カースト上位の白ギャルは、今日も俺の飯を美味しそうに食べている。〜おい、玉ねぎとピーマンを避けるなちゃんと食え!〜

カースト上位の白ギャルは、今日も俺の飯を美味しそうに食べている。〜おい、玉ねぎとピーマンを避けるなちゃんと食え!〜



 ――20XX.06.09.


 高二の初夏だった。

 そろそろ日中の湿った暑さにため息がこぼれ始める頃。

 ――俺、東条とうじょう蓮海はすみは、いきなりのことに思考が完全に停止した。

 通りかかった男子トイレ前で、思いっきり水を浴びせられたからだ。


「ギャハハハ! 命中〜! モブ男が一瞬でびしょ濡れじゃん!」


 げらげらと腹を抱えて笑う男たちは、同学年のギャル男たちだった。

 ギャルってもう死語なのかなって思いつつも、日焼けサロンで焼かれた肌や、染色された髪を前に「ギャル」という単語しか浮かんでこない。俺のレパートリーの問題である。


 モブ男って、使い方間違ってね?

 とは思いつつも、自分たちを世界の中心として考えたら誰でもモブになり得るので、気にしないことにした。


 で、なぜ俺は彼らに水をぶっかけられたんだろう。

 俺の足元にはトイレの掃除用具入れにあったと思われるバケツが転がっている。

 そこに水を汲んで俺にかけたのか、殺意が沸いてきそうなんだけど。


「てめーまじで調子に乗ってんじゃねーよ。目障りなんだよ」

夏男なつおやるぅ〜♪」

「おいお前、ここちゃんと掃除しとけよ? じゃねーと、どうなるか分かってんな?」

「……」


 無言の俺に背を向けて、数人のギャル男は廊下を歩いていった。

 その後ろを傍観していたギャル女たちがついて歩いている。


「ねーあたしら関係ないかんね?」

「そーそー。だって蒼波あおは、こういうコソコソしたこと嫌いじゃん」

「うっせーな! お前らが黙ってればいいんだよ! あんな根暗メガネがチクるとも思えねーからな」


 メガネは否定しないが、根暗と呼ばれるほど根暗というわけではない。

 が、陽気なギャルを基準にすれば、スクールカースト上位以外はみな根暗に認定されそうなのでスルーしよう。

 結局、なぜ水をかけられたのか分からないまま、俺はずり落ちたメガネを拾い上げる。

 度は入っていない伊達メガネではあるが、学校には欠かせない必需品であった。


「……帰ろ」


 幸い放課後だった。

 部活動以外で校内に残っている生徒もあまりいないだろう。

 水で濡れた姿を人目に晒したくないので、俺はコソコソと靴置き場に向かうべく歩き出す。


「うわっ!」


 突然ツルッと、足元が滑った。

 俺はそのまま転倒し、尻もちをつく。


「だー! いってーな!」


 床が水びたしだったのを忘れていた。

 一瞬の激痛に顔を歪めながらも、誰かに見られていないかなという自己保身で目が左右に動く。


「ふっ、あははははっ」


 最悪だ。見られていた。

 しかもあまり見られて欲しくなかった人間の姿に、俺は心の中でため息をこぼす。


「今の転び方、だいぶやばかったねー東条とーじょー。だいじょーぶ?」

龍崎りゅうざき……」


 根元から毛先へ綺麗に染め上げられたプラチナピンクの髪がサラサラと揺れている。

 両耳にはピアスが一つずつ、腰にはカーディガンを巻き、膝上の短いスカート、学校指定ではあるが男子用のネクタイを付けた女が、俺を見て笑っていた。


 彼女の名前は龍崎 蒼波。

 先ほど俺に水をかけたギャル軍団の中心人物にいるような女で、同じクラスでもある。

 服装も頭髪も見事なまでに校則違反をしているが、持ち前の明るい性格と親しみやすさのためか、校内で彼女を悪くいう生徒は滅多にいなかった。

 無論、先生方からは校則違反者として注意を受けているようだが、なんでも成績が良いらしく色んな意味で一目を置かれている。


