第11話 基地奪還作戦

 爽平にとって、美彩みさとの時間は、殺伐とした戦いの中の清涼剤であり、唯一泣き言が許される場所だった。爽平が戦場の恐怖に耐えられたのは、美彩がその弱さを受け止めてくれたからだ。


 極限状態になると生物としての本能が働くのか、駐屯地ちゅうとんちの中ではそうやって恋人同士になる者も多く、爽平そうへいたちのことを揶揄やゆする空気はまるでなかった。


 爽平は死にたくないという思いを余計に強くした。


 だというのに、現実は非常なものだ。


 本格的な夏を迎えた頃には、江口班長が攻撃部隊へと引き抜かれ、細川が班長に昇格した。冬には後方支援部隊は解体され、爽平たちの班はそのまま攻撃部隊へと編入された。


 黒スーツたちは攻撃部隊が自ら焼くことになり、死亡者を回収するのは諦めた。爽平たちは後方支援と言いつつも会敵することが多くなっていたから、攻撃部隊に入ると言われたときには名前が変わったとしか感じなかった。


 以前のメンバーはもう細川と爽平しか残っていなかった。中村なかむらの代わりに配属された新人はもういない。佐藤と田中は先日相次いで帰らぬ人となり、その代わりに別の班のメンバーが編入してきた。


 他の駐屯地との連絡はもうほぼ取れていない。回線が切れた所とは地形を認識して自動運転できるドローンを飛ばし、細々と連絡し合っていたが、壊滅したところも多い。


 山間部や島には黒スーツたちに襲われにくいことがわかり、市民は地下避難所から徐々に移動していった。放棄された畑で伸び放題だった作物を採り、山に入って野生動物や山菜を取って食いつないでいた。


 とはいえ、爽平たちの駐屯地のように、黒スーツたちの陣地に囲まれているような都市部は逃げようがない。大半がまだ自力で食料調達をしながら地下生活を送っている。


 疎開した者も地下にいる者も、どちらにせよ、冬を越える頃には、寒さと食料不足で大量の死者が出ると思われた。残っているのは老人と子ども、そして戦えない体の者だけなのだから、それは必然だった。


 だが、その頃になって、ようやく希望の光が見え始めた。黒スーツたちの攻撃の手が弱まってきたのだ。


 船で来ているからには、敵の数は限られているだろうから、いつかはその時が来るのはわかっていた。それがいつなのかというのが問題だったのであって。


 人類は盛り返した。


 ――と、思われる。というのも、爽平たちが認識できているのは連絡が取れている駐屯地だけだからだ。国外との連絡はとうに途絶え、世界中がどうなっているのかはもはや誰にもわからなかった。もしかしたら、抵抗を続けているのは日本だけなのかもしれない。


 通信が切れる前に、ある国が、国土の汚染と国民の命をいとわずに核兵器をドームに対して使い、失敗に終わったという一報が入ってきていた。恐らく自爆覚悟で使っている国は多いだろう。世界はもう人類の住める場所ではなくなっている可能性もある。


 他国のことはともかく、とにもかくにも、爽平たちは盛り返した。勢力範囲を徐々に広げていき、今まで手が出せなかった地域から物資を調達することができるようになった。


 そして、この日、重要な任務ミッションが爽平たちに与えられた。


 壊滅した航空自衛隊基地の奪還である。


 黒スーツたちと同様に、爽平たちの攻撃手段もまた減っていた。


 顕著けんちょだったのが航空機用のミサイルだ。製造する場所がないのだから当然だった。別の規格のミサイルや爆弾を搭載できるように改造したりもしたが、それにも限界はある。今までのようにやたらめったら撃つことはできず、近頃は攻撃部隊が目標指示用のレーダーを使い、ピンポイントで攻撃する方法に切り替えている。


 だが、基地を奪還できれば、物資は潤う。なぜだか黒スーツたちは、占領した領域の建物などを破壊しようとはしなかった。攻撃はあくまで勢力を広げるためのもので、その後の破壊行動は起こさない。まさか奪還されるとは思っていないのかもしれなかった。使い方がわからないのか、こちらの武器を利用しようともしない。


