第5話 研究者は森の中で〇〇を揉む


 妨害にもめげずに石芋を頬張るロイフェルトに、とうとうトゥアンは癇癪を起こす。そこでようやく「はぁ……」と溜息をつきながら、覚めた目で少女に視線を向け、口を開くロイフェルト。


「対価を払わない人間に施す余裕なんて無いよ」


「い、今は無理ですけど、かかか必ずお返しはしますから……お願いしましゅ」


 言葉を噛んでまた赤面し、トゥアンはつつーっと視線を外した。


 保護欲を掻き立てられそうなその仕草にも、しかしロイフェルトの心は動かない。


「今ここで対価を払えないならこの話は無かった事に……」


 と言いつつ石芋にかぶりつこうとするロイフェルトの腕を、トゥアンはぬぐぐと言葉を詰まらせながらわしっと掴んで止める。一旦目を瞑って俯き、己の心に決心を付けたようにカッと目を見開き顔を上げると、マントの留具を外してパラリと落とし、ガバッとシャツの裾をずり上げて、その胸元を露出する。


「分かりました……背に腹は替えられません! ああああああたしの身体を好きにしてい……じじじじゃなくて」


「別にいらない。好みじゃないし」


「そそそ即答ですか!? しかもみなまで言わせずに?! いい言い間違えたからよかったんですが……」


「俺は年上で貧乳に苦悩して涙目になるような女が好きなの。露出癖のある同年代の女には興味はない」


「ろろろろ露出癖なんてなななないですぅぅぅぅぅ!!」


「今まさに露出してる人間の言葉とは思えないね。全く説得力がないんだけど?」


 虫けらを見るような目で少女を見やり、にべもなくそう言い切るロイフェルトの言葉に、トゥアンは自分の格好を思い出し、更に赤面しながら服の裾をガバッと戻して口を開いた。


「きゃいぃぃぃぃぃ!!! こここここれは露出ではなく……ととと言うか、見たんですからそそそそこは考慮してくれても……」


「見たんじゃなくて見せられたんじゃん。大体普通、見せるならボタン外して上からガバッ……じゃない? 色気もクソも無いそんな見せ方で、俺の大事な食糧は渡せないね」


 上から目線で見下すような態度のロイフェルトに、トゥアンは暫し熟考する様に押し黙り、そそーっと伺い立てるように問い掛ける。


「……上から見せたら食糧分けてもらえます?」


 ボタンを外しながらそう言うトゥアンを、煩わしそうに見やり、ロイフェルトはため息を吐きながら子供を追い払うようにシッシッと手を振る。


「そもそも好みじゃないって言ってるだろ。何しようが対価がないなら渡せないね」


「だだだからお金ないんですぅぅぅ!」


「なら諦めろん。俺の心は情や痴態じゃ動かんよ」


「ちちち痴態って言わないで下さいぃぃぃぃぃ!! いいいい一応男子学生の間ではそこそこ人気あるんですぅ! がが学園内美少女ランキングでもそこそこ上位に入ってて……たた確かに平民出ですからこここれ以上の上位はむむ難しいかもですが……ままままだ誰にも見せた事なかったんですよ!? こここれだけ、かか身体張ったのに!! ……ここここれを逃したら次何時ご飯にありつけるか……くるみパンも売り切れてるし……グスッ……踏んだり蹴ったりですぅ……」


「……ま、チームに入ってるなら誰か助けてくれるんでない? 見ず知らずの俺に痴態見せるより、チームの仲間を頼りなよ」


 くるみパンのくだりでピクンと反応しかけだが、ロイフェルトは敢えてそれを押し殺してそう返す。


「ちちちち痴態って言わないでください! いいい今のは溺れる者は藁をも掴む的な……そそそそもそも誰にでもあんな事する訳じゃないです! いい一応、人のなりくらいは図れます! 特待生で学園内ではある意味有名人のロイフェルトさんがリスクを顧みずに無体な事をするとは考えられませんし……チームのみんなに頼んだら、足元見られて見せるだけでは済まなくなるのは確実です……」


