第22話 次男にはいろいろありますよ

 堅牢な渓谷の中天空に浮かぶようにそびえたつ城砦はそう簡単には陥落しない。だがだからといって永遠に籠城していられるわけでもない。いつかどこかで包囲網を蹴散らさなければならない。


 オットーはデラフト公国からの援軍の約束を取り付けた。亡き妻マグダレーナの実家だ。


 デラフト公国騎士団はすでにこちらに向かってきているという。


 合流のタイミングを見計らって、明日、川の向こうの平野で会戦を始める。


 ナスフ侯国騎士団が五千騎、デラフト公国騎士団が三千騎。


 対する反パランデ王国同盟の騎士団は総計七千騎だ。


 勝てない戦ではない。


 しかも、こちらには帝国最強がいる。


「相手は烏合の衆だ」


 アーノルドが馬の手綱を引きながら言った。


 城の厩舎でアーノルドが馬の手入れをしている。


 明日戦場に行くためだ。


 レギーナは不安でほとんど眠れていなかった。


 兄は強い。誰よりも強い。しかもナスフ侯国の騎士団はファルダー帝国最大規模の軍隊だ。負けるはずがない。


 そうは思っていても、万が一のことはあるのではないか。


 兄の顔を見上げる。


 兄が苦笑する。


「そんな顔はするな」


 手綱を離し、柵に取り付けられた鉄の突起に回してかけると、彼は両手を伸ばしてきた。

 右手でレギーナの左頬を、左手でレギーナの右頬を包む。


「心配しなくていい。お前は――お前たちは俺が守る」


 兄の額がレギーナの額にぶつかる。

 動物が親愛の情を示すためにするようなそんな仕草に、レギーナはまた泣きそうになってしまった。


「命を懸けて戦う。敵国の騎士はひとりもこの城に近づけさせない」

「本当に? その――」


 死んだり怪我をしたりしないで、と言おうとして呑み込んだ。口に出したら現実になってしまう気がしたのだ。

 どんな状況であっても、そういう単語を言ってはいけない、と思った。

 言いたいけれど、胸の中にとどめておく。

 ただ、祈る。

 無事でありますように。


「命なんか懸けなくていいよ」


 言ったのはテオドールだ。

 アーノルドはレギーナを離してテオドールのほうを向いた。レギーナもテオドールのほうを見た。


「兄上、前に言っていたでしょう」

「何をだ」

「戦場では死ぬ気で戦う奴から死ぬ」


 レギーナが先ほど控えた単語を、テオドールははっきりと口にした。


「死ぬ気で戦わないでほしい。生き残る気で戦ってほしい」


 だがテオドールは何もためらっていなかった。

 末っ子のくせに大人ぶって、両手を腰にあて、胸を張っている。その様子は力強い。

 彼がいつの間にか少年から男性に育っている気がして、レギーナは、嬉しいやら悲しいやら、いろんな気持ちがないまぜになっていくのを感じた。


「絶対に。多少かっこ悪くても、生きて戻る、と。約束してほしい」


 テオドールのその言葉に、アーノルドは頷いた。


「そのとおりだ。奴らには腕の一本も譲らないぞ」

「そうそう、その意気だ」

「生意気なことを言う奴だ。帰ってきたらおぼえておけよ」

「楽しみにしておいてやるよ」


 そしてふと、息を吐く。


「兄上の留守中は心配しなくていいよ。……僕がいるから」


 レギーナは感動のあまり声を漏らしそうになるのをこらえた。


 ようやくテオドールが覚悟を決めてくれた。

 テオドールはこの城に残ることを決意してくれたのだ。この城を守る決心をつけてくれたのだ。おそらく生涯にわたってここの城主として振る舞うことを誓ってくれる気なのだ。

 これでアーノルドを真の意味で安心させることができる。


「兄上は好きに戦うといいよ。帰ってきた時の居場所は確保しておいてあげるから。後顧の憂いのないようにね」


 アーノルドもテオドールのそういう覚悟に気がついたようだった。少しの間、瞬きをしながらテオドールを見ていた。


