第二話


 配信画面はずっと真っ暗なままだった。


「はじまらん」

「どした?」

「おーい」

「ノアちゃーん」


 最初は異常事態に沸き立っていたコメント欄も、次第に人が抜けて行って流れが遅くなる。


「トラブってんのかな」

「ごめん、落ちるわ」

「他の配信見に行くねー」


 どういうこと?

 何か設定を間違えたのかと思ってDreaMixや動画配信アプリの設定を全部見直してみたけど原因は見つからなかった。イヤーカフの充電も十分だったし、寝れなかったわけでもない。むしろいつも以上にぐっすり眠れて目覚ましより一時間も早く起きたくらいだ。

 なのに、夢を見なかった。

 こんなこと今まで一度もなかったのに。

 バグでも起きたのかな。DreaMix公式アプリのお知らせにはそれらしい情報は何も載っていないけど、睡眠薬とかお酒のせいでうまく動作しないこともあるって噂は聞いたことがある。どっちも無縁ではあるけど、きっとたまたま見られなかっただけなんだ、うん。


 私は自分にそう言い聞かせて、次の夜が来るのを待った。

 でも、次の夜もそのまた次の夜も、結果は同じ。何の夢も見ないまま目覚めてしまう日が続いた。


 なんで?

 なんでなんでなんでなんで?


 わけがわからなくて髪をかきむしる。でも洗面台の鏡に映っている自分の顔はむしろ普段よりも血色が良かった。


「ねぇ、お母さん。今日もまた夢が」


 リビングの扉を開けてみても、そこには誰もいなくて明かりもついていなかった。


「お母さん?」


 出発まであと三十分。おかしいな。いつもならこの時間には当然起きてて、お弁当作りも終わっているくらいなのに。

 お母さんの部屋の扉をノックしてみる。返事はない。

 嫌な予感がして私は扉を思い切り開けた。

 すると布団にくるまったお母さんが音にびっくりして飛び起きる。

 ああ良かった、倒れたとかそういうのじゃなくて。

 ほっとしたのもつかの間、お母さんは機嫌悪そうに顔をしかめて言った。


「何よ、今いいところだったのに」


 耳にはイヤーカフ。

 あ、そうか。夢を見ていたんだ。


「ごめん、でももう時間――」

「今日はお弁当外で買ってきて。お母さんは二度寝するから」


 そう言ってもぞもぞと布団の中に潜り込むとすぐに寝付いてしまった。口元緩ませて「大井くん、お待たせ」なんて寝言を呟いている。何の夢見てるんだろ。KARASHIの大井くんとデートする夢なのかな。勧めたのは自分だから自業自得といえばそうなんだけど、ないがしろにされた気がしてチクリと胸が痛む。


 まぁ、お母さんもたまには息抜きしたいよね。


 仕方なく私はそのまま家を出て、学校に行く途中でコンビニに寄った。レジに立っているのはやる気のなさそうな二人のバイトのお兄さんだ。客を気にせずおしゃべりしている。


「お前その後どうよ? 『肉まん』から告られたんだろ」

「ああ、『肉まん』ならその日のうちに美味しくいただいたぜ」

「まじか!? え、で、どうなん? 俺まだ夢でしか経験が……って噂をすれば」


 自動扉が開いて入ってきたのは一瞬お相撲さんと見間違えるくらいのふくよかな女性だった。ふわふわのスカートをなびかせながら、頰肉に沈みそうな小さな瞳をきらきらと輝かせている。彼女は軽い足取りでレジに並ぶと、外見からは想像できない猫撫で声で言った。


「うふ、肉まん全部くださぁーい」

「毎度ありぃ!」


 さっき「肉まん」に告白されたと言っていたお兄さんが意気揚々と紙袋に肉まんを詰めていく。しれっとピザまんも混ぜてその数十個。「肉まん」さんはほくほくと嬉しそうに紙袋を受け取って、レジのお兄さんに耳打ちした。


「また今夜ね」


 ごめん、全然聞こえちゃった。だって声が大きいんだもん。店内にいた人たち全員が気まずそうな顔を浮かべてレジから目をそらす。

 「肉まん」さんが店から出て行くとレジのお兄さんたちはおしゃべりを再開した。


「お前まじ勇者だわー。いくらなんでも俺はあの子と並んで歩く勇気ないね」

「別に現実でどう見られようと関係ねぇだろ。現実は肉感重視よ。かわいくて華奢な子なら夢の中でいくらでも会えるし」

「……まぁそれもそっかー」


 納得するんかい。男心ってよくわかんないや。でもそういえば確かに、DreaMixが流行りだした後ってぽっちゃり系の女の子がモテるようになった気がする。雑誌コーナーを見てみれば、表紙を飾るのはみんな肉付きのいい女の子たちだ。


 電車に乗り込む。立っていてもつり革を掴みながら夢にふける人たち。満員電車だけど不気味なくらいしんと静かだ。起きているのは私だけ。

 こうやって見てみると、いかに世の中がDreaMixにハマってるかよく分かる。

 もしこのまま私だけ夢を見られない状態が続いたら?

