第23話 祈りが伝わっていく

 夕方になっても決着がついたという報せが来なかった。

 かわりに届いたのはデラフト公国からの援軍が来ないという連絡だ。


 レギーナは一日中城に残った者たちひとりひとりに声をかけていた。できる限り明るく振る舞い、微笑みかけ、食べ物を配って歩いた。


 本当は不安に押し潰されそうだった。


 デラフト公国からの援軍が来なくても、ナスフ侯国の騎士団は負けない。


 兄の言うとおりだ。ナスフ侯国憎しで集まった連携の取れない軍隊に負けるはずがない。

 そうはいっても五千騎と七千騎では簡単には勝てないかもしれない。


 安易に城を出られない。


 それはロビンの身動きが取れないことをも意味していた。


 ナスフ侯国の城からパランデ王国の城まで、馬を次々と乗り換えて急いでも最短で二日はかかる。

 人選にも悩む。まさかこの状況でロビン自身が行くとも言えない。


 ロビンがいまだかつてレギーナには見せたことのない焦りを見せる。


 少しひとりになりたいというので、レギーナは彼に城壁の屋上へ出ていくのを勧めた。


 彼が城壁の上へ向かう階段をのぼり始めてから、ひとりになったらやけを起こしてしまうのではないか、というのが浮かんで、慌てて追いかけた。


 レギーナがついてきたことに気づいていないロビンが、右の拳で思い切り壁を殴る。痛そうだ。彼の手のほうが壊れてしまう。


「ロビン様」


 声をかけると彼はすぐに振り向いた。

 そして、表情をくつろげてくれた。


「かっこ悪いところを見せてしまいましたか?」


 レギーナはロビンの右の拳を手に取った。


 ロビンの手を包み込む。

 自分の額のほうに持ってきて、くっつける。

 いつか包帯を巻いていたレギーナの手にロビンがしてくれたように。


「すみません、ひとりになりたいとおっしゃっていたのに」

「いえ、構いませんよ。あなたとならむしろ安心です」


 はあ、と息を吐く。


「ふたりきりになれて、少し、息をつけそうです。テオドール君の前では大人ぶっていたいのですが――甘えてしまってすみません」


 ロビンの手を下ろし、離してから、レギーナは首を横に振った。


「いくらでも甘えてください。ロビン様を受け止めたいです」

「レギーナ……」


 ふたりで屋上に出た。


 空はふたりの心とは裏腹に綺麗に晴れていた。


 ゆっくり、手すり壁のほうに移動する。


 城壁を警備する兵士はいるが、彼らはレギーナとロビンの存在を見て見ぬふりをしてくれた。


「僕はうぬぼれていました」


 ふたり揃って、手すり壁の上に両手をのせる。


「自分には何でもできると思い込んでいました。武術も、学問も、壁に突き当たったことがなかったのです。でもそれだけで大人になった気になるのは早かったですね」

「ロビン様……」

「テオドール君のほうがよほどしっかりしていますよ。彼のような子を本当に賢いというのです」


 レギーナはうつむいた。弟が褒められるのはありがたいことだったが、それと比較してロビンが貶められるのは悲しいことだ。かといって上っ面だけ大丈夫と言ってもむしろ彼を傷つけてしまう気もする。


 無言で寄り添う。


 何も考えずに抱き締め合えるほど愚かだったら楽だっただろうか。


 しばらく、ふたりで城下町を見下ろしていた。


 ややして、近づいてくる人が四人ほどいるのが見えた。


 レギーナは軽く身を乗り出し、近づいてくる人々を眺めた。

 そんなレギーナの仕草を見て、ロビンもその人々に気づいたようだった。


 どうやら修道女のようだった。黒い服を着て髪も布で覆った女性が三人やってきている。彼女らに護衛か何かでくっついているナスフ侯国のマントを羽織った騎士で合計四人だ。


「何かしら」


 レギーナは踵を返し、城の庭に通じる階段を下りていった。ロビンも後ろについてきた。


 ふたりが城門に辿り着いた時、すでにテオドールがそこにいて、門兵たちと何やら話し合っていた。


「どうしたの?」

「なんだか修道女の女性が三人ナスフ騎士団の勝利を祈ってくれるということで訪ねてきたんだけど、頼んでいないし、今までそんなこと一度もなかったし、急に何なんだろう、と思ってさ」


 テオドールがすっかり城主みたいな顔をして言う。


「かといって追い返すほどの理由もあるかと言われれば、ないでしょう。城下に攻め込まれて本格的な籠城ということになったらどっちにしても城内に入れてあげないといけない人々だし」


