WST

Mondyon Nohant 紋屋ノアン

 

 製品開発部はスタッフ数わずか三十名の小さな部署だが、時価総額じかそうがく世界二十位の国際企業WST社のドル箱といわれている。ここが開発し続けるウォーキングスーツのライセンス料だけで全社経常利益けいじょうりえきの八割を超えるからだ。

 今日、製品開発部の研究センターでは新製品の性能評価試験が行われていた。

 ミッションコントロールセンターに設置されているような壁一面のディスプレイに映し出されていたのは、手をつないで神社の長い石段を下りるカップルの姿だった。

そうそうあい」を絵に描いたようなカップル……互いを気遣きづかいながら身体からだを寄せ合って石段を下る二人を見て、研究スタッフたちは皆そう思った。

 カップルが石段を降りきると、「製品コード1192に関するデータ収集が完了しました」というアナウンスが流れた。ウォーキングスーツに仕込んだ無数のセンサーからのデータを研究センターのAIはあっという間に処理する。データ収集が完了したということは、性能評価試験の結果が出たということだ。

「父さんも母さんもお疲れさま。すぐに帰社きしゃして下さい」

 しげるが画面のカップルに向かって言った。

「帰社? 嫌よ。せっかくのデートだもの。あと十二、三キロは歩きたいわ。この新製品は最高の出来よ。歩くのが楽しくて仕様しょうがない。ねえ、あなた」

「その通りだ。今日は社には戻らないぞ。二人で町じゅう、歩き回ってやる」 

 妻の真理恵まりえに夫の範途のりみちは笑顔で同意した。室内にいた研究スタッフたちもいくぶんあきれ顔で笑った。ただ、誰も「いい歳をして」とは言わないし、思ってもいない。六十歳と五十五歳のカップルとは思えないからだ。二人とも実際の歳より二十歳は若く見える。

「ご勝手にどうぞ。あんまりはしゃいで、怪我しないようにしてくれよ」

 我社のウォーキングスーツを着ている限り怪我なんか絶対にしないとは思ったが、繁は一応、両親に忠告した。

「試験結果の精査せいさはどうしますか?」

 研究スタッフの一人が笑顔で言った。

「必要ないでしょう。僕はもう決めました」

WST最高経営責任者C E O長田繁ながたしげるは、評価試験の精査を待たず新製品の生産開始を決断した。新製品の出来の好さは、母親のはしゃぎっぷりを見ればわかる。製品コード1192は社の企業理念きぎょうりねん「歩く楽しさを人々に」を今までで最も体現たいげんした最高傑作と言っていい。

 長田繁は若干じゃっかん三十歳。二十歳の時に考案した画期的なウォーキングスーツによって、つぶれる寸前すんぜんだった小さな工房をたった十年で国際企業にまで育てあげたりっでんちゅうの人物だ。

 繁が考案したウォーキングスーツは人の筋肉運動を強化拡張する機械装置、いわゆる強化服パワードスーツではない。スーツの生地きじには一応、繊維状せんいじょうのアクチュエータが織り込まれているが、その人工筋肉は装着者の歩行姿勢を補正する働きしかしない。繁のウォーキングスーツは簡単に言うと、着用型神経ウェアラブルナーヴである。脳が送る微細な電位信号を増幅して筋肉に伝え、動いた筋肉の反応をとらえて脳にフィードバックする。それがこのスーツの基本的な機能だ。繁はこのスーツを歩行障がいをもつ人々のリハビリ用に開発した。

 リハビリはつらい。歩きへの希求ききゅうがなければ人は進んで歩行訓練などしない。「今日もがんばりましたね」という介助かいじょロボットの誉め言葉にも、「明日もがんばろうね」という家族の励ましにも少なからぬ効果はある。でも、もっと実質的で身体からだが直接感じられる「ご褒美ほうび」はないだろうか。繁が注目したのは、伸びをした時のホッとした気分やマッサージされている時の快感、そしてひと歩きした後の心地よい疲労感だった。脳と筋肉がり取りする電位信号にそのような幸福感信号を付加ふかしたらどうだろうか。きっと歩行障がいをもつ人も高齢者も喜んで歩行訓練をするだろう。繁はそう考えた。

 繁のウォーキングスーツはリハビリテーションルームを笑顔の空間にした。そして、その笑顔はあっという間にリハビリ施設の外へとあふれだした。それがもたらす幸福感は、歩行障がい者や高齢者だけでなく、世界中のあらゆる人々をウォーキングスーツのとりこにした。