 自分の知らない夢の世界で起きたことが世の中を動かして、話題になって、今この電車の中みたいに一人ぼっちでどんどん置いてけぼりにされるんだ。

 でも、夢の外にいるからこそ見えたものもある。

 私たち、夢しか見てない。

 現実なんかそっちのけで夢中になっちゃってる。

 ふと白紙の進路調査票のことが頭に浮かんだ。『夢の中のアイドル』で本当にいいのかな。それはあくまでDreaMixがある前提の話で、もしこれから先ずっと夢を見られなかったら、私に残るものって……。


「乃亜」


 沈黙を破る声。

 一人じゃ、ない。

 いつの間にか爽介がすぐ後ろに立っていた。

 そういえば同じ電車だったっけ。普段なら私もずっと寝ているからこうして電車で話すことなんてなかったけど。


「どした? 珍しいじゃん、起きてるの」

「なんか、前みたいに上手く寝れなくて……」


 私は最近夢を見れていないことを爽介に打ち明けた。

 確かにいつもより寝覚めはいいんだ。起きた時に身体が軽くて、電車の中とか授業中にうとうとすることが減った。

 でも、いくら健康的だからってこのままは嫌。夢は私の居場所だ。夢を失ったらこれから何を楽しみにしていけばいいのか分からない。進路調査票に唯一書こうとしてたことさえ消えてしまう。

 爽介は黙って話を聞いてくれた。真剣な顔つきだったから、きっとこの問題を解決する答えをくれるんじゃないかと思わず期待した。だけど、彼が発した言葉は思っていたのとはだいぶ違っていた。


「別に夢の中にこだわんなくてもいいんじゃね」

「え?」

「だから、『夢の中のアイドル』って話。夢が見れないんなら現実で――」


 ――本物のアイドルになればいいのに。


 あの嫌なコメントがよぎる。

 そっか、この人もこういうこと簡単に言えちゃう人だったんだ。


「……いい」

「ん?」

「もういい。爽介に聞いた私がバカだった……!」

「は!? 何怒ってんだよ。最後まで聞けって、おい、乃亜……!」


 爽介が伸ばしてきた手を振り払い、私は電車の扉が開くと同時に逃げるようにして駆け出した。顔が熱い。涙が出てくる。息が苦しい。「あの時」のことを思い出してしまう。

 現実で夢を見ても叶わないことを知ってしまった、あの時の……。






 その晩、私は久しぶりに夢を見た。

 といっても、DreaMixで選んだ夢じゃない。おばあちゃんがどこかの工事現場のクレーンに潰されるっていう最悪の悪夢だ。簡単にぐちゃぐちゃになって、景色が真っ赤になって、潰されながら「乃亜ちゃんはこしあんよりつぶあん派だったかしらねぇ……」なんて呟くおばあちゃんに「こんな時にやめてよ」って言うところで目が覚めた。


 もしもこれが予知夢だったら――焦りにかられ、私は目が覚めてすぐにおばあちゃんに電話をかけていた。


『あら〜乃亜ちゃん? 久しぶりねぇ。おばあちゃんはね、今ペルーにいるのよ』


 電話の向こうからはおっとりした声が聞こえてきた。あーーーー良かった。いつも通りのおばあちゃんだ。そもそも夢で見たのは日本の工事現場だったから、世界一周旅行中のおばあちゃんなら大丈夫。なんて謎の理屈を自分に言い聞かせる。


『乃亜ちゃん? 聞こえてるかしら』

「あ、うん。大丈夫、聞こえてるよ」

『ああよかったぁ。乃亜ちゃんからかけてくるなんて珍しいわねぇ。何かあったの?』

「う、ううん。なんとなくだよ」


 言えるわけない。おばあちゃんが死んじゃう夢を見ただなんて。

 そんな私の気まずさとは裏腹に、『久しぶりに孫の声が聞けて嬉しいわぁ』とおばあちゃんはご機嫌だ。


『そうそう、お母さんから聞いたんだけど、ドリームキャッチャー気に入ってくれたんだって?』

「ドリームキャッチャー?」

『カナダのお土産よぉ。ほら、このあいだそっちに送ったでしょう』

「あ、あれってドリームキャッチャーっていうんだ。部屋に飾ってあるけど……」


 カーテンを閉じたままの窓を見やる。カーテンレールに吊るしたドリームキャッチャー。わずかに差し込む朝日が糸にかけられたターコイズブルーのビーズに反射してきらきら光る。


