第3章 2020令和二年 勃発 その1 ヘルパー来る

      三賀日からこの調子?

2020-01-10 報告


 振り返ってみると(いつも振り返ってばかりだ、一歩下がる、それで2歩進めばいいのだが)、

2018年4月にドイツにまず下見にきた、その前に夫婦で非難の応酬をしてあたしもうんざりしたので理の当然として、奴隷解放的離婚を決意した。


 良き時にも悪い時にも、と言い交わしたではないかと、彼がさもあたしを愛したかのように倫理的DVの旗をかざしたが、事実は良き時などなかったのだ。心を強く持ってJBに宣言しどんなに恫喝されても引き下がらなかった。どうだ、と言う気持ちがした。覚悟した。


 のだが、翌朝システムがアラームを鳴らし、あたしはパニックになっていた、どこからそんな考えに至ったのか、思い返す暇もなかった。

(離婚したらとりあえずJBを殺すことになる、殺人だ、それはしてはいけない、厳然たる自分への禁止の声のみが聞こえたのだ。とんでもないことになる!!) パニック心理だった。避けなければ。それしかなかった。



 そして中間策へ飛びついた、介護人としてだが彼を捨てない、あたしは妻とか家族ではなく、単に路傍の人、介護人である。同じ屋根の下には住むとしても。それは理性的な理由からである。


 かくして、余りの恐怖感のために迷いは一切なく、移住に集中し思いもかけずJBをサイボーグに強化してしまった。

 それで通常人となれるかと思いきや、JBは腰痛を引き起こし、神経過敏を助長させ、あたしを恐怖させもう心理的肉体的、かつ現実的にも限度というところまで追い詰めた、その結果としての非難の応酬の結果、改めてJBから離婚の言葉がでた。


 これに対し、あたしがもうパニックにならなかったのは、周囲の友人たちが共依存だと焚きつけたからで、それをあたしもすんなりと理解、するとその意味での「殺す結果になる」ことへの恐怖を感じなくなっていたからである。おかしな心理だ。こんな飛躍を果たしたのは忘れもしない去年9月26日だった。 


(JBがあたしなしで状況を打開できるか、問題はこれだ、ヘルパーというシステムがある、ホームもある。JBはこれをしかし嫌う。あたしを死ぬまでこき使おうというJB、そうはさせまい、されまいとするあたし。

こき使う、という表現の背後には彼の世話が彼の悪習のために過剰に大変になっているという理由がある、ハウスドクターもあたしが背負いきれなくなっていると見通している、確かにまだ寝たきりではないのだが)



*****

 驚きの結論に飛ぼう。新年2日夜、


 バスを降りて坂道を持ちきれないほど重たい買い物袋を引きずり、やっとたどり着いた信号、そこで待つ数秒の間、


「車がないからこそのこの苦労!」と思い、


「父の禁止に逆らっても運転を習っておくべきだっただろう。」と思いつつ道を渡った。歩道へと来た、


「あ、そうか、もし車を運転してたらとっくに事故死している! それは佐藤さんの去年の事故であきらかだ」


(佐藤さんというのは日本で、車のないあたしのために無料でその便を提供してくれた既得な友人である。運転上手で言うところなかったのだが、私が去ってからまもなく、車は対向車に衝突され、あたしが座っていた助手席は完全に壊れたのであった)


 あたしは橋を渡りながら、カラカラと笑った。


 あたしのあの時のパニックはJBのためではなく、自分の事故死が来るだろうことへのそれだったのだ、彼を捨ててはいけない、と思って、ドイツで死なせようと思って、結局、あたしが避けえた事故死という道!!


 新結論、だからあたしは共依存などではない、


 今や、自分を恐れることなく大きな心で自らの自由な決定権を行使し、理性的にJBの環境を自立可能に整える。


 そこには慈愛のシステムという大きな支え、肯定がある。がしかし、あたしの意識がお利口ぶって、救いようのない彼を憐れんで、彼を改善し、真理へ導き大団円で大往生させようなんて偉そうすぎるな、そう言えば。


 もっと新しい見解が湧き出た。あたしの中からふっと湧いてきた。ドーラの嘲笑 に対抗して。


「彼の人生の真理は彼が決める、選ぶだろう、妙な教唆や配慮はしない、彼の自由だ、あたしに自由があるごとく。彼の実相を礼拝するのみだ、あたしのするべきことは、それのみだ、いつものように、ただ、人間の意識をあまり使わないようにしよう。」


