3-1


 「菫、ぼーっとしてる」

 「へっ?」


 机を一つ挟んでチベットスナギツネのような乾いた目をしているゆかりの指摘に、私の間抜けな声が漏れる。

 授業と授業の間のちょっとした休み時間にゆかりと喋っていたのだが、気が付いたら私の意識はどこかに飛んでいたようだ。どこかというか、彩雅になんだけど。


 私がゆかりのことを好きだとズバリ言い当てられたあの日。あの後、彩雅は、


 「私が一方的に気付いているのもフェアじゃないでしょ?だから、私が典子のことを好きだと、わざわざ教えてあげたわけ。これで、菫と私はお互いの秘密を知っている仲間になったわけね。ふふっ。なんか不思議な感覚」


 なんて、身勝手で押し付けがましいことこの上ない仲間認定と、


 「あぁ。あと、告白するのなら早くしたほうがいいわ。ただでさえ、あなたの王子様は人気者なんだから。悠長に眠っていたら誰かに取られちゃうわよ」


 タメになるんだかならないんだか解らない助言を残して去っていった。彩雅が居なくなった後も、超能力者やメンタリストに思考を読まれたような気分になった私は、しばらくその場から動けなかった。


 それ以来、そのことが頭の中をチラついて、何をやっていても、誰と話していてもうわの空になってしまうことがしばしばあった。


 「もしかして、また悩み事とか?」


 ゆかりはなにかを察したように、私の顔を心配そうに見つめる。

 心配してくれるのは嬉しいけど、ごめん。今回もゆかりに相談できることじゃないんだ。


 「そんなんじゃないよ。ちょっと疲れてるだけだから。心配しないで」


 取り繕った私の笑顔に、ゆかりの表情が一瞬だけ曇ったように見えた。


 「そっか。また、なにかあったら相談してね。友達なんだし」

 「うん。そのときは、絶対にゆかりに相談する」


 そこで次の授業を告げるチャイムがなり、前の扉から先生が教室に入ってきた。会話を中断した私たちは黒板のほうへ向き直り、いつも通り始まる退屈な授業へと耳を傾ける。


 黒板に書かれていく方程式の解説をぼんやり見ながら、私の思考は、また別の疑問へと飛んでいった。


 ────私は、本当にゆかりの友達になってよかったのだろうか。


 私がゆかりと知り合ったのは、中学二年生の秋。文化祭のクラスの出し物で演劇をやることになり、演目は眠り姫。王子様役は、当時から女子人気の高かったゆかりがやることになった。そこまではスムーズに決まったのだが、殆どの女子が眠り姫役に立候補し、ちょっとした揉めごとになる事件が発生した。


 しかし、そこに私は含まれていなかった。理由はシンプルで、ヒロインなんて面倒くさかったからだ。私は一言しか台詞のない脇役Kとか、幕を上げ下げするだけの裏方とか、そういう楽なポジションを希望していた。


 白熱する女子たちによるヒロイン争奪戦は三日間続き、早く収拾をつけたい担任は、王子様役のゆかりに選んでもらうという強行手段に出た。そこからはお分かりの通り、教壇に立ったゆかりは、最奥の席で無関心を決め込んでいた私を指名したのだった。


 ゆかりが私の名前を口にした瞬間、クラス中の女子が一斉に振り返って私のことを睨んできた光景は壮大だったし、死を覚悟したね。でも、それ以上になんで私を選んだの?という疑問で頭がいっぱいになったのを覚えている。後々、そのことをゆかりに尋ねたら、


 「眠り姫を希望してる子たちの目、みんな本気だったんだよね。それなのに、やる気のない私が相手役をやるのが申し訳なくて。それなら、私と同じくらいやる気がなさそうな子を選ぼうと思って、ダルそうにしてた白宮さんを指名したの」


 という事故に巻き込まれたとも言えるような理由を明かしてくれた。


 その翌日から舞台の稽古が始まって、打ち合わせを重ねていくうちに、自然とゆかりと話す機会が増えていった。好きな食べ物とか、休日はなにしてるのとか、音楽は何聴いてるのとか。そんな普通の女子中学生らしい会話をしていると、私たちの共通点が浮かんできた。それは、友達がいないことである。


 根暗で面倒くさがりという性格が対人関係でも発揮されている私に友達がいないのは妥当だが、しかし、社交的で人気者のゆかりに友達がいないのは不思議だった。その理由も訊いてみたことがあったが、ゆかり曰く、


 「優しく接してくれる子はいるけど、遊びに誘ってくれたりしないし、誘っても断られることが多かったんだよね。なんでだろうね?」


 ということらしい。

 おそらく、ゆかりファン同士が抜け駆けしないように監視し合っているのだろう。それで、あなた達が好きなゆかりに悲しい思いをさせているなら本末転倒もいいところだ。


 「それなら、私と友達なろうよ」


 今にも泣きそうなゆかりの顔を見た私は、そう言った。目を見開いたゆかりの瞳から、パッと光の粒が飛び散る。


 「私も友達いないし。桔梗さんと話してて、楽しいから」

 「ほ、ほんとにいいの?」

 「こういうのは良いとか悪いとかじゃないでしょ、多分」

 

 それがキッカケで、私たちは友達になった。

 問題は、その後だ。

 当時、私はゆかりのことを恋愛対象として意識していなかった。女の子にしてはカッコいいなくらいにしか思っておらず、そもそも恋愛とかよくわからなかった。


 稽古はいよいよラストシーンに差し掛かり、その内容は、王子様が横たわっているお姫様を抱き抱え、キスをするというものだった。監督である担任の合図で芝居が始まる。上手からゆかりが颯爽と飛び出し、舞台中央で横たわっている私の元へと駆け寄ってくる。


 「おぉ。これは、なんと美しい…。どうか、眼を覚ましてはくれまいか」


 ゆかりは朗々と台詞を読み上げ、私を抱き抱える。薄く目を開いていた私は、ゆかりの強ばった表情を盗み見ていた。


 ゆかりは、キスをするフリのために、ゆっくりと私に顔を近づけてくる。大きく開いた深紫の瞳。微かに赤く染まっている頬。じわりと肌を伝う汗。固く結ばれた薄い唇は、僅かに震えていた。


 ゆかり、緊張してるのかな。ふふっ。こんなにカッコいい顔してるのに、可愛げもあるなんて反則だよなぁ。と、普段、あまり見られないゆかりの表情を楽しんでいると、


 「はい!カット!」


 先生が叫んで、ゆかりは私から顔を離す。

 やれやれといった態度の私は、ゆかりの緊張を解そうと声をかけた。


 「どーせフリなんだから、気楽にやろ。それとも、キスする相手が私だから意識しちゃってるとか?」


 私に揶揄われたゆかりの表情は、強ばった表情は蝶々結びを紐を解いたようにほどけ、


 「多分、そうかもしれない」


 へらっとした笑顔で、そう言った。

 その瞬間、私はゆかりに恋をした。


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