18. 寝起き、それぞれの時間

 もそりとうごめく隣の気配で目を覚ました。

 薄くまぶたを持ち上げれば、わずかばかり先に起きたであろうシャラと目が合う。


「おはよう」

「……おはよう、ございます」


 寝起きゆえかジトッとした目つきで応じるシャラ。かすれた声さえも無防備さが音になったようで愛おしい。

 心のゆるみが顔にまで出ていたのか、それを見たシャラはムッとしたように目を逸らし――固まった。


「ぴぅ」

「うん?」


 スキありとばかりにシャラの腕内にもぐりこんで振り返る。


「――おはようおひいさんがた! 今朝も仲睦なかむつまじかごって結構なこつ!」

「ういぃっ!?」


 戦闘装束のテオドシアが見下ろしていた。まるで敵にあびせるがごとき大音声に二人してとびあがる。


「な、何よ、ていうかカギは?」

不逞ふていの輩にあみを張るっちゅうたのはお姫さまじゃなかか」


 そういえば。特になにごともなく、エレベア的にはそれどころじゃなかったこともあってすっかり失念していたがそんな頼みをしていた気がする。

 ということは、現状ジダールもハイサムもユディウもこちらをどうこうするつもりは無いということだろうか。いよいよ好都合だがしかし。


「まさか忘れちょったわけじゃなかろうな?」

「ま、まさか」


 うふふ、と乾いた笑いをひねりだす。テオドシアは目を細めるとあごをさすった。


「ま、お姫さまにかぎってそげんこつも無かろうな。なら、昨夜ん痴話ちわ喧嘩げんかも敵への誘いのうちか」

「ちわ……っむぐ!」


 後ろ手に動揺したシャラの口を塞いだ。


「もちろんよ、アタシたちが本気で喧嘩するわけないでしょ?」

「どうじゃろうな。争いであれなんであれ、無いよか有るほうが長続きすっとっど」


 テオドシアは訳知り顔でうなずくと、


「まあ良え。ただあては一応師範代しはんだいじゃ。部下ん不満は聞いちゃらないけん。ジダール様に場内ん引き締めを頼まれちょることもある」


そう前置いて形のいい眉を片方はねあげた。


「おはんらの青臭か睦言むつごとにあてられて稽古どころじゃなかっちゅう連中があてん部屋に列を作っちょる。チト控えめにしてくれい」

「何人張りこんでたのよ……」

「むーーーー!」


 気が動転していたとはいえエレベアの警戒にもひっかからないとは流石テオドシアの子飼いだけのことはある。それに忠誠心というか愛というか、それも。


「ええな!」

「はいはい分かったわよ、お粗末そまつ様」

「まったく、寄る年波はさらっていくばっかいよ。身をしたう若いもんに返せる物などとっくにありゃあせん」


 ウンザリしたようにこぼして部屋を出ていくテオドシア。その声がそれでも嬉しそうなのがエレベアにはわかった。ひとつまみの羨ましさにふんと鼻を鳴らす。


「……ゴチソーさま」

「ぷはっ!」


 ようやく解放されたシャラが動転して肩を揺さぶってくる。


「ど、ど、どこから聞かれてたんでしょうか!?」

「全部でしょ、どうせ」


 なるだけ表情を殺して答えたエレベアもかすかに頬が熱い。あんな風に動揺して、子供の駄々みたいな言い争いをしたことは一度もなかった。シャラに会うまでは。

 願わくば直接聞いたのが関わりの薄い子飼いの門弟だけで、テオドシア本人でなければといいと思った。彼女はあれで気取けどりの妙手であるので、わずかでも探りを入れるような真似をすればすぐさま答えをくれただろう。だが無論のこと、そんなふうに気にしていることがバレたらそれこそ身の破滅よりキツい。