『ドリームキャッチャーはねぇ、悪い夢を捕まえて、良い夢だけを見られるようにするお守りなんだって』

「……え?」


 おばあちゃんの言葉に思わず息を飲んだ。

 そういえばあの日からだ。おばあちゃんからもらったドリームキャッチャーを飾って、それからDreaMixの夢を見られなくなった。それどころかおばあちゃんが死んじゃう悪夢まで見た。


『乃亜ちゃん、やっぱり何かあったんじゃないの?』


 すごいな。さすがおばあちゃんだ。

 電話越しなのに、黙り込んだほんの一瞬で私がどんな表情してるかお見通しなんだ。

 つい、その優しさに甘えたくなった。


「実はね……悪い夢を見たの」

『あら。どんな夢?』

「大切な人が死んじゃう夢」


 こんなことを言ったら軽蔑されるだろうか。

 DreaMixが流行る前は「夢は願望の表れ」なんて言われていたらしい。大切な人を殺したい願望があるなんて思われたら……。

 だけどおばあちゃんは……笑った。


『乃亜ちゃん大丈夫よぉ。それ、良い夢だから』

「……へ?」


 気の抜けた声が出る。

 良い夢なんかじゃない。怖いし、気持ち悪いし、目覚めだって最悪だ。

 でも、おばあちゃんもふざけているわけじゃなかった。


『夢の中での大事な人っていうのは、その人自身ことじゃなくて乃亜ちゃんの中にある古い考え方とか今までの自分を象徴しているのよ。それがなくなるっていうのは、乃亜ちゃんの中で何かが変わろうとしているってことなんじゃないかしら』

「そうなの……?」

『ふふ。要はね、都合よく解釈すれば良いの。今の若い子たちにとっては違うかもしれないけど、おばあちゃんたちの世代にとって夢は思い通りにいかないものだったからねぇ』

「今だって、思い通りにはいかないよ」


 確かに、寝ている間なら何にでもなれる。片思いしてる相手の恋人にも、総理大臣にも、ファンタジー世界の勇者にも、憧れのアイドルにだって。でもそれはあくまでDreaMixがあればの話で、DreaMixがなければ残るのは空っぽの現実の自分だ。あの白紙のままの進路調査票そのもの。


「ねえ、おばあちゃん」

『はい?』

「将来の夢って、なんで『夢』って言うんだろうね」


 おばあちゃんは少しだけ黙った後、おもむろに口を開いて言った。


『寝ている間の夢と同じで、思い通りにいかないものだからじゃないかしら』






 それから一週間。

 今、世の中は大変な騒ぎになっている。

 DreaMixで新しく配信された「空を飛べる夢」で、夢を見た人たちが無意識のうちに自室のベランダから飛び降りたり、夢を見ていない間でも夢と現実の境目が曖昧になって、ビルの屋上から飛び降りたりする事故が何件も起きたのだ。

 DreaMixは一時サービス停止になって、今はどの夢も見れない状態になっている。サービス再開のめどは立っていない。DreaMixを運営する会社のビルの前には連日たくさんの人たちが押し寄せて「私たちの夢を返せ!」「夢を奪うな」って抗議してるんだって。


 ……さて、私はというと。


 昨日、久しぶりに配信をした。といってもDreaMixの夢実況じゃなくて、ありのままの自分の雑談配信だ。それでも見に来てくれる人はちらほらいて、「久しぶり」「どうしたの?」「待ってたよ」なんて温かいコメントで溢れた時は思わず泣きそうになった。でも、そこをぐっと堪えて私はみんなに話すことにした。


「気づいていた人もいるかもしれないけど、私ずっとアイドルに憧れてたんだ」


 きっかけは些細なことだ。華やかな衣装を着て歌って踊るアイドルたちを画面の向こうで見て、自分もああなりたいって思った、ただそれだけのこと。彼女たちの歌や踊りを真似して、それを周りの人たちからかわいいって褒めてもらえて、自分もアイドルになれるんじゃないかって過信するようになって、中学の時にオーディションをいくつも受けた。


