第10話

 魔導士団長の部屋は、最高位魔導士に相応しく、他の高位魔導士に比べて部屋は広いが、天井に達する高さの本棚が置かれ圧迫感がある上に、その数も多いため、実質的に使える面積は、むしろミシャの部屋より少なく感じる程だ。魔法の灯りも机の周辺にあるだけ。全体的に薄暗くはあるが、彼はほとんど机から動かないので、問題なく過ごしている。


 セトルヴィードはいつものように机に向かっていたが、気配を感じ、手にした書類から目線を上げた。


「陛下の影が、ここに何の用だ」

「さすが閣下」


 本棚が作りだす闇の中から現れた影が、すっと跪く。そして長い金茶の髪を後ろで束ねる、泣きボクロの青年が銀髪の魔導士の前にその姿を見せた。

 影は、国王以外に膝を折らないと言われているが、この男は何の抵抗もなく、魔導士団長に敬意を払う姿勢。


「護衛騎士団長不在の間、護衛を申し付けられましたので、着任の挨拶を。ジルと申します」

「護衛騎士団長はもう戻らない」


 銀髪の魔導士が、軽く上に向けた左手を下から上に上げる仕草で、彼に立つように促すと、影の男はすっと立ち上がり、続けて国王に手渡された小さく畳まれた書簡を、すっと彼に差し出した。


「ディルクからです」


 少し驚いた表情を紫の瞳に見せ、ジルの顔をしばし見たが、改めて書簡に目をやり、右手で静かに受け取る。

 縛られた紐を解き、小さく折りたたまれた紙を広げた。


『コーヘイ卿拉致 異世界人としての知識と経験を狙われた模様 奪還を試みる』


「コーヘイは、還ったわけじゃないのか!」


 彼は思わず、椅子から立ち上がってしまった。


「あと、これなんですが」

 

 ミシャの部屋で見つけた魔方陣を広げて見せると、セトルヴィードは一目で、その呪術の魔法陣の内容を読み取った。


「お弟子さんの部屋に仕掛けられていました。仕掛けた者を始末したいのですが。どうやら一応は、正式な魔導士団員のようなので、許可いただけますか」

「許可する」

「護衛騎士団長が戻るまで、この区画に出入りします」

「わかった」


 ふてぶてしいほど、豪胆そうな表情を見せる青年。ミシャやハーシーの前では素が出てしまうが、こういう場ではいくらでも取り繕える男だった。


 不意にノックの音がして、カイルが扉を開けた。

 カイルが部屋を見た時にはすでに、ジルの姿も気配もない。


「あれ?なんかご機嫌だな」

「良い知らせがあった」

「え?そうなの?俺もしかして無駄な事をした?」

「何をしたんだ」

「いや。ところで良い知らせとは」

「コーヘイは還ったわけではないようだ」

「じゃあ、何処に行ったんだあいつ」

「拉致されたらしい」


 カイルは、口を開けてしばらく茫然とした表情をした。


「良い知らせじゃないじゃん」

「あ。そうか、そうだな」

「まあ奪還できるなら良い知らせか。元の世界に還ったならどうしようもないが」


 カイルはそう言いながらローブの袖から、一冊のノートを取り出して、書類と魔方陣と本で散らかった机の上に置いた。


「何だこれは」

「フレイアの家にあったものを、ミシャが見つけて来た」

「ミシャが王都の外に行ったのか」

「すまん、内密で行かせた」


 銀髪の魔導士がノートを手に取ると、表紙に複雑で難解な、封印の魔法陣がしたためられている事が確認できたので、しばしの時間をかけてその内容を読み解こうとした。


「内容を確認してから見せようと思ったのだが、手強くて俺には無理だった」

「これは私も手こずりそうだ。失敗したら消失する仕掛けもあるぞ、これは。封印の副団長マクシミリアンの、手を借りた方がいいかもしれない」

「この厳重さは、研究ノートってところだろうか?」

「以前、行った時は気づかなかった」


 これだけの厳重な封印だ、隠されていたのは確かだが。


「ミシャの話だと、あの場所は魔法が使えなかったらしい。結界の類ではないかという話だ。あいつには事前情報をろくに与えずに送り出したから、見つけられたんじゃないかな」


 セトルヴィードは思い出す。ユスティーナが育った時に、感覚としては治癒魔法が使えそうだったのに、使えずに倒れた事を。あそこはそもそも、魔法が使えない場所だったのかと、今になって初めて知る事になった。