「てゆーかなんで濡れてんの?」

「別に」

「あれ、笑ったこと怒ってる?」

「そういうわけじゃない。これはなんでもないから」

「なんでもなくて濡れてるなんて相当変じゃん。掃除してたわけじゃないでしょ? それに、このバケツって」


 油性マジックで「トイレ」と書かれたバケツを両手で持った龍崎は、不審な目を俺に向けた。


「なんかあったでしょ」

「なにもないって」


 お前の仲間が意味不明な嫌がらせ紛いのことをしてきた、とでも言えばいいのだろうか。

 そもそも今まで接点がなかった龍崎が、こうして話しかけてくるなんて思ってもみなかった。

 

「ねえ、なんかあったなら――」

「龍崎には関係ないだろ」


 肌に引っ付いたシャツの鬱陶しさからか、それとも理不尽に水をかけられた苛立ちか……おそらくどちらもあっただろう。

 俺は執拗に尋ねてくる龍崎を突っぱねるような言い方をしてしまった。


「……! あっそ! じゃあ一人で水遊びでもしてれば!」

「わっ」


 俺に何かを投げつけた龍崎は、そう言い捨てると廊下を走っていく。


「やば……感じ悪かったな」


 龍崎が投げつけたもの。

 それは、ピンク色のフェイスタオルだった。



 ***



 廊下を掃除し終える頃には、空は茜色に染まっていた。


 ……床掃除、意外と大変だったな。

 俺は湿った体を引きずるようにして帰路につく。

 

「ただいま」

「お勤めご苦労様です、蓮海坊ちゃん!」

「って、坊ちゃん! なんですかいその服は! 雨にでも降られたような有り様で……」

「ちょっとなー」


 瓦屋根がついた大門をくぐり抜けると、すぐに家の人間が頭を下げてきた。


「坊ちゃん。帰ったら奥の座敷に来て欲しいと親父が……あと、スーパーでタイムセールがあって、ひき肉が大量に入りました。野菜類は玉ねぎとピーマンが豊富です」

「お、そっか。じゃあ今日はハンバーグでも作るかな」


 伝えてくれるのはいいんだけど、なぜコソッと言うんだろう。しかもタイムセールのくだり。

 顔が厳ついから傍から見るとかなり怪しく思われそうだ。


 ……ちなみに、親父とは俺のじいちゃんのことだ。

 俺のじいちゃんは、任侠団体「大虎(おおとら)組」の組長であり、幼い頃に事故で両親を失った俺の親代わりでもある。

 帰って早々に頭を下げてきた男たちも全員が組員。いわゆる極道一家だが、俺にとっては大切な家族だった。

 まあ、学校で知られると面倒なので、普段大虎組のことは隠している。


「坊ちゃーん! 今日はハンバーグなんスかー!?」

「ああ、その予定だよ」

「よっしゃー!」


 今まさに俺の横を駆けて行ったのは、俺と一番歳の近い組員だ。

 歳は今年で十九になる。

 よくテレビゲームをする仲だった。


 大虎組が構える屋敷はかなり広い。

 建物は主に共同空間、組員居住空間、俺やじいちゃんが使う特別居住空間の三つに区切られている。

 俺が向かっている座敷があるのは、共同空間の客間として使われる場所だった。


「じいちゃん、ただいま。蓮海だけど、入ってもいい?」

「おお、帰ったか。入っといで」


 襖の前で両膝をつき声をかけると、すぐに反応があった。

 なんだろう?

 ついさっきまで誰かと話していたような声が聞こえていた気がしたが……


「開けるよ」


 引手を動かし、襖を開ける。


「おかえり、蓮海」


 皺だらけの優しい顔が、俺を出迎えてくれた。

 そしてもう一人。

 予想だにしない人物の顔に、俺は間抜けな声をあげる。


「りゅう、ざき……?」

「とーじょー?」


 どうして龍崎蒼波が、ここにいるんだ?



