第三十話 兄の心配




 夏も終わりかけた頃、兄から連絡がありました。


「来週のいつか、ロリミエに日帰りで行く。ちょっとだけ会えないか?」


 兄は義姉の指輪が出来たのを取りに来るそうです。私たちはその日の午後に例の宝飾店の近くで待ち合わせました。


「お前の彼氏な、フォルリーニさんって一体何者なんだ?」


 兄の深刻な表情から嫌な予感はしていました。両親か家族のことだと思っていたのですが、その予想は外れたようです。


「何者って?」


「ヤバい生業なりわいの人間なのか?」


「リック、何を言っているの? イタリア人が全てマフィアと関わっているわけではないわよ」


「俺とほとんど変わらない歳であんな車そうそう持てるもんじゃないぞ。田舎なら一軒家が買えるくらいの値段はする。そんな人間がどうして庶民のお前と付き合っているのか不思議に思うのは俺だけじゃないだろう」


 前回皆で食事した後、私がマテオと車で帰っていたところを兄はしっかり見たのでした。その時彼がどの車を運転していたか覚えていませんでした。多分青い方のスポーツカーだったと思います。


 兄にはマテオがそんな車を何台も持っているとはとても言えません。


「私がマテオに遊ばれていると思って忠告しているの?」


「その方がよっぽどましだ」


 実はリサやアンソにも以前同じようなことを言われていました。


「そうね……」


「それにしてもイタリア人ってのは面倒臭いな。お前が俺と買い物に出掛けているだけでも嫉妬していたよな。普段もお前のことを極度に監視束縛しているってスーから聞いたぞ。そのくせ自分のことは棚に上げてナンパはしまくり、他所の女に言い寄られたら来るもの拒まずなんだろ?」


「……」


 もしそうだとしたらマテオは激務の上に毎日一、二時間は運動して、私の面倒まで見て、自転車やゴルフ仲間との付き合いにと、体が幾つあっても足りません。


「キャス、泣くなよ、泣くなって」


 兄は私が黙り込んだのを勘違いしています。


「とにかく、お前らが中途半端に本気だから俺も口を酸っぱくして悪役になっているんじゃないか! フォルリーニさんがお前とはただ一時的なヤり捨てるだけの関係だと考えているなら叔父さんたちとあそこまで親しくしないだろーが。それに家族の夕食会に顔を出して俺の親バカ話に退屈している様子も見せずに礼儀正しく付き合うわけないよな」


「わざとマテオを試したのね、性格悪っ!」


「まあな、スーがベタ褒めしていた奴だから、心配はしていなかったがな。それもあの超高級イタリア車を見るまではだ」


「彼だって見た目はあのような感じだけど、私の知る限り一族で真っ当に建設業を営んでいるし、家族に警察にお世話になった人も居ないわよ」


「うちの親はお前をあんな金持ちに嫁がせる金なんてないぞ」


「私はまだ二十三だし、マテオと釣り合っていないのは私自身が一番良く分かっているのよ。そもそも、どうして話がそこまで飛ぶの!」


「シンシアが二十三の時には既に一人子供が居て、いや二人だったか二人目妊娠中だった。それにお前はたった一人の妹だから心配して当たり前だ」


「リック、だから私はそんな先まで考える必要なんてないって……」


「良く聞けよ。二人が将来結婚したとする。そうしたら親戚の集まりの度にお前やうちの親が肩身の狭い思いをすることになるんだぞ。そんでもって子供が出来たとする。子供たちは裕福な父方の親戚から贅沢三昧をさせられて育つ。で、母方の親戚は同じレベルで彼らを甘やかせないから疎遠になってしまう、当然だよな」