「でも、私はそこで現実を知った。夢を見られなくなっちゃったんだ」


 今でも鮮明に思い出す。

 どれだけ可愛らしく振舞っても、どれだけ完璧なダンスを披露しても、審査員の人たちはニコリとも笑わなかった。何かに怒っているみたいな仏頂面で、感情のこもっていない声で告げてきた。


 ――練習不足だな。

 ――顔に華がない。

 ――緊張でまともに声も出てないし。

 ――は、泣いてるの? どんな時もアイドルなら笑顔じゃなきゃダメでしょ。


 後から聞いた話、そのオーディションはそもそも事務所とつながりのある養成所に通っていた子で内定が決まっていたらしい。


「それから私は現実でアイドルを目指すのをやめて、DreaMixでいいやって思うようになった。実際楽しかったよ。私、現実だとマイクを持つだけでトラウマで声が出なくなっちゃうんだけど、夢の中ならのびのび歌えたし」


 コメント欄がとめどなく流れる。


「そうだよ、現実はクソ」

「ノアはじゅうぶんアイドルになれてる」

「また夢実況やってよ」


 みんな優しい。

 きっと私と一緒なんだろうな。

 思い通りいかない現実に打ちのめされて、思い通りになる夢に逃避して。

 でも、私……夢すら思い通りにいかなくなって、気づいたんだ。


 思い通りにする必要なんてない。

 解釈次第で夢はどうとでも形を変える。


「私ね、DreaMixやめようと思う」


 コメント欄に怒涛の「!」の嵐。


「でも、配信はやめないと思う」


 今度は「?」がたくさん飛び交った。


「よくよく考えてみてわかったんだ。私、別にアイドルになりたいわけじゃなかった。アイドルが見てる人を元気にしたり、楽しませたりするところに憧れてたんだ。でもそれって、別にアイドルじゃなくてもできることじゃん? 実際、みんなは偽物のアイドルの私の実況でも楽しかったよってコメントくれた。もちろん、夢実況が見たくて来てくれた人だっているかもしれないけどさ、DreaMixなしでどこまでできるか……ちょっと挑戦してみたくなったんだ」


 口を閉ざせばしんと静寂が訪れる。夢実況だったら派手な背景とか明るい音楽とか思うがままだけど、今は自分一人しかいない部屋の中で配信をしているから。発したばかりの言葉が頭でループして、何か間違ったことを言ったんじゃないか、こんな配信しないほうが良かったんじゃないかって後悔がむくむくと育ってくる。喉が締め付けられるような感じがして、息が苦しくなっていく。


 負けるな、乃亜。

 今ここで受け入れられなくてもショックを受けないようにしようって、配信前に何度も自分に言い聞かせたでしょう。


「夢実況やめないで」

「生身の配信はきついっしょ」

「DreaMixやめる必要なくない?」


 そんなコメントが流れていく中で、一つだけあった。


「いいじゃん。応援してる」


 それを皮切りに、他の人もちらほら肯定的なコメントを書き始めた。


「頑張って」

「まぁやってみれば」

「ノアちゃんなら大丈夫」


「ありがとう、みんな……!」


 全部のコメントを一つ一つ噛み締めて、その日の配信は終わった。


 そして今、私は進路調査票を持って職員室のハラセンの席に来ている。先生は席を外しているのか不在だった。他の先生にすぐ戻ってくると思うからと言われて、ハラセンの席に座って待つことにした。ふと、机の上に置かれている茶色の粘土のかけらに目がいった。手に取ってみると意外と軽くて、表面にはうっすら模様みたいなものが描かれている。


「お、黒澤か。珍しいな、お前から職員室に来るなんて」


 ハラセンは重そうな分厚い本を何冊も抱えて戻って来た。


「はい、先生。進路調査票」

「ん? 意外と早かったな」


 ハラセンは本を自分の机にどさっと置くと、私が差し出した進路調査票を手に取ってふむふむと頷いた。


「大学の心理学科に進学希望か。またどうして急に? 今度はアイドルとか書いてくるのかと思ってたけどな」

「アイドルもいいけどさ、どうやったら人を夢中にさせたり、元気づけたりできるのか勉強してみようかなって」

「なるほどねぇ。ま、いいんじゃねぇか」


 ハラセンはあっさりそう言うと、私の進路調査票を自分のファイルの中にしまってしまった。


「え、それだけ?」

「そうだよ。俺だって暇じゃないんだ」


 しっしと追い払うように手を振ると、デスクの上でさっき持ってきたばかりの分厚い資料広げて、あの謎の粘土のかけらを手に取って眺め始める。


「ねぇ、それ何?」

「学校の近くの畑で出てきた土器のかけらだと。興味あるからいつの時代のものか調べてくれって言われてな」


 よく見るとハラセンが持ってきた本はこの辺りの地域の歴史が書かれた風土記みたいだ。


「へー、日本史の先生ってそういうこともやるんだ」

「いや、やらねぇよ? 金になる仕事じゃないけど、俺も興味あるから調べてみてるってだけで」

「そっか、昔は考古学者になりたかったんだもんね。諦めたわけじゃなかったんだ」

「別に今更なれるとは思ってないが……まぁ、どっかの誰かがDreaMixなしで夢を見てみるって言いだしたのに影響されたのかもなぁ」

「え、それって……」


 私の昨日の配信のこと?

