親友アン=ソレイユ・ボドワン(一)
キャスの大学時代からの友人、アン=ソレイユです。キャスとは同級生で、現在大学は休学していて、歯科助手として働くシングルマザーです。
息子のダニエルは今十か月、ハイハイが得意な美男子です。ダニエルのことを語り出すと長くなるのでやめておきます。とにかく、私はこの世で一番ダニエルを愛していて彼に夢中なのです。
先日は久しぶりにリサも入れた女三人で出かけました。リサによると、男っ気の全然なかったキャスにやっと彼ができたそうです。
「私、夏休みにリリアンのところで子守りをしていたでしょう。彼女の隣の別荘の人でね、子供が蹴ったボールを取りに行って出会ったのよ」
「へえ、そんなきっかけで交際にまで発展したの?」
「ええ。それ以前に彼の伯母さまに別荘近くの公園で会っていたの。彼は伯母さまから聞いて私のことを既に知っていたって言っていて……私を近所で何度か見かけていたのですって」
「彼の方が貴女に一目惚れしたってこと? 出会いって何処に転がっているか分からないものよねー」
「リリアンの旦那さんと同じくらいお金持ちなのね、彼は?」
「えっと、そうね。どちらかと言うと、裕福だわね、マテオは」
キャスはそんな控え目な言い方をしましたが、実際彼女のマテオとは、あのフォルリーニ一族の一員で超がつくセレブだと判明しました。
「流石、天下のマテオ・フォルリーニね。あの車、そこらの車とは値段が違うわよ」
その夜、私たちまでフォルリーニさんに車で送ってもらった後、リサは実家のドアを開けながらボソッと呟きました。
「そんなにする車なの?」
「ええ、ゼロが一つ多くつくわ」
リサのご家族はもう寝入っていたので私たちはそっとリサの部屋に入りました。私の息子ダニエルはそこに置かれた簡易ベッドに寝かされていました。
「帰りました、ダニー。お利口さんにしていたみたいね?」
私はすやすやと眠っているダニエルの頭をそっと撫でて額にキスをしました。私たちは彼を起こさないようにさっと着替え、居間で話すことにしました。
「キャス、大丈夫かしら」
「アンソ、貴女があまり金持ちのことを信用しないのは分かっているけれど、フォルリーニさんは案外本気そうだっていうのが私の今夜の印象」
「どうしてそう思うの? 確かに彼の方がキャスにベタ惚れっぽい感じではあるけれども」
「貴女たちが席を外している時に名刺を貰ったわ。貴女の分もあるわよ、ほら」
「まあ、どうして?」
名刺の裏に携帯電話の番号が手書きされています。
「キャスの帰宅が遅くなる時とか、連絡して欲しいそうよ」
「はい? まさか!」
「マジよ。私の番号も一応教えておいたわ。私はああいう、束縛しまくりの嫉妬深い男はちょっと遠慮したいわね」
「あれだけゴージャスでハイスペックな男性だから支配欲が強くても許せるのかしら。でなければただのストーカーじゃないの」
「アンソも言うわね。私も嫌よ」
「リサはどちらかというと支配する方だものね」
「良く分かっているわね」
その時はまだフォルリーニさんの独占欲の強さについてはあまり気にしていませんでした。キャスも大変ね、という感覚でしかなかったのです。
それから間もなくのことでした。私は仕事で遅出の日が入ってしまいました。ダニエルが風邪をひいて休みをとった時に同僚と勤務時間を交代してもらったのです。その日は私が帰宅するまで彼の面倒をみてくれる人が必要でした。私はまずキャスに打診してみました。リサは仕事で遅くなることが多いのです。
「保育園は夕方六時までに行けば良いのよね。大丈夫よ」
「いつも悪いわね。九時過ぎには帰宅できるから。寒いのに夜遅くなって申し訳ないけれど、本当に助かるわ」
「お安い御用よ。ダニーにも会いたいわ」
私は育児を助けてくれる人が周りに沢山いて幸せです。そこでふと何かが引っかかっていました。
「キャスは当日帰宅するのが夜十一時くらいになってしまうわね……」
学生だったら夜のアルバイトや飲み会など、そんな帰宅時間は普通ですが、ふと気になったことがありました。
「あの名刺、確か電話の横に置いたはず」
リサから渡されたフォルリーニさんの名刺を見つけ、彼の電話番号を眺めながら考えました。
「大体、彼は多忙なビジネスマンなのだから、私が電話しても迷惑なだけよね。それとも未登録の番号は無視とか? 例え電話に出たとしても私の名前なんて覚えてないでしょうし」
私は先にリサに相談することにしました。
「ハーイ、アンソ。どうしたの?」
「リサ、私キャスに金曜日の夜ダニーの子守りを頼んだのよ、それで……」
「フォルリーニさんには報告したのよね?」
「いいえ、本当に私が電話してもいいのかしら?」
「今すぐしなさいよ。今後もキャスに子守りを頼みたいならね!」
リサの剣幕には驚きました。
「な、何……」
「キャスはまず自分から彼に言わないわよね。内緒にしていたのがバレたら彼女が監禁されてしまうわ」
「まさか、そんな大袈裟な」
「何でもこの夏、フォルリーニさんの取引先のオッサンにキャスが襲われそうになったのですって」
「え? そんなことがあったの?」
「過保護と言われようが用心するに越したことはない、なんてドスの利いた声で言う彼は正にイタリアンマフィアのようだったわ」
「わ、分かったわ……電話する……ありがとう、じゃあねリサ」
フォルリーニさんは恋人がこんな貧困層が住む地区に子守りをしに来て、夜遅くに帰宅することを禁じるでしょう。リサの言い方からすると絶対そうに違いありません。
「しょうがないわ、キャスは大富豪に見初められてしまったのだものね……」
親友の存在が遠のくことが寂しく感じられました。
キャスが子守りに来られないのなら、私は登録しているベビーシッター協会から誰かを派遣してもらわないといけません。料金の問題ではなく、やはり勝手を知っている友人の方が私もダニエルも安心できるのです。
大きくため息をつきながら私は震える手でフォルリーニさんの電話番号を押しました。彼は呼び出し音が鳴るかならないかという早さで電話に出ました。
「はい」
「アン=ソレイユ・ボドワンと申します。ムッシュ マテオ・フォルリーニとお話したいのですが」
「はい、私だ。アン=ソレイユさん、キャスに何かあったのか?」
私が何者かということと、名前を覚えてくれていたとは驚きました。
「この金曜日の夜なのですが、私は仕事が入ってしまい、キャスが息子の子守りをしに来てくれることになりました。彼女は夜十時くらいに私の自宅があるロリエ東地区から帰宅できる予定です」
そんなことはとんでもない、危険だから大事な恋人は行かせられないと言われることは覚悟でした。
「住所を教えてくれ。迎えをやるから」
なんとお抱え運転手さんがこんなボロ住宅が密集している地区にキャスを迎えに来てくれるなど、予想もしていませんでした。
「お手数をおかけします。けれど、キャスが来てくれると本当に助かります」
「こちらこそ。律儀に連絡してもらえて良かった。エ アプレツァート」
ところがその後、更に予想外の展開となったのです。
(二)に続く
***今話の一言***
エ アプレツァート
感謝します、助かります。
リサは束縛されるよりもする方が良いタイプだということが分かりました。それはさておき、再びあの問題の夜のことを蒸し返しております。レナトさんがマテオの両親の送り迎えで都合がつかず、彼の息子ホセが駆り出されることになるか、と思いきや……というあの夜ですね。
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