幕間
男主人公マテオ・フォルリーニ(一)
キャスの恋人、マテオ・フォルリーニだ。何、恋人には程遠く、ただ金持ちで傲慢なセクハラ男で借金をかたにキャスを連れ回しているだけじゃないか、だと? た、確かに……いや、そのうち俺達はラブイチャカップルになる予定、なの、だ。
俺がキャスを初めて見たのは第一話から
「マテオ、公園前よ。徐行しなさい」
「分かっていますよ」
「もっとゆっくり、あ、止めて!」
「何ですか?」
「ほら、やっぱり、今朝もキャスが居るわ」
伯母が指差した先には滑り台に登っている小さい男の子が居た。その側のポニーテールの若い女が伯母の言うキャスのようだった。
「知り合いですか?」
「ええ、最近仲良くなったの。サンダルが壊れて歩きにくかった時にお世話になったのがきっかけよ。とても良い子なのよ」
そこで滑って降りてきた男の子にキャスは拍手をして褒めてやっている。その笑顔に俺は一瞬息を吞んだ。か、可愛い。口に出して呟いていたかもしれない。伯母に顔を覗き込まれているような気もする。
「ここで降りて彼女に挨拶しますか?」
「今日はやめておくわ。だってキャスは私がただのナンシーってことしか知らないから」
伯母の言っていることは分かる。彼女は普段、着古した部屋着のような普段着で外出するのだ。今日は所用があった伯母はいわゆるシニョーラ・フォルリーニモードで、見られる恰好をしている。
別荘に帰ると伯母は俺に向かってまくし立て始めた。
「ね、キャスって私の言った通り、可愛いでしょう?」
「それは、まあ……」
「しかも今恋人は居ないって言っていたのよ!」
「……はあ、そうですか」
「九月からロリミエ大学の院に進学する栄養学部の学生さんでね……夏の間はうちの東隣の家で子守りをしているのですって。隣の奥さんとは同郷のよしみで時々手伝っているって言っていたわ」
「ああ」
俺は興味の無いふりをしながらもナンシー伯母のキャス情報をしっかり聞いていた。
「あんな親切で良い子なのに、周りの男共の目は節穴なのかしらね。マテオ、偶然を装って声を掛けてごらんなさいよ。ほら、ジョギング中に通りかかったふりをして」
伯母の言うことはもっともであるが、素直に聞くのも少々しゃくだった。
「余計なお世話ですよ」
「マテオ、付き合うだけの人なら性根が腐っていようが構わないわ」
「そういうのも遠慮します」
女に関しては潔癖症な俺は付き合うのも何でもいいというわけではなかった。
「けれど、将来を共にするなら働き者で気立ての良い人になさい」
「もうそれは耳にタコができるくらい聞かされています」
俺はいい歳をして、公園で子守りをしていたキャスに一目惚れしたのだった。
それからの俺は、速攻で行動に……移せなかったのである。伯母の散歩に付き合うにしても、何だか言い出せなかった。
ジョギングの恰好をして近所を徘徊してもキャスに会えず、やっと公園で見つけても何となく大の男が一人で児童公園に入って行くのも、と
車を運転している時にキャスが子供たちと歩いているのを見かけるも、彼女は子供の方を見ていて俺の方には目もくれなかった。大抵の人間は振り返って二度見する、俺のスポーツカーなのにである。
別荘の母屋から隣の庭との境にある生垣は距離があり、その向こうで子供たちが遊んでいても見えないし、声もまず聞こえない。生垣越しにキャスの姿が見えないかと庭をうろちょろしているとデキる家政婦ラモナがすっ飛んで来る。マテオ様、雑草が生えているでしょうか、そろそろ芝刈り時でしょうか、とろくに覗き見もできない。
そして伯母のナンシーはロリミエに帰って行き、別荘には俺一人がラモナと残された。
いつまでもうじうじしている俺を憐れんだのか、神が遂に味方をしてくれた。そう、運命の温室破壊事件である。
その日の午前中、ガラスが割れる音がしたので庭に出た俺は七歳くらいの少年をそこに発見した。そのクソガキとキャスの繋がりが見えなかった俺は温室を壊されて怒り心頭に発していた。キャスが面倒をみていた子供は幼稚園児と赤ん坊だったから当然だ。