 繁のウォーキングスーツは安全な歩きも担保たんぽする。理想的な歩きのフォームを装着者の脳と筋肉に教えるので着用者はつまずいたり転んだりしない。外部情報を常時感知していて、例えば本を読みながら混み合った道を歩いていても人にぶつかる恐れはない。依存症や使い過ぎによる健康被害が懸念されたが、今のところ副作用は報告されていない。それどころか、九十歳を超える長寿者の数は十年前の十倍になった。みな繁のウォーキングスーツ愛用者だ。五年間の着用による十歳の若返り効果も実証されている。開発当初は厚手あつでのウェットスーツのように重く野暮やぼったかったが、今はストッキングの生地きじなみに薄く軽い素材で作られている。普段着の下に着ていても誰も気づかない。通気性つうきせいが良く、夏は冷感を冬は温感を着用者に与える。

 街は歩く人であふれている。十キロや二十キロの道程みちのりなら一刻一秒いっこくいちびょうを争う用事でもない限り、今の人は皆歩く。健康増進や交通費節約のためではない。歩くことが楽しいから歩くのだ。三十年前の人たちがゲームやスマホに熱中していたように、今は老若男女ことごとく、歩きに熱中している。WST社の製品が提供するのは「歩く楽しさ」だ。WST社はエンタテインメント企業と言っていい。


 二人のハリウッドスターをプレゼンターとして起用したこともあって、製品コード1192の新作発表会場は百人を超える取材陣で溢れていた。

「お前のおかげだ」

 新作発表会場の楽屋で、ディスプレイに映る会場の様子を見ながら範途のりみちは息子の繁に話しかけた。範途は出番待ちのせいで少し緊張している。

 五十年前の震災で範途の父親は、百人もの職工しょっこうが働いていた大きな製靴工場せいかこうじょうを失った。潰れはしなかったものの、範途が継いだ時には職工の数わずか三人の小さな工房になっていた。十年前にはその工房も立ち行かなくなり、繁が大学を卒業して自立したら工房を閉めて妻の介護に専念せんねんようと範途は決めていた。しかし、繁の発明が工房を救ってくれた。自分の職人としてのプライドも守ってくれた。妻の真理恵の夢も叶えてくれた。

「そうやね。みんな繁のおかげやわ」

 繁はそう言う真理恵を見て首を横に振った。

「母さんのおかげだよ」

 十二年前、母親の真理恵が事故で半身はんしん不随ふずいにならなければ、ウォーキングスーツが世に出ることはなかった。

 神経の損傷そんしょうが激しい。歩けるようになるという保証はない……と医師は言った。それでも真理恵はリハビリを続けた。どうしても歩きたかったのだ。

「あなたとデートする夢を見たわ。あなたがつくった靴を履いて、二人で街を歩いたの。いつかまた、あなたと二人で歩きたい」

 真理恵は範途にすがって泣いていた。

 その様子を病室の外からうかがっていた繁は決心した。

「僕が母さんの夢をかなえてやる」

 繁はリハビリテーションの専門医になるために、この市にある国立大学の医学部に入学した。彼がウォーキングスーツを思いついたのは二回生の時だ。繁は大学と市の支援を得て試作品を完成させ、特許を取得した。二年間必死にリハビリをしても介護ロボットの力を借りなければ立ち上がることさえできなかったのに、繁のウォーキングスーツを着た真理恵は半年もしないうちにスタスタと歩くようになった。


 会場の明かりが落ち、「歩き」をイメージした軽快なBGMが流れると、ざわついていた会場は一瞬で静まりかえった。男性のハリウッドスターがアナウンスする。

「WST社が皆様にお贈りするノリミチ・ナガタの新作『DATE(デート)』をご紹介します」

 スポットライトが舞台上の小さなテーブルに並べた製品コード1192を漆黒の宙空に浮かび上がらせた。会場を取り囲む無数のディスプレイが様々な角度からとらえたその二足の映像を映し出す。

「ワオ! なんて素敵なペアシューズなの!」

 もう一人のハリウッドスターが声をあげ、慌てて手を口にあてた。彼女の感嘆は台本にはない。

 製品コード1192はウォーキングスーツではない。靴だ。

「このペアシューズは絶対売れるわよ。世界中の恋人たちがあなたの靴を履いてデートするわ」

 楽屋のディスプレイで新作発表会の様子を眺めていた真理恵は自らの手を夫の手に重ねながら言った。のりみちがデザインしたペアシューズを『DATE』と名付けたのは真理恵だ。

「そろそろ社名を変えようか。国際企業の事業所名としちゃ、地味すぎると思わないか」

 WSTは略称である。正式な事業所名はあまり世に知られていない。

「このままの名前が好いよ」

 繁は「僕はこの町の靴屋のせがれだからね」と続けた。

「私もこのままが好いわ。私もこの町の靴屋の女房だもの」

 真理恵もそう言って夫に笑顔を向けた。

「わかった。このままで行こう。俺もこの町の靴屋だからな」

 と、若松町製靴店Wakamatsucho Seika Tenの会長兼シューズデザイナーながのりみちは大きく笑った。

                                 (了)

…靴のまち神戸への敬意をこめて。

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