 レギーナはすぐに頷いた。


「入れてあげましょう。ここにテオドールもロビン様も護衛の騎士の皆さんもいるのに、女性三人だけで何かできるとは思えないもの」


 それに、ひとりでも多くの人に祈ってほしかった。

 みんなが無事に帰ってくるようにと、レギーナとともに祈りを捧げてほしかった。


 城門が開いた。


 女性たちが入ってきた。


 そのうちひとりの顔を見て、レギーナははっとした。


 見覚えのある顔だった。


「レギーナさん」


 やはり知り合いだったようだ。彼女はそう親しげにレギーナの名を呼んだ。


 まさか、というのが頭をよぎっていった。


 駆け寄った。


 彼女は、頭を覆っていた布をはずし、服の襟をくつろげた。

 そうして、レギーナを前にして膝をついた。


「カロリーナ様」


 イヴァーノの妹だ。テオドールの暗殺未遂騒動の後城内から忽然と姿を消したアーノルドの婚約者候補だ。


 レギーナは血の気が引くのを感じた。


 彼女の長く美しかった金茶の髪が、うなじが出るほど短くなっている。


「どうなさったのですか、その髪……! 本当に出家されたのですか?」


 カロリーナは首を横に振った。


「売ったのです」

「売った?」

「髪を渡したら牢から出してくださるという約束をしたので」


 彼女は表情を変えずに淡々と説明した。


「兄に地下牢に入れられていたのですが、番をしている兵士と交渉して、牢から出してもらったお礼に髪を切って渡したのです」

「そんな……」


 長く伸ばした髪を切る、ということは、女としての人生を捨てる、ということだ。

 まして彼女はザミーン侯国の令嬢だ。今や敵国となったこの国に単身で乗り込んでくるのはどれだけ恐ろしかったことだろう。

 想像しただけで心臓が握り締められた気分になる。


 いったいどれほどの覚悟をもってここまで来たのか。


 追い返さなくてよかったと、心から思った。


「とにかく、中に入って」


 レギーナたちはカロリーナたちを館の中に案内した。


 ちなみに他ふたりは本物の修道女たちで、カロリーナに助けを求められて、命がけでここまでやってきたカロリーナに応えるために一肌脱いでくれたらしい。用事が終わった今は本気でナスフ侯国の騎士団のために祈ってくれるとのことである。ありがたい話だ。


 修道女ふたりに礼拝堂へ移動してもらってから、カロリーナを含めた四人は鹿の剥製の首を掲げている応接間に入った。


 カロリーナを椅子に座らせ、茶を出す。夏とはいえもう冷える夕方だ、少しでも緊張をほぐしてもらうためにもと温かい茶を用意してもらった。


 彼女はティーカップに口をつけ、一口飲むと、はあ、と大きな息を吐いた。


「申し訳ございませんでした」


 ティーカップをテーブルの上のソーサーに戻し、椅子から下りる。そして床にひざまずく。


「わたくしの浅はかな考えで大勢の方にご迷惑をおかけしました。特にテオドール様には何とお詫びを申し上げたらいいのか」


 テオドールが「何の話だったっけ」と言ったので、レギーナは彼の後頭部を思い切り叩いた。


「そう! その件については姉上に謝ってよね。怪我までしたんだからさ」

「全治一週間のすり傷ね」


 そんな姉弟のやり取りを聞いて安心したのか、やっとカロリーナが表情を緩め、ふわりとした笑みを浮かべた。


「少しでもお兄様の負担を減らさなければと思ったのです」


 姉弟でカロリーナに椅子に戻るよう勧める。カロリーナが椅子に座り直す。


「お兄様が戦争を望んでいるのを知っていたので。ナスフ家に少しでもダメージを与えておくのがザミーン家のためになると思い込んでいました」

「そうでしたか……」

「取り返しのつかない過ちを犯しました。わたくしがすべきは真逆のことでした。お兄様の罪に加担するのではなく、お兄様の罪を告発すべきだったのです」


 言いながら、彼女はずっと肩に掛けていたポシェットに手を伸ばした。

 何だろうと思って見守っていると、中から紙の束が出てきた。

 どれもこれもすべて封蝋を取り除いた書簡のようだった。


「お受け取りください」


 テオドールが手を伸ばし、開く。中身を読む。

 目を丸くする。


「ちょっと、これ」


 彼はその手紙をロビンに差し出した。

 ロビンもすぐに受け取って読み始めた。表情が険しい。


「もしかして差し出し主は全部同じですか?」


 カロリーナが頷いた。


「姉上も読んで」


 テオドールが一通取ってレギーナにも渡してくる。


 中を開いて、驚愕した。


 手紙に書かれていたのは、ディールーズ帝国皇帝の署名だった。


「……父上にしらせなくては」


 ロビンが硬い声で言う。


「ここで僕らが内戦しているうちに、ディールーズ帝国軍が、来る」


 手紙を、握り締める。


 その時だった。


「テオドール様! レギーナ様、ロビン殿下!」


 突然扉の外から野太い男性の声で名前を呼ばれたので、三人とも肩を震わせた。


「開けて」


 テオドールが言うと、衛兵たちが扉を内側から開けた。


 転がり込んできたのは、今朝戦場に出ていった騎士団の幹部のうちのひとりだ。


「ご報告申し上げます!」

「どうした」

「援軍です」


 思わず笑みを浮かべた。


「デラフト公国が――」

「いえ、違います」

「え?」

「パランデ王国騎士団です」


 ロビンが人知れず拳を握り締めた。




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