「衝動的な行動する割には、意外に現実的な思考を持ってるんだね……あざといけど」


「うぐ……空腹で思考が短略傾向に陥っていたところに、労せず食糧を得られる可能性に出会って飛びついてしまったんですぅ……」


 カクンと頭を垂れるトゥアンに、ふむ……と軽く頷くと、ロイフェルトは突然少女の胸を(服の上からではあるが)わしっと掴む。


「ひにぃぃぃぃぃ! ななななななな一体何するんですかぁぁぁぁぁ……あ? え?」


 胸元を抑えながらザザーッと後退るトゥアンに向かって、ロイフェルトがポイッと何かを投げ放ち、少女はそれを反射的にキャッチする。


「乳いち揉みの対価。それ食ったら後は自分でなんとかしな」


 トゥアンは、手元に収まった石芋をポカーンと見やり、次いで唖然とロイフェルトに視線を向ける。


「……ふた揉みなら2つ貰えます……じょじょじょじょ冗談ですぅぅぅぅぅ!」


 沸き上がる殺気に、慌ててトゥアンは飛び退り、取られてなるかと石芋を抱え込んで頭を下げる。


「あ……あの……あああ有難くいいい頂かせていただきます!」


 取り上げられたら事だとばかりに急いで皮をむくと、おもむろにポーチから小瓶を取り出し、平たい匙で中味を掬うとそれを剥いた石芋にポトリと落とす。


「いただきます!」


 にっこり笑って八重歯をキラめかせながら、がぶりと石芋に齧り付くトゥアンに、ロイフェルトは愕然とした視線を向ける。


「君……な、なんでバター持ってるって言わない!」


「ひゃいぃぃぃぃ!! こここここれは実家直営の牧場からとと取り寄せてるバババターで、べべべ別に商品ってわけじゃないので……」


「……君、確かストリーバ商会の末の娘さんだったよね?」


「へ? あああああたしの事知ってるんですか?」


「王国随一の商会の血筋の人間を知らない方がおかしいよ。つーか、商人の娘ならそのバターの価値くらい分かるよね? バターを元手にお金を得ればわざわざこんな所に危険を冒してまで食糧調達に来る必要なんてないでしょ? いや、そもそも実家金持ちなんだからお金に困ってるって時点でおかしいな。まさか家を飛び出して……いや、それじゃ学園入学自体あり得ないか……総合学科? なら冒険者か特殊護衛官志望……」


「あ……いいいいえ、そんな難しい話ではなく……我が家の家訓で、自らの才覚を磨くため学生の間は実家からの支援を最低限にして自分で稼ぐ事になってるんです。学生の間に稼いだお金は、まるまる卒業した後に立ち上げる自分のお店の運転資金に回せるんですが……あ、あたし商売の才能無くて……きょきょ極力無駄を省いて節約する事で資金を貯めているので、月末になるといつもしししし資金難に襲われてて……」


「そのバターを売れば?」


「こここれは、その……まだ量産する目処が立っていないんです。そそそそそれに牧場に家には内緒で届けてもらっている試供品で……下手に売ったらそこから足が付いてあたしがこっそり横流ししてもらってるの実家にバレちゃいますぅ……」


 そう言いながらこめかみに汗を滴らせ、そっと視線を外すトゥアン。


 ロイフェルトは、ふむ……と腕を組み思案する。芋にバターは鉄板だ。それはもう揚げ物にビールくらいの鉄板なのだ。そんな鉄板が目の前にあるのにそれを逃す愚行を犯すわけには行きますまい……そう、自分に言訳しながら、ロイフェルトはトゥアンに提案する。


「そのバターひと匙と石芋1個交換はどう?」


「ええっ?! いいいいいいんですか?! しますします交換しますぅぅぅ!」


 文字通り飛び上がって喜びを表現するトゥアンに肩を竦め、少女に気付かれないようにそっと溜息をつく。


(商売が下手ってのはホントみたいだな。疑いも交渉もせずに即決って……まぁこっちは助かるけど)


 トゥアンの先行きに不安を感じながらもひとつ石芋を手渡し、互いに石芋の皮を剥いてそれぞれバターをひと匙乗せる。乗せたバターが石芋の上で程よく溶けていく様を見ていると、そんな不安はどうでも良くなり、全て思考の彼方へと放り投げた。


 美味しいは正義。美味しいを妨げるものは死するべし。


 二人は、石芋とバターが奏でる薫りのハーモニーに全てを委ね、一頻りその薫りを愛でると大きく口を開いてがぶりと齧り付いた。


 ホクホクとした石芋の食感と甘さを、バターの脂と塩気、そしてバターそのものが持つ風味と薫りが何倍にも惹き立ててる。


「はぁ……幸せですぅ……石芋がこんなに美味しくなるなんて……」 


 トゥアンが恍惚とした表情でそう呟いたのは、一般的には調理方法が伝わっておらず、石芋が食材とは見なされていないからだ。石芋の皮は並の刃物なら傷一つ付けられないほど硬い代わりに熱に弱く、直接火にかけたりフライパンで焼こうとすると直ぐさま燃え尽きあっという間に炭化してしまう。鍋で茹でようとすると、皮と一緒に中身が溶け出し、強烈な苦味が汁に流れ出てしまうのだ。


 正しく調理するには、直接火にかけるのではなく間接的にしかもある一定温度を保って一定時間加熱し続けなければならない。なので火加減が難しく、熟達した料理技術を持つ料理人か、卓越したマナ操作を持つ者でなくては食べれる状態にすることもままならない。間違っても、水辺のBBQもどきで気軽に食べられる食材ではないのだ。


「こんなに美味しい食べ物がこんな身近にあるなんて思いもよらなかったですぅ」


「いや、君のバターも異常だよ? 何このバター。原料の乳が良い所為か、バターなのに脂肪がくどさを感じないし、塩分も絶妙だし……と言うか塩そのものも深い味わいだよね? 雑味のない丁寧に精製された塩だよねこれ。原価いくらさ」


 そう口走らずにはいられない程の衝撃を受け、ロイフェルトは唖然とした表情でトゥアンに視線を向けた。


「こここ高級路線で上級貴族向けに作ってるバターなんです……だ、だから一般には出回ってなくて……ここここの事はご内密に……」


「……ま、たまにこうやってご相伴にあずかれれば俺は何も言わないよ」


「そそそそれはもう……こ、このバターの価値と味が分かるロイフェルトさんになら……人によっては気軽に瓶ごとよこせだなんて無茶言ってくる人もいるので迂闊に人前では使えなかったんですよねー……」


 死んだ魚のような目で遠くを見るトゥアンの様子に、少女が今までどのように扱われていたかを悟り、そっと涙をちょちょ切らせるロイフェルトであった。

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