第3話「俺は異種族とか大歓迎派だ」

 目の前には、体長5メートルを超す巨大なケルベルス的な魔物が「ぐるるる」と声を唸らせていた。三つの顔からは涎が溢れ出ており、真冬の気温でもないのに白い息が水蒸気となって漏れている。

 完全に標的は俺と牡蠣ちゃんに絞られているんだろう、四つの足の右前足で草原の地を抉り、今にもこちらに飛び込んできそうな勢いだ。


「ワシャ、怒ッタケェノォ……絶対許サンケェノォ……!」


 普通に日本語喋ってるし。しかも広島弁てなんだよ。俺の人生の終わりが、訳の分からん異世界で広島弁を喋るケルベロスに食われるとか、本当に意味が分からん。


「どうする、どうする」


 必死に頭を巡らせる。別に俺は熱血的な主人公でもなく、心を燃やすだとか覚悟を決めるだとか、そういう熱い感じじゃないけども、流石に自分の命が失われるピンチくらいには生存本能が働くようだ。


「中田さん! こんな時こそ、スキルを使うのん!」


 俺の後ろにいた牡蠣ちゃんが叫んだ。相変わらずまんま牡蠣の容姿で一体どこから言葉を発しているのかも分からんが、確かにせっかくもらったスキルを使用しないまま人生を終えるなんてことも悲しい。俺は刹那、頭にムカつく吉田鋼太郎(神)の顔を思い浮かべ、両拳に『オタフクソースエネルギー』を溜めた。


「ナニ!? ナンジャ、ソノチカラハ!?」


 ケルベロスも未知のパワーに驚いているようだ。そりゃそうだろうな、両拳にオタフクソースを溜める男なんて見たことあるはずがない。俺だって見たことない。


「うぉぉおおおお! 行っけぇえぇえええ!」


 よく漫画とかアニメで使われるセリフだが実生活で一度も使わないよねランキング第一位の雄叫びをあげ、俺はめいっぱい溜めたソースをケルベロスに向けて撃ち放った。すんごいポーヒーって効果音が鳴っている。多分この状況がビデオにでも撮影されていたら、間違いなく黒歴史だろう。


「ガガガガ、ガガガッ!」


 効いてる効いてるゥ~! ケルベロスの真ん中の顔に発射されたオタフクソースは、勢いよく口内をソース色に染めていき、心なしか徐々にケルベロスの怒りの顔が綻んでいく。ていうか正確に言えばウットリした顔になった。いや効いてんのかこれ。


「ウ、ウマァアアアアアッイ! ナンジャコリャア! ヒットポイントナラヌ、ワシノHPガ回復シテイクウゥゥウ!」


 喜んでんじゃねえか。しかもダメージも皆無だし、丁寧にHPの説明までしてくれたよ。なにここ、よくあるロールプレイングゲームの世界かなんかなの?


「……なんで相手を回復させてるのん?」


「俺だって想定外だよ! あでも待て、これは逃げるチャンスなんじゃ……」


 ケルベロスがウットリしている今がチャンスと思い、俺はソースの放出を中止してそそくさと逃げる準備をするも。


「ッテオォォオイ! ヤメルンジャナイヨ! モット、モットソノ、美味シイ液体ヲ飛バセ! オクレ兄サン!」


 完全にソースの虜になってるじゃんこいつ……。あと俺のことを兄さんと呼ぶな、オクレ兄さんはなんかニュアンスとか版権とか色々やばいだろ流石に。けどこれは交渉するチャンスかもしれないな。


「な、なぁ、聞いてくれ! あんたの縄張りを荒らしたのは悪かった。俺達まだこの世界に来たばっかりで、なんにも分かんない状態で……。ソースの味を気に入ってくれたなら、いくらでも俺が出してあげるからさ、ここは見逃してくれない?」


 自分でも完璧と思える交渉術だ。これは流石にケルベロス君も落ち着いてくれるだろう。そうさ、いくら化け物とはいえ話が通じると言うのは僥倖でしかない。俺達人類は、文字と会話で意思疎通をとって進化してきたんだ。


「エ、ヤダ。ワシノ縄張リヲ荒ラシタコトハ、ワシノ矜持ヲ傷ツケラレタモ同然。ダカラ貴様ラハ万死ニ値スル」


 どんな矜持だよ。

 そんな腐ったプライド捨てちまえチクショウ!


「ここはあたいに任せて、中田さん!」


 牡蠣ちゃんがずいと俺の前に勇ましく立った。やだ、かっこいい。

 でも君ただの牡蠣だし、一体どうするつもりだ。


「ハァァアアア……市杵島姫命いちきしまひめのみことよ――田心姫命たごりひめのみことよ――湍津姫命たぎつひめのみことよ――あたいに力を与えたまえ……!」


 なんか凄く威厳があるように言ってるけど、それ広島の厳島神社(宮島)で祀られてる御祭神やんけ!