 ***



「おーいしー! 東条ってこんなに料理上手だったのっ? 美味しくて全部食べられそー」


 いつも通りの食卓……には違和感があり過ぎる。

 一番奥のテーブルに腰掛けたじいちゃん、その左隣には俺、そしてテーブルを挟んだ俺の正面には、龍崎がいた。

 しかも白米をパクパクと口に入れて、それは幸せそうに頬を緩めている。


「いい食べっぷりだなぁ、アオちゃん」

「アオちゃん!? なんだよそれ、じいちゃん!」

「なあに、これから一緒に暮らしていくんだ。この方が親しみやすいだろう」

「あははっ、いいねーアオちゃんて。かわいい〜おじーちゃんセンス良い!」

「よっ、アオちゃん!」

「いやぁ、いいですねぇ蓮海坊ちゃん。こんなにべっぴんさんな女の子と共同生活だなんて……これぞ青春だぁ」


 満更でもない祖父の顔、同じくデレデレする組員たち、俺の頭はすでに追いついていない。


 何となく脳内で回想してみる。

 あれは帰宅後のこと、座敷で待ち受けていたのは、じいちゃんと龍崎だった。

 じいちゃんの話によると、知り合いの孫娘を急遽うちで預かることになったという。

 そしてその孫娘というのが、龍崎だったのだ。


 いくらなんでも急すぎるだろう。

 今日からここで住み始めるって、もっと早くに決まっていたんじゃないかそれ。

 じいちゃんに問い詰めてみたが「ううん、どうだったか……最近物忘れが激しくてな」と躱されてしまった。

 じいちゃんそれ、完全に黒だ。


 ……で、俺以外への挨拶は、夕食時に行おうということになって、俺は気持ちの整理がつかないまま台所に立ち飯を作ったわけである。

 いや本当に、どういうわけだって感じだ。


「もぐ……あれ、東条は食べないの?」

「……食べるけど」

「も〜まだびっくりしてるわけ? ていうか、それを言うならあたしのセリフなんだけど。まさか東条がこれからお世話になる極道の家のお孫さんだったなんてね」

「さっきも言ったけど、そのことは学校で言いふらさないでくれよ」

「わかってるよ! あたしってそんなに口軽く見えるわけ? ほんとに失礼なひと〜」


 そう言って、龍崎は自分の皿の上にあった玉ねぎを端っこによけた。

 ここで、俺のいつもの癖が出る。


「おい、玉ねぎもしっかり食べるんだぞ。体にいいんだから」

「……わかってるってば。あとから食べる派なのっ」


 そう言って龍崎は一口サイズに切り分けていたハンバーグを頬張る。本当に美味そうに食べるな。作った側としてはなんの言い分もない反応だが……また、龍崎の箸の動きが怪しくなりはじめた。