「わ、わたしもうお嫁にいけません……」


 ベッドに座り込んだまま顔を覆うシャラ。その指の間からちらっ、ちらと物言いたげな視線。


「貰ってあげないわよ」


 女の情誼じょうぎはあくまでたしなみ。結婚とは別だ。もっともエレベア自身はそういう相手を作るつもりはないが。


「そっそんなこと言ってません!」

「じゃあいいの?」

「よっ……くはないです、けど……」


 あぁ駄目だ。素っ気なくするならするで徹底すればいいものを、反発されたらされたでつい誘うような言葉をかけてしまう。


「意地悪」

「ごめんなさいね、魔女だから」

「意気地なしっ!」

「っ」


 言葉が刺さった。それは自分じゃ見えない部分にできた吹き出物を押されたような鈍い痛みだった。

 顔をしかめ、いつもより一拍遅れで言い返そうとしたとき。


「話はは~聞かせてもらったわわわ~♪」

「なんなのよもう次から次へと!」


 寸でのところで矛先ほこさきの押し付け所がやってきてエンリョなくそちらへ怒鳴った。

 歌劇の役者みたいに回りながら入ってきたユディウはポーズを決めると手を差し伸べる。


「シャラちゃん、貸して!」

「イヤよ」


 なんでよ~とふくれる彼女に、さすがにベッドから出て正対した。テオドシアは信頼できるがこの女はグレーだ。


「なんでって……何するかわかんないでしょお義姉さまは。親友をやすやすと貸せるもんですか」


 シャラへの視線を遮るように立った。まるで小さい子供のようにぽけーっとこちらを見上げる彼女と目が合うと、ばっとそれが逸らされる。分かりやすいやつ、とエレベアは内心を暖かにした。ちょっと前までこんなふうにご機嫌をとるのは歩み寄ってやるようで癪だったが、今は不思議と抵抗がない。


「も~う、カタいわね~エレベアちゃんは。今日はそういうのじゃないってばよ」

「お酒でものんでる?」


 いつもに輪をかけてテンションが緩い、というかふわふわしている。違う違う、と首を振ったユディウは一瞬、部屋を出てまた戻ってくる。その手には豪奢な絹衣があった。


「じゃじゃ~ん」

「わぁ!」


 シャラが後ろで身を乗り出す気配があった。

 つやめく漆黒のワンピースは昨日シャラが着た歌劇衣装に近い西方風のもの。そでのないシンプルな構造の内側を、おそろしく精緻な刺繍ししゅうがひとつの小宇宙へと昇華している。まるで闇夜の原野に白く光る花が咲き乱れ、その花弁だけが浮かび上がっているような。


「シャラちゃん、入門するなら法衣が必要でしょう? これ、よかったら」

「い、いいんですかっ?」


 自分が勧めたときとはえらい食いつきの差だ、とエレベアは眉を寄せる。確かに露出は両腕だけと控えめだが。それは別に機能的に弱いというわけではなく、ロングスカートにはロングスカートで足の挙措うごきを敵に悟られにくいという利がある。


「どうしたのよ、それ」


 サイズは少し大きいだろうか。凝り方からしてひと月やふた月で仕立てられるものでは決してない。


「いちおう魔杖師範の妻だから~。結婚前に仕立てたの、ほとんど着なかったどね~」

殿様とのさま武芸ぶげいきわまれりって感じね……姫様か」


 どっちにしろこれほどの逸品が死蔵も同然だったとはもったいないことだ。仕立てた職人だって浮かばれまい。


「丈だけちょっと直せば着られると思うんだけど~どう? 他にも何着かあるのだけど」

「ちょっと、そんなのあるならアタシにもちょうだいよ」

「イヤです~エレベアちゃんは意地悪だもの。それに大きさが合わないでしょ?」

「くっ」


 こんなところでマウントを取られると思わなかった。


「ね、どう? シャラちゃん」

「えっと……」


 エレベアを窺う視線。後頭部にそれを感じても特に振り向こうとも思わなかった。


「じゃあ、ちょっとだけ」

「え」


 振り向く。ついっと逸らされる目。いやいや。


「……仕方ないわね、じゃあアタシも」

「え……それは恥ずかしいので、あの、わたし一人で」

「はぁ?」


 何言ってるんだこの女。どうして会って一日のユディウがよくて自分が……違う、あまりにも警戒心がない。

 ふるっと唇が震えた。めざとく覗き込んでくるユディウ。


「も~ダメよエレベアちゃん嫉妬しちゃ。もっと乙女心もわかってあげないと~。心配なら護衛をつけてもいいわよ、昨日の夜みたいにね?」

「っだれが嫉……いや、それならまあ……」


 昨晩張った警戒網のことを知っている。油断ならないが邸内を取り仕切るユディウならそれくらいはやってのけるだろう。そのうえで安全が確保されるなら別に、エレベア自身がわざわざシャラの着替えに付き合う理由はない。


