第18話 功名心

 新たな光明こうみょうが見えたのもつかの間、爽平たちは前線を後退せざるを得なくなった。黒スーツたちの攻撃が急に激しさを増したからだ。


 ドームへの侵入を知られてしまったのだろう。見られていたのか、検知されたのか、それとも痕跡が残っていたのかはわからないが、黒スーツたちは焦ったに違いない。人類はつつみありの穴をあけたのだ。


 戦力が拮抗きっこうする位置で踏みとどまる選択もあったが、結局は大きく下がった。少しでもドームへと近づくために引き延ばしていた前線を維持できなくなったからだ。新たに捨てた基地も増えた。


 ドームから最も近い基地からは、遠くに薄っすらとドームが見える。巨大がゆえにすぐ近くにあるように錯覚してしまうが、とても遠い。


 それに、ドームに侵入できればそれで終わりというわけではない。ドームを抜けた後は円盤がひかえている。内部に入る方法はまだわかっていない。接触すらできていないのだ。


 ドームから円盤までは五〇〇メートル。不可視の壁を抜けて一気に攻めるには遠すぎる距離だ。そして、円盤の調査の間安全を維持しなければならない。


 だから隊は、ドームの内部に前線を構築することに決めた。守りを固め、安全にドーム内外を行き来できるようにするのだ。


 それにはまず壁の向こう側の安全を確保しなくてはならない。それには、一度下げた前線を、ただひたすらに押し上げる他なかった。




 再びドームへの足掛かりを得るべく、今日もD班デルタは朝から最前線へと出撃していた。


 やることはいつも同じだ。


 戦闘部隊の中でも真っ先に敵とぶつかり、引きつける。敵がデルタに集中している間に、A班アルファB班ブラボーが遅れてそれぞれ左右を警戒しつつ前進、デルタが足止めした側面に展開して脇を狙う。C班チャーリー以降はさらに後ろに続いて、安全の確保と補給が担当だ。


 確立した必勝パターンは、デルタの索敵能力と、戦闘能力にかかっていた。


「俺、ここまで生き残ってこれたのって、先輩と組めたからだと思うんですよね」


 ホテルの内部を慎重に抜けながら、突然鈴森が言った。


 上階は無残に破壊されていたが、一階のロビーは綺麗なものだった。


 正面の自動ドアもそれを囲む窓ガラスも全て粉々になっており、天井板はところどころがれ落ち、個性的な形のシャンデリアは全て床に落ち、壁にもひびがいくつも入っていたが、それだけだ。鉄骨がむき出しになっていたり、床がなかったりするわけではない。


 さすが世界的に有名な高級ホテルだというべきか。耐爆弾性にも優れている。


 敵がいないのが一目でわかるというのはありがたいが、逆に隠れる場所がないとも言える。角から黒スーツが出てきたら目も当てられない。


 デルタはラウンジのソファや観葉植物に身を隠しながら、立ち並ぶ支柱を伝って進んで行った。


 大理石は連中の攻撃に弱いが、これは表面に張っているだけだろう。パルテノン神殿ではないのだ。内部がコンクリートなら問題ない。


「入った頃はそうでも、今は違うだろ」

「違いません」


 鈴森がライフルの照準器スコープのぞき、前方左右を確認する。抜け目のない動きだ。他の班員も、互いに背中を守るようにして、周囲を警戒していた。


「先輩の勘はやっぱり当たるんです。今もどうせいないだろうって思ってますよね。今日はどの辺に出ると思います?」

「んなもんわかんねぇよ」


 口ではそう言いながら、爽平には予感めいたものがあった。何となくではあるが、敵のいそうな位置がわかる。


 とはいえそれは勘の域を超えるものではなく、外れるときは外れる。以前細川に返した通りだ。このところ的中率が上がってきているように感じるが、それでもせいぜい七割といったところだ。当てずっぽうの五十パーセントよりも高いとはいえ、信頼できる数字ではない。


 爽平は自分の勘を信じていなかったし、下手に口にして班員の油断に繋げるわけにはいかないため、「いない」とは絶対に言わない。


 しかしその逆は別だった。


「待て」


 爽平の一言で班員はぴたりと足を止めた。三組に分かれて、周囲の支柱にぴたりと張り付く。


 じっと身をひそめていると、ホテルが面している大通りの向こう側、地階に某有名都市銀行が入っているビルの裏から、黒スーツが姿を現した。


「やっぱりわかるんじゃないですか。――一体います。二体目も確認」


 鈴森がスコープ越しの情報を告げる。


 別方向から観察するために、他の四人が二人ずつ左右に移動していった。


 彼らが戻ってきた所で、ハンドサインで敵の位置を確かめ合う。


「手前にも一体いる――ありゃりゃ、勘が外れましたね」

「だからわからないって言っただろ」


 と、突然、鈴森が爽平へと銃口を向けた。耳元で銃声が弾ける。


 それを皮切りに、ホテルの外、銀行の方から光弾が飛んできた。当然遮蔽しゃへい物を陰にしていたわけだが、鈴森が撃った方向――爽平たちの右側面からの攻撃からも身を守れる位置取りをした。


