第29話『彼女の傷』

 才明寺は絶句する俺を一瞥すると、拝殿を見た。

 先程まで才明寺がいた場所だ。

 才明寺は今は誰もいなくなったその拝殿を見ながら「本当はこういうこと話しちゃ駄目って言われてるんだけど」と前置きをつけて話し出す。

「さっき来てた親子いるでしょ? 何か娘さんが身体中締め付けられるような症状があって何件か病院行ったけど全然治らなくてウチに来たんだって。どう思う?」

 才明寺に意見を求められて、俺は閉口してた口を漸く開く。

「どう、って具体的に何訊いてんだよ」

「馬鹿みたいって思わない? ちょっと病院行って治らないからって神社で御祈祷って……。普通大きい病院行くとか診てる場所の違う先生変えない?」

 診てる場所の違う先生……診療科を変えろということだろうか。

「皮膚病か神経病か知らないけど、こんなところに来て神様頼みとか……」

 才明寺は嘲笑するように呟く。

 彼女には彼らの姿がさぞ滑稽に映ったのだろう。

 彼女の刺に塗れた言い方と態度ですぐにわかる。

 でも不思議だ、神職の家系の人間は、此処まで祈祷や神頼みを軽蔑を言える程のレベルで嫌うものだろうか。人参農家で育った子供が人参ばかりの食卓に辟易することもあるかもしれないが、人参を憎むまではならないだろう。人参に家族を殺されたならそうなるかもしれないが。


 俺は才明寺の話を聞きながらあの親子の姿を思い出す。

 あの親子を非難する才明寺と違い、俺には『見えて』いたのだ。あの親子は此処に来るのが最善だった。英断だったと言えるだろう。

 だけど『見えない』才明寺にはそうではない。

 才明寺の目には娘の四肢に巻きついていたものが見えていないから、あの親子が此処に来たことが才明寺にとって治療もしてない怠慢に感じたのだろうか。

 それにしたって。


「お前の発言には、嫌悪通り越して、殺意が溢れてんな」


 思わず俺はそう呟く。

 才明寺はきょとんと俺を見る、が、「そうね。そうかも」と冷ややかに笑う。

「ねえ、柵木はさあ、神様に祈って病気が治る、なんてことが起こると思う? 例えば癌があったとして、神様に祈れば癌が消え失せるなんてことが起こると思う?」

「癌は無くならない」

 俺がすぐさま答えると才明寺は「そうでしょ」と自分の言葉の正しさに頷く。

「さっきの人達だってそうよ。神様に祈ったところで、娘さんの病気は治ったりしない」

 話しながら才明寺の表情が徐々に険しくなる。

「さっきは一応感謝してたけど、あんなことで病気が治るわけないじゃない。それなのに祈祷にお金だして。……何だか詐欺の片棒担がされているみたいで、凄く嫌な気分になる」

 才明寺は最後泣きそうな顔で呟いた。

 詐欺。

 それが才明寺の内に巣食う嫌悪感の正体なのか。

 治らない病気や家庭の不和などを改善するため神に祈る。それは確実な効果があるわけでもなく、曖昧なもの。それに対して幾許かの金銭を貰っていることに後ろめたさを感じているということなのか。

「才明寺は、祈祷や何か詐欺行為だって思っているのか」

「そうね。思ってる。ちょっと前に、病気のお母さんが手術するからその御祈祷に来てたお父さんと娘さんが来てたけど、これでママの病気治るね、って言われて凄く申し訳ない気持ちになった。神様に祈ったからって病気は治ったりしないもの」

 悲痛な面持ちで呟く才明寺に、俺はただただ神妙な顔をする。


「そりゃそうだろ。神様は人を助けたりしないし、祈ったら願いが叶うなんてことはないなんて、皆わかってる」

「じゃあどうして人は祈るの」

「そりゃ……最後の拠り所が欲しいからじゃないのか」

 これは俺の経験かもしれない。

 十年前、祖母ちゃんに連れられて此処に来たとき『此処ならもしかして』と思わなかったわけではない。

 ……もしかしたら、って何だ。

 まるで期待が裏切られたみたいに思えてしまった。そう思い、俺はあの時のことを思い出そうと記憶を巡らせる。

 すると曖昧だった記憶が徐々に輪郭を得たように明瞭になっていく。


 確か。

 あの時。

 お祓いを受けたけど、祐生のシミはなくならなくって。

 でも。

 あのあと、確か女の子が。

 女の子。

 うっすらとベビーカーに近づく小さな女の子の姿を思い出す。

 だけどそのとき、俺の思考が途切れる。その原因は才明寺が再び話しだしたからだ。


「拠り所、ね。私だってそういう風に思ってたわ、昔はね」

「……昔は、って何か含みのある言い方だな」

「そうね。私だってこの神社が好きだったし、神様が大切なものであることは理解している。だけど、此処に来る人って、此処に御祈祷を受けに来る人って、拠り所なんてそんなふわふわしたものを求めてきている人ばかりじゃないのよ」

 才明寺の表情がくしゃりと崩れる。

 悲しさややるさなさ。自分の無力を思い知っているような。

 それは十年前、蝕まれていく祐生を前に何もできなかった俺の姿が重なった。

 あんなにも凄い力を持っているコイツがどうしてこんな苦しんでいるのか。俺は不思議で堪らなかった。


 お前は俺が欲しくてしょうがないものを無自覚に所持しているのにな。


「何だよ、お祓い受けた参拝者にインチキとか言われたのか」

「……何て言われたか、正直覚えてない。もうずっと昔のことだったから。十年くらい?」

「……」

「ウチに御祈祷を受けにきた赤ちゃんがいたの。多分重い病気だったんだと思う。その子のお兄ちゃんが凄く不安そうにしてた」

「…………」

「その当時は私、神様は一生懸命お願いすれば助けてくれるものだと思ってた。だから人は神様の存在を強く信じて願うの。私は御祈祷が終わった兄弟を見て心の底から安心したわ。きっと赤ちゃんの病気は良くなる。だって神様が見守ってくれるから。でもね、その子のお兄ちゃんは怒ってた。凄く怒ってたの」

「………………」

 何だ、この話。知ってる気がする。頭が何だか痛くなってきた。

 俺はダラダラと嫌な汗をかきながらも、才明寺の話を黙って聞くしかなかった。

「私は赤ちゃんの病気が良くなればいいなって……多分、撫でてあげたんだったかな。でもその子のお兄ちゃんは凄く怒ってた。私、凄く怒られた。その子はきっと御祈祷じゃあ病気は良くならないってわかってたのよ。其処にいた誰より現実が見えてたのよ。現実を教えられた気がしたわ。神様は病気を治してくれるわけじゃないって」

 純粋な子供の怒りが才明寺に傷を作ったのだ。

 でもその話を聞きながら、俺がただ只管吐きそうな気分だった。


 俺だ。

 紛う事なく俺だ。

 というか、あの時の女の子、才明寺だったのか。

 あー、だからあの時祐生のシミがなくなったのか。


 俺は十年前何が起こったのか一気に理解する。

 頭を抱えて蹲りたい衝動に駆られながら、才明寺への申し訳なさでもう何処かに埋めて欲しいと心底思った。

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