「はい決まり~一名様ごあんな~い」

「待ちなさい、見張りをつけるのが先よ!」


 起き抜けのシャラの背中を押して出ていこうとするユディウをひっつかまえた。ちらりと振り返ったシャラの目がちょっとだけ申し訳なさそうに垂れ下がっている。


(そんな顔すんなら初めから離れるんじゃないわよ)


 ひとにらみしてやるとピンと背筋を伸ばして視線が帰っていく。まったくどういうつもりなんだか、と憤りつつもどこかホッとした。昨晩や今朝の起き抜けの時のようなシャラとずっと顔を突き合わせていることを思うと気疲れする。彼女の願いに対する自分の反応をエレベアはまだ決められずにいる。


 護衛の話はトントン拍子に決まった。

 人選を頼もうと二階にあるテオドシアの部屋を尋ねると、ちょうど数人の門弟が部屋から出てくる所だった。

 ややウンザリした顔のテオドシアはその内から特に満ち足りた様子の女性二人を選んでシャラの護衛につけてくれた。


「今日はもう来るんじゃなかぞ。何ぞあればその二人が死ぬほど働くでな」


 追い払うように手を振って引っ込んだテオドシアの目元にはほつれた髪がはりついていたし、部屋内からはまだ人の気配がした。


(とんだね、まったく)


 杖流が滅ぶかどうかという瀬戸際に、危機感を抱いているのは自分だけに思えてくる。情けだのよしみだのというのはもっと穏やかな時の余禄よろくではなかったのか。


「じゃあ……」

「えぇ」


 護衛付きのシャラにこちらから目を切って、くさくさした気分で階段を下りる。その直前に。


「シャラ」

「え」


 ツカツカと引き返してその手を取る。半端に開いた子どもみたいな手のひらに押し付けた。


「一本持ってなさい。何かあったらなんでもいいから大きな音を立てれば行くから」

「あっあの」


 短魔杖クラブの片方を握らせると今度こそきびすを返す。

 どうかしている。また会って最初の過ちを繰り返すつもりか。そもそも有事にクラブ一本あったところで何ができるものでもない。どころかエレベアまで不万全では片手どころか両手落ちだ。


(うるさい)


 ぐちぐちと言いつのる常識的な自分をつとめて黙らせる。


(あの子がアタシ以外に助けられるなんて、そんなの)


 気に食わないし、抱えてやると言った自身の沽券こけんにもかかわると。


「ありがとう! これ、ずっと大事にするからっ」

「すぐ返すのよお人好し」


 遠間から指弾しだんして薄く笑うと階段を降りていく。

 もっと単純な話にできるけどしないのは、ここらが自分を納得させられるギリギリだからだ。これ以上何かに思い至れば自分が自分でなくなってしまいそうな危機感がある。芯のブレた魔法杖など危なっかしくて使えたものではないように。


「……アンタにも間がいいときってあるのね」


 だから階下から注がれるその視線に気付いたとき、どこかホッとした。

 壁にもたれたハイサムが鋭い目でこちらを見上げている。


「何の話だ?」

「こっちの話よ。で、何の用?」


 その視線が二階のユディウの部屋あたりへ流れた。彼は道場の方角へあごをしゃくる。


再戦リベンジならお金取るわよ」

「安心しろ、片手落ちの人間を襲うほど勝ちにえてはいない」


 請け合うと背を向けて先を歩きはじめる。おそらく腰回りのかすかな重心差で杖の有無を見抜いたのだろう。相当の洞察力だ。


「もったいないわね。どうしてアンタみたいな使い手が老いぼれの復讐なんかに付き合ってるわけ?」

「……まさか貴様から賛辞らしいものを聞くとはな。どういう風の吹きまわしだ?」

「いいでしょ、べつに」


 ハイサムの言う通りだ。らしくはないが。


「――そもそも順序が違う。俺が生かされたのも魔杖をの習ったのもすべては師父の妄執もうしつがため。他に選択肢などなかった。貴様がイステラーハに縛られているように」


 自分とハイサムは少し似ていると思う。無論イステラーハとライハーンでは雲泥うんでいの差だが、同じく誰かの願いを託されたという点で。


「アタシは自分の意思でおばあ様を目指しているわ」

「その意思とやらができたのは貴様の生まれ育ちがあってこそだろう。しょせん人は出自しゅつじから逃れられん」

「そういうの、ただ流されるための言い訳っていうのよ」

「流されていない人間などいない」


 数組の門弟が魔法をぶつけ合う前庭の脇を通り抜ける。


「赤ん坊が生まれてすぐにあおぐ顔を選べるか? 抱き上げられ見る景色、聞く言葉は? その蓄積つみかさねが赤ん坊の自発的な行動を決める。あとは芋づるだ、あらゆる意思と選択は生まれて最初に見上げた顔に繋がっている」

