第4話 研究者は森の中で少女と出会う


「……んぐぐ……あの女……今度絶対泣かせちゃる……」


 肩を怒らせ歯ぎしりしながら、ロイフェルトは学園構内より外に出て、隣接する森の中へと入り込む。


 この森は学園の私有地で、奥深くまで足を進めるとダンジョンへと通ずる一種の魔境だ。森の奥には魔物も数多く棲息するので、騎士や遺跡探索者を目指してこの学園に入学した生徒にとっては実技研修の実施場所でもある。


 魔物以外の動植物も豊富で、そこらに野草や木の実、果物などが自生しているので、経済状況が逼迫している生徒にとっては、タダで胃袋が満たされるある種の宝物庫として人気を博している。


 ただし、当然森の中は危険に満ちている。魔物の襲来がいつあってもおかしくないし、食材とされる植物にも毒がある物も少なくない。


 一応、魔物除けの結界が張られ、森に入る前の基礎研修の段階で命に関わる毒物に関しては教えこまれるが、危険を察知する事も訓練の内との考え方が学園にはあるので、結界はあまり強力なものではなく、毒物の知識も本当に命に関わる物だけでそれ以外は身を持って知れといったスタンスだ。怪我人や毒に侵された生徒が出れば、治癒系魔道士の格好の実験台となる。


 そんな訳で、この森にひとりで入る者はあまり居ない。ひとりで入れば狩った獲物や採集品は独り占めする事ができるが、それよりも複数人で入った方が狩りも採集も効率が良いからだ。命を危険に晒すリスクも減る。中にはチームを組んで定期的に森に入り、魔物や薬草の類から得られる素材で多くの稼ぎを得る者もいる。


 しかしロイフェルトは基本ひとりで森へと入る。平民出であるロイフェルトをチームの一員として向かい入れる物好きな貴族は今のところスヴェン以外にはおらず、実は爵位持ち上級貴族の嫡男であるスヴェンが稼ぎの為に森に入る必要は皆無である為、授業以外でチームを組むことは稀だ。同じ平民の生徒は、貴族階級が所属する学部に通うロイフェルトの事を仲間だとは思っておらず、声を掛けるだけで嫌な顔をされるので、今はもう彼らとチームを組もうという発想すら無い。


「さてと……」


 ロイフェルトは足を止めると腰に巻いたウエストパックに手を回し、中から金属の棒を取り出した。棒の先は細長いU字の形にわかれており、見る人が見ればそれが音叉であることが分かるだろう。


 更に腰の後ろに差している特注のサバイバルナイフを取り出すと、それを音叉に軽く当てる。


 キィィィィィン……


 甲高くか弱い金属音が鳴り響き、森の中へと消えていく。


 目を閉じ音叉の響きに意識を凝らしていたロイフェルトは、安堵の吐息を洩らして歩き出した。


(近くに魔物はいないみたいだな。あっちの方なら他の生徒も居なさそうだ……)


 そう心の中で呟くと、音叉を戻してナイフは手に持ったまま森の中を移動する。


 ロイフェルトが行ったのは、音波に自らのマナを乗せて周囲を覗う探知魔法の一種だ。普通は、呪文の詠唱や魔法陣を描き出し魔法を構築するのが一般的だが、彼はこの学園の門徒を叩くまでは呪文を唱える際に使われる神聖言語や、魔法陣に使われる神代文字に馴染みがなかった為、物理現象に自らのマナを乗せて魔法現象を引き起こす術を自然と身につけたのだ。


 この術は通常では考えられない程の繊細なマナ操作を必要とする為、呪文や魔法陣で自動的にマナが操作される普通の魔法に慣れている他の魔道士では再現が難しい。しかも神聖言語や神代文字を理解して魔法に繋げたほうが応用性も高い為、ロイフェルト以外で使おうとする人間は他にいない。