      *******


身巡りの友も遠くに泣く人もわれに礼拝させたまへ 今

出来事に慈悲の意味づけ為してのち具体の天恵 降ること堅し

神とその鏡像のみが実在と 人類のなす無心の礼拝

脳内の無限大の吾あるあらぬ 意識の作る果てなき視界

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      愚痴るのにちょうどいい日

2020-01-15 報告



 今日は正月も15日である。

 「死ぬにちょうどいい日」というTV番組「ルシファー」のタイトルがあったが、まさにちょうどぴったりにここでも使える。昨日の夜遅くまで目をこすりこすりして、さるページに失敗談を書いて、うまく下書き保存できたと思っていたら、今日はそれが完全に失われていた。ちょうど書いたばかりの内容とシンクロする、かの1月9日にあれこれ失われてしまったのと同じく。


 実は例のごとく、電脳世界の不可知の事態のおかげ!

「サードパーティのキャッシュが云々」とあたしには無意味な不足を言ってくるのを説明書の通りに処理したのに、反応が期待通りでないというおさだまりの成り行きのせいだ。

 しばし茫然としている。元気は戻ってこないし、再生できるとも思われない。それでももう一度初めから書くのか、あたし? 


 というわけで業というか、マイナスの波にかなりあれこれ翻弄されつつ、時に見つかる(絶対に!)ダイヤモンドを楽しみにして生きる他ないようだ。

 

 9日の起きたての頭はまあまあだった。目眩のくる様子もなく頭の重苦しい痛みもなく、しかしながら

稀なことに昨夜はスマホをキッチンテーブルに置き忘れていたので、いきなり残量2%と警告されていた。ほとんど走り込むようにして充電器へ繋ぐ。

 命を救ったぞ、と安心する、数分してちょうどまた通りかかったので覗いてみると、なんともっと真っ赤になって怒っている。しまった、接続の音を聞き漏らした、ではなく、接続のポンという音がしないのを聞き逃したのだ。電源の変圧ソケットが緩いので時にこういうことが起こる。

 呪われた日か、頭が、あるいは耳が悪い日か、ともかくスマホはOKになった。


 バートクロイツナハのうちの銀行の支店がいつ開いているか電話に成功。週に2日しか、しかも朝10時から2時間しか開けてくれない、という変な組織だ。

 ところが、どうしたことか電子住所録から銀行を削除してしまった、どこか押すべきでないところを押したのだ。ふ~これくらいはクリアできるさ。


 体重測定メモを取るのは成功、しかし、その紙切れと昨日のメモの紙切れが同時に失われた。でも見つかった、でもどこで見つかったかはもうあたしの頭から失われてしまっている。


 足の外反母趾のせいで、曲がった小指がねじれて本来柔らかい皮膚が角質化している、その尖った角質が今度は当たっている薬指の裏側を擦り、やがて魚の目がそこに生じる、今回はそこが炎症を起こして痛い、もう1ヶ月以上治らない。ろくなことは待っていないな、と感じる。

 老化した身体のうち唯一形を保っているのが爪である。そこにマニキュアする、まあまあ成功。今日は偶然に部屋着と同じ色で、下手だけど。



 しかしここで瞑想成功、勿論流れが悪いから瞑想始めたのであって!! つまりマイナス無くして瞑想なし、瞑想すればダイアモンドが落ちて来る、ということ!!! 表現方法新規発見。それに仏教の曼荼羅図ではないが、自分なりの「・・・・の・・・・・」図の下図がでた!!!!

ーーこんなもの

 原子の集合場次元としての「物質世界=無機物質〜有機物質~宇宙」(「隠り身」の鏡像的システム表現の結果)

 その内部というかその内実としての 神経細胞電磁力結合による「意識生成」と「意識による世界像生成」


ーーそして図示の試み(隠り身と鏡像/鏡像の中に大脳と小さな手足がある図)


 隠り身は隠れておわすので無いも同然?ではあるが、全存在システムなので、仮に無限の大きな球だとしよう、その内側には内皮のように、隠り身の鏡像(どんなに見えるかは不可知、恐らく仮に真善美と名付けてもいい)がある。

 内部に生物、特に人類の些細な脳神経網(体も含む)が存在して、鏡像からの莫大な情報をうけるが、それが反映して感じて描き出す世界は小さな限りある不完全なもの(=物質世界とその4次元の動き)になってしまう。


 (人類の)意識のみが物質粒子の影響として在る、各自が持っていて同じやり方で世界を描き出すという共同作業を行う。全人類の全シナプスが結合され反応され、自らの存在を感じる世界に生きていると思っている。