 ふ、と微笑む。


「頼りにしている」


 テオドールもレギーナも、しばらくアーノルドを見つめていた。


「うらやましい」


 そんなテオドールとレギーナの後ろで、ロビンが様子を見守っていた。

 彼はそれまで無言で三兄弟の様子を眺めていたが、三人とも黙ったので発言を許された気がしたのだろうか。


「僕もそれくらい兄上に頼られたかったです」


 テオドールが振り向き、首を横に振る。


「諦めるのはまだ早いですよ」

「そうでしょうか」

「だって王子、兄上様に頼りにしてほしいと直接おっしゃったことはあります?」


 問いかけると、ロビンは笑みを消した。

 テオドールとロビンが真正面から向き合う。


「言ってみないことには。弟は兄と喧嘩しなければなりませんよ」

「ずいぶんはっきり言いますね」

「僕は兄にきちんと話しても理解してもらえなかったということがないので自信があります。王子にそういう自信がないのならば不幸なことだと思います。ですが、だからといって同情はしませんよ。兄に譲ることだけが弟のすべき努力のすべてではありませんからね」


 語気が荒々しくなっていく。


「負けるな。怠るな。譲れないことは絶対に譲るな」


 ロビンは思うところがあるのか、大きく頷いた。

 それを見たテオドールも、頬の力を緩めて、ロビンに微笑みかけた。


「次男にはいろいろありますよ」


 いつかどこかで聞いた台詞だった。


「そう。次男にはいろいろあるのです」


 アーノルドが「いや長男だっていろいろある」と言った。


「長男だからやってこれたことはたくさんあるぞ。次男のお前らの想像以上にな」


 テオドールがからっとした笑い声を上げると、つられたのかロビンとアーノルドも笑った。


 レギーナは緊張がほぐれていくのを感じた。彼らが大丈夫なら自分も大丈夫だと思えた。


「本当は」


 ロビンがアーノルドに言う。


「僕も連れていってくださいと言おうと思っていました。前にも申しましたが、僕も腕におぼえがありますので。あなたのお役に立てると、レギーナのために戦わせてほしいと、言うつもりでした」


 彼が言わんとしていることを察したのか、アーノルドは先回りして頷いた。

 しかしロビンは改めて自分の口で告げた。


「僕はこの城でレギーナとテオドール君とあなたの帰りを待ちます。そしてなんとかして兄上と連絡を取れないか挑戦してみます。あなたがた三兄弟を守るために、僕は僕なりの戦い方で、最善を尽くします」

「ああ」


 アーノルドがはっきりした声で言う。


「よろしく頼む」


 ロビンは再度頷いた。


「戦場で干戈かんかを交えることだけが戦うことではない」


 遠くからアーノルドを呼ぶ声が聞こえてきた。父オットーの声だ。

 四人が声のしたほう、館の出入り口のほうを向けると、甲冑の下に着る特別な肌着の姿で、オットーがこちらに歩み寄ってきているところだった。


「なんだ、お前らここで集合していたのか」

「父上は甲冑の手配か?」

「ああ、お前もと思ったのだが――」


 四人の顔を順繰りに眺めて、ふと、笑う。


「そうしていると四人兄弟みたいだな。お前らは四人ともよく似ている。四人ともマグダレーナ似だ」


 他の誰でもなく、ロビンが嬉しそうに笑った。


「明日は夜明けとともに出るぞ」

「父上も行くのか」


 オットーの大きな手がテオドールの頭を叩くようにぽんぽんと撫でる。


「すべてお前に託したぞ」


 テオドールが「任せとけ」と答えた。


「レギーナ」


 名を呼ばれて、レギーナは素直に「はい」と返事をした。


「頼る時は、頼れる者に、頼るものだ。お前はけして、ひとりではないのだから」

「はい!」





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