第三章 それぞれの覚悟、そのカタチ

第9話

 戻ったミシャが、ノートをとりあえずカイルに手渡すと、彼は頷いてミシャをねぎらった。


 簡単な報告を終え、二人はミシャの自室に戻って来た。持ち帰って来た本を、侍女姿の彼はいったん、机の上に置いてくれている。その本をどの棚に入れるかしばし悩んだが、決めきれなくて、机の上に置いたままにする事にした。


「僕は一度、城の方に戻るね。ミシャはしっかり休んで」

「ありがとう、ついてきてもらって良かったです」

「役に立っただろ?」

「はい、とっても。あ、そうだ傷を見せて欲しいです」

「大丈夫だよ、痛ければ侍医に診せるし」

「重い物を持たせちゃったから」


 少女の黒茶の瞳が、ジルの灰色の瞳を見つめる。なんとなく圧があって、逆らい難い不思議な感じだ。


「じゃあお願いしようかな」


 するするとジルは服をはだけていき、ミシャが続けて包帯を解く。

 傷が露わになったところで、すっと大きく深呼吸をし、目を閉じると、傷に向かって、師匠譲りの美しい所作で、治癒の魔法を発動させると、シャボン玉のような煌めきが周囲に満ちる。

 同時に、見てわかる程に赤く腫れていた肩の炎症が少し収まって、傷の痛みが軽くなっていく。


「ミシャの魔法はキレイだね」

「師匠の魔法は、もっときれいですよ?」


 治癒術を終えて包帯を巻きなおしているミシャの顔色が、少し悪くなっている事に彼は気づいた。魔力量が少なくて、高位魔法ひとつで力を使い切るという話は、本当なんだなとジルは実感しながら、左腕を軽く上げ下げしてみた。


「ありがとう、すごく楽になったよ」

「上手です?」

「うん、とっても」


 ミシャは褒められて、嬉しそうに笑った。

 ジルはそれを見ながら衣服を整え直し、振り向かずに軽く右手を上げるだけの挨拶をして、扉から出て行った。



 ジルは自室に戻ってすぐ、いつもの黒い装束に着替えていく。彼女がかけてくれた治癒術の効果の温かさが、まるで彼女の体温がそこに残っているかのように感じられ、思わず顔がゆるんでしまったが、すぐにハッとして、表情を改める。


「ハーシー、何で笑いながら見てるのさ」


 誰もいないように見える空間に、目線だけ向けてジルが言うと、まるで影がそこから生まれ出たように、見慣れた黒髪の男が姿を現した。


「随分と仲良くなったようじゃないか」

「何、羨ましいの?」


 そっけなく言う。


「別に」


 こちらも負けじとそっけない。だが、含みのある笑いが重なる。


「ジル、コンビは解消だ」

「え!?なんで」

「おまえは、国王の護衛から外された」


 ジルは顔色を変えて、体全体で黒髪の男に向き直った。


「僕、ヘマやった?怪我のせい?」

「陛下のところに行くといい」


 そう言われてしまうと、ハーシーの言葉に従うしかなかった。



 国王は執務机に向かって、いくつかの書類を処理していた。そこから一切目を離さず、何処に向けてというわけでもなく、王は整えられた長い髭に隠された口を開く。


「発言を許す」

「ジル、戻りました」


 影は、王の椅子の背後に跪いて、いつもの姿を見せた。


「ハーシーから聞いたか」

「はい……」

「余の護衛から、おぬしを外す」

「どのような理由で?」

「怪我が癒えぬ所、悪いが、新しい仕事を頼みたい」

「新しい仕事ですか」

「今、魔導士団護衛騎士団長が不在だ。ジルには魔導士団長と、その愛弟子の護衛を命ずる」

「は、はい」

「まずは魔導士団長に、着任の挨拶に行け。これがその手土産だ」


 国王はわずかに目線をジルに向け、執務机の最上段の引き出しを開けると、小さく畳まれ、紐で縛られた茶色い紙の書簡を取り出す。ジルが二歩、前に出て、それを受け取ると、王は書類に目線を戻した。


