常若


 乙葉おとは首級くびが送られてきた。

 しかも、職場に。


 ふうう、と溜め息を吐く。

 さすがに職場を俺の事情に巻き込みたくはないため、大事を取ってしばらくの間は仮の住まいにて休むことにした。部下やお得意様と言える商人たちからは命を狙われているのではないか──とやたら案じられたが、どうにか誤魔化してやり過ごせた……と思う。変に気を遣われて、護衛でも付けられたら堪ったものではない。

 乙葉の首級を送りつけた相手ははっきりとしていない。出勤したら俺の机にどん、と首桶があったのだ。加えて、誰もそれらしい人物を見かけていないという。

 しかし、俺には大方察しがついていた。


 恐らく──天花の仕業だろう。


 乙葉には、以前俺の身辺を嗅ぎ回っている者について調べて欲しいと依頼した。天花の可能性が高い、とも付け加えて。

 乙葉は二つ返事で請け負ってくれたが、そのせいで彼女は帰らぬ人となってしまった。……いや、首級は帰ってきた訳だが、言葉の綾というものだ。

 不幸なことだと思う。しかし、だからといって天花──いや、まだ決まった訳ではないな。もとい、乙葉の命を奪った者を頭ごなしに恨む気持ちにもなれなかった。


 俺は知っているのだ。乙葉が、天花を奴隷商人に売ったことを。


 彼女は隠し通せていると思っているようだったが、少し考えればわかることだ。それに、俺自身商人と関わる機会が増えたということもある。その気になって調べてみれば、当時日ノ本を訪れていた奴隷商人など山ほど見付かった。もう故郷たる南蛮や大陸へ向かって船を出した者たちがほとんどだったが。

 亡き太閤殿下は日ノ本の民が奴隷として売られることをひどくいとわれたそうだが、やはりあきないの一種ということもあって根絶までには届かなかった。バテレンが追放されたのは、乱妨取らんぼうどりによる奴隷の流出を防ぐという目的もあったのだろう。

 天花の売られた年には青野原で大戦が起こったこともあり、当時奴隷として売られる人は、その他の年と比べて少なくなかったと思う。晴れて天下人となられた徳川家康公もこの状況を憂いたのか、朱印船による貿易で大幅に制限をかけられた。そのため、最近では奴隷貿易が危ぶまれている──という話を聞くことはあまりない。撲滅出来たとは言えないだろうが、下火になったと見て間違いはないだろう。

 何故乙葉が天花を売ったのか、その真意は俺にもわからない。小遣いを稼ぎたかったのか、それとも天花に個人的な恨みがあったのか。落命した彼女を問い質すには、俺も『そちら側』に行くしかないため、真相は闇の中、といったところだ。


「お前は、天花が嫌いだったのか?」


 嵐山。その山深くに、俺は乙葉の首級を埋めた。

 本当なら、足利家に縁の深い場所を墓としてやりたいところだったが、このような訳ありの首級を引き取ってくれるところなど何処にもないだろう。最悪、俺が乙葉を殺めたと勘違いされかねない。そのため、俺は心苦しく思いつつも首桶を抱えて、なるべく人目につかないようにと気を付けつつ、えっちらおっちらと山中へ歩を進めた訳だった。

 乙葉の首級は、うっすらと化粧が施されていた。多少腐臭が漂ってはいたものの、塩でも擦り込まれていたのか損傷はほとんどなく、目にしてもこれといって苦痛を感じることはなかった。まあ、俺はこれでも一応武家の生まれだから、余程の状態でなければ平気だけれども。

 乙葉はともかく、天花は彼女を嫌っていた──というよりは、避けているような行動が多かったように思える。人見知りな天花のことだから、俺としてはこれといった心配はしていなかった。──するまでもないと思っていたのかもしれない。


「……天花」


 何処にいるかも知れない、在りし日の少女の姿を思い浮かべる。

 天花はくるくると表情が変わる娘だった。嘘を吐くことが苦手で、思っていることがすぐ顔に出た。不器用で人見知りで人前に出たがらず、何かあると決まって俺の後ろに隠れていた。