「詩的ね」


 軽口で応じるものの否定できない部分もあった。

 人生を長大な連鎖反応とするなら、シャラとエレベアも出会うべくして出会ったということになる。それにこれからエレベアがとる行動もまた。


「俺の実父は自堕落じだらくな男だった。日がな働きもせず酒におぼれ、唯一と言っていい魔杖の腕も喧嘩と息子を殴る口実にしか使わない、そんな人間だった」


 ハイサムは屋外の道場を抜けて一部の高弟しか使うのを許されていない鍛錬たんれん部屋のドアを開ける。整然と重りや立木たちき打ち用の木人もくじんが並ぶ小さなスペース。窓のないつくりは秘伝をらさぬため。一見すると倉庫のような部屋。

 ハイサムがランプへ炎の呪文を唱えると一応手合わせも出来そうな中央のスペースが照らし出された。


「貴様は何をするつもりだ?」


 振り返った麗貌が真っ向から問う。そこには思い詰めたような険しさがある。


「言ったでしょう。アナタを当主様にしてあげるって」

「とぼけるな、その為にどんな手段をとる気だと聞いている」

「御前試合」


 ハイサムが目をみはった。


「アナタ、サファール家から来たって聞いたわ、お義姉さまの実家の」

「……それが」


 水を向けると一転して難しい顔をする。先をうながされてエレベアは一歩踏み込んだ。


「それってつまり、サファールはもうお義兄さまに大して期待してないってことでしょう?」


 当然の推測だ。妻であるユディウを介してしか操れない夫より、直に操縦できる息のかかった養子のほうが上等に決まっている。

 詰まる言葉。ほんの一瞬、とび色の目が泳いだ。


「違う。俺が呼ばれたのはお二人に子供がいなかったからで」

建前たてまえはいいのよ。それにしたって送り込むからには自分とこに都合のいい人間を選ぶに決まってるわ。新当主として立つための土台固めなんてで、本当はそれがとっとと崩れればいいと思ってる。アンタも」

「そんなことはない!」


 最後のは挑発だ。案の定のってきた。エレベアもさんざんあおられたが向こうも耐性がないのかもしれない。


「……ジダール様だけが褒めてくれた。我が父を。よくぞその技を子に伝えたと。かほどの錬士れんしが身を落伍らくごさせるには余程の苦節を経たであろうに、と。俺の型をひと目見ただけでな」


 つとめて冷静でいようとするようにハイサムはかたわらの木人を打った。太い幹の胴から腕がわりの枝が八方へ伸びている。


「俺の技が樹生新杖流ユーピトン・バウから離れていることなどあの方は初めから見抜いている。そのうえで俺を招き入れてくださったのだ。何も聞かず、ただ魔杖術で身を立てたいと言った俺の言葉を信じて」

迂闊うかつね。安い感傷だわ。おおかた才能のない自分とアナタを重ねたんでしょうけど」

「――ッ!」


 ハイサムが大股でこちらへ踏み込んだ。蛇のようにしなって突き込まれる抜き手。


「他人の苦しみを感受かんじゅできる以上の徳はない!」

「それで地位も杖流も乗っ取られたんじゃ世話ないでしょうよ!」


 頬をかすめた部分が強い熱をもつ。エレベアはその肘と脇下へ腕をからめて背負い投げる。腰から落ちるところを足で着地したハイサムは身体をねじって腕を振り切った。


「それは……俺の不徳ふとくゆえだ。これだけの厚情を受けてもなお、ふるい因縁にとらわれている」


 構えなおしたのは杖士としての習性だろう。その身体がふっと脱力する。


「まるで本当はこんなことしたくないとでも言いたげね?」

「呪いを受けたのは貴様だけではないということだ」

「お笑いね。じゃ、二人でとらわれから離れてみる? アタシは構わないけれど――」

「ぬかせ――!」


 冷笑をはりつけながらもエレベアは負けたような気分でいる。

 何故ハイサムを見たとき安堵したのか。なんのことはない、それこそ安い共感だ。互いにがんじがらめでどちらへ踏み出していいか分からない者同士の。


「――Χ

よ――!」


 杖なしで数合撃ち合う。魔法が発動しなくとも二人の実力ならどちらが勝ったかは分別ふんべつできる。

 ハイサムの境遇についておおかたの予想はついた。

 老翁ライハーンはハイサムを孫と呼ぶ。それが血縁上か師弟関係上かは不明だが、ともかくあんな妄執につきあわされた係累けいるいに生まれてまともな育てられ方などするはずがない。

