第22話『中間試験直前の土曜日に』

 試験の日程が発表され、各教科で試験の範囲も発表された。

 あとは日頃の勉強の成果を出すだけ、というところまで来たわけだが、どうやら全員が全員、準備万端というわけではないらしい。

 その最たるヤツが、才明寺なのだろう。


「この後も勉強教えてください」

 土曜日のホームルームが終わると、才明寺は一目散に俺の席までやってきてこれにまでないくらい深々と頭を下げる。

 一般的なお辞儀の角度が決まっていると何かで読んだことがあるが、確か一番深く頭を下げるものを最敬礼と言い、その角度は45度から90度の間だったはず。

 しかしながら才明寺は90度を越え、上半身が足にくっ付くんじゃないというくらい身体を曲げている。

 こいつ、前屈はすごいな。

 俺はその身体の柔らかを感心しつつも、内心頭痛がしそうな気分だった。

 ゴールデンウィーク明けから、放課後は小テストの直しが終わってから各教科の試験範囲を教えていたが、何せあの集中力の無さだ、まず小テストの直しを終えるのに莫大な時間がかかりそもそも今日まであまり試験範囲に辿り着いていないのが現実だった。

 それでも小テストの無い日だってあったから少しはできているんだろうと、外野の人間は思うだろう。しかし、試験前ということもあり各教科の教師たちは張り切って試験に出すつもりなのか、授業で重要だと強調していた部分を混じえた小テストを投下してくる。

 ……これ、最近の小テストだけでもちゃんと押さえていれば六割くらいは楽に取れるんじゃないのかと思えてしまうのだから、教師陣の優しさを感じてしまう。


 しかしながら才明寺はそうではないらしい。

 彼女の中では小テストと中間試験というのは別物であると考えている節がある。

 俺は最近の小テストの直しが試験の点数に繋がると思って懇切丁寧に解説しているつもりだったが、才明寺は試験前なのに小テストなんて何事かという気持ちだったらしい。

 俺を捕まえておける貴重な放課後は小テストの直しで時間を潰してしまい、肝心の試験範囲には殆ど進めない。そういう焦りに襲われている。だから最近の小テストの解説も耳に入っては脳に届くことなく霧散しているようなそういう風に見える。

 これまで才明寺との勉強から考えると、才明寺は決して『馬鹿』ではない。

 でも勉強に対する要領が果てしなく悪いのだ。それ故、点数に繋がらない。

 実は昨日まで小テストの直しで、粗方試験範囲が終わっていると言ったらどんな顔をするだろうか。

 まあ、最近の焦りで何も身に付いていないのは明らかだろうから、顔面蒼白にはなるだろうな。

 そんなことを考えながら「お前が真面目にやるなら良いよ」と答える。

 すると才明寺はみるみる表情を明るくする。

 自分で言うのはどうかと思うけれど、多分今の彼女の心境たるや、地獄に仏とは正にこのことなのかもしれない。

 但し真面目にやらなければ今日に関しては即刻見捨てる構えである。俺だって試験なんだ。真面目にやらないヤツの面倒なんて見ていられないのだから。俺がそんなことを思っていると、俺の前席の住人、細江がぐるりと振り返る。


「勉強するのか? 俺も混ぜてくれよ」

 そう呟く細江は、才明寺程ではないが顔色が悪い。

「どの教科だ」

 俺が訊くと細江は真っ青な顔で「数学」と答える。


「何よ、細江ってば数学ダメなの?」

 才明寺が嬉しそうに笑う。それは数学ダメ仲間が増えたからか。

 でも多分だけど、才明寺よりも細江の方が数学の理解度は進んでいる気がする。

 喜ぶ才明寺に、既に『数学への理解』という道程の最中立っている場所が違うことを察してなんとも言えない気持ちになった。

 細江もその事実を理解しているのか、何と曖昧な表情で才明寺を見て「高校になって急に難しくなったから躓くよな」と恐らく自分ではなく才明寺に対してのフォローを述べるが、才明寺はそんなことも知らず「難しくなったよね、躓くのわかるよ!」と大きく頷く。

 細江は案の定菩薩顔だ。

 とはいえ、俺は二人に重要な問題を投げかけなくてはならない。


「で? 何処でやるんだ?」


 そう問いかけると細江は俺の言いたいことを理解して「あ」とぼやく。才明寺は何のことかさっぱりわからない様子で「此処ですれば良くない?」と、此処数日終わりのホームルームで何度も何度も担任の大森先生が説明してきたことが何一つ届いていない事実に呆れを通り越してそろそろ悟り始める。

「ホント、お前そういうところは裏切らないな」

「うん? ありがと?」

「褒めてねえよ」

 その後に、バーカ、とつけてやろうかと思ったが、それは流石に止まる。

 ぐぬぬと言葉を飲み込む俺の代わりに細江が説明を買って出る。


「試験前の職員会議があるから、今日は居残りはせずに帰るようにって大森センセ言ってただろ」

「そうだっけ?」

「「そうだよ」」

 俺と細江の声が重なる。俺たち二人が聞いていることを自分が聞いていないので才明寺は腕を組み首を傾げて「そうだっけ」と小さく呟く。恐らく、もう試験のことでいっぱいいっぱいで彼女の記憶領域に試験以外の情報が何も入らなくなっているのではないか。

 人のことが言えた義理ではないが、ひとつのことに囚われていると周りが見えなくなるのは良くない傾向だ。

 まあ、何にせよ、勉強する場所だな。近くに図書館はあるけれど、きっと才明寺が呻き声をあげて周りの人の迷惑になるから却下。

 何処かいい場所はないだろうか。

 そう考えていると意外にも場所の候補をあげたのは、才明寺だった。


「じゃあウチでやる?」


 才明寺の家……。

 確か近いって言ってたけど、こいつの家がどんなのか想像できない。

 兄がいるとは花火のときに聞いてたけど、それ以外あんま聞いてないな。まだ見ぬ『才明寺家』に想像を膨らます中、細江は乾いた笑みを浮かべる。

「才明寺の家か。女子の家って響きは本当ならもっと、こう、ふわふわしてテンション上がりそうなはずなのに、その女子が才明寺って時点でふわふわが消えた」

「何よそれ。じゃあ細江ひとり寂しく頑張れば? 柵木は私が貰っていくから」

「いや、柵木は置いてってくれ」

 やいやい言っている二人の声を聞きながら、俺もどっちかってーと才明寺よりも細江の方が面倒が小さくて良いなと思った。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る