「喰らえ、全身全霊必殺のォォオ――! 【牡蠣ボンバー】ッ!」


 牡蠣ちゃんの身体が強烈な光を発すると共に、背面の殻部分から小さな牡蠣が数百個くらいの弾丸となって飛ばされた。ご丁寧にその牡蠣は、ひとつひとつ殻が取れており、ぷるんという白き肌を露出してケルベロスの口に入っていく。ようするにただ牡蠣を大量に飛ばしているのだ。なんだそれ、ちょっと俺も食いたいよ。


「ナ、ナンジャコノ生物ハァアアア! ウッマァアアアアアイッッ! マジックポイントナラヌ、ワシノMPガ回復シテイクウゥゥウ!」


 デジャヴか。てか今度はMP回復してんのか。たとえこのケルベロスが瀕死だったとしても、俺と牡蠣ちゃんのおかげで完全回復じゃねえか。


「どうのん! あたいの牡蠣ボンバーは! 痺れたでしょ?」


「痺れてない痺れてない、逆にアイツ回復しまくっとるわ、君なにしてくれてんの?」


「え、だって中田さんが最初にこのワンちゃんのHPを回復してたし……」


「いやそりゃそうなんだけど! 俺もまさかソースで相手が回復するとか思ってねえわ! あわよくばここから逃げようと思ってたんだよ!」


 その時、パッと俺の身体の色が黒く染まった。よく見れば牡蠣ちゃんもだ。

 あこれ違う、ケルベロスくんが後ろに立ってるのね。お、どしたどした? なんだか鼻息が荒いですけど、気のせいかな?


「エエ加減ニセエヤ……! ワレ共、ワシヲ、ナメチョンカ!」


 ケルベロスの叫びに大気が震える。うわこれ無理だ、絶対レベル100くらいあるボス級の相手じゃん、転移後に出会っていい存在じゃねえわ。せめてRPGの世界ならもうちょっとレベル上げてから出会わせてよ、無理ゲーがすぎる。

 まぁよく考えてみたら、いきなり縄張りを荒らされて、いくら美味いとはいえ意味の分からんソースと牡蠣を食わされればそりゃ腹立ちますよね。


「ごごご、ごめんなさいごめんなさい! 一刻も早くここから出ていくので、どうか、どうか許してください!」


 ザ・土下座で謝罪する俺。三十路越えてこんな情けない謝罪をすることになるとは……。だが背に腹は代えられない、とりあえず生きることが最優先だ。人気アニメ映画「もけもけ姫」に出てくるオトキンさんも「生きてりゃなんとかなる、多分!」って言ってたし。


「ククク……謝ッテ済ミャアノウ、ポリ公ハ要ランノジャ!」


 めっちゃ日本で流用されてる言葉叫ぶじゃん……。

 てかポリ公って言うなよ。そもそもこの世界警察いるの? いや居たとしても、お前が絶対取り締まられる方だよね。


「トイウ訳デ、美味ソウナ、オ前ラハ、ワシガ食ウチャルケェ!」


 だからどういう「という訳」なんだよ、流行ってんのかそれ!?

 しかしケルベロスは有無も言わず3つの口を大きく開いた。 

 え、嘘でしょマジ? 俺ここで死ぬの? 嫌だ嫌だ嫌だ、まだウサリンちゃん(略:Gotoヘブンのキャバ嬢)に告白もしていないのに! 毎回ドンペリ頼まされて、金のいい客としか見られておらず、更には付き合ってる彼氏くんがいるのも知っているが、健気に一途な想いを貫いていたこの俺が、こんな、ところで……!


「やだぁ中田さん、逃げてぇ! 土下座やめて走るのん!」


 無理だ、牡蠣ちゃん。もうとっくのとうに、俺の腰は抜けてるんだ。


「フハハ、コノ男ヲ食ウタラ、次ハ貴様ヲ食ウチャルケェノォ! アーーーン」


 いい人生だった。この世界は、残酷だ。

 そう思って目を閉じようかと思った瞬間――タタタタ、と草原を流星の如く駆け抜ける足音が近づいてきた。


「人間族を傷つけなと――言ったじゃろうが、ボケがぁ!!」


 ――勇ましい女性の叫び声が、木霊する。

 同時に、カッキーンという漫画さながらの効果音が鳴り響いたと思えば、ケルベロスの身体が『巨大なバット』で吹き飛ばされたかのように宙を舞い、草原の端まで吹き飛ばされていたのだった。

 え、なに、なにこれ、えっ、あの巨体が飛ぶの? なんで、何が起きた?


「……はぁ、全く、あの犬っころは」


 腰が抜けていた俺の目の前には、ケルベロスくんを軽く吹き飛ばしたと思われる人物が立っていた。

 後ろ姿しか分からないが、黒くサラサラな美しい髪はポニーテールで纏められ、和服なのか不明だが白黒の袴っぽい上衣を羽織り、腹に巻かれた白緑混色の注連縄様の帯が背にまで伸びて大きく蝶々結びされている。

 容姿からすると、女性、なのだろうか。彼女は溜息まじりに、ケルベロスを吹き飛ばしたであろう右手に持っていた棍棒をどすんと肩に乗せ、俺の方を振り向きながら言った。


「よぉ兄ちゃん、間一髪じゃったのぉ」


 その人には、頭に一本の『角』が生えていた。

 正確に言えば左おでこから、天に向かって数センチの尖った角が伸びている。

 というか、そんなことより俺は彼女の美しさに見惚れていた。キリっとした目には若干薄緑のアイシャドウが施され、シュッとした輪郭とエルフのように尖った可愛らしい耳と、袴の内はぴっちりとした黒色ノースリーブシャツを着ており、スタイルの良さを際立たせている。

 まさに『姉さん女房』という表現が当てはまる、雄々しい美人だった。


「あ、あなたは、一体……?」


 俺が不安そうに尋ねると、彼女は顔を微笑ませて優しく言った。


「うちは、このシマヒロ地区を仕切る煉獄女番長の『鬼子おにこ』いうモンじゃ。怪我の塩梅どうなん、立てるかの?」


 きつそうな見た目とは裏腹に、鬼子さんは俺に優しく手を差し出してくれる。

 正直、今まで出会ったどんな女性よりも、綺麗で逞しくて素敵な人だと思った。

 ついでに俺の頭の中から、約2秒で、ウサリンちゃんの記憶がかき消されていた。

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