視点・変わります・そして解決編

 「おい、一体これ、どうなってんの?」

  関西出身の御厨は鑑識に尋ねた。さあ? とばかりにクビをかしげた鑑識の係員は忙しそうに動き回るが返事はない。黙々と鑑識作業に余念がないし、一連の動作はよどみがない。事件は彼らを待ってはくれないし、刻々と次の現場が手加減せずに追いかけてくるからだ。刑事に返事などしている暇などどこにもない。


 ワンルームマンションの部屋の真ん中で男が寝ていたと思われる姿のまま右手は掌をひらいていた。そして鋏は背中合わせになってうつむいている女のクビに刺さっている。普通はそういう時は握るのではないだろうかという疑問もないわけじゃない、だがそんなことは些細なことで、寧ろ後から謎だらけになっていくとは誰も思わない。血だまりはあるが争った感じはそんなにないので、凄惨な感じはあまりしない。男のクビには細身の女物の紫のベルトが食い込んでいた。

 どちらも下着だけで、何がどうしたらこうなるのかよく分からない。本当ならコトが始まるか、済んだところのはずだが、寝具は乱れていない。寝具の乱れもお互いの体に情事の痕跡もないのはなぜだろうか? 小田切は首をかしげる。

 部屋の名義は女のもので、この男はどこの誰だか分からない。身分証明ができるようなものを所持していないからだ。スマホを探して鑑識がうろうろしている。男物のバッグが見つからない。最近はバッグを持たない男性が多い、スマホが財布の代わりになり、電車にもタクシーにも乗れるのだ。

 男と女の着衣を探している鑑識に任せて、現状を離れたところから伺う。ワンルームマンションなので見渡すことができる。背中合わせになり女が男を殺そうとして、逆に男に刺されて死んだが、男もその女に縊り殺されたというところなのだろう。


「心中なの?」

 小田切刑事は御厨刑事に尋ねた。

「分からないなあ。こういうの。苦手、頭が悪いから、想像力の欠如とか言いますね」

「想像力なんていらない。ブツがすべて。写真撮ったらさっさと片付けちゃって」

 女の部屋なのに飾りとか、装飾などは地味で色味の少ない冷え冷えとした部屋だった。洋服だけがクローゼットにきちんと並んでいた。洋服も同じデザインの白いシャツや黒いシャツに、細いパンツやスカートもダークグレイや黒いものばかりで、ジャケットは五大陸のもので仕立ての良いものばかりだった。食器も白と黒のものばかりで、美的センスがはっきりとした女性のようだ。

 鑑識の邪魔にならないように女性のバッグを取ってくれないかと小田切は声を掛けた。バッグの中身はきちんと並べて置いてあるので御厨はそちらを指さした。地味な持ち物ばかりで、おおよそ、女性の持ち物とは思えない。白のハンカチに黒い長財布はマイケル・コースで病院の診察券が三枚ほどにコンビニのカードと免許証などは誰しも持つものばかりで代り映えがしない。個別包装のマスクに布性のマスクと、メンソレータムのリップとのど飴と数種類の薬が水色のポーチに入っている。



「共食いやな」小田切は誰にいうでもなく呟いた。

「ええっ? なに、それ」

「関東では言いませんか?」

「それを言うなら共倒れじゃないの」

 ああ、それそれと御厨は手を振りながら笑って鑑識が去ったあとの死体を見た。とても死んでいるように見えないきれいな横顔は少し笑っているように見えた。手には女物の細いベルトをしっかりと握り締めて。

 死後硬直が出ているので二人とも絡まって離れない。


 御厨は思う、どっちから先に手を出したんだろうと。

 眠る男を絞め殺す女と、女のクビに鋏を刺す男。

 はじめに好きになり、こういう関係になった。お互いが相手に殺意を持っていたのは確かなのか、女の殺意を防御するために男が刺したのか。死亡時間がはっきりするまでわからないけれども、どちらも死んでいるので被疑者死亡で終わってしまう案件となるので早く終わらせるの限るのだ。まさか、第三者がここにこっそりと侵入してこんな面倒くさい殺し方をして出ていく必要などあるのだろうかという考えは小田切は持ち合わせていない。