 ハラセンははっとしたように息を飲んだ。


「そ、その、あれだ。勘違いすんなよ、監視してたとかそういうのじゃなくて、あくまで見守りみたいな感じで生徒がトラブルに巻き込まれてないかをだな……」


 ぶつぶつ言い訳を並べながら、ハラセンは次の授業の時間だろと言って私を職員室から追い出した。


 そっか。


 私の配信、ちゃんと誰かに響いてたんだ。


 なんだか胸の中がぽかぽかあったかい。お日様の光が直接差し込んできたみたいな、優しいあったかさだ。


 思い通りにならないこと。

 だからこそ思わぬ嬉しさや発見もある。


 ポケットからスマホを取り出す。

 待受ロックを解除すれば、スマホを片手で持っても親指が届きやすい下の方に配置していたDreaMixのアプリが目に入った。


 バイバイ、長い夢。


 私はアプリを長押しして、迷うことなくアンインストールした。






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『夢を追う女子高生の夢』


月額980円コースの内容は

これにて完結となります。

ご視聴ありがとうございました。


アナザーストーリーや

続編をご覧になりたい場合は

「ショップ」メニューより

登録コースをご変更ください。


→【登録コースに変更する】


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「はーーーーマジか、ここで終わるのかよ」


 夢から覚める瞬間はいつだって最悪だ。

 イヤーカフを外し、ヒリヒリ痛む耳たぶをさすりながら寝返りを打つ。アイマスクを外せば、外からの光を一切遮断した暗くて空気の淀んだ六畳間。枕元に置いたスマホを手に取り、つい癖で時間を確認してしまった。


「げぇ」


 思わず声が出る。眠りについてからまだ五十時間しか経っていない。


 やっぱ980円じゃだめか。無職なことにチキって最安コースにしてみたけど、夢を見られる時間も、内容も制限がかかる。だいたいあの結末はなんだよ。どうしてハラセン――現実の旦那と良い感じになってんだよ。これは夢だろ。夢の中じゃ乃亜、お前は俺の彼女だったはずだ。俺の計画じゃ夢を見られなくなった乃亜に「現実も捨てたもんじゃない、お前はすでに誰かのアイドルになれてる」って励ましていい感じになるはずだったのにさ、途中で話切られて。


 現実はクソ。ずっと片想いしてた女の子はアイドルになる夢を諦めて、高校卒業してすぐ担任と結婚して専業主婦になった。ひそかに失恋した俺はその後ひたすら仕事に打ち込んだけど、激務すぎてメンタルより先に身体にガタが来て、つい先日退職届を出した。


 もう俺には何も残っていない。

 だからせめて、良い夢見たまま死んでいきたい。


 調べてみると、一番高い5980円コースなら連続視聴時間無制限、かつ内容もカスタムし放題のようだ。これなら乃亜の夢を叶えてあげられる。俺は彼女を陰でずっと支え続けて、華々しいアイドルとしてデビューして、彼女が卒業公演を終えたところでプロポーズし、結婚する。最高のハッピーエンドだ。


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視聴する夢を選んでください:

『夢を追う女子高生の夢』


登録コース:

月額5980円コース


ヒロインの設定:

高校時代に好きだった女の子


あなたの設定:

ヒロインの彼氏


カスタマイズ1:

ヒロインは夢を叶える


カスタマイズ2:

ヒロインは担任と仲が悪い


カスタマイズ3:

ヒロインにとっての優先度は夢、彼氏の順


カスタマイズ4:

ヒロインは彼氏以外の男に興味を持たない


以上の設定で視聴開始しますか?


→【はい】

 【いいえ】


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 設定を終え、俺は再びイヤーカフをつけて布団の上に横になった。


 バイバイ、長かった現実。


 ゆっくりとぬかるみに沈んでいくように、俺の意識は静かに静かに遠のいていった。




- End -



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月額980円の夢 乙島紅 @himawa_ri_e

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