「……ピーマンも食べろよ」

「もー、わかってるってば! 東条ってばうるさいんだけどっ。学校ではもっと物静かな癖に」

「悪かったな。言っておくが、これが俺の通常なんだよ」

「ふうん……それが素なの」


 箸の先を唇に当てながら、龍崎はぽつんと呟く。

 凄い見てくるんだけど、正直まだいつもの食卓の景色に龍崎がいることが落ち着かない。


「あとそれ、家の中では和服なんだ。雰囲気変わるよね」

「ただの着流しだけどな」

「おお? そういや坊ちゃん、メガネは外さないんですかい?」


 ふと、組員の一人が不思議そうな顔をして俺を見た。


「え、なんで? 東条、家ではコンタクトなの?」

「……いや、裸眼」

「じゃあ外せばいいじゃん。前髪も長いしさ、なんか見た目が暗そうにみえるっていうか」

「お前には関係ないっつーの。ほっとけよ」

「っ……」


 俺の言葉に目の前の龍崎の顔が、ぐっと引いたような気がする。

 ああ、しまった。また乱暴な言い方をしてしまった。

 もうずっと男所帯だし、これぐらいの言葉づかいは気にしていなかったが。

 女の子となると威圧を感じる子もいるのかもしれない。

 いや、むしろ龍崎が普段つるんでいるギャル男たちの方がえぐい口調しているような気が……。


 だというのに、どういうわけか龍崎は少し傷ついたような表情でそっぽを向いた。そして再度白米を食す。


「……悪い。感じ悪かった」


 空気が変わったことに気がついて、俺は龍崎に謝る。


「まあまあ、これから仲良くなっていけばいいじゃねぇか。なあ、蓮海、アオちゃん」


 じいちゃんの豪快な笑いが、何よりの救いだった。


 ***


 食後の片付けは組員たちが手分けしてやってくれる。

 食事を作る担当の俺は、一人縁側に出て涼んでいた。


 昼間は夏を思わせる気温のときもあるが、夜はそうでもなく、心地よい風が髪を撫でる。


「ほんとに感じ悪いんですけどー。みんながいるところであんなこと言うとかーちょっと引きましたー」


 そこへ手伝うといって洗い場に行っていた龍崎が戻ってきて、遠慮なく俺の横へ腰を下ろす。


「いつもだったら言い返してたけどさー。今日は初日だし、あたしだって気をつかってたんだよ?」

「いや、それは……ごめん」


 確かに空気を悪くしてしまったのは俺だった。ここは素直に謝る以外の誠意が分からない。


「ま、いいけど。あたしも聞いちゃいけないこと聞いたみたいだし」


 そう口にした龍崎の横顔は、どこか達観したように見えた。

 こうして間近で龍崎を見るなんて初めてのことで、なんとなく盗み見る。

 すると、龍崎が再び口を開いた。


「なんであたしがここに来たのか、ちゃんと言ってなかったよね」

「……じいちゃんと龍崎のじいさんが仲良くて、それで頼まれたんだろ?」

「まあ、そうだけどさ。それ、中身はほとんど分かってないじゃん」

「まあ、確かに」


 ふふっと静かに笑った龍崎は、ひとつため息を吐く。


「あたしの家ね、超お金持ちなの。ブルーテックドラゴンって、知ってる?」

「そりゃあ……日本で一番の大企業だろ」


 日本トップの龍崎グループ。事業を幅広く展開し、現在はIT関連に力を入れ始めている大会社だ。


「パパはブルーテックドラゴンの社長で、あたしは娘」

「……え!?」

「で、おじい様が会長なの」


 突然のカミングアウトに驚く俺と、その反応を見て面白おかしく笑う龍崎。

 おじい様発言にも心底驚いたが……つまり龍崎は社長令嬢じゃないか。

 そりゃあ、龍崎なんて名字は珍しいほうなのかなとも思うが、まさかあのブルーテックドラゴンの社長の娘だったとか。夢にも思わない。


「まあ、あたしのことはどーでもいいんだけど。海外支社を大きくするとかで、パパもおじい様も向こうに行っちゃってさー。あたしは実家に残るって決まってたんだけど、なんか誘拐予告の手紙がポストに入っていたらしくて」

「誘拐予告!?」

「まあ、よくあることなんだけど。これじゃあ実家に置いておけないっておじい様が言って、でもあたしは海外に行きたくなくて、じゃあどうするってなったの」

「……そ、それでうちに?」

「そうそう。いくら誘拐予告した人でも、泣く子も黙る大虎組には手出ししないし。あたしも一人暮らしはちょっと不安だから、ここにこれてラッキーだった」


 泣く子も黙るって、んなことない。ちょっと名が知られてるってだけだ。

 そして、いつまでも軽い調子の龍崎に俺は唖然とする。

 誘拐予告までされていて、そんなに笑っていれるものなのか。

 