 理由はなんであれ、好都合だった。


 爽平たちは、この日のために、駐屯地を中心とした同心円状の防衛を諦め、その基地を目指してくさび型に勢力を広げていた。そしていよいよ手が届きそうな所まで来たのだ。


 基地に侵入し、中の黒スーツたちを掃討さえできれば、敵の攻撃が減った今、防衛するのは以前よりずっと楽になっているだろう。


 さらに、今の勢いからすれば、その基地の近くには他の駐屯地もあり、そこを足掛かりに駐屯地を攻略していけば、いずれドームにも接触できるのではという目算もあった。未だ何の攻略方法も見つかっていないドームだが、調査ができなければ永久にわからないままだ。


 なんとしてでもこの作戦は成功させなければならない。


 作戦に参加するのは、B班ブラボー、爽平たちD班デルタ、そしてE班エコーの三班だった。その他の班はほぼ楔の維持に駆り出されていた。美彩たち航空部隊オメガ――陸自、海自、空自という区分けはもはやなかった――も参加する。


 全体の指揮をとるのは細川だった。三班の中で、最も成果を上げていたのがデルタで、その功績で最も階級が高いからだ。


「今回も頼んだぜ」


 作戦開始位置に降り立った細川は、後ろから爽平の肩を叩いた。


 デルタの成果が高い理由は、爽平の活躍にあった。死にたくないと強く願う爽平は、黒スーツを倒すことで自身の生命を守っていた。死にたくないから殺す。敵を殺し尽くせば、自分の生命がおびやかされる心配はない。


 今も足が震えそうになるほど怖くて仕方がないが、これまでの経験から恐怖を飼い慣らすことに成功していた。


「お前も頼むぞ」


 さらに後ろから細川の肩を叩いたのは、かつてデルタの班長だった江口だ。攻撃部隊に引き抜かれた後、ブラボーの班長を務めている。あの江口が細川よりも階級が下だというのは不思議な感じがする。


「エグチさん。やめて下さいよ~」


 細川もやりにくいようで、軽い調子で言った。砕けた声を久しぶりに聞いた。江口が抜けてから細川はこれまでの態度を一変させ、真面目になったのだった。なんだかかつてのデルタに戻ったような気分になった。


 ざざっと無線が鳴る。


「指令室よりデルタ。状況を報告せよ」


 一瞬で細川の顔つきが厳しくなった。


「デルタより指令室。全班作戦地点に到着。まもなく移動を開始します」

「指令室了解。これより作戦終了まで交信は禁止とする」

「デルタ了解」


 作戦終了というのは、すなわち、基地の奪還に成功した時か、失敗した時を意味していた。もっとも、失敗したことを報告できるかどうかは、時と場合による。


 無線を使わないのは、相手が無線の電波でこちらの位置を特定しているようだからだ。暗号化スクランブルされた通信を傍受ぼうじゅされているかどうかまではわかっていない。


「おぉ。もう立派な指揮官だなぁ」

「だからやめて下さいよ~。てかエグチさん代わります?」

「馬鹿なこと言うなって。さ、命令をどうぞ、指揮官どの」

「へいへい」


 軽口を叩いたあと、細川は再び顔を引き締めた。


「全班、整列っ!」


 三班十七名が細川の前に一瞬で整列した。もちろん爽平もだ。


「これより作戦行動に入る。各班の役割は事前に連絡した通り。この作戦に我々日本の生き残りがかかっている。作戦の成功は各自の生命よりも優先される。だが……可能な限り生き残ってくれ。――では、状況開始っ!」


 ブラボーとエコーは左右に進んで行った。デルタは中央を突き進む。三方に分かれて基地に侵入するのだ。距離が一番短いデルタが一番早く到着する予定で、最初に基地に攻撃を仕掛け、敵を引きつける役目をになうことになっていた。その隙に左右の二班が基地を制圧するのだ。


