Track3

 今朝もつぐみちゃんの不幸をひとついただいて、私は明日の夕方までの猶予を得た。

 不幸を食べはじめて10日ほど経っただろうか。その凄まじい味には毎度虫唾が走るけれど、つぐみちゃんの不幸がひとつ消え、私の命が終わるまでの時間が伸びるのだから、我慢してつづけるしかない。つづけなければ、そのときは本当に死を迎えるしかなくなってしまう。まずさにも少しは慣れてきた。


 死んではいないけど生きているわけでもないらしい私は、栄養を摂取しなくても変わらず稼働しているが、何も食べないでいると別の問題が発生する。

 絶食状態の私を案じて、つぐみちゃんが泣きそうな顔をするのだ。その悲しい気持ちが青い滴になってこぼれ落ち、それを私が回収し、私はふたたび何も口にできなくなり、それを見たつぐみちゃんが心を痛め青い滴を垂らし……と、これで永久機関の完成だが、つぐみちゃんが涙に明け暮れるのを見るのは、私の本意ではない。


 できるだけ長くつぐみちゃんの側にいられればそれでいいと思っていたが、それ以上に大事なことを忘れていた。

 私はつぐみちゃんと、きょうだいのようにふざけあったり、家族のように寄り添いあったり、恋人のように鼻や額をくっつけあったり、そんな他愛もない日常が好きだった。


 今、つぐみちゃんは、私のことを割れ物のように扱う。そっと輪郭をなぞるような、力のこもっていない撫で方。ヒビの入ったグラスに向けるような眼差し。毎朝の牧草は、私が食べるかどうかの期待値の表れか、与えられる量が日ごとに減っていた。


 私がつぐみちゃんと出会ったのは、小さくか弱い子うさぎだったころだ。つぐみちゃんは力加減が下手な小さな手で、一生懸命のやさしさをこめて抱き上げてくれた。不器用ながら、毛並みに沿ってぺたぺたと撫でてくれた。

 つぐみちゃんは幼いころから、とても思いやりのある子だった。庭で死んだスズメを土に埋めてやり、ときどきお参りだと言っては、花を摘んで手向けたり、当時宝物にしていたおもちゃの宝石をお供えしたりしていた。よくお参りに付き合わされた私は、彼女が目をつぶって手をあわせる姿に心を奪われた。この子を幸せにしようと胸に誓った。


 そう、私はつぐみちゃんを幸せにしたかった。

 それなのに、今はどうだ。つぐみちゃんに心配をかけ、泣きそうな顔をさせている。過去の自分が聞いて呆れるありさまではないか。


 私はつぐみちゃんの視線を浴びる中、足に力を入れて立ち上がった。牧草へよろよろと近寄る。乾いた草のかおりを嗅ぐ。おなかは空いているはずなのに、ぐうとも鳴かない。毎日口にしている青い滴が、腹の底に貯まって石のようにひとかたまりになっているのが頭に浮かぶ。だから、日に日に身体が重たくなっていくのではないか。


「お願い、さくら……」


 私は何をお願いされたのだろう。

 ご飯を食べて?

 無理しないで?

 死なないで?

 つぐみちゃんのささやきに背中を押される。腹の青い石がごろりと前に転がったみたいに感じた。身体がそれについていくように、前のめりになる。


 牧草を1本口にくわえる。咀嚼するが、青い滴に狂わされた味覚は、もう使いものにならないらしい。硬質な空気を食べているみたいで、一瞬息がつまった。

 それでも食べつづける。食べなければならない。一度休んだら、食事を再開できるか定かではない。心を無にして口を動かす。


 我に返ったときには、すでに牧草入れは空になっていた。ただただ重たかった腹には、不思議と心地よい満足感が広がっている。心なしかまぶたが、呼吸が、気持ちが、いつもより軽い。生死の境目をまたいでいるような状態の私にとって、久しぶりの「生きている」感覚だった。


「さくら……よかった……!」


 終始見守ってくれていたつぐみちゃんは、私をひょいと抱き上げ、背中にぐりぐりと頬をすりつけてきた。手加減も容赦もなく、こねくり回される。

 私の前では泣きそうな顔か、困りきった顔ばかりしていたつぐみちゃんが、久しぶりに笑ってくれた。つぐみちゃんの不幸を取り除くには、青い滴を舐めるよりも大事なことがあったのだと思い出した。


 割れ物から、生き物に戻れたような気がした。

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