「……それ、大丈夫なのか? 誘拐予告なんて、龍崎が危ない目に遭うんじゃないのか」

「……え?」


 龍崎があまりにも飄々としているもんだから、俺はもう少し真剣味を持たせようと肩を掴んで聞き返す。

 目を丸くさせた龍崎は、ぱっと顔を逸らした。


「え、ええ? なに〜、心配してくれてんの、と、ととととーじょー」

「あたりまえだろ」


 同級生が誘拐予告なんてされていたら誰だって心配するに決まってる。

 そして歯切れが悪くなった龍崎。

 こんな様子は初めて見る。


「言っとくけど……誘拐予告した人は捕まったし。ただのイタズラでやったんだって。こっちは超迷惑だけど」

「……ああ、捕まったのか。そっか、良かった」

「それに、あたしの顔とか姿とか、誘拐予告してくるような人たちは知らないと思うよ。実家って言ったけど、あたしはあまり実家では暮らしてなかったし。高層マンションだったから」


 どちらにせよ何かがあってからでは遅いということで、龍崎は大虎組の屋敷に来たのだ。

 そんなに掘り下げた話までしてくれて邪険に扱う気はない。

 同級生のギャルがいるという状況には慣れていかないといけないが、じいちゃんが決定した以上腹を括るんだ、俺。


「ま、そういうわけだから。これからよろしくね、東条」


 こちらに笑顔を向ける龍崎に、俺は言い淀んだ。

 しかし共同で暮らしていくならば、結局はそのうち言わなければならない。

 四六時中メガネをして、前髪を垂らしているなんて、息苦しすぎるし。


「……このメガネ、伊達なんだ」


 俺はかけていた自分のメガネを取る。

 そして、勢いよく前髪を上にかきあげた。


「見て、俺の目」

「……え、あ……目?」


 いきなりのことにびっくりしたのか、龍崎は肩をビクッと震わせた。けれどすぐに俺の両目を覗き込んでくる。


「……すっごい、蒼い」


 ため息とともに漏れたような龍崎の声。

 それを耳にしながら、俺はぽつぽつと説明した。


「俺の目ってさ、生まれつき蒼眼なんだ。死んだ母さんがロシア人で目だけ遺伝したらしい」


 顔は父さんに似た日本人顔で、瞳の色だけが蒼い。

 そのため小さい頃は様々ないちゃもんを付けられ、腫れ物扱いされたものだ。

 ハーフでカッコイイと言ってくれる奴らもいたが、中学に入れば先輩に目をつけられ散々な目にあった。

 そういった面倒事を避けるために、校内ではメガネをして頭髪検査で引っかからないギリギリまで前髪を長くしている。


 蒼い目を隠すためにカラーコンタクトを付けていたこともあったが、俺には合わなかった。

 数時間と持たず眼球が充血してしまい涙が止まらなくなったので、体質的に合わなかったんだろう。


 学校にいる間なら何とか我慢できる。

 先生方は知っているし、目が悪いといって席を前の方にすれば黒板も見やすい。

 微妙にレンズが暗いメガネと前髪のカバーのおかげで、今のところ目の色は隠せている。これで高校三年を乗り切るつもりだった。


 しかし、家の中でもずっとこの状態なのは厳しい。本当に目を悪くしそうだし、実際少し悪くなった。

 だから家では前髪をちょんまげのように上げて、メガネもしていない。

 龍崎がここに住むというのなら、初めから知ってもらったほうがいいだろう。


「そんな理由があったんだ」

「まあ、そういうことで」