「お……石芋だ」


 そう呟いて、ウエストパックから小型のシャベルを取り出し土を掘り起こす。


「塩とバターを絡めると美味いんだよなーこれ」


 ロイフェルトが掘り起こしたのは、子供の拳くらいの大きさのデコボコと歪な、石に似たその名もずばり石芋で、硬い皮がナイフの刃すら弾き返す上に直接火にかけると直ぐさま炭化してしまって素人には調理の難しい食材だ。掘り起こされた根っこにその石芋が沢山連なっているのを眺めながら、ニヘラニヘラとだらしない笑みを浮かべ、それから他に何かないかとキョロキョロ辺りを見渡して、更に茸と果物を収穫する。


「こんだけあれば大丈夫かな」


 ホクホク顔で呟くと、周囲を取り巻く探知魔法の残滓に更なるマナを送り込み、近くの水場とそのルートに魔物や生徒がいないか確認しながら川の辺りに移動する。薪用の手頃な枯れ枝を拾いながらたどり着くと、ロイフェルトは直ぐさま調理する為の準備に入る。


 まずは土を掘る。そして枯れ枝を拾う時に一緒に拾った大きめの葉っぱで石芋や茸を包んでその穴に埋め土を被せる。更にその上に拾って来た枯れ枝を組めば準備完了だ。


 他の生徒であれば、直ぐに魔法で火をおこすであろうが、それが出来ないロイは、ウエストパックから火を点けるための道具を取り出す。


 見た目は人差し指くらいの細長い棒だ。棒は筒状になっており、その中には形を加工された2つ魔石が組み込まれている。棒の持ち手のところにボタンが取り付けられており、そのボタンを押す事で筒の中の魔石が勢い良くぶつかり、微かな火花が生み出されるのだ。普通であればその程度の火花では、なんの効力も生み出さない。火花が弱すぎて物を燃やす程の炎を作り出すには至らない筈なのだ。


 しかしロイフェルトは、組み上げられた木の枝にその棒の先っぽを差し込むように向けると、持ち手のボタンをポチッと押した。


 筒の中ではカチッと魔石がぶつかり合い、火花が微かに生み出される。生み出された火花は、ロイフェルトのマナを取り込んで親指の先ほどの大きさの炎となって棒の先から噴き出した。


 炎は木の枝に燃え移り、次第にその大きさを増していく。蒸し焼き用の焚き火の完成だ。野外作業に慣れた人間であれば誰もが簡単にできる作業に見えるが、実はロイフェルトでなければこの方法で石芋の調理は難しい。マナを使って微妙な温度調整を行わなければならないからだ。


 ロイフェルトは、棒の先から火を消して、軽く川の水で先を冷やし水滴を拭き取ると、ウエストパックの所定の場所に差し戻した。ついでにパックの中から塩を取出し準備万端焚き火に見入る。流石にバターまでは持ち歩いていないようだ。


 パチパチと火に焚かれる木の枝が爆ぜ、組み上げられた形を崩して燃え尽きるのを今は遅しと眺めてじっと待つ。石芋の調理に逸る気持は禁物だ。火加減を間違えれば皮の内側の身がグズグズと崩れてしまう。


 すると突然、背後からガサッと草葉が揺れる音が鳴り響く。


 ロイフェルトがビクッと肩を震わせ、慌てて振り向くと、そこには眼鏡姿の一人の少女が、ロイフェルトの勢いに怯えたように立ち竦んでいた。


 大きな眼鏡とくすんだセミロングの赤毛が特徴的な小柄な少女で、オーソドックスなバスクベレーをその赤毛にちょこんと乗せ、使い込まれた革のマントで身を包み、魔法発動を補助する初心者用のマジックロッドを小柄な身長に反して豊満な胸元で握りしめ、涙目でオロオロとしている様は肉食動物の前に迷い出た小動物を彷彿とさせる。


(しまった……石芋に夢中で気付かなかった……)


 内心舌打ちをしつつ、無表情に少女を見やるロイフェルト。そんなロイフェルトの様子に怯みつつも、なんとか勇気を振り絞って少女は口を開いた。


「あああああの……魔道士育成学科のロイフェルト・ラスフィリィさんですよね……」


「……」


「ああああああたし……あたし、一般総合学科1年のとぅとぅとぅトゥアン・ストぎゅるるるるる〜……でふ……」


「……プッ……」


 自己紹介の途中で強く自己主張を果たした下腹部を抑えながら、目尻に涙を浮かべたまま視線をつつーっとそらし、顔を真っ赤にして黙り込んでしまった少女に、無表情を装いつつも思わず息を吹き出すロイフェルト。小さな吹き出しだった上に視線を外していたトゥアンには、ロイフェルトが反応した事に気付く事は出来なかった。