 今日のそもそもの質問、物質宇宙は存在するのか、些細な存在であっても。

あたしのこの考えでは、それすらも存在しなくて、全ては人類の脳細胞が隠り身の鏡像情報に対して反映する小さな反響の産物に過ぎない(過ぎない、という言い方はこれまた意識のよくやる一方的な発言であるが)。反響をお互いが受け取って、存在があるという認識作用を行なっている。だからアインシュタインがいうようにめちゃくちゃなのに分かるという不思議なところがある。


 まずい、行き詰まった。もちろんどうにか言葉で表現できるはずもないのだけれど。


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 さて9日の愚痴の続き。どんなことに出会うやらと心配しながらも階段など注意して出発。


 ゴミ捨て成功、しかしこのためにバス滑り込みとなり、7ユーロ損した。つまり、ゴミ捨てに関心が移ったために、バスの1週間券があるのを忘れて出発したのだ。


 計画通り、郵便局で弓友へのプレゼント再発送に成功、クリスマス前の謎の発送失敗の経緯は自分でもわからないまま。他に医療振込失敗したがこれは、振込票が失われたと思ったのが間違いで、実はちゃんとカバンに入っていたので翌日完遂。


 この仕事のためにタクシーに乗る羽目になったが、ふと見た道端に、丸い石ころと別な場所には尖った石の2種類が割と意図的に固まっている場所があるので、そのことを指摘したところ運転手が、この地域は石で有名なんすよ、アメリカの西部劇のゴールドラッシュみたく、貴金属ならぬ貴石を探すのが流行ったんで、と語り出した。丸いのはもちろんこの辺りを流れるナーエ川のものだ。


 リハビリスポーツでは器械の強さを上げてもらったところ、動きやすくぴったりの強さで良し、買い物成功し、これで払拭かと思いきや、しかしまたバスで失敗。

 バスの運転単位「ワーベ」(蜂の巣穴)を聞き損なったのを、いい加減にハイハイと言ったために、いつもの半分の2ユーロだけ払って片道切符を買った。よく考えたら住まいのバートミュンスター は今いるバートクロイツナハとは別のワーベになるためいつもは2区間分片道4ユーロを払うのだった。なので駅の乗り換えでまた2ユーロ追加となろうか。

 これからが愚痴の本番、駅で次のバスの女性運転手に、まあ相談してみようとみみっちくも説明したところ、妙なところで勇気を出したこちらも馬鹿だったが彼女もどう理解したのやら、面倒そうにボタンを押し、今回だけですよと恩着せがましく言って、何故だか3ユーロ30の券をくれた。どう考えても辻褄が合わない、その券を睨みつけたままで過ごした。


 帰ると、100ユーロAmazonカードをJBが擦るのに失敗、買おうと思っていた本棚が買えない、するとどうしても部屋を片付けられない、17日にヘルパーが来るのにそれでは困るのに。



*それから3日後、1月12日

 昨年10月末に左足首を捻挫、12月末に右足首を捻挫、その間に一度左足で墜落事件あり、と言っても全て階段一段分の高さ、あるいは1センチほどの高さからの墜落?なので、本格的な骨折とはならなかった。コップの水は半分残っていた。しかしさらに12月中ば外反母趾の小指の影響でいつもできる魚の目が炎症を起こして、今日のこの日もまだ痛い。

 数日前はバスの中で右くるぶしを強打された、窓側の座席にずれようとしたところ、足元に何かの梃子状のものが突き出していて、それにしたたかぶつけたのである。必死で撫で続けた。


 1月半ばになり、やっと17日金曜日にヘルパーが派遣されると聞いた。今週末である。今日は12日、長男の48歳の誕生日である。どんな中年になっていたことか。


 多分、これらの両足使用不可能系の出来事は変に痛む両手首同様、あたしの家事従事不可能系をヘルパーがわに見せつけるために起こった(起こした)と見られるが、一応の常識的な見解に過ぎない。別の見解では、あたしがヘルパー要請を自分に納得させるためのものであろうとも。


 またもや昨年に戻り、非常に重要な変化がもたらされた件をまとめる必要がある。

1)まず11月17日、もう三度目に触れるけれども、あたしがJBのサファリを使用不可能にしてしまい、そのショックから自分の価値を低め、JBの価値を尊敬へと高めたことがあった。価値の大逆転が起こりうること、我々がこうと思っていることがそうでない事もありうるとわからされた。これはあたしの立つ位置を変えてしまった。人の意識の当てにならなさがここでくっきりとテーマになった。


