第23話『彼女の家』

 結局勉強は才明寺の家に行くことになった。

 学校から徒歩で十五分の距離、そりゃ自転車で通うのが賢い。

 俺と細江は才明寺の案内で、才明寺の家に向かうが途中のコンビニで食べ物と飲み物を買っていくことになる。

 細江と何買うか話している間に才明寺は先に家に帰り、勉強会の準備をすることになった。家の場所は、住所を教えてもらい、簡単に道順を聞いた。多分大丈夫だと思うが、ダメなら才明寺に連絡すれば良いだろう。

 とりあえずお茶とジュース、お菓子、昼はまだ食べてなかったから惣菜パンを買ってコンビニを出た。俺たちは教えられた通りの道を進み、難なく才明寺の家まで到着する。


 表札に『才明寺』と書かれたそこそこ新しい佇まいの家。二階建てで、外壁はレンガを細長くしたものが並んでいるようなデザインの壁材で、最近こういうデザインの壁材をよく見かけるなあと思うに、やはりまだ築何十年も経っていないのだろう。

 敷地が広いのか、そこそこ大きな家であるが、ぐるりと敷地を囲む塀とは十分に距離があり、乗用車が一台家の隣に作られたカーポートに停められていてもまだスペースがある。例えるなら、新しく住宅地として発売した地区に宣伝用に建てられたモデルハウスのような印象だ。門扉から玄関まで飛び石が置かれ、その周辺も整えられた芝生と花が植えられている。

 あいつの口から家業という時代を感じさせる言葉を聞いていたから、とても古い武家屋敷のような佇まいを想像していたが綺麗に裏切られる。

 インターホンを鳴らすと、慌ただしく玄関が開き、制服からパーカーとズボンに着替えた才明寺が迎えてくれる。


「いらっしゃい、すぐにわかった?」

「おう。おじゃまします」

「おじゃましまーす」

 俺と細江は家に入れてもらう。

 玄関も広く、靴を二十足並べてもまだ余裕がありそうだ。

 才明寺は「上がって上がって」と言いながら俺たちにスリッパを出してくれるが、その最中奥から女性がやってくる。恐らく才明寺の母だろうか。

 女性は玄関にやってきて俺たちを見ると「いらっしゃい、今日は稀が無理言ったみたいでごめんなさいね」と苦笑気味に呟く。

 やはり母として当然才明寺の学力は把握しているらしい。それ故、母としても驚いただろう。娘の学力では到底無理な学校を指定したのに、娘はミラクルを起こして入学してしまうのだから。


「ちょっと母さん!」

 才明寺が少し怒り気味に叫ぶけれど、才明寺母は全く気にせず続ける。

「勉強に全然ついて行けてないって言うのに、熱心に教えてくれる友達がいるって言うじゃない? 有難いような、申し訳ないような気持ちだったんだけど、漸くお礼が言えて嬉しいわ。で、どっちが噂の『柵木くん』かしら?」

「俺です」

 素直に名乗り出る。

 才明寺母は俺に頭を下げてくれる。それが何だかむず痒い。

「じゃあ柵木くんと、君は何くん?」

「細江です」

「柵木くんも細江くんも今日は来てくれてありがとう。稀のこと、大変だと思うけれどよろしくお願いします」

 また深く頭を下げる才明寺母に、俺たちは恐縮していまう。才明寺はそんな母の腕をばんばん叩きながら「母さん、恥ずかしいって!」と喚く。

 才明寺母はそんな娘からの照れ隠しを物ともせず「何かあったらいつでも声をかけてね」とだけ言ってさっさと奥へ戻ってしまう。


「もう!」

 才明寺は母を見送りながら、ぷんすか、という効果音が似合いそうな表情だったが、すぐに俺たちに向き合って「ごめんね、こっち」と言ってまだ少し赤い顔で歩き始める。その後ろを黙って付いて行く。

 通されたのは十畳ほどの和室で、中央に大きめの座敷机があった。

 才明寺は先に部屋に入ると、部屋の端に重ねられていた座布団を座敷机の周りに置いていく。俺たちが座布団に座ると、才明寺も残った一つに座って「それじゃあよろしくお願いします!」と叫んだ。

 ホント、返事だけは良いヤツだ。


 ***


「もうムリ、脳みそ溶ける」

 そう言って最初に根を上げたのは案の定才明寺だった。

 まあ、わかってたことだ。とはいえ、既に夕方になっている。昼から始めて夕方までよく耐えただろう。

 座敷机に突っ伏して動かなくなる才明寺を横目に、俺は細江と英語の範囲に手を付けていた。授業で英語担当の先生がやたらこの箇所を強調していたとか、この文法の説明に他よりも時間を割いていたとか話しながら、試験の問題を予想していた。

「才明寺じゃないけど、俺ももう脳みそ溶けるわ」

 細江もよろよろと座敷机に突っ伏す。

 二人共頑張っただろう。……それが結果に繋がるかは残念ながら別の話なのだが。

 俺は広げたままにしていた教科書やプリントをまとめながら「今日はもう終わるか」と提案する。

 すると才明寺が勢いよく身体を起こして「晩ご飯どうする? ウチで食べてく?!」と何故か興奮気味に提案してくる。

 何だそのテンションは。初めて友達が家に遊びに来た小学生のテンションかよ。

 あまりに食い気味で来られるので内心引きつつも、俺は母さんが今日の夕飯はカレーライスであると宣言していたことを思い出して「俺は良い。家で食べるって言ってあるし」と断る。

「俺はこの後習い事」と細江も首を横に振る。

「習い事してんだ」

「そ、剣道」

「へえ……」

「なになに、柵木、剣道に興味ある?」

「あれ、細江って身体能力測定の俺の記録知らないっけ」

 俺が皮肉の混じった笑い方をすると、恐らく細江は測定の、俺の軒並み下から数えた方が早い記録を思い出して「あー……」と乾いた声を漏らす。

 まあ当然な反応だなと納得するけれど、自分で言っておいて何だけどあの無残な記録の数々を思い出して少し凹む。中間試験に体育の実技がないことに心から安心した。

 俺と細江のやりとりを聞いていた才明寺はがっかりとした様子で「食べてけば良いのに」と呟く。


 そんな時、襖が遠慮がちに開けられて才明寺母が顔を覗かせる。

 騒がしくしてしまっただろうかとちょっと不安になったが、才明寺母は才明寺を見て「稀、電話。ソウマくんから」と言うが、その表情に玄関で会ったときのような明るさに翳りが見えた。

 才明寺も才明寺母の口から『ソウマくん』という名前が出た瞬間、眉間に皺が寄り明らかに嫌悪感に似た何かを顔に出す。

「えー、勉強中。出れないって言って」

「自分で言いなさい」

「……」

 才明寺と才明寺母の間に険悪な空気が溢れる。俺と細江は無言で顔を見合わせるが、それに気が付いた才明寺母が「勉強中にごめんなさいね。あっ、お夕飯食べていかない?」と先程の才明寺を同じことを提案するが、俺も細江もこの後の予定を伝えて帰ることを説明した。

 その最中、才明寺は無言で席を立ち、無言のまま才明寺母の横を通り抜けて、無言のまま和室を出て行った。

 才明寺母は「稀」と声をかけたが、才明寺は何も返さなかった。

 それから、俺と細江が帰るときも、才明寺は戻っては来なかった。

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