第十九話 愛人から恋人へ
その後、マテオの告白に私は嬉しさよりも驚きの方がはるかに大きかった気がします。
「実はナンシー伯母から君のことを聞いた直後、君が公園で子供達を遊ばせているところに車で丁度通りがかってね。伯母の言っていたカサンドラと言う名の気立ての良いお嬢さんとはすぐに君のことだと分かった」
「温室破壊事件の前から私のことをご存知だったとはおっしゃいましたよね」
「ああ。何回か君のことを見かけては気になっていたから、偶然を装って声を掛けようと思っていた。道に迷ったとか適当な言い訳でも見繕ってでもね。それでも、一人で児童公園に入って行く勇気もなかった」
「はい?」
私の聞き間違いかもしれません。砂
「だから君が子供達と一緒に謝罪に来た時は正に渡りに船だったというわけだ」
私は完全に言葉を失ってしまいました。
「君が泣きそうな顔で修理代を払うと訴えているのも実に可愛かったよなぁ。けれど怯えながら必死で謝っている隣家の子守りを食事に誘ってそれから交際に発展させるなんて経験は初めてだった。だからまあ、その、自分に有利な立場を利用させてもらったというか……」
マテオのように何でも持っている男性なら、自分から声を掛けなくてもいくらでも女性が寄って来るのです。この人は普通に女性を誘うこと自体、今まで必要なかったのかもしれません。
私の右手をマテオは更に強く握りしめました。私はまだ混乱中でしたが、マテオとの出会いを思い出していました。
「マテオ、私が初めてあの別荘に伺った時に既に貴方は私の名前も隣家の子守りということもご存知だったということですね? なのに貴方は知らないふりをしていませんでしたか?」
「ああ、君がナンシー伯母に話したことはほぼ全て知っていた。正直で真摯な君に付け込んで申し訳なかった」
「つけ込んだなんて。実際私はあの温室を弁償しないといけませんでしたから。確かに私なりにお勤めを果たしていたつもりでしたけれど……ボードゥローに私を同行させたために余計出費が
「温室のガラスなら金を出せばいくらでも買える。それに修理代も君のボードゥロー滞在費も問題じゃない。君と一緒に過ごせたことで俺は益々確信した。君の存在は何にも代えられない。俺はただ単純に君と一緒に居たいだけだ」
マテオの真剣な瞳に見つめられて告白をされました。私の心拍数は先ほどから上がりっぱなしでした。
「実は私もこの数週間、何をしていても虚しくて、思い出すのは貴方のことばかりでした」
「ああキャス、俺達最初からちゃんとやり直せるかな? マテオ・フォルリーニ、建設会社勤務、俺と交際してくれませんか?」
彼は私の右手を解放して、改めて握手のために手を差し出しています。
「はい。カサンドラ・デシャン、栄養学科の大学院生です。こちらこそよろしくお願いいたします」
「ああ、良かった」
私がマテオの手を握り返すと同時に二人でクスクスと笑い出さずにはいられませんでした。
「私、貴方の笑顔を久しぶりに見た気がします」
「君の笑顔もだ」
マテオに笑いかけられると心も体もとろけてしまいそうになるのです。これが恋なのだと改めて実感しました。
「キャス、いい加減に敬語はやめろ。前のようにタメ口をきかないとこの場で即その可愛い口を塞いでやる」
「うふふ、どうやって塞ぐのですか?」
マテオはそこで腰を上げ、まだ握ったままの私の手を引き寄せました。
「こうするのさ」
私がまた丁寧語を使ってしまったと気付くのと同時にマテオが
「マ、マテオ!」
周囲が気になる私は真っ赤になってしまいました。家族や他人が自分の目の前でキスするのは構わない私ですが、自分自身がする分にはどうしても抵抗がありました。
「人前だろうが運転中だろうが、今度は舌も入れるからな」
「もう!」
食事を終え二人でレストランを出て、車まで歩いている時に私は聞きました。
「ねえマテオ、叔父の住所はどうやって調べたの? 小切手の住所は実家のものだし……」
「検査をしたクリニックの問診票にはロリミエの住所と電話番号を書いていただろ。念のためこっそり携帯で写真を撮っていた」
マテオ・フォルリーニはやはりストーカーでした。イタリア人だからパパラッチと言うのでしょうか。
「それって……」
「いや、でも今日はいきなり叔母さんの家を訪ねたわけじゃない、前もって電話してから行った。これも全て君が黙って消えたせいだからな」
「ええ、自分から居なくなったけど、本当は寂しくてしょうがなかったの。また逢えて良かった、マテオ」
私は感極まってマテオの腰に腕を回してギュッと抱きつきました。外はもう薄暗く、人通りもまずありませんでした。
「ああ、ミア カーラ……」
私たちは車のすぐ側まで来ていて、マテオはいつの間にか青いスポーツカーのドアを開け、私を後部座席に押し込めました。そして自分も隣に乗り込んできて、私の唇を荒々しく奪いました。
マテオとの再会により、感情に火が付いていた私は大胆な行動に出ていました。その、詳しく述べることは避けますが、マテオの絞り出すような
「ああ……そこまでする必要はない、放せキャス……」
「いやよ」
男性に対してここまで積極的になったことなんて初めてで、自分でも驚きでした。この狭い後部座席では流石に二人の体を重ね合うことはとても無理だからなのですが、私はマテオを悦ばせたい一心でした。
「キャス、うっ、ああ……」
そして今、まだ荒い息遣いの私たちは狭い後部座席で気だるい体を寄せ合っています。
「まさか君がここまで大胆だとは」
「あ、貴方の高級車を汚さないように、と思って。それで、その……」
「嬉しい驚きだったよ」
マテオは私の髪や首筋に優しくキスを降らせました。
「今日は狭いながらも後部座席のある車で良かった。次回はカーセックスができる、もっと大きい車で来るからな」
「いやだわ、マテオったら。ミニバンか引っ越し用のトラックでも借りるつもり?」
「リムジンの方がロマンチックだと思わないか?」
私には冗談に思えても、マテオは大真面目のようでした。それでもマテオなら指を鳴らすだけでぴかぴかのリムジンをチャーターできそうです。
叔母との約束通り、遅くなり過ぎないようにマテオが家に送ってくれました。
「今日はもう夜遅いから叔父さんへの挨拶はまた次回にする」
私が車を降りると、マテオは車のトランクから小さなスーツケースを出しました。
「君がボードゥローのホテルに置いていったものだ。君の衣服を俺にどうしろって言うんだ」
「貴方に買ってもらったものと一緒に、芽生えかけていた貴方への恋心もロリミエに置いてきたつもりだったのに、結局それだけは持ち帰っていたみたい」
「それに俺の心も一緒に持って行ってしまっただろ、君が居ないと何をしていてもただ虚しいだけだった」
叔父の家の前なのに、マテオは私の腰を抱いたままでした。叔父夫婦が家の中から見ているかもしれないという考えがふとよぎりました。それでも私はその手を振り払うことなど出来ませんでした。
「この中には君の携帯電話も入っているからな。いつでも連絡が取り合えるように、電源を入れておいてくれ」
携帯電話まで頂くわけにはいかない、月々いくらかかるのか聞こうと私が口を開く前に彼に再び唇を激しく奪われていました。
「明日の晩電話する。お休み、キャス」
「お休みなさい……」
そして今度は私の額にキスを落としてにっこりと笑うと、彼は車に乗って走り去ったのでした。
***今話の一言***
ミア カーラ
私の愛しい人(女性)
叔父さんも叔母さんも絶対窓に張り付いて二人の様子を見ているに違いありませんよね。
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