「なんかさ、あたしたちって……ダブル海の子って感じじゃない?」

「……はい?」


 少し考える。何を言い出すのかと。

 今まで綺麗だとか、隠すのが勿体ないとか言われたことはあったが、ダブル海の子ってなんだ。


「だってほら、あたしの名前!」

「名前……?」

「なにその顔、あたしの名前知らないの!?」

「いや、知ってるよ! 蒼波だろ!」


 そう言えば、龍崎は唇をキュッと噛んだ。


「……っ、そ、そう、あたしの名前、よく覚えてるじゃん」

「なんか、照れてない?」

「んなわけ!」


 ……ふーん、まあいいや。


「それで、名前がどうした」

「まだ気づかないわけ? あたしの名前が蒼波で、東条の名前が蓮! しかもあんたの目の色なんて色! ほら、もう色々繋がってるじゃん」

「まあ、たしかに……だからダブル海の子?」

「そう!」


 胸を張った龍崎が、あまりにも堂々としているものだから、俺はおかしくなってつい吹き出してしまった。


「なんだそれっ、ダブル海の子って、そんなこと言ったやつ初めてだよっ」

「……!」


 背を床に預けてさらに笑っていれば、龍崎の視線を感じて首をかしげる。急に静かになるときあるな、龍崎って。


「なに、どうした?」

「なんでもないし!」

「……いやぁ、それにしても俺、龍崎のこと誤解してたよ」

「誤解ってなんのこと?」

「なんていうか、ギャル軍団を束ねるリーダーの白ギャルで、男を手玉に取ってて、人生気楽そうって」

「あんたさ……学校に友達いないでしょ」

「二人ぐらい? それだけいてくれれば別に」

「あっそ。だからってなに今の! なによ白ギャルって!!」


 ぷんぷん怒りだす龍崎を、俺は寝転がって下から覗き込む。


「色が白いギャルのことを白ギャルって言うんじゃないのか? 他の仲間は結構、肌が黒かったりしてるしさ」

「日サロに行ってない普通の肌の子もいるから! ていうか、あたしはいくら焼いても黒くならないの! 赤くなって、めっちゃ痛くなって終わりだし!」

「あ〜」

「あと男を手玉にってなにそれ!? 言っておくけど、あたしはまだ誰とも付き合ったことないし、なんなら好きな人だって――」


 そこまで言葉にした龍崎は、ぴしりと石のように硬直してしまう。

 己の自爆に気づいてしまったようだ。

 わなわなと体は震え、顔は完全に茹で上がっている。


「ごめん、今のは聞かなかったことにするから……えーと……そうだ、改めて、よろしく…………」


 まずい、眠気が急に来た。

 いつもならすでに部屋に戻って風呂に入っている時間だというのに。


「え、東条、なに? ここで寝るの?」

「あー……えっと、俺さ……食後ってすぐに風呂に入らないと眠くなるんだよ……大丈夫、たぶん……一時間ぐらいで起きる」

「うそでしょ!? 食べたあとに寝たら、ブタになるって知らないの!?」

「ああ、牛な……」

「それは知ってるってば! あたしが言いたいのは食後にすぐ寝るとエネルギーが消費できなくなって肥満になるリスクが――」


 そういえば龍崎は頭が良いんだった。色んな知識を知っているな。

 食後の睡眠についてなんだか小難しいことを言っているが、俺はもう夢の中だ。


「……すー」

「って、寝るなし!」


 眠った俺が目を覚ますのは、きっかり一時間後のこと。


「……東条?」

「……」

「寝てる?」

