薊となずな

砂鳥はと子

薊となずな

 家には鬼がいる。

 これは例えなどではなく、本当に本物の鬼がいる。

 と言っても見た目は人間と変わらない。

傍から見れば、三十手前くらいの美しい女性でしかないからだ。

 昔は角があったらしいのだが、私の曾祖母が私と同じ十六歳だった頃に、人間と暮らすには邪魔だからと自ら折ってしまった。

 髪をかき分け、額に触れれば角の折れた跡を確認することができる。

 他に人と違うのは目の色。まるで柘榴石のような深い紅色をしている。

 名前はあざみという。

 私にとっては家族同然の人だ。 

 薊さんは私が物心ついた頃から姿が全く変わっていない。鬼というのはえらい長生きで年を取るのも人間よりずっと遅い。

「薊さんっていつから家にいるんですか?」

 と聞いたことがあった。

「あれはまだ年号が応仁おうにんだった頃ね」

 などと十年くらい前を思い出すように、とんでもないことを言い出した時はびっくりしすぎて、頭が混乱した。

 応仁といえば歴史で習う応仁の乱が起こった頃だ。戦国時代まで遡る。

 何でも家のご先祖様が山で弱っている薊さんを助け、それ以来薊さんはお礼に家を護ってくれる鬼神になった。

 そうして代々我が佐々木ささき家は薊さんと共に暮らしてきた。

 今も古いだけが取り柄の家の奥座敷に住んでいる。


 