 それにしても女は細くて骨張っている、ずいぶんダイエットをしたものだと思っていたが、それは大きな勘違いのようだった。検視官が大きな驚きの表情で小田切を見た。

「小田切さん、これ、見てみ」

 手袋をした人差し指が示した先は女のクビ。

「ああっ。これ、喉ぼとけ?」

「おかしいなと思わなかったけど、男ちゃうの? でも何もついてないで」

「うそ? 胸もあるやん」

 小田切は先ほどの鞄の中の小物をもう一度見る。管理会社の人間を読んだら持ってきた書類にはこの部屋の契約者は渡辺友佳梨とある。まさか、性転換した女、元男というわけか。免許証の名前は渡辺友紀。写真はこの女性で二年前に更新をしている。パスポートではないから性別は分からない。しかし、ここで死体になっているのは肩までのセミロングのブラウンの髪を持つ女性なのだ。本庁に電話をしてパスポートを取得していないのか確認してもらうように、スマホで電話をすると同時に市役所にも 電話をするが、最近は出向かないと電話で照会は簡単にできない。本庁が外務省のPC から本人確認する方が早いのだ。

 じゃあ、この男性はこいつが男だと分かったからだまされたと思って修羅場になったのだろうか? もう意味が分からなくなってしまった。どちらも死んでしまっているのだから聞くことなどできないのだからどうしようもない。

「おいおい、これ……」

 今度はなんだと小田切は検視官の横に行くと再び男性のクビを指差す。

「この仏さんは喉仏がない。なんとなくほっそりしてないか? こっちが女なんじゃ」

 部屋の少ない家具の引き出し、ニトリの整理棚から御厨が薬の袋をキッチンの横から探し出した。

「先生、この薬はなんですか?」

「タブレット見せて」

「はい」

「ああ、これ、女性ホルモンだよ。やっぱり、男だったんか」

 検死官が担架に乗せて外へ運び出すように指示をした、このあと医大で解剖することになりそうで、きっと明日の朝まで、いや、二体あるので夕方までかかるかも知れない。


 単純だと思われた人情沙汰の殺人事件は、まず被害者の本名と本当の性別をはっきりさせるところから始まるようだ。

 誰にでも隠しておきたい秘密の一つや二つはある。帰りの覆面パトカーの中で小田切と御厨はため息をついた。

「意味がわからん」

「そうですなあ、真実は小説より奇なりですわ」

 運転する御厨は小田切よりも五歳ほど歳が若いので運転をする。隣で腕を組んで考える小田切は大きくため息をついた。

「俺、長く男やっているけど、あんなきれいな男初めて見たわ」

「自分も男と女が逆転しているカップルを初めて見ました、でも残念ですね。性転換までして巡り会えた相手なのに」

「御厨、ちがうで。相手の為にそうした訳じゃない。たまたまや。偶然、でもそんな偶然ってあるのかな? すごい確率やで」」

「たまたま、ふふっ」

「笑うなや」

 小田切は三年前に離婚した。久しぶりに女の肌が恋しくなった。あれから元の妻には会っていない、子供もいないのでどこで何をしているのかも知らない。

「おい、御厨。今晩ちょっと付き合えよ」

「なんすか? 解剖が終わるまで飯でも奢ってもらえるんですか?」

「ああ、捜査会議が終わったら行こうぜ、飯とお風呂」

「いいっすね。しばらくは忙しくなるだろうし、彼女にも会えない」

「御厨、彼女いるの? 生意気やな、じゃあ、ソープは俺一人で行こう」

「そんなこと言わずに、俺も一緒にいきますやん」

「彼女がいるなら奢らないので、自腹な。誰が奢るか、あほ!」


 たくさんの事件を扱うと、事務的に済ませてしまいがちだが二人ともがこうして死体となる前の二人に何があったのか。これから調べるのは簡単なのか難しいのかはわからない。

 けれど、事件は日常の中で普通の顔をしてやってくる。

                   

                   了

 

  • Twitterで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

薄氷を素足であるく 樹 亜希 (いつき あき) @takoyan

★で称える

この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。

カクヨムを、もっと楽しもう

この小説のおすすめレビューを見る

この小説のタグ