第14話 兄より先に弟妹が結婚するのはどうなのかという話

 友人から手紙が来た。

 婚約をしらせる手紙だった。


 レギーナは片手でペンを回しながらどんな返事を書こうか悩んだ。


 こう見えてレギーナには結構友達がいる。


 ナスフ侯爵の娘として近隣の同盟国に人脈を作っておきたい、という両親の教育方針のもと、レギーナは小さい頃から父母にくっついてあっちこっちに外遊に出かけたものだった。母の存命中は城で舞踏会を開いたこともある。


 貴族社会のしきたりにとらわれず――というつもりではないのだが、なぜか自然とこうなってしまって――明るく元気なレギーナだ。同性の友達はそこそこできた。下品だと言って蔑む人間もいて、男ウケは非常に悪いが、レギーナの相手をしてくれる人間はいないでもない。


 とはいえ、誰もがみんな基本的にはお姫様である。年がら年中遊んでいられるわけではない。

 ましてこんなお年頃。どこそこの家のだれそれさんとどこそこの家のだれそれさんが婚約して、結婚して、子供ができて、という話題ばっかりなのである。


 今日の手紙もそうだ。レギーナにぜひとも婚約おひろめパーティに来てほしいという。


 友人の幸福を祝いたい気持ちは強い。喜び勇んで行きますと返事をしようと思った。


 が、そこでふと、手を止めた。


 そういえば、自分とロビンの関係はどう説明したらいいのだろう。


 レギーナはすっかり結婚する気になっていたが、自分たちはまだ正式におひろめ会をする関係ではなかった。


 自分も友達に婚約をしらせる手紙を書きたい。そりゃあもうあっちこっちに言いふらして逃げられないようにロビンをがんじがらめにしたい。

 けれどさすがにそこは貴族の娘として理性がある。まずは、両家の親の許しを得て――


 そこまで考えて、レギーナは思わず「あ!」と叫んでしまった。


 自分の部屋から出て、塔の階段を駆け下り、母屋に向かう。また階段を駆け上がり、母屋の中央に位置する父の部屋に突撃する。


「たのもう!」

「おう!」


 父の部屋では、父オットーがせっせとリハビリに励んでいた。左右の手に鉄のおもりを持った状態で部屋の端から端まで歩いている。さすがはナスフ家当主、根性は一級品だ。


「どうした!」

「聞きたいことがございますのお父様!」

「何だ、言ってみろ娘よ!」

「私とロビン様の婚約の件、ロビン様のお父様とはどこまで話が進んでいるの?」


 オットーは歯を見せて笑った。


「何も進んでおらぬ! がはは!」

「がははじゃない!」

「焦るな焦るな! 焦っても何にもよいことはないぞ!」

「焦りもするわよ、今日もお友達からご婚約のおしらせが来たのよ!?」

「めでたい!」


 能天気なことこの上ない。しかしこれこそが本来の彼の姿である。怪我でしゅるしゅるしぼんでいた彼が復活しつつあってよかった。

 とかなんとか言ってる場合じゃない。


「わたしだけ行き遅れなんて悲しいじゃない! わたしにだってちゃんとしたお相手がいることを報告したいわ! 言いふらしたいわ! 帝国の隅から隅までロビン様を引きずって歩いてわたしこの方と結婚するのよと叫びたいわ!」

「さようか! 我慢せい! 八つ当たりならばされてやる!」


 宣言どおり八つ当たりしてやろうと思い、レギーナは父の腹に蹴りを入れた。父は「ふぬ!」と歯を食いしばると、鍛えられた腹筋で耐え切った。強い。


「え、どうして? ご本人はいいとおっしゃっているのに。わたしにはわからない何か込み入った事情があって?」

「それが細かいことは俺にもわからんのだ。大雑把に言うと王と王妃、つまりロビン王子の父上と母上の間でうまく話が進んでいないという話なのだが」


 顔をしかめる。


「何の話が進んでいないですって?」

「その筋の情報によると、長男のケヴィン第一王子がまだ独身で、先に弟のロビン第二王子を結婚させるのがどうかという話になっておるようでな。手紙でやり取りした感触ではお父上であるパランデ王は気色よかったのだが、お母上が嫌がるのでは仕方があるまい」