 最も危ない役割なわけだが、楔の左右からの攻撃は二班が受け持ってくれるわけで、ほぼ前方にだけ注意を振り向けていられるというのは、爽平にとっては幾分いくぶんか気が楽だった。


 細川が指示するまでもなく、爽平たちはペアを組んで進んで行った。爽平の相棒パートナー鈴森すずもり大輔だいすけ。訓練課程を終えたばかりの新米だ。かつての爽平のようにおびえることもなく、逆に豪胆すぎてひやりとする場面があるくらいだった。


 季節は冬。降りしきる雨が冷たい。雪にはならないことを祈るばかりだ。でなければこの日に決行した意味がない。気象衛星を失った中、晴れた空をにらみながら待ち、やっと迎えた雨の日だった。雨は黒スーツたちの光弾の威力を、わずかに――本当にわずかにだが、弱めるのだ。


 基地の周辺の住宅や店舗は、黒スーツの猛攻と隊員の必死の防戦を物語るように、無残むざんに破壊尽くされていた。地面が深くえぐられているのは敵の攻撃、火災跡は味方の攻撃によるものだ。


 先頭を行く爽平は鈴森を手で制した。


 いる。


 ……と思う。視認はできていない。


 基地はもうすぐ目と鼻の先だった。黒スーツはこちらの想定よりも少ないのかもしれない。この作戦に至るまでの過程で、だいぶ引きずり出せたのではないか。


 いや。楽観視しては駄目だ。常に最悪の状況を想定せねば生き残れない。


 爽平の耳に、かすかにぶぅぅんと重低音が聞こえてきた。振り返れば、細川も認識済みのようで、物陰に隠れるように、と指示が出た。


 ドローンも黒スーツも、人間を見つけると攻撃してくる。見つからないことが大事だ。ステルス性を持ちながら、人類に対して探知機のようなものを使ってこないのは不可思議だが、爽平の知ったことではなかった。


 わずかに屋根の残るコンビニの中に入って、ドローンをやり過ごすことにした。どのみち攻撃を仕掛ければ見つかってしまうが、なるべく基地に近づいてから始めたい。


 並んでいる金属の棚は上からの攻撃でひしゃげており、すすで黒くなっていた。燃え残った商品が散らばっている。正面のガラスだけでなく、冷蔵庫や冷凍庫のガラスも粉々で、中身はそっくりなくなっていた。ロックアイスすら見当たらない。全て持って行ったのだろう。恐らく基地の連中が。


 ぎしりぎしりとガラスや商品の残骸を踏みながら、コンビニの中を確認していく。まさかとは思うが、黒スーツがいて不意打ちをくらうなど冗談ではない。バックヤードまで確認したところで、爽平たちは一息ついた。


「キタ、どうすっかね」

「どうするって、行くしかないでしょうが」


 細川に聞かれて、爽平は肩をすくめた。


「いるんだろ~?」

「そりゃいるでしょうね」

「基地のナカかソトかで言ったら?」

「外、です。たぶん」


 細川は大真面目に聞いてくるが、爽平のこれは単なる勘だ。あと外れてもダメージの少ない方。的中率は六割ほど。くじ引きと大差ない。


「あ、いました」

「馬鹿、頭出すな!」


 欠けた壁から外を見て声を上げたのは鈴森だった。その頭上に天井はない。爽平が奥へと引っ張り込むと、上空をドローンが通過していった。


「スズモリ、何体いた?」

「目視したのは三体です」

「細川サン、怒って下さいよ……。ドローンに見つかったら俺たち爆弾の餌食えじきですよ」

「無事だったんだから問題ねぇだろ?」

「今はそうだったかもしれないですけど!」


 鈴森は役に立てたのが嬉しいのか、笑みを浮かべていた。爽平はやれやれと思う。


 まだ照準も合わせられないヒヨッコのくせに度胸だけはありやがって。頼むから俺を巻き込むのはやめてくれ。


「入ってから暴れたかったけど、外にいるってんじゃしゃぁねぇな。んじゃ、最低三体ってことだから。お前ら頼むぜぇ。――生きて戻るぞ」


 最後の一言で、爽平たちの気が引き締まった。


 ドローンが上空から離れたことを確認し、爽平たちは黒スーツのいる方向へと建物の陰を伝って向かった。基地の方向とは若干じゃっかん異なるが、放置できる距離ではない。挟み撃ちは勘弁だ。