 薊さんは鬼だが、人と長く暮らしているせいか元々なのか、あまり好みは私たちと変わらない。

「薊さん、ただいま」

 学校帰りに買って来たお土産を手に薊さんの部屋を訪れる。

「なずな、お帰りなさい」

 ゆったりとした水色のワンピースを着た薊さんが、膝に載せていた雑誌から顔を上げた。

「薊さんが今朝食べたいって言っていたあれを買ってきましたよ」

 私は可愛い絵柄の入った紙袋を手渡した。

「ドーナツ!!」

 嬉しそうに薊さんは受け取る。

「なずな、一緒に食べましょう」

「皿とコーヒー持って来ますね」

 私は台所へと向う。

 薊さんはドーナツが好物だし、コーヒーやココアをよく飲む。

 鬼というと人を襲って食べそうなイメージがあるが、食べるものは人間と変わらなかった。

 もしかしたら他の鬼は人間を食べたりしていたのかもしれないが、よもや薊さん以外の鬼など観測できないので分かりようもないし、知りたくもない。

 私はインスタントのコーヒーを淹れて、皿とフォークと一緒にお盆にのせる。

 部屋に戻ると、小さなテーブルを用意した薊さんが待っていた。

「はい、どうぞ」

 私はコーヒーを置く。

「ありがとう、なずな」

「着替えて来るので、薊さん先に食べててください」

 私が部屋を出ようとすると腕を掴まれた。

「別にいいじゃない、制服でも。その制服姿もう少し見たいの」 

 そう言われては断れないので、私は薊さんの向かいに腰を下ろした。

 この春から高校生になった私は制服が変わったばかりだ。薊さんには新鮮なのだろう。私も高校の制服は気に入っている。

 二人揃ってドーナツを口を運ぶ。

「ん〜、美味しい」

 薊さんは満足そうなので、私も少し嬉しくなる。

「ねぇ、なずな、明日も買ってきてくれる?」

「いいですよ。薊さんは本当にドーナツ好きですよね」

「だって美味しいもの。だから好きよ、ドーナツ。でも一番好きなのはなずなよ」

 躊躇いもなく薊さんはそんなことを言う。だが、いつものことだ。

 ただ最近、私はそれを言われるのがちょっと恥ずかしくなってきた。

「今日とは違うのを買ってきますね」

 それに触れずに返答する。

「さあ、次は『なずな』の番ね」

 ドーナツを食べ終えると薊さんは自身の腿をぽんぽんと叩く。これはそこに座れ、ということだ。

「もー、薊さん、私高校生になったんですよ」

「だから何?」

「それいつまで続けるつもりですか?」

「私が飽きるまで?」

「いつ飽きるんですか?」

「う〜ん、わかんない。いいからなずな、早く」

「はい⋯⋯」

 薊さんは昔から私を膝の上に乗せるのが好きだった。小さい頃はよく薊さんに抱っこされながら絵本を読んでもらったものだ。

 さすがに今はそんな年ではないのだが、彼女からしたら三歳も十六歳もあまり変わらないのかもしれない。

 私はおずおずと彼女の膝の上に座る。

 がっちりと腕で抱き寄せられ、何とも言えない恥ずかしさがこみ上げて来る。

「なずなは本当にいつまでたっても可愛いわね」

「そうですか⋯⋯?」

「そうよ」

 これは長年の儀式のようなもので、私が高校生になろうとも変わらない。だから普通にしていればいいのだ。普通に。

(いや、そもそもシチュエーションが普通ではない)

 薊さんが鬼であることを脇に置くとしても、小さい子でもないのに大人の女性の膝の上に座るというのはおかしなことだ。

 でも何だか落ち着く。心が安らぐ。薊さんの腕の中は心地がいい。このまま眠ってしまいたいくらいに。

「なずな、寝てしまいそうな顔ね」

 頭を撫でられて更にとろけそうになる。

 私も薊さんに誘われるがままこうしているのだから、拒否などできるはずがなかった。

「寝てもいいわよ。側にいてあげるから」

 私は返事をするのも億劫になり、ただ頷いた。ここは最高の居場所だ。

 

 

梨田なしださん、斎藤さいとうくんと付き合ってるらしいよ」 

「そうそう。中学の頃かららしいね。全然気づかなかった。なずなは気づいてた?」

「⋯⋯うーん、全然」

 昼休みに教室の隅で友人たちは噂話に余念がない。私は誰と誰が付き合ってようが興味はないのだけど、適当に合わせておく。

「なずなは相変わらず誰か気になる人いない?」

「特には⋯⋯」

「なずなって今も恋愛興味ない感じ?」

「昔からそっち方面は淡白だよね」

「そう? そんなもんじゃない」

 誰かを特別に好きなるという感覚はいまいち私には分からない。確かにかっこいい男子を見たら素直にかっこいいとは思う。でもそれだけだ。

 他の子みたいにもっと話したいとか、仲良くなりたいとまでは思わない。 

(今日は何のドーナツにしようかな)

 昨日お店で見た季節限定ドーナツを思い出す。

(いつもとちょっと違うのを選びたいな)

 薊さんを喜ばすにはどうするのがいいのか。そんなことばかり考えている。恋なんかよりそっちの方が重要だ。

 私の人生の大部分は薊さんで占められていると言っても過言ではない。

 幼い頃、私の面倒を見てくれたのは薊さんだ。

 教師をしていた祖父母はいつも忙しそうだったし、両親も共働きだ。だから両親はたびたび私の面倒を薊さんに頼んだ。家の神様みたいな人に頼むのもどうかとは思うが、薊さんも私の面倒を見たがったので問題はなかったようだ。何より私は彼女に懐いていた。

 大げさだけれど、薊さんは私の半身とも言える。

(彼氏作ってデートするより薊さんとゲームでもして遊ぶ方がいいな)

 私の生活には常に薊さんがいて、共にいることが当たり前だった。きっとそれはこれからも変わらない。 

 それに私はいつか薊さんの年を越してしまう。あくまでも外見上は。だから薊さんが私のお姉さんでいる間にもう少し、あの人の妹でいたい。そのためには彼氏なんて作ってる暇はない。

 放課後になり、学校を出た私はドーナツショップへ向う。薊さんにお土産を買わなくてはならない。

 自転車で二十分ほど走り、ショッピングモールへ到着。

 しかしお店はやっていなかった。施設の点検で臨時休業になったと、貼り紙を見て知る。

(薊さんへのお土産どうしよう)

 私はモール内を歩いて和菓子屋の前で止まった。店には桜の造花が飾られて、ピンク色の『さくら餅』の文字が並んでいた。

「これにしようか」

 私はさっそくさくら餅とみたらし団子を購入する。ドーナツはまた明日にしよう。

 本日のおやつも買ったので、帰ろうと出口に向かっていたら、花屋に並ぶ鉢が目に入った。真っ白な可憐なチューリップ。

 薊さんは自身の名前も花の名前だからというわけではないだろうが、花好きである。

「これもお土産にしようかな」

 値段もそんなに高くないし、私はチューリップの鉢植えも買って帰ることにした。

 

