「黒豆レアチーズケーキ」

サカシタテツオ

□黒豆レアチーズケーキ

 「まだ人が多いな」

 仕事場からの帰り道、俺は最近できた気になるお店の前を、まったく気にしていないフリをしながらも鋭く分析しながら通り過ぎる。

 オープンしてそろそろ一ヶ月。

 かなり客足は落ち着いたけれど、まだまだ俺が入れるような感じじゃない。

 特にこの時間は制服姿の女の子達が多く居て、俺が入れる余地はない。


 ちらっと見えるレジカウンターには、おそらく同年代の女性が一人。

 友人同士で立ち上げたのか夫婦でお店をスタートさせたのか、どっちにしても応援したい。

 したいのだけど、肝心の商品の出来が分からない。


 自分のこの目で見て選び、しっかり味わってから今後も通うか決めたいとそう思っている。



 それからさらに一週間ほどが過ぎた。

 さっきまで酷い雨が降っていたのに、今は青空まで覗いている。

 青空と言っても陽が傾き始めているので、少し紫色が出始めているけれど。


 そろそろ気になるあの店だ。

 小さく可愛くデザインされた店構え。

 女の子受けしそうな雰囲気の店。

 スーツ姿のアラフォー男が気軽に入れる感じじゃない。


 俺は甘いものが好きなのだ。

 ケーキだけじゃない。和菓子だって大好きだ。

 喫茶店に入れば迷わずパフェを食べちゃうくらいに甘いモノを愛しているのだ。


 ーーおや?客が居ない?


 歩くスピードを落とし、ゆっくり店の前を通り過ぎる。

 お店の中にはお客さんの女の子達の姿はなく、外からでもショウケースの中の宝石達が丸見えだった。


 ーーどうする?

 ーー思わず通り過ぎちゃったけど。

 ーー引き返すべき?


 お店の前を通り過ぎ、不自然にならないよう自販機の前でスマホを取り出して難(むずか)しい顔をしながら考えるフリ。

 一ヶ月以上待って、やっと巡ってきたチャンス。

 このチャンスを逃すだなんて男じゃない。


 意を決してお店の前まで戻ってきた。

 スマホをポッケに戻し、いつもの癖で首元のネクタイを正す。



 カランカラン。


 びっくりした。

 ドアの内側に来客を知らせるためのベルが付いていた。


 「いらしゃいませ。お決まりになりましたらお声をお掛けください」

 時々姿を確認していた女性店員が声を掛けてくれる。


 「はい、わかりました」

 我ながら無愛想だなと思うようなトーンで返事をする。

 店員さんは店の奥へと消えて行った。

 遠くからカシャカシャカシャと金属同士が擦れ合う音が聞こえる。

 この店のパティシエが奥でがんばっている証拠だ。

 ーーこの店、きっと当たり。


 俺の心は踊っている。

 外側からは絶対に分からないだろうけど、昔テレビで見た社交ダンスの映画のように心の中の俺は広くて豪華な会場をクルクルクルクルと回っているのだ。

 ーーヤバイ。どれも美味そうで決められない。

 ーー目移りするってレベルじゃない。


 ショウケースの前を行ったり来たり、きっとその姿は散歩をねだるワンコのようだったろう。


 「こちらのケーキはいかがですか?私のオススメなんですけど」

 先程の店員さんとは明らかに違う、低く太い声が頭の上から降ってきた。


 「えっと…。すいません、どれですか?」

 声の質に気をとられ、指し示された商品が分からなかったので、失礼とは思いつつ声の主に聞き返す。


 「こちらの商品です。当店のオリジナルで黒豆を使ったレアチーズケーキです」

 説明を聞きながら商品を見つめる。

 ーー超ヤバイ。

 ーー絶対に旨いはず。

 ーー薄茶色のクッキー生地の上に適度に潰された黒豆、その上にたっぷりのレアチーズ。

 ーートップには酸味の強そうなソースがかかっている。


 迷う事は無い。これしか無いではないか。

 声の主に感謝だ。

 私はこのケーキの為にこの場所に導かれたに違いない。


 「それください。二つ。あと焼きプリンも二つ」

 「ありがとうございます。少々お待ちください」

 声の主がそう言った。


 注文が決まり、ようやく我に返る。

 ーーえっと、あれ?男性?

 ーー俺より背が高い!!


 ビックリしてしまい、その巨体をマジマジと見つめてしまった。

 ーー失礼なのにもほどがある!


 俺の不躾な視線に気づいた男性は、


 「ハハ、デカイでしょ?こんな大男がパティシエだなんて似合わないですよね?」

 と笑顔で答えてくれる。


 「いえ、とんでもない。こちらこそ大変失礼しました。ショーケースの中に見惚れてしまって周りがまったく見えていませんでした」

 そんな良く分からない事を口走ってしまう。


 「こちらこそ、ありがとうございます。こんな大男の作るお菓子に見惚れてくれるだなんて、作った甲斐があるって思えます」

 そう言いながらケーキを箱詰めしてくれるけれど、なかなかすんなり行かない様子。


 「店長!私がしますから!奥へ行ってて下さい」

 先程の女性店員が大男を店長と呼び、無理矢理ケーキの箱を奪い取る。


 「失礼しました」

 そう言ってテキパキと収納、包装が行われる。

 ーー手慣れている。


 「240円です」

 低い声がそう言った。


 「えっ??」

 安過ぎだ。

 240円だとプリン2個分だ。


 「サービスです。今日はこれ以上お客さんは来ないだろうし、来てもなかなか黒豆レアチーズは出ないんですよ。自信作なんですけどね」

 と苦笑い。

 その横で女性店員も苦笑いだ。


 「食べてみて気に入ったなら、また寄って下さい。その時はちゃんと料金を頂きます。」

 女性店員が付け加える。


 「自分も男性のお客様は大事にしたいんですよ、なかなか店の中まで入ってきてくれませんからね、男性は。気持ちは分かりますけど」

 そう言いながら梱包の終わったケーキを手渡してくれる。


 「ええ是非。私は甘いモノが大好きで洋菓子だけでなく和菓子も好きなんです。だからこのケーキはまさに自分のために作られたんじゃないかって思うくらい心がときめいているんです」

 店長の言葉に踊らされ、隠していた俺の心の内側を自分の口で表明してしまった。

 恥ずかしくて顔が熱くなる。


 「私もそうです。だからこそ作りました。食べてみて気に入ったなら是非是非また来て下さい。嫁さん共々お待ちしています」

 店長の言葉を聞いて女性店員さんがお辞儀をする。

 ーーやっぱり夫婦のお店だったか。


 「分かりました、帰ったらすぐ女房と一緒に食べてみます。だけど食べなくても分かります。私はきっとまた来ます。今度は女房と二人で来るはずです。その時はまたオススメのケーキ、教えて下さい」

 店長夫婦の気持ちいい対応に、味の確認をしないまま再度来店する約束をしてしまった。



 でもまぁいい。後悔は無い。

 絶対に旨いと自分の第六感が囁いているのだ。

 コイツの囁きが間違った事なんて一度もない。


 早く帰って女房と二人で食べてしまおう。

 そしてこの気持ちのいい夫婦の店の話をしよう。



 赤紫色に変わった空に虹がかかる。

 神さまも「そのケーキは当たりだぞ。」言ってくれてる気がする。


 通り過ぎなくてよかった。


 今度は女子高生達を押し退けてでも店に入ろう。

 そう心に決めた。


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「黒豆レアチーズケーキ」 サカシタテツオ @tetsuoSS

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