 確実に攻撃が当てられるという所まで近づき、倒壊しかけている交番の二階によじ登った。上半分を失った壁の上から黒スーツの様子をうかがう。黒スーツは道路を挟んで向こう側にあるクリーニング店の裏だ。隣の牛丼屋との間に二体いるのが見えた。


「本当に三体だったんだろうな」

「三体までは見えました」


 鈴森を疑ったわけではない。ただの確認だ。


 ここから倒せるのは二体。建物の裏にあと何体いるかはわからない。


「回り込んだ方がよさそうだな」


 そう言った途端、鈴森がびくっと首をすくませた。と同時に、頭の上を光弾が通り過ぎていった。


 ――見つかった。


 交番の両脇から銃声が聞こえてきた。細川たちが応戦しているのだ。


 爽平と鈴森も、互いに離れるように位置をずらして応戦した。階下の攻撃が黒スーツの片方に当たる。もう片方を爽平の銃がとらえた。


 しかし、相手側からまだ光弾が飛んでくる。


「まだいるか」

「だから三体はいるって言ったじゃないですか」


 一度壁に背を預けた爽平たちは、再び外に銃口を向けた。連射しながら、敵の位置を探す。撃っては隠れ、撃っては隠れ。


「二体見えますけど、上手く当たりませんね」

「細川サンに援護要請」

「えぇー……」

「鈴森」

「はい」


 装備をその場に置いた鈴森が、アサルトライフルだけを持って一階に飛び降りた。


 爽平は壁を背に援護を待つ。ゆっくりと呼吸をした。死にたくない。死にたくない。死にたくない。そう思う自分を落ち着かせる。死にたくなければ殺せ。撃たれる前に撃て。


 と、パンッ、パンッ、と二度ゆっくりとした銃声が聞こえた。爽平はそれを合図にカウントを始める。


 三、二、一。


 爽平以外の五人の銃が同時に銃を連射した。


 一拍置いて、爽平は外を見る。


 瞬時に一体に銃口を向けて引き金を引いた。勢いでやや流れた弾は、しかし黒スーツに命中する。照準が多少ずれていようとも、ぶっちゃけ数撃ちゃ当たるのだ。


 もう一体、と体の向きを変えた所で、嫌な予感がして頭を大きく右に振った。耳の横ぎりぎりを光弾が抜けて行った。


 その一発だけで敵は沈黙した。誰かが仕留めたのだろう。五体目はいなかったようだ。

 

 壁を背に座り込んで、爽平は、ははっ、と乾いた笑いを漏らした。左耳を手袋グローブをはめた手で触る。ちょっとでもかすっていたら、頭が持ってかれていた。運がいいにもほどがある。


 心臓がどきどきとうるさい。手がじっとりと汗ばんでいる。脳内麻薬アドレナリンが大量に放出されていた。


「あれ、どうしたんですか、先輩」

「死ぬかと思った」

「死神が死ぬわけないじゃないですか」

「死神?」

「え、先輩知らないんですか? デルタの北爽平と言えば死神って有名ですけど。デルタのDは死神deathのDって」

「なんじゃそりゃ」


 初めて聞いた。


「最前線で黒スーツを殺しまくってるのに必ず戻ってくるからって。班長から聞きました」

「それ、細川サンの冗談だから。真に受けんな」

「いえ、由来を聞いたのは班長からですけど、先輩のあだ名は訓練課程の頃から有名でした」

「マジかよ」

「マジです」


 大真面目にうなずく鈴森に、爽平は遠い目をした。そんな話、聞きたくなかった。特に戦場では。


 爽平は無言で腰を上げ、装備を手にした鈴森と共に、一階に降りたのだった。

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