2)12月の本当に歳晩の刻、あたしはぼんやりとここ数年お気にりの俳優のインスタグラムをめくっていた。老婆でもいい男には目がないのかなあと、ちょっと面映い気はするが実際心が慰められるのを感じるのだ。彼トムエリスという40歳の俳優が演じているのは、事もあろうに、あるいはまさに事そのもの、事もあろうにルシファー、悪魔、地獄の王である。父である神とのエディプスコンプレックスのような確執が人間の抱くものと重なるので、結構考えさせられるいい作りのドラマである。

 トムエリスの顔にはたくさんの異なる表情があり、とても同人物とは思えないことが多いので、つい次々と眺めていくことになる。その晩、彼の真面目な正面顔、メガネをかけた素顔が目に止まった。ただの端正な顔だ。見たことはあっただろうが通り過ぎていた写真らしい。

「似てる!」とあたしは叫んだ、本当に。「誰かに、だ、誰?!」と言いながら知っていた。

 あたしは部屋の隅の写真祭壇を振り返った。父と母と長男の写真がある。誰あろう、トムエリスのその顔は、長男の写真と重ねることができるほどだった、輪郭も眉と目も口も鼻もほおも! その眼差しも!

 あたしは震えた。息子の生まれ変わりにここで出会うのだと決めていた。いつもアンテナを立てていた。

 そうか、そうだったのか、気づかなかっただけだ、今気づかされたことが重要なのだろう。それ以外のことは全くわからなくても。あたしはもう結果を得ていたのだ。なんというたっぷりの贈り物だろう。


3)こうして、自分が共依存のせいでドイツ移住した訳ではないという、すでにのべた新年1月2日の発見へと続く。

 これらの出来事は、意識の惑いかもしれない。しかし確かなのは、あたしが全くその関係で惑ってなどいなくて、突然新しい考えが脳神経の電子振動の塊から生じた、あるいは言葉が降ってきたのであって、確実感が半端ないのだ。同じく、罪はない、と一度言われ、逆に最近は責任があると言われても、これだけ取り上げると確かに矛盾だが、コンテクストが異なる。


 こんなハプニングが静々と積み重なっていき、残るはJBがあたしをどれほど解放できるか、そのことによって自由な自分を取り戻せるか、というリアルな核心が残った。

 そして、じつは元旦、あたしはわざと新年を狙ってJBに言い放ったのであった。

「あたし、一週間ほど休暇をとるから、その間の食事のことを理性的に話し合いましょう」

 彼の態度をむしろ期待して観察するつもりだったが、残念ながらJBはちっとも進歩していなかった。それどころが完全に昔のような、その昔のことを引っ張り出して非難ばかりする嫌な野郎のままであった。がっかりの新年となったが、こんなことで気を落としてはいられない。


 その後元旦からしばらく経ったので、またドレスデンの旧友訪問を持ち出したところ、「また驚かすんだな、突然の情報で、元旦には二人の友人を続けて訪問すると言った」と例のごとく偽情報も主張して手が付けられない。要するに10日間普通の機嫌だったのは忘れていたのか。



 さて、最後にこうまとめることができる。息子の転生にはもう巡り合って慰めを得ている。ドイツ移住は自分のためだったがJBを言い訳にしていた、そして生じている被害の責任はあたしにもある。


 最後の愚痴である。JBの両脚がまたむくみだし、動くと顔色が紫になり胸がヒューヒューと鳴る。そろそろまた入院せねばならない時期かもしれない。そしてついにヘルパーが明日はくる。

 何がどうなるか、無心にしていよう。

 そしてあたしを助けているように見えるかもしれないが、ドーラにはやはりこちらが助けとなるべきということのようだ、そのように慈愛を基本にする他ない、誰にも自由は認めるとしても。


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仮初にこの心身を現象す このまんまにて聖霊として

向かひより反射光きて明らめるへや打ち眺む ミニマリズムだ

スーパーのそこのみ日本ふうふうの「天下一品」見つけたりけり

四十八の汝が生日にわが心 吐息静けし仕組み知らねど

小寒の窓辺に咲けるサボテンの造花のごとく 魔法のごとし

山の端を越えくる冬の白雲の 羽衣のごと青にたはむる

たたなづく青よ緑よ やはふでの霧にけぶれる遠き倭路

髪重く痛む頭か 麻薬とし珈琲煎茶喜多郎の旅

探せども「新規挽回」辞書になし神気求むも辛気病むなり

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     令和二年の新機軸 大男のヘルパーは音楽家

2020-02-02 報告


令和二年の新機軸(1)