 何度迷惑をこうむったか知れない。何度振り回されたか知れない。俺は天花に母を奪われ、武士としての生き方を奪われ、そして自由を奪われた。


 それでも、憎いとは思えなかった。


 俺にとって天花は、何にも代えられない、ひたすらに守るべき対象であったのだ。彼女を害することは何よりも俺が許さなかったし、彼女は俺を誰よりも信頼した。その信頼が心地よかった。

 天花は俺が守らなければならない。その思いは、今も俺の中でくすぶっている。

 天下人が定まったといっても、大坂にはまだ豊臣家が残っている。そう遠くないうちに滅ぼされるだろうと人々は予想しているようだが、はてさてどう動くのか。ちまたでは牢人が粗相そそうすることも増えていると聞く。

 詰まるところ、まだ真なる泰平とは訪れていないのだ。この日ノ本には、幾多の火種が残されている。

 天花は愚かではないが、さすがに時代の移り変わりを目敏めざとく見極められるだけの慧眼は有していまい。彼女は戦を知らないのだ。その気配を感じ取ることも、容易とは思えない。

 もしも、天花が次なる戦に巻き込まれたのなら。そう考えると、俺は震えが止まらない。

 双子の兄であるさんを殺しておいてこのようなことを口にするのははばかられるが、俺は天花に幸せな人生を送って欲しいのだ。

 あいつは、惨たらしく殺されたり、理不尽に弄ばれたりするべきではない。武家の娘として当たり前の幸せを享受し、子を産み育て、良き妻として生涯を過ごして欲しい。俺が伴侶はんりょになることは、身分の違いから到底不可能ではあるが……。だが、相手を見繕ってやるくらいは出来る。俺は天花のことをよく知っているから、彼女と気が合いそうな男を探してやらなければ。

 そのためにも、俺は再び天花を手元に留め置かなければならない。そうしなければ、今の天花は何処へ飛んで行くかわからないからだ。


 青野原の戦があった年──慶長五年から、七年の月日が過ぎた。


 七年というと、天花はもう二十歳を越えているのか。ふと思い、俺は少女ではなくなった天花を想像してみる。

 あいつはきっと美しいだろう。少女の頃からその片鱗へんりんは見え隠れしていたが、隠されたまま育つような器でもあるまい。

 夫はいるだろうか。いや、奴隷として売られたのだ。望まぬ子を宿していても可笑しくはない。

 天花が理不尽に凌辱される様を想像しかけて、俺は首を横に振った。そのようなことを考えても、誰の得にもならない。俺は天花をはずかしめたい訳ではないのだ。たとえ想像であろうとも、決してあってはならない。

 気が付けば、随分と長い時間その場に立ち尽くしていたようだった。太陽の位置が、家を出た時よりもずっとずれている。

 天花のことを考えると、時間というものはいやに短くなる──ような気がする。天花が売られてから一、二年の間は、夜通し彼女のことを考えて眠れないことも少なくはなかった。天花が生きているか死んでいるかさえわからない自分の無力さに、何度もほぞを噛んだ。

 もしも、天花が生きているのなら。俺のもとへ来るまで、そう時間はかからないだろう。

 何せ職場が特定されたのだ。俺の居どころなど、職場経由でいくらでも掴める。下手すれば、もう押さえられていても可笑しくはない。


「天花、お前は今何処にいる?」


 虚空に向かって、問いかける。

 天花を騙る別人という線も考えられなくはなかったが、何故だか俺は乙葉の首級を送ったのが天花だと確信出来た。長年彼女と付き合ってきた勘か──もしくは、そう思い込みたいだけなのか。何にせよ、俺には天花以外の可能性を選ぶつもりはなかった。


 天花。お前は、俺が憎いか?