「おま、この距離でよくも――」

「仕方ないでしょう」


 きーんと耳鳴りのする左耳を押さえながら、爽平は撃ち返す鈴森に言った。鈴森の言い分はもっともだが、文句くらいは言わせてもらいたい。


「せめて倒したと言ってくれ。俺の耳のために」

「当てました」


 当たり前だ、という言い方に、爽平は口元をゆがめた。やれやれ本当にこいつはよく成長してくれたものだ。


 柱をかすめた光弾がラウンジのテーブルに当たり、木っ端が舞った。


 あれが自分だったらという想像を一瞬で捨て去り、床にひざをつけて爽平も銃を撃ち始める。


 もうグリップを握り締めすぎて筋肉痛になったりしない。銃口の位置を移動させても、照準器サイトを覗かなくても、確実に狙い通りの所に弾が飛ぶ。床に落ちた薬莢やっきょうは無意識に踏まないようになった。


 爽平が今も生き残っている理由は、経験値を積んだからだ。鈴森もそうだろう。生き残るから最前線に駆り出される。だから経験値が上がり、生還する可能性が高くなる。


 戦場の難易度と爽平たちが積んできた経験値が逆転すれば死ぬ。運が悪くても死ぬ。自分がミスをしても死ぬ。誰かがミスをしても死ぬ。


「あいつらも、同じなんだよな……」


 爽平は思わず口に出していた。


「何か言いました?」

「いいや」


 黒スーツたちも爽平たちと同じはずだ。人間を殺して経験値を上げ、生き残ればさらに人間を殺す。


 ならばこちらは相手の経験が少しでも浅いうちに殺すまでだ。


 互いの位置はわかっている。どちらが先に当てるかだ。


 連射し、再装填リロードのタイミングと思わせて撃つ。柱の右側と左側、どちらから顔を出すのかを変え、相手の不意を突く。


 と、ホテルの横手から銃声がした。黒スーツが一体倒れたのが見えた。


 ブラボーが追い付いてきたのだ。


「少し早くないですか?」

「そうだな」


 鈴森はトリガーを引きっぱなしにして、弾を惜しげもなく連射している。爽平も、デルタの他の面々も同じだ。黒スーツを今の場所から移動させないようにするためだ。


 そうしている間に、側面に回ったブラボーが黒スーツたちを全て倒した。


 デルタとブラボーは別々の方角から、銀行へと近づいて行った。


 互いにその場に黒スーツたちが残っていないことを確認してから合流する。


「予定より早かったな」

「素直に助かったと言ったらどうだ」


 話しかけた爽平に、ブラボーの班長である肥田ひだから横柄おうへいな声が返ってきた。


「……助かった」


 礼は言うつもりだったのだが、言わされるとなると気分が良くない。自然、爽平の口調も刺々とげとげしいものになった。


 爽平はこの男が苦手だ。江口亡き後、その後釜あとがまに座ったわけだが、作戦の遂行すいこうに急ぎすぎている感じがあるし、成功させることに特にこだわっているように見える。爽平は危険が過ぎると判断すれば一度退くことも考慮するが、この男が撤退したところは見たことがなかった。


 他の班と比べて特に損耗そんもう率が高いとは言えないが、少ないわけでもなく、無茶な指示をしているのではないかと邪推してしまう。


「こっから先は俺たちに任せておけよ」


 嫌味ったらしく言われて、爽平は肩をすくめた。


 ブラボーの班長はデルタを目のかたきにしているのだ。最前線で功績を上げるデルタが気に入らないらしい。自分たちも同じ環境にいればもっと成果が上げられる、と考えているようだ。


 ブラボーが前面に出たいというのなら、どうぞどうぞと譲りたい。爽平は生き残るために戦っているだけで、戦闘狂なわけでも手柄が欲しいわけでもないのだ。


 しかしその態度がまた気にさわるときている。どうしろというのか。爽平はわかり合うのを諦めていた。


 話を聞いていたデルタの他の面々もそのことは承知していて、自分たちの役割を奪われることに対しても何も言わなかった。


 むしろブラボーの班員の方が嫌そうな顔をしていた。しかし隊では上官の言うことは絶対だ。相容あいいれない人間が上にいて大変だな、と同情の視線を送っておいた。


 厳密にいえば作戦とは違う行動をとることになるのだが、無線を繋いで司令部におうかがいを立てるわけにもいかない。作戦中は現場の判断に任されている。


 デルタは進路をブラボーに譲り、自分たちは右手方向へと進んで行った。

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