 とりあえず、暇を見つけて封印を解き、中を読みたい。


 前団長は何を知り、何をしようとしていたのか。

 そしてそれに、まだ続きがあるのかどうか。



◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


 コーヘイは、浅い眠りに入っていた。座ったまま眠ると、夢を見やすい。


 最近、何度もフレイアの夢を見ていた。夢は回数をこなすごとに、そのリアリティを増しているようにさえ思う。

 しかしこの日の夢は、育った後のユスティーナだった。

 長い黒髪、紫の瞳の整った顔立ちの美しい少女。魔導士団長と同じ、とても澄んだ美しい瞳で、コーヘイを見つめる。


「ユスティーナ、どうしたの」

「コーヘイ」

「もしかして閣下なのかな」

「ユスだよ」


 ユスティーナは人形のようで、自意識的なものは一切なかったが、夢の中の彼女は一人の女の子として独立している感じがあった。十八歳程の見た目なのに、まだ幼い子供のような反応だが。


「元の世界に還らないでね」

「閣下のところに帰るつもりだよ」

「約束だよ」


 ふわっとした笑顔を見せる。少しフレイアに似てる。


「もしかして、ユスはまだ育っているのか」

「うん」

「今、何処にいるの?」

「傍にいるよ」

「また会える?」

「うん」


 手を伸ばして頭を撫でてみると、とても気持ちよさそうに目を細める感じが、少し猫っぽい。夢の中でも、こんなふうに見知った顔が出て来るのは、なんとも心強かった。

 桜の花の、香りがした気がした。


 コーヘイは目を開けた。


 夜が明けたらしく、窓から光が入って部屋が明るい。潮騒の音、先ほどまで感じた花の香りは全くせず、代わりに海の潮の匂いがする。

 彼が鎖で繋がれた部屋は、牢獄のようではなく、倉庫的な場所だった。窓に鉄格子等があるわけではない。

 ただ足枷と手枷の鎖は、巨大な猛獣用なのかというぐらい、太い。実際、そうなのかもしれない。とりあえず、人間用としては大仰すぎる。


 見張りの男は、少し居眠りをしていたので、しばらく大人しくして油断させておけば、逃げ出すチャンスが作れそうに見える。

 コーヘイが見張りを観察していると突然、粗雑に扉が開いて、やせ細った体型の年老いた男が入って来た。その音で見張りの男が目を覚まし、顔を左右に振って、寝てはいないというアピールをした。


 トレイに乗せられた食事が、コーヘイの前に置かれ、さっさと食べてくれという感じで、顎で促される。

 朝食もスープとパン。それに一掴みのナッツ。

 コーヘイは静かにそれを口にしていると、パンの中に小さな紙が押し込まれている事に気付いた。彼はそれを見張りの男にバレないように取り出し、表情を完全に秘匿して毛布の影に隠して読んだ。


『助ける、しばし待て、これは処分を』


 コーヘイはその紙を小さく丸めて飲み込むと、何食わぬ顔で食事を平らげ、トレイを前に押し戻す。面倒臭そうに年老いた男がそれを取り上げ、出て行った。


――ディルクが来てる。


 頼もしい人物が近くにいる事に、安堵する。

 彼はきっと、セトルヴィードにコーヘイの生存の連絡もしてくれているはず。



◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



 濃い茶色の髪をオールバックに撫でつけた、眼帯で右目を隠している髭面の若い男。残された左目は、青みを帯びた緑。荒くれ者に混じり、船の上の仕事をこなす。大きな樽を転がし指定の場所に立てるたび、噴き出す汗を袖で拭う。

 細い体型のわりに力仕事をこなしているが、得意か不得意かで問われれば、このような労働は不得意な方に入るように思われた。


「おい、アディ」


 次の樽を運ぼうとしていた所で、眼帯の男は呼び止められて振り返ると、恰幅の良い禿げ頭の中年の男がそこにいた。


「なんだ、ゴートン」

「今夜も一杯どうだ?」

「またか、そう毎日は付き合えない」

「顔のいいお前を連れて行くと、いい女が付くからさ」

「よく体と金が持つな」

「お前程じゃないさ!」


 二人は豪快に笑う。ゴートンと呼ばれた男は、アディと呼ばれた男の背中をバンバンと叩きながら耳元で囁く。


「ダメだ、鎖の鍵がみつらん」


 アディは頷くだけの返事をした。

 そのままゴートンと呼ばれた男は、手を振りながら立ち去って行ったので、再び樽を移動する作業に戻る。


――どうするか……。切るのは難しい。時間がかかりすぎる。


 魔法による解錠というのも手かもしれない。魔導士をどこかで確保して。とにかくあの鎖がネックだ。あれさえなんとかできれば。


 とにかく彼は今、忙しい。実際のところは、一個人の救援に時間をかけている暇はなかった。だが、国のためには救っておかないといけない人材でもある。


――機動性の高い魔導士。ミシャに来てもらうのがいいのかもしれない。


 だが危険だ。真綿で包んで、箱に仕舞っておきたいぐらい大切な娘。だが、成功率は各段に上がる。アディ……ディルクの頭の中で色々な計算が行われる。

 自分の気持ち、国益、残された時間。


 自分の気持ちは……無視すべきだ。

 そういう感情は、成功率を極端に下げる。失敗は許されない。

 

 頭を振って、その瞳に決意を込めた。

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