 あいつはきっと、乙葉に売られたということを知らない。だから、俺がそうしたと考えているはずだ。

 どれだけ恨まれても構わない。どれだけ憎まれても構わない。俺は、それだけのことをした。

 燦を殺したことは、今でも悪事ではないと思っている。あいつを始末しなければ、さらなる犠牲者が出るところだった。場合によっては、天花にも累が及んでいたかもしれない。あの白子は天花を守りたいだの何だのとのたまっていたが、あいつは結局天花をも追い詰めていたのだ。


 馬鹿な男だ。その白く細い腕で、一体何を守れたというのだろう。


 日が落ちる前に戻らなければ。山はふとしたことで容易に牙を剥く。このようなところで迷いでもしたら、助けなど来ることはそうそうあるまい。

 乙葉の首級を埋めたのは、そこそこ大きな木の下だ。木を少し小刀で削って、墓標の代わりにする。これで、再び手を合わせに行くことが出来るだろう。

 膝についた土を払ってから、俺は帰路を急ぐ。慣れた道だが、油断は禁物だ。

 嵯峨野──とりわけ嵐山近くに居を構えてから、俺は気晴らしに山へ入ることが多くなった。人付き合いに嫌気がさして──という訳ではなかったが、無性に一人になりたい時というものが増えたのだ。天花が側にいた頃はこういった気持ちを覚えることは少なかった気もするが、俺も大人になったということだろう。あまり深く考えたことはなかった。

 程なくして山を抜け、人家もぽつりぽつりと見えてくる辺りに出る。此処まで来れば俺の住まいも遠くはない。あの辻を曲がれば、すぐに──。


「……?」


 誰か、いる。

 俺の住まいへ向かう途中の辻。其処に、何者かが立っている。

 一見して、女のようだった。雨や雪が降っている訳でもあるまいに、衣被きぬかづきを被っている。あまり派手な装いではなかったが、ぴんと伸びた背筋や清潔感のある服装から、清らかでこざっぱりとした、好ましい印象を与えた。

 この辺りでは、あまり若い女を見ない。山に近いこともあり、古来より老人が隠棲いんせいすることの多い土地柄だ。それか、水運の発達によって新たに住まいを構えた者だろうか?

 いや──それとも。

 道筋の途中でもあるので、俺は女へと近付いていく。どうにかその顔を覗き込むことは出来ないか──そう思っていた矢先に、女がつ、と頼りなさげに手を挙げた。


「もし──其処のお方」


 鈴を転がすような、聞き心地の良い声だった。

 声色からして、まだ若い。二十歳を少し過ぎたくらいか、もしくは十代後半といったところだろうか。小柄なことも相まって、後者と考えるのが自然にも思える。

 女はうつむいたまま、細く、然れどよく通る声で問いかけてくる。


「貴殿は……神母坂いげさか常若とこわか殿にございましょうか?」

「……いいや、違うな。そのような者、俺は知らぬ」


 たしかに俺は神母坂常若であった。しかし、現在の職場においては別の名前を名乗っている。

 それゆえに、俺は否定した。かつての俺とは、姿形も異なる。上背は伸び、ひとつにくくっていた髪の毛は切り落とした。旧知の人物か、余程近くで見なければ、俺が神母坂常若と同一人物と気付くことは難しかろう。

 女は押し黙った。──が、それも一瞬のことで、瞬きしない間に彼女は俺の手首を掴んでいる。


「否」


 ずん、と。腹の底に響くような声だった。

 先程とは全く異なる声色に、俺は僅かに気圧される。しかし、此方を見上げる女の顔を確認した瞬間に、聴覚を介した威圧は意味を失った。


「──天花」


 其処にいたのは、紛れもなく天花だ。

 その顔付きには隠しきれないかげがあり、一瞥は鋭く、表情らしい表情は皆無。それでも、彼女が天花だと確信するには十分だった。


「貴様は、神母坂常若だな?」


 是としか言わせぬ問いかけすらも、俺にとっては懐かしさすら込み上げる。

 やはり、来た。天花は、俺のもとへ。

 俺は直ぐ様うなずいていた。焦らすなど、出来るはずもなかった。

 天花はそうか、と相槌を打ってから、俺の手首から手を離す。ひんやりと冷たく、それでいて柔らかいてのひらの感触が遠ざかったことに、俺は内心で名残惜しく思った。


「貴様の住まいへ案内せよ」


 短く告げる天花の眼差しは冷えきり、凍てついている。

 俺はああ、と首を縦に振った。否定という選択肢は、端からなかった。

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