「だから! 私とマテオの仲はそこまで……」


 私たちはそういう意味で結ばれることはないと思う、と言おうとして急に悲しくなりました。喉がつかえたように感じて一瞬声が出ませんでした。


「一度分不相応な贅沢を覚えたら元の貧乏生活に戻るのは難しいぞ。お前もその若さを無駄にするな」


「既婚者と付き合っているわけではないわよ。将来結婚すると思えない人だと交際してはいけないの? そもそも結婚願望がない人の場合は?」


「お前、都会に出てから変わったな」


「多様性を受け入れるようになった、と言ってよ。あの、お父さんとお母さんはどこまで知っているの?」


「お前にイタリア人の恋人ができたということしか知らない。田舎の健全な両親にそれ以上言えるか」


「ありがとう、リック」


「ところでな、お前が子守りを時々してやっていたあの、リリアンだっけ? 数か月前から町で噂になっているぞ」


 田舎町の情報網はインターネットよりも迅速なのです。


 リリアンは男性を度々家に連れ込んでいたのが旦那さまに見つかってしまったそうです。しかも度々お酒と薬の影響下にあった彼女は育児能力も問われ、親権も奪われるだろうとのことでした。


「そう言えば年末の冬休みにもリリアンから電話が掛かってこなかったわ。学校が休みの時は必ず子守りを頼まれていたのに」


「何でも彼女のお袋さんによると、旦那側にも愛人が居て、リリアンはめられたんだとさ」


「まあ……」


「あのオバチャンの言うことだから話半分に聞くことにしてもなあ。旦那の方もやましいことがあるというのは全くの嘘でもないと俺も思う」


 確かにあの夫婦は私が子守りをしている時にも、ほとんど一緒に過ごしては居なかったのです。


「私は何も詳しいことは知らないわ」


「とにかく俺が言いたいのはな、夫婦やカップルの間に経済的、社会的諸々の格差があったとしても上手くいっている間は良いんだよ。問題なのは仲がこじれた時だ。真実がどうであれ、優秀な弁護士を雇える費用がある方が有利に事を運べるってことさ」


 兄の言うことはもっともでした。私の周りにもそんな事例がないわけではなかったのです。


「……そうね、肝に銘じておくわ」


「それでもお前に対するフォルリーニさんの態度を見ていて俺も少し考えさせられたな」


「な、何を?」


「俺は助手席のドアも開けてやらないし、レストランで椅子も引いてやらないし、上着の脱ぎ着も手伝わない。強いて言えば外出先でドアを開けるくらいか。それも子供が出来てシンシアがベビーカーを押している時だけだ。威張れることじゃないけどな」


 人前でもイチャイチャし過ぎていると言われるかと思いました。


「それは別に、全ての男性がそうしなければいけないとは思わないわ。マテオはお母さまや伯母さまに対しても同じようにエスコートしているもの」


「俺もその辺りはあの人を見習ってみようか」


「シンシアも喜ぶのじゃない?」


「後ろめたいことでもあると疑われるのがおちだろうな……」


 将来のことをそこまで心配する必要はないでしょうが、起こり得る事態を予想して心構えをしておくに越したことはありません。兄との会話は私の心の中に一点の曇りを残したのでした。


 ところで私はその後リリアンに連絡しようにも、彼女は電話にも出ず、留守番電話にもならず、以前の家は売りに出されていました。親の都合で振り回される子供たちが可哀そうでならず、私はサミーとガビーの幸せを切に願いました。




 マテオのお母さまとはあれから何回かお会いしました。正式に紹介されたわけではなく、最初の時のようにマテオの留守中にマンションに来られるのです。


 私が金曜日の午前中は何も予定が無くて、一人でマンションに居ると知ってからは毎週のようにおいでになりました。お母さまはもう私を家政婦扱いすることはありません。ひょっとやって来られると私の淹れるコーヒーやお茶を飲み、ひとしきりマテオや弟さんなど、ご家族についてお喋りをしたら帰っていかれます。


「カサンドラ、これも貴女が焼いたの?」


「はい。ラモナさんに教わったのです」


「ロ サペーヴォ、ラモナが作るともっとしっとりしているはずだもの。ちょっと焼きすぎよ」


「プロの家政婦さんに比べられるとは光栄です」


「貴女も言うわね。それでもマテオが好きそうな味だわ」


 何回かお会いするうちにお母さまの歯に衣着せぬ物言いにも私は慣れてきました。




***今話の一言***

ロ サペーヴォ

分かっていました。知っていました。


最後にはマテオマンマまで再登場、内容盛り沢山の今話でした。

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