 まずはまずは、わが人生の一大転換、ヘルパーの登場! ここから新機軸、あたしの自由決定の世界が開ける。


 50歳くらいに見える大男が現れた。なんとなく3mの天井が低く見える。白系ロシア人の血筋だという、余り訳がわからないが。

 本当は音楽家、音楽大学で正規の教育を受けたクラッシクギタリストで声楽家、しかも地域の合唱団の指導も。

 ということは我が大家夫人と同じではないか? 尋ねてみたところ、彼もびっくり、ブッセ夫人とは仕事仲間なのでよく会う、ただここが住まいだとは知らなかったそうだ。

(我々の年代ではこんな詩が頭に残っているのではないだろうか、

山のあなたの空遠く

幸い住むと人のいう

ああ、われ人と尋(と)め往きて

涙さしぐみ帰りきぬ、、、、 カール ブッセ

同じブッセという大家さんはこの詩人とは関係ないそうだ)


 飲み物やペーパー、肉、果物など重たいものをたくさん買い物してもらい、JBの好物のハンガリー料理を時間をかけて作ってくれた。

 次の機会には彼の妻も同行した、彼女も同じヘルパー仲間として二人で生活を支え合っているのだ。そう、音楽だけでは暮らしていけなのだ。

 ところで妻なる人は中国人で、とても愛らしくしかもキリッとして一目で親密感を抱いた。単にヘルパーではなく友人になれそうだった。人間の選り好みが難しいJBがこの仲間になってくれればとつい願う。これは1月17日のこと。

 これで、あたしの両手の関節がさらに悪化する可能性が5割以上減った。


令和二年の新機軸(2)

 こんな喜ばしい、まるで福音のような出会いに心が浮き立つ。プラスあたしのセラピスト ギーホフ先生があなたに付き添ってあげますよ、と言ってくれた。12回のセッションを健保が払ってくれるはずだという。

 1回目(1月24日)の前日、ハウスドクターのところで女性向け雑誌の人生相談ページを読んだ。66歳の女性がいつも同じタイプの「自己中」男と結婚してしまうと訴えている。最初は魅力的に見えるのがたちまち口うるさい非難がましい専制君主になり言葉の暴力に彼女の自尊心が壊されていくというのだ。


 カウンセラーの書いていることで珍しかったのは、このタイプは実は元々自己価値が低く、捨てられるのが怖いので権力で支配しようとするのだが、褒められると思いやりのあるかのように振る舞うので誉め殺しにするとよろしいとか! 

 あるいはよく言われることだが、相談者は幼い頃の無理解な父親との体験を再現しようとしている、という指摘はあった。人にはそんな傾向があるそうなのだ。確かに親からの虐待は次の世代に引き継がれる、とはよく聞く。


 それでは、あたしにもそんな権力魔に捕まるようなトラウマ的な、父親体験があったのだろうか? それに、JBのパソコンを壊してしまった例の事件で、自分の過ちだったと珍しく謝って彼が尊敬に値する部類へあたしの中で昇格したことについて、それが嬉しかったという自分でも意味不明な感情のことがまだ謎のままであった。


 ギーホフ先生はまず「それはマゾヒズムみたいね」と宣わった。一見そう見える。しかしあたしには主張すべきことがあった。まさに父親との昔の記憶である。

 で、自分の父親のことをギーホフ先生に話し始めた。朝の8時から始まったカウンセリングである。

 (特記事項あり。6時に起きて、6時55分のバスに乗るつもりで出発。世界は夜である、日の出は8時過ぎ。バスがこない。そばにいた若い男に、いつもここで乗りますか、ええ、来ないですね、一つ前のは来なかったのですよ。それはおかしい、電話してみましょう、、、、今日はストライキだそうです。ここはフランスじゃないのだが。0度の朝まだき、ついに1時間立ちっぱなしだった、この日は一日中タクシーで移動)。


 何故に共依存とも非難されるような事態に私は陥ったのか、幼児のトラウマがあるのかと考えてみるのですが、私は本当に文句のつけようのないほど理想的な両親に愛されて育ち、理解されていない、抑圧されたと感じることはありませんでした。

~だからご主人からの批判や命令に慣れていないのでそれがこたえたのでしょうか?~確かに彼から不当と思われる批判を受けるごとに私はすぐに心理的に遠ざかり、彼を疎むばかりでした。

〜批判されると言えば、父から叱られることがいつも嬉しかったものです。父の言葉には必ずいつも深い暖かさがあり、私は感動してしまいありがたくてそれで涙まで流すこともありました。悲しかったことはありません、いつも理解され思いやられていました。それは嬉しい思い出なのです(ここで父の優しさがひしと思い出されて感動の涙を流す)。

 だから前年末に夫のパソコンを壊してしまった件で、自分の非を認めて謝りそれによって自動的に夫の人格が高まったので、父との関係がそこで感情的に反映されたのでしょうか? それで嬉しかったのでしょうか? ちょっと捻れていますが。 

~ご主人の批判は父親のそれとは違うのですね? 

