交際

第十八話 初秋の再会




 九月も半ばを過ぎ、私は大学院生としての生活も軌道に乗ってきたところでした。研修先によっては僅かな手当てが出るところもあります。現在、週二回行っている病院での研修もそうでした。ですから学業に専念するためにも、アルバイトは減らして週末一日カフェで働くだけにしました。


 そんなある日の夕方、授業を終えた私は叔父の家に帰宅しました。ロリミエ郊外の閑静な住宅街です。バス停から歩いて最後の角を曲がると叔父宅の向かいの日陰にやたらと目立つ青いスポーツカーが路上駐車されていました。近所は一軒家ばかりで各戸ガレージや駐車スペースがあるため、そうそう通りに車が止められていることはありません。


「そう言えばマテオも同じメーカーを運転していたような……この車はマテオの車よりも大きいわ。イタリア車なのかしら?」


 彼の白いスポーツカーはとにかく人目を惹くので、車のことは全く分からない私でも覚えているのです。それにしても何かある毎にマテオのことを思い出すのは私の悪い癖でした。


「私もいい加減乗り越えないとね……」


 ため息をつきながら家に入ると、玄関に叔父のものではない男性の靴が一足ありました。お客さまがみえているのでしょう。


 私は喉が渇いていたので台所に向かいました。手を洗って水を飲もうとしたところ、叔母の話し声が聞こえてきました。居間を覗くと叔母と向かいには黒いシャツの男性が座っています。彼が振り向かなくても誰か分かります。ここ数週間忘れたくても私の記憶に鮮明に残っていた人です。


「キャス、丁度いい所に帰って来たわね」


「え、ええ、ただ今帰りました」


 その男性は立ち上がって私の目を見つめながら近付いてきます。


「キャス、お帰り。やっとまた会えた。君の叔母様にご挨拶をしていたところだ」


「マテオ……」


「とりあえずお座りなさいな。貴女にもアイスティーをいれるわね」


 私は彼に手を引かれて彼の隣に座らせられます。


「あの、貴方がどうしてここに?」


 私が置いていった小切手の額面が少なすぎたに違いありません。しかし、私はロリミエで居候になっているこの叔父宅の住所をマテオに教えた覚えはありませんでした。


「君が連絡先も知らせず、携帯も置いて黙って消えるからじゃないか。俺は言いたいことが山ほどある」


「それでも……」


 叔母が私のアイスティーを持って台所から戻ってきました。喉がからからに渇いていた私は気持ちを落ち着けるためにも、それを数口飲みました。


「マダム・デシャン、お嬢様を夕食に連れ出すことをお許し下さい。先程も申した通り、私達は二人でしっかり話し合う必要がありますから」


 マテオが叔母にそんなことを聞いています。わざわざ外食しに出掛けなくても、と言いかけましたが、叔母には私が愛人まがいのことをしていたと知られたくはありませんでした。叔父夫婦と一緒に食事しながらできる話では決してありません。


「構いませんわよ。今夜の夕食はどうせ簡単に済ますつもりだったし」


「ありがとうございます。この近くでどこか静かに会話ができる場所をご存知ないですか?」


「車で数分の所に私たちお気に入りの仏料理レストランがあるけれど。キャスが道案内できるわ」


「それは是非行ってみたいですね。じゃあキャス、行こうか」


 マテオはすぐにでも出かけようとしています。


「ええ。けれど少し待って下さい、フォルリーニさん」


 私は彼に取られた手をひっこめました。


「そうね。まずは着替えていらっしゃいな、キャス」


 帰宅したばかりだった私は急いで部屋に荷物を置き、顔を洗って着替えました。九月半ばでも、特に今日は暑かったので私はあのボードゥローで買ったドレスを着ていくことにしました。