「すこー」

「…………。あのさ、あたし……東条がいるって知って、ほんとにラッキーって思ったんだよ。だって、」



 ――目覚めたとき、龍崎は俺の隣に座っていた。

 制服のままの姿で一時間ずっと座っていたのかと尋ねると、龍崎は「スマホいじってた」と言って目を逸らした。



 ***



 次の日の朝食、龍崎は早くもこの一家に馴染んだ様子でテーブルに付いていた。ギャルの順応性って半端ない。


「おい龍崎! なんで朝飯がジュースだけなんだよ」

「だって、そんな食欲ないし」

「じゃあせめて軽くスープでも飲めよ」

「……このスープ、玉ねぎとピーマンが入ってるじゃん! なんで!?」

「なんでって、体にいいからだよ」

「昨日のハンバーグにも付いてたし、別に玉ねぎとピーマンじゃなくてもいいのに! 東条のご飯は美味しいけど、この二つだけはムリ!」

「ははは、もう仲良くなったのかぁ。いいことだなぁ」


 俺と龍崎の会話を端から聞いていたじいちゃんが微笑ましそうに笑っている。同席している組員も然りだ。


 そうこうしているうちに登校時間を迎える。

 俺は龍崎と一緒に家を出た。

 これまで龍崎は学校の最寄り駅まで送迎だったらしいが、今日は道を覚えるためにも家から駅まで徒歩で行き、電車に乗って最寄り駅を目指す。


「じゃ、俺はこれで」


 問題なく最寄り駅に到着。

 ここからは別行動だ。

 駅の外にはギャル軍団が溜まっていた。龍崎に気づいたようで友達らしき子が駆け寄っている。


「おっはよ〜蒼波! 引越し先ってどんな感じなの?」

「ひみつ」

「なにそれ〜!」


 どうやら友達には引っ越ししたと伝えているらしい。

 その会話を耳にしたあと、俺は龍崎たちから背を向けて通学路を歩いていった。




 昨日はよく分からずに水をかけられたが、今日は至って平穏だった。

 昼になり、生徒たちは思い思いに購買や食堂へ移動したり、弁当を広げたりしている。

 今日から龍崎の昼飯も用意することになったので作ったが……玉ねぎとピーマン入っているんだよな。食べるかな。


 そう、呑気に考えていたわけだが、ある騒動が廊下で起こった。


「ちょっとあんたさぁ! そういう女々しいことしてんなよ! ほんっとかっこ悪い!」


 龍崎の怒声に、教室にいた誰もが廊下へと目を向ける。

 何事かと扉の前から様子を窺うと、龍崎がギャル男をはっ倒しているのが視界に入った。

 しかもあいつ、昨日俺に水をかけた張本人!


「なんで蒼波が知って……まさかアイツ! お前にチクったのか!?」

「違うっつーの! 他のクラスに残ってた子から聞いたんだし。ていうか今はチクったとかどうでもいいでしょ。あたしが言いたいのは、そういうコソコソしたかっこ悪い真似すんなって言ってんの!!」 


 ギャル男……夏男は龍崎にこっぴどく怒られていた。

 見てはいけない場面を見ていると周囲も悟ったのか、皆して蜘蛛の子を散らすように元の位置に戻っていく。


 だけど、なんだろう。

 貫き通して意見を言っている龍崎が、なんだか眩しく見えた気がする。


「ちょっと夏男、こっち来な!」

「いてっ、いてて! 耳引っ張る……いてぇ!」


 その後、夏男の姿を見たものはいない……わけもなく、どこかしおらしくなって龍崎たちと一緒にいた。

 俺に謝る気はないらしい。あいつまじで嫌いだわ。

 