 父がつんと外を向いて「よそはよそ、うちはうち」と言ってのけた。レギーナはますます眉間のしわを深くした。


「なに悠長なことを言っているのよ、結婚したら姻戚じゃない。ぜんぜんよそじゃないでしょ」

「それが実はパランデ王もその王妃も直接会話をしたことのない相手でな」

「ええ……よくもそんな相手の息子に大事な娘をやる気になったわね」

「俺もよもやよいと言ってくれるとは思わなんだ」

「おいおい」


 床に鉄のおもりを置き、やれやれといった顔でベッドに腰を下ろす。


「レギーナ、こっちに来い」


 レギーナも隣に座る。


「俺としては兄弟の誰から結婚しても別に構わんと思うが、お前とてお前より先にテオドールが結婚したらどう思う」

「さすがあの子やるわね、って感じ。あの子はうまくやるわよ」

「……まあ、そうかもしらんな、お前たちの場合は。……まあ、まあ、世の中には兄弟順を気にする家庭もたくさんあるということだ」


 そう言われてから、はっとした。


「今気づいた!」

「ほいきた!」

「わたしが先に結婚して、アーノルドお兄様はどうなの?」

「気づいてしもうたか! わはは!」

「わははじゃない!」


 アーノルドはレギーナの十個上、今年二十七歳である。年齢で考えるならとっくに結婚していてもいいはずだ。あんなでも一応帝国最強の騎士だし、黙っていれば顔はいい。どんなに脳味噌筋肉でも服を着て口を閉じていればそこそこ見られると思うのだ。


「アーノルド自身が望んでおらぬからな。俺は子供に結婚を無理強いしたくないのだ」


 そして遠くを見る。


「アリアにもマグダレーナにも苦労させてしまった。あのふたりが幸せだったかどうかはついぞわからぬままだ。そういうことをアーノルドも気にしておるのだろう。お前が考えている以上にアーノルドにとっての結婚は重いものなのだ」


 アリア、というのはアーノルドの生母の名だ。美しい黒髪に豪放磊落な性格の人だったという。

 彼女はレギーナが生まれる八年前に亡くなっている。しかも当時は相当評判が悪かったらしく、父のほかに彼女のことを語る人間はいない。アーノルドも彼女が亡くなった時二歳だったというから、きっと記憶にない。


「お前とテオドールがまっすぐな子に育ったことを確かめてから逝ったのだと思うと、マグダレーナは天国でもそこそこ安心してくれているのではないかと思うが――」


 レギーナとテオドールの生母マグダレーナは、三年前病で命を落とした。

 その少し前から胸にしこりができたと言っていた。医者が言うにはそのできものが内臓のあちこちにできて全身を蝕んだのではないか、とのである。


 今でも悲しいには悲しいが、彼女の最期は家族全員で看取った。思い出すとまた涙が出そうになるけれど、城の片隅でオットー以外の誰にも望まれずに出産して亡くなったアリアよりはマシな最期かもしれない。


「アリアのことはさっぱりわからん。せめてアリアの産んだアーノルドは幸せにしてやりたいと思うものの、何があやつにとっての幸福なのだろう」


 聞いていて寂しくなってきたので、レギーナもしゅんとうなだれた。


「本人の言うままに剣術と馬術はさせてやったが、今となってはそれもよかったのかどうか。あの子が戦場で自暴自棄を起こして戦死してしまいやしないかとひやひやすることになってしまった」


 何もかも父の言うとおり。レギーナもまったく同じ心境だ。


「まったく女っ気がないのもテオドールに遠慮してのことだったら悲しいことだな。テオドールも納得しないであろう」


 ふたり揃って溜息をついた。


「そうよ、テオドールだって心配に決まっているわ。わたしだって。わたしたち姉弟がお兄様より先に結婚するの、わたしたち姉弟のほうが傷つくわよ」

「うむ」


 父がまたしぼむ。


「すまんな、俺がふがいないばかりに。俺にもっと人望があったらアーノルドに良い嫁を連れてきてやれたのかもしれぬが……やはりこの狭い貴族社会ではアーノルドが庶子であることを気にする者もあるからな……」

「そうなの……」

「なんならテオドールは爵位を相続することを見越してすでに見合い話が来ておる。これはまたどうしたものか。頭が痛くなってきた……」


 せっかくリハビリに精を出してくれるようになったのに、ここでまた落ち込んで寝込まれてはかなわない。レギーナは必死に笑顔を作った。


「そう。では、お兄様の生まれを気にしないお嫁さんを連れてくればいいのね?」

「何を言うとる」

「わたし、お兄様のお嫁さん探しをするわ。こう見えてわたし顔が広いのよ。お母様が作ってくれた女同士の横のつながりもある」


 父は少しの間レギーナの顔を眺めていたが、ややして頷いた。


「そういう女同士のあれこれはマグダレーナが死んでからとんと離れているからな。お前がそう言ってくれるのならば百人力だ」


 お父様の許しを得たぞ。


 レギーナは立ち上がり、「やったーがんばるぞ」と言いながら肘を曲げ、二の腕に力を込めた。父が「力強い娘だな」と歯を見せて笑った。




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