 

「ただいまー」

「おかえりさない、なずな」

 帰宅すると珍しく薊さんが出迎えてくれた。

「ドーナツショップお休みでした」

「あら、そうなの。それは残念」

「代わりにさくら餅とみたらし団子買ってきましたから、それ食べましょう」

「ありがとう、なずな〜」

 薊さんに抱きつかれる。彼女はいつだってスキンシップが過剰だ。でも私は嫌じゃない。

「今日はもう一つお土産ありますよ。外に置いてあるので、あとで庭に持って行きますね」

「庭に置くようなものを買ってきてくれたの?」

「楽しみにしててください」

 私はまた外に出て、白いチューリップの鉢を抱えて庭に回った。薊さんの部屋の前に置く。

「チューリップね」

部屋から顔を覗かせた薊さんが庭に降りて来た。

「なずなは私のことが嫌いになってしまった?」

「えっ、何でですか? 嫌いになるわけないじゃないですか」

 むしろこの世で最も嫌いにならない存在なのに。

「でも白いチューリップの花言葉は『失われた愛』よ」

 薊さんは口を尖らせて拗ねたように私を見下ろしている。

「私は花言葉までは分からないです。白いチューリップが可愛かったので選んだだけで」

「本当に? なずなに嫌われたのかと思ってちょっと焦ってしまったわ」

「私はそんな花言葉を使って伝えるなんて器用なことできないです」

「良かった。私、なずなに嫌われてしまったら寂しくて生きていけない」

 後ろから薊さんに抱きすくめられる。

「私は何があっても薊さんが一番ですよ」

「そんなこと言ってその内彼氏ができて、私のことなんて顧みなくなるのでしょう」

「何故ですか? 私は彼氏なんていらないです。薊さんと過ごす方が楽しいから」

「あやめだって似たようなこと言ってとおるさんを一番に選んだわ」

 あやめとは私の母のことだ。透は父のことである。

「私は彼氏とか興味ないんです。何でか分からないけど。だって彼氏なんていたら薊さんとの時間が減るし」

 私の時間は薊さんと共有するためにある。今もこれからも。

 薊さんは私から体を離すと、じぃっと見つめてくる。

「なずなは私のこと大好きなのね」

「何を今更、ですよ。ずーっとそうじゃないですか、私」

「ふふふ、そうだった」

 私は薊さんの鬼とは思えないような白く柔らかな手を取った。

 この人の全てがとても愛おしくて、大切でたまらない。

(ああ、そうか)

 私は気づいた。

(恋や彼氏に興味がないんじゃないんだ)

 もしかしたら無意識では分かっていたのかもしれない。

(私、薊さんが好きなんだ)

 あまりに側にいすぎて、近すぎて家族愛だと思っていたけれど、私は薊さんが好きなんだ。

 最初はお母さんのような、お姉さんのような好きだったけれど、どこかで変わってしまった。

「薊さんも私のこと大好きですよね?」

「それはもちろん。なずなが可愛いのよ。うんと小さな頃から今も変わらず」

 私はどうしようか迷って、薊さんの肩を抱き寄せた。驚いたようにこちらを見る薊さんの唇に徐にキスをした。

「なずな!?」

「これは私の薊さんへの気持ちです」

 一度認めてしまえば、後は気持ちと体が赴くまま。

「だめですか、薊さん」

「なずな、私は人間じゃなくて⋯⋯」

「そんなの昔から知ってますけど」

「私たちは女同士で」

「今は色んな形の愛があるんですよ」

「私となずなは寿命が違うのよ」

「死ぬまで私を愛してくれるってことですね」  

「もう、私がなずなに嫌だなんて言えると思う?」

「思わないですけど、私の望む愛がもらえないなら諦めますよ。薊さんを困らせたいわけじゃないし」

「なずなっていじわるね」

「どこがですか?」

「そういうところよ。育て方間違えてしまったかしら」

「全然。いいんです。これで」

 私は薊さんに抱きついて柔らかなぬくもりに体を預ける。

「まぁ、なずながそう言うならそうなのね」

 薊さんも私を強く抱き返す。

「納得してくれて嬉しいです」

 これから私と薊さんの関係はきっと変わる。永遠に続く甘い関係に。                                

              

  

          

    

 

 

              

    

 

   

           

 

     

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