~そうです、人格まで否定し、逃げ場が無くなるまで追い詰め、全く人への理解がなく自分が正しいことのみ振りかざして私を最低の人間にして踏みつける、それをやめません。

~今回謝った時に彼の反応はどうしたか? 

~すぐにそれを受け入れまもなく怒りを納めました。パソコンは長くかかりましたが彼が自分で修繕しました。

 

 ともかくこちらのボールは投げたので、どんな手立てで返してくるかが楽しみ。

 ギーホフ先生は同じくらいの年齢で優しいふっくらとしたお婆さんである。誉め殺し作戦は、心を偽るのでそんなことはできないだろうと言ってくれ、頼もしかった。

 45分の演説の後は頭がくらくらした。


 まとめ:昨年12月15日から押し寄せてきた4つの相転移(1。意識を去り無心に実相を礼拝するべし、の方針 2。自分に責任があると確信させられる 3。長男の再来にすでに出遭っていたこと 4。共依存によってドイツ移住したのではない)、当座、どう見えようと全てありがたいことに決まっている、有難い。



令和二年の新機軸(3)

 1月22日水曜日、これから水曜日は18時から太極拳をする。しかも2軒先なのでバス代もいらない。ラッキー。初心者用だが流派が違うので構わない。


 久しぶりの動きだった。左脚のバランス立ちに問題あり、やはりだ。頭か耳か。そう言えば、その翌日整形へ行って、捻挫のチェックの際に、頭の中があるポジションの時(おおむけに横たわり頭の位置が低い時)グラグラすること、喉の中に何かが張り付いている不愉快感、いずれも十年くらい続いているが、この2つの問題が頸椎と関係があるのではないかと耳鼻科で指摘された、どうしましょうかと尋ねるといつもの丁寧な外国人の整形医が、その前に脳神経外科へ行きなさいと紹介状をくれた。

 手首の関節痛にはレントゲン照射治療というのを教えててくれた。癌の危険性あり! しかし一応予約を入れておく。



自分への問題提起と現在の考え:

 巷にあふれる種々の「カウンセリング」で最近よく目につく言い方には、肝心の点が強調されていないことがあるような気がする。要注意だ。

 自分の今の問題でもある、責任感と罪悪感にどう対処するか。

 キリストではないが、愛があれば(個々の人間への共感と理解)自分の責任も罪も回復される、つまり愛念を持つことが人間の責任なのである。

 人間の意識とは? それはおそらく真理を追求し、かつ地上で協力して平和と平等自由と死の恐怖からの解放を確立するためにあるものだろう。人間の責任だ。


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人並みに新春らしと思ひしが 過去よりの嗚呼持ち越し品にて

冬なくて立春となる 手遅れか令和三年大気はもつか

大寒に五ミリの霰零(こぼ)るるを 嬉しと見しも憂ひまじれり





     第一のハードル ドレスデン休暇旅行成し遂げて

2020-02-21 報告

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惑星の子らの見あぐる青と白 奇跡の直線カオスならざる

けふ得たる第一の壁共に越ゆ 不安それぞれ自由は輝く

日本のものにあらねど上弦の姿なつかし 雲を光らす

円周を日に一度ずつ往く地球 傾きつつに昼夜を変ず

日曜日嵐になるとか公園に太極拳舞ふ 天下にひとり

薄日さし氷雨も降れる二月四度 こころ温くてゆるゆる武術

幼なの瞳(め)清(さや)けきはだえ尊きを いつより空疎むくつけくなる 

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 まだ書けるか、どう書けば良いか、実は不確かな気持ちのまま。


 大事なことは、ドレスデンへの出立の列車の中ですぐに大きな心が降ってきたこと。

 大きな心で、「何でもいいですよ、両手を広げていますから」とでも言うような態度でいた。すると「素晴らしい、有り難い」とのみ日本語が与えられた。完璧にマッチした。


 JBは一度パニックになって電話してきたが、割とすぐに冷静になることができ、彼にももう一人別の、今度は新人の女性ヘルパーが現れてくれた。週末を除き、4日間連続で話し相手を兼ねて通ってきてくれた。料理は不得意らしかったが、彼女の目玉は、アメリカまで行ってタネを拾い(つまり男と寝て)、娘をシングルマザーとして育てていると言う経緯とか、これには一緒になって笑った。


 あたしの方は、家族に愛された、と言うような余韻に浸りながら、帰りの列車で拾った風邪のためぼんやりした頭で、50年来の学友とその夫との六日間の思い出を行ったり来たりさせている。