 武家の最優先は技の継承で、それ以外の人間的な諸々もろもろは軽視される。イステラーハですらエレベアに才能がなければ親子の情を交わそうとはしなかったろう。

 その意味で自分は樹生新杖流ユーピトン・バウに生かされている。それをまさに裏切ろうとしていることは恐ろしい。


「……ふむ」


 ハイサムが止まり、何かを考えるような仕草をした。刹那せつな、その足が見たことのない軌道で接近する。


「っう!」


 ひたり、と脇腹へ添えられる手刀。


きょく矢歩しほ、という。初見ではまず見切れない」


 斜め下方へ侵入したハイサムは、エレベアを観察するように見上げると構えを解いた。


「貴様の陰杖流には穴がある。大技同士の繋ぎとなる技を習得していない。連環れんかんが欠ければ攻め手は弱まり、未知の技には対応できない」


 見たことのない技というのはそれだけで恐ろしい。事実、真剣勝負であれば今のは確実に痛打をもらっていた。


「どういう理由で欠けているかは知らんし興味もない。だが望むなら俺が欠けを埋めてやろう」


 痛いところをつかれたと押し黙っていたエレベアは思わずぽかんと口を開けた。


「……何のつもり?」


 ハイサムとはたとえどんな立場を彼がとろうが敵同士で、いずれ戦うに違いない。その際のアドバンテージである秘奥をエレベアに教える意味が分からない。


「我が師父は貴様が戦うことを望んでいる。妄執はなはだしい師ではあるが恩も義理もある。あとはジダール様への申し訳だが、貴様なら別にどうなろうが不義理にもならんだろう」