その子の腕を掴み、親の名前と住所を聞き出そうとしていた時に門の前に人が立っているのが見えた。この子供の保護者に違いない。器物破損の上、不法侵入だ、躾がなってないと思いっきり怒鳴りつけてやるつもりで門に近付いた。
ところがそれはキャスだった。グラツィエ ディオ! 俺は何てラッキーなんだと思ったが、怒りモードをすぐに引っ込められるほど器用でないのが悲しかった。
怯えながらもハッキリとものを言うキャスも可愛くてしょうがなく、そのまま怒り続けて引っ込みがつかなくなっていた。
そうしたら俺が声を荒げたのに遂にベビーカーに乗っていた子が大声で泣き出してしまい、キャスがその子を抱き上げている。
「おおよしよし、ガビー大丈夫よ……」
男か女か知らんがその赤ん坊はキャスの胸を触ったりポニーテールを引っ張ったりしながら泣き続けている。羨ましい、じゃなかった、けしからん、でもなく……とにかく俺は益々不機嫌な顔になっているのを自覚していた。
「も、もちろん逃げも隠れもいたしません! 一括では無理なだけですから」
「君は全くもって気が強いんだな、シニョリーナ」
気付くといつの間にか、上気してやや赤みを帯びたキャスの頬を撫でていた。もう俺は温室の修理代などどうでも良かったが、その名目で今夜キャスを夕食に誘うことに成功したのだった。
その日の午後は仕事どころではなかった。結局別荘ではなく、麓の街まで降りて食事をすることにした。レストランも予約し、ラモナにもそう告げた。
俺は数日後にボードゥローに発つことになっている。滞在は一週間と少しの予定で、その後はロリミエに帰る。今は八月で、キャスの大学もすぐに新学期が始まる時期である。ベッドの上でゴロゴロしながら今晩の戦略を練った。
『近所で見かけて以来、貴女のことが気になっていました。お友達からでいいので付き合って下さい!』
『何言ってるのですか、私のことを追いかけ回している陰湿なストーカーって貴方のことだったのですね! 温室の修理代は私に精神的苦痛を与えたということで相殺して下さい。失礼します!』
こんなふうに普通に告白して断られたらそれで一巻の終わりだ、却下だ、ボツだ。
キャスが逃げられないように言いくるめるしかない。温室を壊された俺の方が断然優位な立場にあるのだ。
実際のところ、キャスはかなり手強かった。個人的なコンパニオンとして旅行に同行してくれと言われたら普通何をするか分かるだろう。しかし、キャスのことだからわざと俺を翻弄しているわけではないようだった。
そして俺が求めているのが夜の相手も含まれると知ると、そんなことはできない、荷が重すぎると頬を赤らめて少し憮然とした顔になった。そんな表情もすごくイイ。
「あ、分かりました。貴方は自ら服を脱いで寄って来るグラマーでセクシーな美女に食傷気味なのですね。怯えて嫌がる女性を無理矢理服従させるのが趣味で、肉体的苦痛を与えることに悦びを覚える方ですか? それとも、奥さまや恋人にはまず頼めないような特殊な行為を試してみたいとか? いくら借金を負っているとはいえ、そういうのも無理です、申し訳ありません!」
キャスの中のマテオ・フォルリーニ像はただの最低男だという事実に大いに凹むが、あまりに必死な彼女は何とも微笑ましい。とりあえず一番重要な誤解、俺は妻も恋人も居ないということだけは強調しておいた。
ナンシー伯母の人を見る目は確かだから疑ってはいなかったが、キャスは感じが良くて賢く、会話は大いに楽しめた。明日、隣家から連れ出したら彼女は俺のモノなのだ、期待に胸が膨らむ。
(二)に続く
***今話の一言***
グラツィエ ディオ!
神よ、感謝します。
色々とツッコミどころ満載、マテオ視点でした。
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