 帰宅後、代わりに龍崎が謝ってきた。

 一応いつもつるんでいる仲間がしでかしたことなので、責任を感じているようだ。


「龍崎は悪くないだろ。もう謝らなくていいから。それよりも、なんであいつは俺に水をかけたんだ?」

「……わかんない。どんだけ問い詰めても言わないし。ただ、東条が気に食わないって」

「ふーん……」

「だけどもうあんなことするなって言っといたから! 心配しないでいいから!」

「分かった。ありがとう龍崎」


 俺は龍崎にお礼を言って、いつものように台所へと向かう。


「ねえ、東条ー。今日の夜ご飯なに?」


 嬉しそうにぴょんぴょん跳ねながら聞いてくる龍崎。子どもみたいだ。


「ピーマンの肉詰めとオニオンスープと……」

「ゲ!!」

「仕方ないだろ。タイムセールで買ったから、大量に余ってるんだよ。消費しないと勿体ない。あ、あと弁当箱出してくれ。一緒に洗うから」

「……」


 龍崎は無言で弁当箱を差し出すと、どこかに走り去っていった。なんだあの逃げる姿勢は。この家の中で一体どこに逃げるというんだか。

 渡された弁当箱を開けると、案の定というべきか、ピーマンと玉ねぎが端に寄せられていた。

 ……だが、少しだけ格闘した痕跡が見受けられる。


「ま、消費し終わったら好きなものを作ろう」


 苦手なものを無理に押し付けても逆効果だと気づいた俺は、次の日から龍崎の皿に乗せる玉ねぎとピーマンの量を少なめにすることにした。


 これから先、龍崎とは長い付き合いになることを、俺はまだ知らない。




 ――高校を卒業し、大学進学後、無事に就職した俺は、一人暮らしに憧れながらもじいちゃんの家で暮らしいている。


「んー! 美味しい! やっぱり蓮海のご飯が一番美味しいんだけど!」

「あのさ……蒼波。お前ってたしか、海外に行ってなかった?」

「いや、帰ったからいるに決まってんじゃん! さっき帰国したばっかりだし」

「じゃあなんで俺んちで飯食ってるんだよ!」


 久々の日本だというのに、彼女は一直線にここへ来たらしい。

 今やブルーテックドラゴンに入社し、バリバリのキャリアウーマンとなっている彼女だが、相変わらず派手な髪色は変わらない。

 高校時の制服からスーツへと変わり、大人びた彼女は色っぽさが増したように思う。そして、会うたびに綺麗になったと感じるからなんか悔しい。


 じいちゃんや組員たちは彼女の帰国を喜んでいたが、会社から帰宅した俺は驚いたものだ。


「あっ……ねぇ蓮海〜……これ、食べて♡」

「おい」


 高校時代、まだ遠慮していた龍崎蒼波が懐かしい。

 今じゃ俺の皿に許可なく野菜を押し付けてくるようになってしまった。


 あの頃は、そんなに苦手なら無理強いすることもないと考えていたけれど。


「おい蒼波! いい加減に玉ねぎとピーマンを避けるな、ちゃんと食え!!」


 生涯、俺は彼女の玉ねぎとピーマン嫌いに付き合わされることになる。


 

 ***


 ――20XX.06.08.


 蒼波は、片思いをしていた。

 校内ではギャル軍団の女リーダーのような立ち位置である彼女だが、中身はまだ初恋の君に胸を弾ませる乙女である。


 蒼波が視線を送る先には、一人の男子生徒がいた。

 出会いは、中学三年の冬のこと。

 デパートのエスカレーターに乗っていた蒼波は、盗撮にあってしまった。

 

 盗撮犯は「そんな短いスカート履いてんのが悪いんだろ。これだからギャルはよう」と自分の行為を棚に上げ蒼波を侮辱し、蒼波は押し黙ってしまった。


 そんな時、割り込んできた人物がいた。


『やって良いことと悪いことの区別もつかねーのか、おっさん』


 それが、彼である。

 せっせと中庭で掃き掃除する姿も、黙々とこなす仕草も、蒼波フィルターにかかれば輝き倍増であった。


「蒼波、何見てんだよ?」


 廊下の窓から中庭を覗き込んでいた蒼波に、彼女に想いを寄せている夏男は声をかけた。


「べ、べつに。何もないけど」


 蒼波は慌てて窓際を離れ、教室の机に座っている友人のもとに行く。

 頬が染まっていた蒼波に何か違和感を覚え、夏男は窓の外を見下ろした。


「……気に食わねぇ」


 中庭には、蓮海が真面目な姿勢で掃除に取り組んでいた。

 夏男は知っている。

 蒼波が、蓮海を気にしているということに。

 自分はもう五年も想っているというのに、ぽっと出のやつに何ができる。しかもモブだ。


 そう思うものの、苛立ちから夏男はあることをしでかす。

 それが蒼波にバレてしまう事態になるとは、この時の夏男は考えてもいなかった。


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カースト上位の白ギャルは、今日も俺の飯を美味しそうに食べている。〜おい、玉ねぎとピーマンを避けるなちゃんと食え!〜 @natsumino0805

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