3-3


 咄嗟に頭を引っ込めた私の足は竦み、その場から一歩も動くことができなかった。

 いずれは誰かがゆかりに告白をする日が来ることくらい、簡単に予想できた。あんなにモテていたゆかりが、今まで告白されていなかったのがおかしかったくらいだ。


 「でも、だからって」


 だからって、私の目の前でしなくたっていいじゃん。

 重い鞄を手放し、背を預けた外壁をずるずると擦り、寒さで赤くなった膝を抱える。

 打ちひしがれた私の存在に気付いていない女の子の告白は続く。


 「入学した時から、桔梗さんに一目惚れしてて、ずっと遠くから眺めてました。バレーをしている姿もカッコよくて、桔梗さんは知らないかもしれないですけど、試合の応援にも行きました。それくらい、好きなんです」


 女の子の必死で振り絞った言葉が私の鼓膜を揺らす度に、焦燥感に襲われる。


 私は二年もゆかりに片想いしてるんだ。遠くから見ているだけじゃない。何度も一緒に遊んだし、勉強だって教えたりした。チャンスがあればアピールだってした。私は誰よりもゆかりの側にいた。私が、私が一番、ゆかりのことが───。


 「ホントは怖かったけど、私、桔梗さんと一緒にクリスマスを過ごしたいんです。私と付き合ってください。お願いします」

 

 好き、なのに。

 なんで、たった数ヶ月前までゆかりを知らなかった女の子がゆかりに告白をしていて、誰よりも側にいた私はここで蹲ってるの。


 顔を伏せ、ぎゅっと閉じた瞼の端に滲んだ涙が冷えた頬を伝い、着ていたダッフルコートへ垂れ落ちる。


 「ごめんなさい。気持ちはすごく嬉しいけど、私は、あなたとは付き合えません」


 そう、女の子へ謝罪するゆかりの声が聞こえた。


 「ど、どうしてですか?私、なにかダメなところありましたか?女の子同士だからとか、可愛くない、とか」


 いまにも泣き出しそうな女の子は、ゆかりに縋るように問い詰める。それに対してゆかりは、いつもよりずっと優しい声色で女の子に語りかける。


 「ううん。そうじゃない。あなたのダメなところなんて私には解らないし、顔も可愛いと思う。それに、同性だからっていう理由でもない」

 「じゃ、じゃあ、なんで私じゃダメなんですか?」

 「それは…」


 ゆかりにしては珍しく歯切れの悪い返事に、女の子はなにかを察した。


 「もしかして、好きな人とかいるんですか?」

 「……」

 「そんな…。ホントに…」


 ゆかりの沈黙に、涙ぐんだ女の子は言葉を失った。その直後、女の子は逃げ去るように私の横を通り抜けていった。


 「ちょっと待っ!!」


 女の子を追いかけようと、飛び出したゆかりの足音が私の側でぴたりと止まった。

 ヤバい。完全に逃げ遅れた。

 ゆかりに好きな人がいるかもしれないという事実に頭が真っ白になっていた隙を突かれてしまった。


 幸い、顔は伏せているから、このままゆかりが話しかけないでくれたら「もしかして、菫?」ダメだ。もう、バレちゃったじゃん。こうなったら無言を貫いて、他人のフリをするしかない。


 「その鞄とダッフルコート。絶対、菫だよね?」


 物的証拠までは隠せない。


 「盗み聴きみたいなことをしてすみませんでした。本当はそんなことするつもり、全然なかったんです。許してください」


 万策尽きた私の誠心誠意の平謝りに、ゆかりは明らかに呆れたように大きなため息を吐いた。


 「それで、どこから聴いてたの?」

 「女の子がゆかりに好きですって伝えたところから」

 「ほぼ全部だよ。それ」

 「ホントにごめん」

 「私じゃなくて、あの子に謝ったほうがいいんだけど」

 「ごめん」

 「菫のえっち」

 「えっ…。ごめん」


 ゆかりは私の隣にしゃがみ込み、それからなにも言わなかった。肩を寄せるゆかりの体温がコート越しに伝わってくる。ゆかりがなにを考えているかは解らないが、本気で怒っていたり、私を軽蔑しているようでもなかった。


 私は、ぼんやりと聞こえてくるバレー部の練習に耳を傾け、しばらく無言のまま、気分が落ち着くのを待った。そして、次になにを言うかも考えていた。

 

 ゆかりの好きな人は誰?なんて、直接訊くわけにもいかないのは重々承知しているが、その問いが喉に引っかかって、息苦しい。それに、もし私以外の人の名前を答えられたら、自分の気持ちを誤魔化して、いつも通りの態度で振る舞える自信がない。


 なら、いっそのこと、今すぐ玉砕覚悟で告白してしまおうか。なんて、半ば自暴自棄的な選択肢を取ろうとも思ったが、それではあの子を踏み台にしたような気がして、例え、告白が成功しようとも後味の悪い罪悪感が一生付き纏ってくるだろう。


 体育館の中から、けたたましいホイッスルが響くと共に集合の号令が掛けられた。


 「私、もう行くけど、大丈夫?」


 と、ぐずった子供にするようなゆかりの問いかけに、私は小さく頷いた。


 「あんまり、気にしなくていいからね」


 そう言い残して、ゆかりは練習へと戻っていった。

 ゆかりの気配が消えたことを確認した私は、涙に塗れた顔を上げ、すぐに鞄を持って、その場から駆け出した。


 気になっちゃうよ、ゆかりの好きな人。

 後悔したくないけど、恐いよ。告白するの。

 早く気持ちを伝えない私が悪いよ。彩雅に言われなくても解ってるよ。そんなこと。でも、私のほうが、あの子よりも、誰よりも絶対にゆかりのことが好きなんだ。


 ぐちゃぐちゃと想いが湧き出てくる度に、駆ける足は加速する。いつもは気になる、すれ違う人の視線なんかも無視して、ひたすらに走る。寒さで耳が痛くなっても、口の中に鉄のような味が広がっても、どれだけ荷物が重くても、衝動に身を任せて走った。


 フラフラになるまで走りきって、やっと足が止まったのは、駅前に飾られていた大きなクリスマスツリーの前だった。乱れた息を整えながらツリー見上げると、白と青の電飾が巻きつけられ、ツリーの頂上に刺さった白い星形は煌々と輝いていた。


 ふと、みんなでプレゼントを買いに行った時のことを思い出す。


 「そっか。もうすぐ」


 もう、誰かに先を越されて後悔したくないし、誰かに流されて告白するような真似もしたくない。だから、私は自分で決めた日にゆかりに告白するんだ。そう、その日は───


 「クリスマスだ」


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