 2年前のちょうど今頃、2月、本物の目眩で目覚めたっけ。天井に映るランプの影が左右に揺れていた。いつものような頭頂の中がワシワシと動くのとは違う。それを無視して動こうとするとムカムカに襲われ船に酔っていて、ウッとこみ上げてくる、空っぽの胃から。それはオカリナコンサートの前々日だったか、三人の仲間に大変な迷惑をかけることに青くなった。

 ついでに自動的に思い出す、オカリナを床にスルッと落としてしまい、カランと乾いた音がして、無残にも二つに割れてしまったあの瞬間、あたしの世界も割れたような気がした。年寄りの冷や水そのもの。なぜそんなことが起こらなければならなかったのか今でも不審だ。そんなことを思い出させていたドレスデンの昼。


 ところでドレスデンと言えば、町中が爆撃で無残に潰された時の人々の壊れた心が、やがてその瓦礫に番号を振ってできるだけ再興のために利用させたというので有名だが、そんな協力心というのは、人間あるいは人類の文化的進化の基礎である。それを思い出させる街だ。


 その昼という日は、日本人の若いオカリナの先生が、あたしのオカリナの音程が狂っていると、自分で吹いてみても音が当たらない、構造的な問題があるのだろうと、結局全ての穴にテープを貼って調整してくれていた。それをあたしは足元が崩れるような感じで冷や汗をかいて眺めていた。とんでもないことになったと思って。

 とは言え、それほど重大なことではない。


 一月前からヘルパー制度に組み込まれ、買い物の重荷が免除された。手首の関節炎にはX線照射が予定されている。学友のニッキー(日本人)の、偉い外科医なのにパーキンソン病になってしまったのに、めげずにこの世の事で自分に出来ないものは無いという信念を崩さず頑張っている御亭主から、関節周囲に炎症の残骸が浮遊しているので生じる痛みを抑えるために、それらの細胞を壊すために少量の放射線を使うのだと懇切丁寧に、絵付きで説明してもらった。納得した。


 もう一つ彼の説明で長年の疑問が理解できたのだが、これが殊の外嬉しい。


「イチかゼロ」に、つまり電流のオンオフの並びへと、文字(形)も音声も色も最終的には分解され、それで昔の無線通信のように(ここはあたしの推量)電流となって(電流に乗って?)世界の空を情報の渦が走り回るわけだが、その一番目の底の底の変換が理解できていなかった。

 2バイトが1ビットとか聞いたような気がするが、それは一応無視して(どうせ言葉がわかっていないので)、分かったことから書くと、

 御亭主は、そこらの紙に縦横に縦横線を引いた(同じことか)、その前に数字の1を太文字で書いたその上に、引いたのである。

 明らかなことに、超簡単に理解できることに、紙には白い格子と黒い塗りつぶされた格子が並んだ。数字の1の形を浮かび上がらせている。白がゼロ、オフ、黒がイチ、オン なので順番にそれを書き出していくとなんのことはない、よく見るような、0001110 (改行)00001100という無機質な羅列が生じる。


 そうか、今思い出したがこの図は編み物の本でよく見るよ。ちょっと笑えます。


 ともかく、あたしにとっての大問題だった、抽象と具象、というか物質と非物質、量子とそれ以下の小ささのものとのつながりが、これで見えたような感じを受けた。聖霊はゼロと一の並びのようなものだ、それが集まって形を見せる、あくまでも見せるのだ。

 それを受け取って見てくれる感じてくれる想像して創造してくれる存在、それが脳神経網であり、それがまた現出させる意識なのだが、つまりたとえばバッチリ人類なんだけど、この存在は聖霊と表裏一体、二つで一つ、という離れがたいもので、それとして天上天下唯我独尊というあり方であろう。これを端的に表す言葉がないのがもどかしい。


(突然に、今この瞬間に、分かった、昨今、うちの窓のシャッターが壊れてしまい、3分の2ほど窓が塞がってしまった。直す術がなかなかにうっとおしい。そうか、今教えられたぞ。お向かいの家のドーラからの誤った念が来ないようにここを閉めておくのか。ありがとう、主よ隠れ身よ、有り難い素晴らしい。

 それでも二日前から「変な」偏頭痛に襲われていた、やめてほしかった。

 しかし! この迷走神経痛こそがその奇妙さにおいて、このことに気づく端緒だった。素晴らしい有り難い)


*****

 こうした収穫あり、ドイツ語のゲボルゲンハイト(のびのび、ゆったり、くつろぎ、懐かしい)満喫の、しかも共依存と言われたり思い込んでしまったりしたあたしら夫婦の自立と自由と可能性の扉が開いた、人生初の休暇旅行の後である今、しかしあたしは見てしまったのである。とてもひどい事実を。


 人間が飼育し管理し、利用し尽くしている牛たちが、売り買いの末にリビアやトルコ、イランに多くは無法で輸出され、途中の餓死病死を免れたとしても、結局は無残な殺され方をして全く無用に苦しめられ続けているという現状を。 

 人間が殺されるよりも無垢ゆえにどうしようもないほどのショックを受けた。知っているはずなのにいつも無視して、平気で肉を美味しがっているのだ。

 今やあたしに恵まれた現在の自由を何に使えという?


