断するな、この子はあの女の娘だと警告音が鳴りっぱなしだ。なまじ母親に似て愛くるしい顔してるのも目に毒だ。それ以上に、この子の心の声から打算や嘘が今のところ一切無いのも心にクるものがある。

不安。怯え。ごくごく単純でわかりやすい、親を待つ子の切実な祈りにも似た感情。

自分にも身に覚えがある感情だから、余計に。


「それで、役所……色んな人にお話を聞いて、君のママが見つかるまで、少しの間預かっててほしいとお願いされました」

「はい(こわい)」

ですよねぇ。本音に同意しかない。


「という訳でですね」

「はい(ドキドキ)」

「今、お部屋のお支度をしています。一時間くらいベッドとお布団に乾燥機を当てているので、今とっても熱くなってますから入らないし触らないように。ヤケドしたら危ないし、イタイイタイだからね。冷めたらまたご案内します」

「おへや」

「そう。ねねさんのお部屋です」

「ねねちゃんのおへや(しゅごい)」

素直に喜んでやがる。可愛いなクソ。


「で、お洋服や下着は後ほど区役所の人が持ってきてくれます。当分は、それを着る事になるので大事にしてください」

「はい(おようふくくるって)」

そう(心の中で)言いつつうさちゃんをナデナデしている。仕草が既に可愛い。

まあね、霧香は顔とスタイル(だけは)抜群に良かったもんな。あの顔だけ美人が母なら娘も美少女で当然といえる。

「着替えは今から頂く分以外ウチにはありませんので、破けたり汚れたらすぐに教えてください。お洗濯も私がします。ねねさんは、ウチにいる間は、毎朝同じ時間に起きて、ご飯を食べて、お勉強して過ごしてください。お昼寝とお休みの時間とか、細かいことは後ほど区役所の人とご相談します」

「うん(……?)」

ピンときてない様子なので、もう一押しする。

「まあ、何も心配要らないってことです。ごはんも、着替えも、お風呂も用意します。安心して寝起きしてください」

「……はい」

うさちゃんに顔を埋めてしまう。これで、こちらに敵意が無いのが通じていればいいのだが。

……うう、実家じゃあ神主やってたとはいえ児童の相手なんぞ慣れちゃいない。

お宮参りに来るふわふわ乳児か、ある程度育ったモンキーめいた田舎小学生ばかりで、しかも保護者介さずとか難易度高いんですが!?生まれついてのコミュ障にはキツいんですよ!!やっぱ無理!幼児でも無理だろ!

助けてボンちゃん!と、徳島に住む年子の弟(コミュ強者)を今すぐ召喚したい気持ちで一杯になる。

表向きは一応平静を装っているが気が気ではない。やはり助っ人が必要な案件だ。確信した。


「あと、お世話する人も呼んで……」

ふとまじまじと幼女を見れば、やはり小憎らしいほど可愛い。色白で目元もパッチリ、緩く天然パーマがかった濃茶の毛先がパサついてるのが気になるが、見た目は世間一般的にも愛くるしい部類に入る美少女ではないか。私基準だが、こんな可愛い子を一部の未練も無く捨て去るとは。

霧香の酷薄ぶりは健在という事か。

背筋が寒くなると同時に、着せられたワンピースのお仕着せ感が気になる。

サイズが合ってないのか、妙にお出かけ感が浮いている。

お出かけするよ、と喜ばせておいて、これみよがしに綺麗な服を着せてウキウキしている隙に置き去りにしたなら許せない所業だ。あまり強く当たりすぎぬように気をつけようと考え直すと、まあ事務的な話はこのくらいでいいか、と話を切り替える。


「好きな食べ物は、何?」

「?!」

不意に目を見開いてこちらを見るので、驚いた?と訊き返すもふるふると首を振る。


「いいの?」

「何が?」

「言っても」

「いいよ。教えてもらわないと、お支度が出来ない」

「パンちゃん!」


初めて能動的に、しかも元気に返事したな。

良い反応に内心胸を撫で下ろす。


「パンか。どんなパン?」

「え(しらない)」

「見本を持ってこよう」

都民用の物資配給カタログの食品一覧を手に取り、パン・小麦製品のページを開く。


「例えばここ。四角いパン」

「パンちゃんいっぱい(おいしそう)」

「アハハ、そうだね。四角いパンちゃんなら、四枚切りから八枚切り、サンドイッチ用の薄切りまで……あ、サイズは分からないかな。分厚いパンちゃんと薄くて食べやすいパンちゃんはどっちがいい?」

「フカフカ!(おっきいの!!)」

「……じゃあ、四枚切りと六枚切りを試そう。ロールパンやスティックパン、惣菜パンもあるけど」

「これ」

ロールパンを指差すので、それにもフリクションマーカーでチェックを入れる。

「お菓子や野菜、果物で食べられないもの、食べたらダメと言われてるものは……」

言いかけて、身構えたのか彼女の全身に緊張が走る。

食べたらダメ、の「ダメ」に反応したか?ならば叱るような口ぶりは避けようか。


「アレルギーってわかるかな?」

「アレルギー?」

「食べたら痒くなったり、ブツブツが出るよ!とか言われてる食べ物はある?」

尋ね方を変えると、リュックを降ろして中から小さな手帳を取り出す。

「ママが、これ見せたらいいって」

「いいとは?」

「そしたらわかるって」

手帳は健診の記録で、乳幼児時期からの受診や予防接種の日時や種類が記載されていた。……内容を見るに、必要な健診や予防接種は受けさせているようだが、三歳以降の健診記録は無い。

アレルギーテストは二歳時に「無し」とある。

ひとまず、劇症が出やすいとされるナッツ類と甲殻類は避けておこう。オマール海老のビスクはしばらく冷凍庫の底にお預けだな……卵に小麦、牛乳、各種野菜と果物が食べられるなら当面は栄養面も問題なさそうだ。


「おにぎりとかは?」

「う(くさい)」

くさい?……臭うおにぎり?腐った奴でも食べたのか?ならしばらくは外すか。……出来たら、麦シャリの美味しさを知ってほしいとこだが。


って違う。

長居させる気はさらさら無いんだ。

必要最低限でいい。パンが好きならパン食メインで全然問題無いじゃないか。


「ん、わかった。ならパンとジャムを追加で注文しておこうね。コーンスープはお好き?」

「おいしいの?」

「食べたことない?」

「しらない」

「ん、ならそれも追加で」


一通り必要な質問を済ませ、定期宅配のリストに追加しておく。こちらは明日昼には届くだろう。


「あとは、何か欲しいものはある?」

「いいの?」

「どうぞ」

「ぷりちあ!」

目をキラッキラ輝かせた女児に、女子御用達の王道ガールズアクションアニメ「プリティ・チアリーズ」のタイトルを即答されたアラサー男性のお気持ちを推察しなさい(30点)。

答え→動画配信サイトでアニメチャンネルの追加購入(課金:月額500円・初月無料)を済ませて視聴させる。


ここまで一時間。

彼女はようやくリラックスした風でリュックを傍らに置いてテレビ画面に熱中している。

長かった。

これで私用に集中出来ると一息をついた瞬間。


『すみませーん!区役所の児童相談課の者ですがー!!』

ズコーッ!と本気で転びだしたい気持ちになった。

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る