「どうしてよ。アタシに技を教えれば間違いなくお義兄さまじゃ太刀打ちできなくなるわ。アタシの提案に乗るってこと?」

「好きに受け取るがいい」

「ふうん」


 信用できるかは分からない。だが聞いて損はないはずだ。使えるか、真偽はこちらで判断すればいい。


「でも別に今のままでも勝てるのよね。アンタが余計な事してこなきゃ」

「ジダール様の下命あれば俺は貴様を全力で排除する。その仮定は無意味だ」

「何それ、どっちつかずね。結局アンタどうしたいわけ?」


 師父ライハーンの復讐に付き合ってみせながら、といってエレベアがジダールを追い落とすことには中立かともすれば邪魔立てをするという。


「これまでと変わらない。染まりきり道統どうとうを完全にはずれた哀れな貴様を俺が始末しまつする。それで師父への義理も、養父へのこうも立つ」

「なるほどね、大した自信じゃない」


 つまりは技で並んだエレベアに勝つつもりでいるということだ。


「でも後悔するわよ。両方にいい顔してるアンタはけっきょく全部を失う」

「貴様こそ、陰杖流のすべてを知ればもはや元には戻れぬと知れ。俺とともに望まぬ男を師と仰いだまま死ぬほかなくなる」


 奇妙な間があった。互いに挑発しながらも相手を待っている、そんな空白。

 ハイサムは恩義があると言いつつも本心では師父ライハーンから離れたがっている。自分は、なんだろうか。何を躊躇ためらうのだろう。


「……いいわ、教わってやろうじゃない」


 ――美人たるもの尊大であれ。

 それがイステラーハの教え。売られた喧嘩を前にして臆病風おくびょうかぜにふかれるなんてもってのほかだ。だが。


「けど、アンタにじゃないわ。もっといいお手本がいるから」

「ほう」


 神妙な面持ちだったハイサムがふっと目の険を消す。


「おおかた仲違なかたがいでもしたのかと思ったが」

「そっ、んなわけないでしょう、相思相愛よアタシたちは」

「アレは貴様にとって枝上しじょうの悪魔にも等しい毒婦どくふだ」

「あんな福福ふくふくしい魔女がいるわけないでしょ。本物を観たけどもっと痩せておっかなかったわよ」

「はッ」


 くつくつとハイサムは喉を鳴らしたあと。


「なら、わざわざ念を入れて貴様の杖流を殺すまでもない」

「ええ。残念ね、これでお義兄さまはおしまいよ」


 エレベアも微笑して返す。ハイサムが短魔杖を抜いた。


「そこまで言うなら、今ここで片手落ちの貴様を討つのも手か」


 空気がぴりっとした緊張をおびる。とっさに片足を引いたエレベアは半身となり腰の杖に手をかけた。


「――まっ、た、アンタはそうやって……!」


 相変わらず読みにくい男だ。武人的な義理堅さ、誇り高さをみせたとおもえば目的のためには手段を選ばない酷烈さもある。だが。


「冗談だ。それでは師父への義理が立たん。……いや、もうそんな事はどうでもいいのかもしれんが」


 自嘲的じちょうてきに口元を歪めると彼は構えを解いた。憑き物が落ちたような力の抜けた自然体。


「……俺は。今度こそすじたがえたくないだけなのかもしれん。貴様を闇討ちするにしろ、それは父上の下命あってのことであるべきだ」

「ふふ」


 エレベアは思わず笑ってしまった。嘲笑でも冷笑でもなく――認めがたいことだが――苦境に際した杖士の習性として。


「何がおかしい」

「いえ、何でかしらね。アナタ、さっきまでよりずっと怖いわ」


 芯が通っているというのは杖にとっても身体にとっても重大事だ。ならば精神的なそれが杖士の実力に影響しないはずがない。


「……行け、本来ここは破門された貴様が足を踏み入れていい場所ではない」

「まったく」


 聞くだけ聞いて、喋りたいだけ喋ってもう用済みとは。つくづく独善的ひとりよがりなヤツだと思う。まあエレベアとしてもそろそろ見飽きた顔だ。

 未練がましくするのも格好悪い、と素直に送り出した彼女のことも気になる。

 言われずとも、と出口へ振りかえる直前。


「――その通りだ」


 重く響いた声に後ろ首の産毛うぶげが逆立った。

 いつの間に扉を開けたのか、ジダールが影のように立っている。


「何をしている、ハイサム」

「は」


 圧されたようにハイサムが片膝をつき頭を垂れる。


「この女の真意をただしておりました」

「ふむ」

「規律を破り秘伝ひでんを使ったことは謝罪いたします」


 そんな名前だったのか、とエレベアは部屋をあらためて認識した。じろりとジダールの目がこちらへ流れる。


「……」


 エレベアはただそれを見返した。


「……御前試合とは」

「っ、ご存じで」


 ハイサムが息をのむ。エレベアも意識して表情を消した。いくらなんでも早すぎる。


「先ほどサファールの親父殿から使者が来た。どういう伝手つてを使ったか知らんが覚えておけ。親父殿は貸しをそのままにするお方ではない。その操り糸を切るのは容易ではないぞ」

(貸しも何も、アタシはまだ何もしてないっての)


 ユディウが気を回したのかそれとも。ハイサムへ目を向けてもかすかに眉をしかめるだけ。


「親不孝者からおばあ様を助けるためよ」

「貴様っ!」

「構わん」


 食って掛かるハイサムを制してジダールはエレベアに正対する。相手の眼底まで透けるような静かな睨み合い。

 先に伏せたのはジダールだった。長めのまばたきのあと再び開いた目に迷いはうかがえない。


「我が杖流をおびやかす者は誰であろうと迎え撃つ」

「アンタの、じゃないわ。おばあ様のよ」

「あれはもはや過去の遺物いぶつだ。お前がどう思おうとな」


 胸が冷えていくのを感じる。今の今までわずかに残っていた養母の息子への情けも霧消した。


「ツブしてやるから待ってなさい」

「いつでも来るがいい。辿りつければな」


 かくて断絶は決定的となった。

 それはそれとしてしかし。


(……あっちの機嫌はどうやって直したらいいかしらね)


 公私ともに一番重要な関係ぶぶんは勢いに任せ放置したまま。

 空気が砂のごとく重たい部屋をあとにして一呼吸したとたん、さらに重たく不明瞭な何かが肩にのしかかった気がした。


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