 叔母が言っていたレストランは誕生日など、特別な日に時々叔父夫婦に連れて行ってもらう場所でした。今日のような何もない日に行くことはまずありません。


「……後はトリュフの乗ったパスタかしら、キャスは毎回それを注文しているわ。まあ、それでも今夜の貴方たちは食事を楽しむよりも話し合わないといけないのよねぇ」


「話をするにしても、美味しいものを食べながらの方が良いに決まっています」


「全くその通りだわ。キャスは誰に似たのだか、やたら真面目で頑固なところもあるから。応援しているわ」


 階段を降りている時に玄関前に居る二人の会話が聞こえてきました。叔母がマテオに向けている満面の笑顔が容易に想像できます。ウィンクの一つや二つもしているかもしれません。


「恐れ入ります。カサンドラさんは遅くならないうちに責任を持ってお送り致します」


「遅くなっても大丈夫よ。主人もそんなにうるさく言う人でもないですしね。それでも日付が替わる前には帰宅させて下さいね、フォルリーニさん」


「もちろんです。それから私のことはマテオとお呼び下さい」


「そう? それでは私のこともスザンヌ、スーでもいいわよ」


 マテオと叔母は既に名前で呼び合う仲にまで進展しかけていました。


 叔母が言っていたレストラン、マキシムは家からすぐ近くの商店が集まった一角にあります。週の初めなので夕方でも予約なしで入れました。


 私自身はあまり豪華な食事をする気分には程遠かったのです。叔母は何を思ったかこのレストランをマテオに勧めたばかりに、私は別のもっと軽くて安価な場所を提案できずにここまで来てしまいました。


 このレストランに来る時は私は自分へのご褒美として大好きなトリュフのパスタを注文します。けれど今日はサラダとスープだけにしました。マテオはエスカルゴに牛肉のタルタルを選んでいました。何回か一緒に食事をするうちに彼の食事の好みも段々と分かってきました。


 メニューを見ていたマテオをこっそり観察してみました。数週間会わなかっただけですが、何だかやつれているように見えます。


 マテオの頼んだワインが運ばれてきました。車に乗ってから必要最低限の会話しかしていなかった私たちでした。それでも言い出しにくいことを後回しにするのは嫌だったので、私はすぐに口を開きました。


「フォルリーニさんがわざわざ叔父の住所を調べてまで私を訪ねていらっしゃったのは、私の書いた金額が足りなかったからなのですね。それなら差額分を今すぐに小切手で切ります。その、期限はもう少し、来月か再来月まで待っていただけると助かるのですが……」


「それは違う。君が居なくなったあの後、俺も急いでロリミエに帰ってきた。なのに急に外国への出張が入ってしまったんだ。でなければすぐに君を迎えに来ていた」


「迎えに?」


「ミ マンキ、キャス」


 一瞬耳を疑いましたが私でもこのくらいは分かります。マテオは確かに私が居なくて寂しいと言いました。


「私……」


 私の方がより寂しかった、とマテオに心の内をさらけ出してしまいそうでしたが躊躇ためらわれました。テーブルの上で水の入ったコップをもてあそんでいた私の右手はマテオの逞しい両手で彼の方に引き寄せられ、ぎゅっと握られました。


「温室が壊れた時に俺が言ったことは全て水に流してくれ」


「それでもあの温室を修理するには実際お金が必要でしょうし、その、デュゲイさんとのお仕事も私のせいで上手くいかなかったのでは……」


「金銭の問題じゃない。あの時は無理矢理脅して君を言いなりにして悪かった。反省はしているが、そのお陰で君と一緒にボードゥローで過ごすことが出来て良かったとも思っている」


 私の目をしっかりと見つめてそんなことを言うマテオでした。


「それでも……」


「それにポール・デュゲイとはあの一件で見切りをつけた。普段仕事に私情は挟まないが、犯罪まがいのことをする輩ともう一緒に仕事はしない。奴の奥さんもやたら粘着質で俺は苦手だしな。君に嫌な思いをさせてしまって非常に後悔している、本当だ」




***今話の一言***

ミ マンキ

あなたが恋しいです。この表現は仏語も伊語も良く似ているので、カサンドラもすぐに意味が分かったのですね。補足でした。


流石のマテオ・フォルリーニ氏、高級車を何台も持っているようです。ということはさておき、さあここは勇気を持ってカサンドラに正直に気持ちを告白するのです!

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