 2月8日に賜った「素晴らしい、有り難い」の言葉を座して唱えても充分力はあるはずだが、やはりもっと具体的にも人間同士で果たせることは果たすほうがいいのだろう。そのために人類は存在してもいるのだ、我々の次元(意識のいろいろな次元)で訂正できることはいろんな方法で訂正するべきだ。


 ドレスデンの人々が昔、協力しあって粛々と街を再生したあの力、あの人類特有の能力を発揮することもきっとなすべきことであるだろう。


 そうだ、意識といえば注意すべきことがある。

 人類の、or人間の社会規範が意識や思考、善悪の判断、正義と概念などへ及ぼす影響を自覚しなければならない、その罠にハマらないよう注意、全てのスペクトラムにおいてそうだが(人間の言葉と概念で考える限り危険は付き纏う)!

 しかるのちに、根底にあるはずのなんと言おう、原理的存在の方針を酌むことにおいて失敗しませんように!


 注意していても最も危うい行為がこれだ、あたしの目の前にぶら下がっている。


 責任感と罪悪感 これを考えるときっと社会意識の罠に陥る、ブラックホールの中に溶け込んでしまう。

 聖霊意識にとどまること、と言うか、原理システムに即して考えるべきだろうけど、それがわかれば苦労はしない、というのが残念ながら人間の状況。

 それに、まるで極悪人が、違う俺は罪人じゃない、無実だと主張するみたいな感じもするので、悩ましい。


 この手の話題へと移ってきた。

 ドレスデン旅行の前日は、2回目の本格的なセラピーのはずだった、朝8時。1回目8時をクリアしているので、安心して目覚ましに頼っていたら、何とあたしの耳が聞いてくれなかった。目が覚めたら何と8時5分前であった。処置なし。謝る。

 ありがたくも2月17日月曜日に時間を空けてもらった。考えていたテーマは相変わらず、責任感と罪悪感をどうするというものだった。


 結婚への責任感について見方が新たになった、二人の夫を感情のある人間とみなさない自分がいた。お互いにそうだ、ジコチューだった。「今回はうまく対処してコンプロミスを取りましたね、あなたはかなり貞節な人なのですよ」とドクターは宣うた。(貞節であろうなんて思ったことはありませんでしたが)


 もう一つより明らかになったこと、あたしはJBを信頼しているのかもしれない、つまり彼にとってあたしという存在の必要性と重要性が大きいことを双方が知っているという意味で、それで前夫のように情け容赦なく捨てることができなかった。昔は相手が自分を必要としているとは思えなかったのだが、現在に至るまでの相手の生き方を知るにつけ、「前夫を苦しませたことを認めざるを得ずその後悔から、JBを捨てることをためらったのだろう」とドクターは宣うた。(そう言われるとやや落ち着く気がするが波立っている部分もあるような感じだ)


 2人の男が可哀想になる、父も弟も息子も可哀想だ、JBの係累の男たちへの共感と同情心がある。

 あたしの人生なんてもうどうでもいいのではないか?? 神への道は充分に目の前に見させてもらっている、自分が何をしたいのか、頭に浮かぶこともない、今更世界の美を鑑賞してどうなる。



 新機軸の令和二年、生成されてくる大小の案件を大切に考えねばならない。本日、2月22日のところまで。

 「素晴らしい、有り難い」の原理、聖霊世界はこれに尽きるはずだ、そう思うことが信仰というものだと、いうことにしよう。


       **********


一首すら浮かばぬ供花 如月の白梅の香は幻に嗅ぐ

夕間暮れ今年の歌を小夜鳴けり 片耳にして高枝仰ぐ

不可知なる叡智の一なるコロナさん 警告くれてサンキューバイバイ

なだらかに続く葡萄の畝の丘 見わたす全天オレンジ夕雲

冬雲にそろひて針先突き立てて 密か奏づる新芽のざわめき

鴇色と雲色の縞模様なす夕空 そつくりそのままに移動


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