「……」


「……」


「……」


「……」


「……」


「……はぁ……」


 ふたりの間に吹き込む微妙な空気の奔流に、ロイフェルトは遂に耐え切れなくなり大きく息を吐いた。それにトゥアンがビクッとまた肩を震わせる。


 そこで、バチッと大きく音を立てながら、組み上げられた木の枝が崩れ、炎が一瞬大きく膨らみ、そして次第に小さくなってやがてパチンと燃え尽きた。


 それを横目で見ながら無言で見つめ合っていたふたりだったが、ロイフェルトは肩を竦めて少女への関心を遥か彼方へ放り投げると、彼女からぷいっと視線を外して、土を掘り起こして葉に包まれた石芋と茸を取り出し始めた。警戒心より食欲が勝ったようだ。


「あ、あの……あたし、チームからはぐれて……」


 ゴクリと生唾を飲みながら包みを開ける。


「もも森に入ったのは、食材を探して……」


 食材と包みにした葉の香りが混じり合い、焼ける時の香ばしい薫りとはまた違う、旨味が濃縮されているような食欲をそそる豊潤な薫りが、周囲に立ち込め撒き散らされる。


「(ゴクリ)……そ、その……お金も無くて……」


 目を瞑り、漂う香りを、まるでそれすら自分の物だと主張するかの様に鼻の穴を大きく広げてススーッと吸い上げる。


「きき昨日から何も食べれてなくて!」


 その薫りに満足気な笑みを浮かべ、ほっとひとつ息をつく。


「……あのー……聞いてますか?」


 更にゴクリと喉を鳴らしながら石芋を取り上げ、アチチアチチと弄び、ヒビの入ったその皮を、ゆでたまごの殻を剥く様にバリンバリンと割り剥がす。


「なっ……それって石芋ですか?! えっ!? どうやって?!」


 皮を剝かれた石芋に、手持ちの塩をパラっと振りかけ、大きく口を開けてがぶりとかぶりついた。


「ちょ!!!!!」


 ホクホクとした食感と、芋特有の甘み、振りかけられた塩が更にその甘みを引き出して、得も言えぬ幸福感がロイフェルトの胃袋を包んでいった。


「あ……ぁ……」


 次いで取り上げたのは、笠が丸い薫り高い茸だ。蒸し上げられた茸は微かに水分が滲みだし、それがまた強い薫りを撒き散らしてそれを嗅いだ者の食欲をそそる。


「ちょ、そそそそそれ高級食材の!!」


 これまたパラリと塩を振り、がぶりと笠からかぶりついた。アワビに似た食感と、噛み締めた瞬間に広がる旨味の奔流、鼻の奥を駆け抜ける森の薫りに、ロイフェルトは意識は翻弄される。


「あ……あ…あ、ああああああ!」


 口の中の幸福が一旦落ち着きを見せたところで、激闘の第二幕を開始するため、次の石芋へと手を伸ばす。


「ちょちょちょちょっとまってくださいぃぃぃぃぃ!!!」


 という叫びに全く関心を示さずに石芋の皮を剥きはじめたところで、トゥアンはたまらずロイフェルトの肩に手をかけガクガクと揺さぶりながら、再度自分の存在のアピールをし始める。


「おおおおお話し聞いてくださいぃぃぃぃぃ! こっち見てくださいぃぃぃぃぃ!! くく空気読んてくださいぃぃぃぃぃ!!! ふ、普通これだけアピールしたら気にかけてくれるものですよね?? 目の前でお腹鳴らした女の子がいるんですよ!? いい幼気な少女が! お腹を空かせて!! こここここは一緒に食べよーって流れになるのが普通って言うか……ちょちょちょお願いですから話し聞いてぇぇぇぇぇ!!」


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