「頼んだぞ」

「了」


 ジルは闇に、その気配を溶け込ませた。




 夜の城の屋根にジルは立ち、その長い髪をなびかせ、その背後にハーシーが腕を組んで立つ。


「コンビ解消は、護衛騎士団長が戻るまでの期間だ」

「何だよ、知ってて言わなかったんだね。意地悪するなあ」

「嬉しいだろう?」

「どういう報告をしたんだよ」


 ハーシーはその声をより低くする。


「ありのまま、だ」

「びっくりした、ディルクの仕事を代わりにやらされるのかと思ったよ」

「お前はディルクの代わりにはなれない。俺もな」

「何それ、どういう意味?」

「俺達には裏切りの素養がある」

「え?何言ってるの、そんな事ないだろ」


 ジルは、ハーシーの言い方に怒りすら覚えたようだった。語気に強みが増す。


「……もしミシャさんと国、どちらかを選べと言われたら、ジルはミシャさんを選んでしまう。わかっているんだろう、我々とディルクの本質的な違いを」

「わかってるさ。だからあいつは特別なんだ」

「お前は、ディルクがミシャさんを切り捨てた時の、受け皿に選ばれたんだよ」

「何だよそれ。そんな事、喜べるわけないじゃないか」


 唇を噛む。喜べるわけはない。だが心のどこかで、そうなったら嬉しいと思ってしまう、自分の卑怯な心が嫌だった。


「あと、もう少し感情を隠せるようになれ。俺の前でもな」

「わかってるよ」


 子供のように拗ねたような顔をして、身軽に飛び降り、そのまま姿を消した。


「隠す努力ぐらい、しろというのに」


 見送ったジルの気配が消えた後、ハーシーは別の気配を感じた。


「裏切りの素養……か」


 その気配に向けて目線を向け、薄く笑った。



◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


 異世界人登録局は忙しくなっていた。

 ローウィンは双子の局員を連れて、書庫で過去の記録を探している。書庫はあまり広くない部屋に、人がギリギリ通れる程度の隙間があるだけという密集した状態で、棚が置かれており、随分身動きがしにくい。


「副局長、こちらの棚の調査は終わりました」

「こちらの棚も終わりました」


 数年前、コーヘイの装備の件で過去の文献を調査したときに、フレイアが書庫の大整理を行っており、細かく目次やタイトルが付けられているおかげで、とても探しやすくなって、随分三人は助けられていた。


 栗色の髪を長く伸ばしている藍色の瞳の娘がルナローザ、同じ色の髪を短くしているのがディナローザ。髪型が同じだったら見分けがつかない、そっくりな二人。ただ、性格は全く正反対だった。

 長い髪がまっすぐなルナローザは、その髪のまま素直な性格で、信じやすくて騙されやすい。短い髪がくせ毛のディナローザは、ちょっと捻くれた性格をしている。

 ただこの二人の組み合わせはバランスが良くて、ルナが気づかない事にディナが気づき、ディナが知らない事をルナが知っているという感じだ。二人揃うと五割り増しの戦力になる。


「お疲れ様、もう遅くなってきたから二人は上がってもいいよ」

「大丈夫です、副局長はずっと残業じゃないですか」

「ここは若い二人に任せてもらってもいいですよ」


 その言い回しがちょっと面白くて、ローウィンは笑う。


「ディナローザ、それは見合いの時に、仲人が言うセリフだぞ」

「まあまあ、そういうわけで、おじいちゃんは帰ってください」

「誰が老人だ」

「娘さん、そろそろ結婚ですか?」

「いや、まだプロポーズを受けた訳でもないし、婚約もまだだ」

「じゃあ、孫はまだか」

「今度おじいちゃん等と呼んだら、返事はしないからな」


 二人は黒縁眼鏡の年長者の背中を押して、書庫から強引に追い出した。


「お疲れ様でした」

「参ったな、お疲れ。じゃあお先に。キリのいいところで帰るんだぞ」

「はい」

「はーい」


 その立ち去る後ろ姿を見送ってから、二人は再び書棚に立ち向かう。


「ローウィン局長の娘さんってどんな子だっけ」

「結構、可愛かったと思う。随分年上の彼氏がいるって話よ」

「いいなあ、彼氏。私も欲しいや」

「ディナはつまみ食いしすぎよ。騎士団員は警戒しまくりじゃない」

「だって、付き合ってみないとわからないからー」

「あなたのせいで、私も彼氏ができにくいのよ」


 そう言いながら、棚から大きな箱を取り出す。箱は大きいが、中身がスカスカらしく、意外と思えるほどとても軽かった。


「はぁ、もう何を調べてるのかわからなくなってきたわ」

「同感、この棚が終わったら帰ろ?」


 ルナローザが箱を開け覗き込むと、手書きの年表が入っている事に気付いた。


「わ、これすごい。ディナ見てみて。何年に何人登録されたか年表にされてる」

「こうやってみると、ピーク時に比べて、最近はかなり減ってる?」

「登録が義務化された数年は、まだ周知されてなくて少ないのはわかるけど、登録が馴染んでから減ってるっておかしいね」

「他の国に増えてるとかかもよ」

「他国はどんな感じなのかわからないから。エステリア王国以外で登録義務のある国ってあるのかしら」

「聞いた事ないけど、それも調べた方がいいのかも」

「他国に精通した人っている?」


 不意に扉のノックの音が聞こえ、扉が開いて巡回の警備隊の騎士が顔を出した。


「そろそろ施錠の時間ですよ」

「はーい、今出ます」


 二人は帰り支度を整えて書庫を後にした。


「今の人かっこ良かったよね」

「もうディナったら。またつまむの?」

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