17. ためらい、キャットファイト

 夕食はテオドシアが用意してくれた。

 干した果実と鳥のささみをきざんで煮込んだスープ。そこへ雑穀を入れて炊き上げたリゾット。魔杖士としての完璧な肉体を維持する昔からの黄金レシピだ。

 雑穀がめずらしいのかシャラは種類の違う一粒一粒をひろいあげて吟味していた。


「面白い?」

「いえ、そういうわけでは……」


 ちまちまと食べすすむのにしびれを切らして先に席を立つと、あわててかき込んで台所から追いかけてきた。


「お、おいしかったです!」

「そ」


 まあ口に合っているのは眺めていてわかっていた。


「あ、あの」

「なに?」


 部屋の前で立ち止まって振り返ると不安そうな表情。

 奥歯にものがはさまったみたいな物言いたげな口元で、さりとて言葉が飛び出してくるわけでもない。


「シャラ」


 その下顎に指をそわせた。


「ぜんぶアタシに任せていいから」

「っ」


 ぴくりと首から肩がふるえる。唇が何か言いあぐねるように二、三度うごめいた。

じれったくなってその手を掴むと部屋にひっぱりこむ。

 施錠。

 ランプに灯を。

 上皿にすこしの香油を垂らすと甘く重い、まぶたの裏にくゆるような匂いが部屋に満ちた。


「エレベア……慣れてます……?」

「何が?」

「なにがって、その」 


 すっとぼけると非難がましい視線にかわる。口端がゆるむのを堪えきれずニヤつきながら否定した。


「別にとって食おうってワケじゃないわ。また勘違いでご機嫌をそこねちゃ悪いから先に言っとくけどね」

「わぁかってますよ! というかそれ言ったらもう喧嘩ですよ!?」


 ぼっと頭に血を昇らせる様子が面白くて、ついつい加減を知らない子供のようになってしまう。


「本当はすぐにも欲しいのよ、あなたが。でも我慢するわ、このゴタゴタに決着をつけるまではね」

「ぇうぁ」


 ベッドに腰掛ける。軽く隣を開けて誘うと、ぽすんとシャラの腰がそこに納まった。

 わし、と背中の下に回される腕。


「え、エレベアっ」

「ふむぐっ、ちょっ、こら!」


 後頭部が勢いよく枕へぶつかった。

 足の内側にシャラのそれが絡み、両腕が覆いかぶさるみたいに頭をホールドしてくる。


「わたっわたしっ」

「待ってってば! やっ、興奮しないで、ばか!」


 煽りすぎた。この距離だと技もなにもない。あるのは体格差だけだ。

 むきだしの後ろ首にすがるみたいに指がうごめいて、思わず目の前の胸の中へ逃れようと頭をうかせる。まるで噛み付くヘビのごとく一瞬で空いた隙間へ温かい腕が潜り込んだ。

 完全に抱きすくめられてしまった。


「な、んのつもりよ……」


 耳にかかる吐息が熱い。聞いているとこっちまで頭がゆだりそうになる。このまま喋られたらどんな感触がするだろうと、まだそれだけしか考えないうちに。


「わたし、エレベアが好き」

「っ、ば……!」


 ぶわりと駆け抜けた痺れについ短絡な罵倒を返しそうになる。これまで及び腰だったシャラの豹変も手伝って。


「あなたにぜんぶを見て欲しい、でもっ」

「おち、おちッ……つきなさいッ」


 とす、と両腋を手さぐりで小突いた。


「ひあっ」


 腕が逃げた隙をついて彼女の下から抜け出す。

 びっくりした。この子にこんな度胸があったなんて、と突き放したその顔は。


「っ」


 ぎょっとする。涙。暗くかげった頬に、ランプの灯を吸い込んだ光の川が流れている。


「エ、レベアぁ」

「なになにもう、どうしたってのよ一体!?」


 突然やる気になったと思えば今はこの世の終わりみたいな顔をしている。こっちまですっかり混乱して、どういう顔をするのが適切かも分からない。


「た、たかわないでぇ……もうぅ」

「たたかっ……は?」


 こんこんとあふれる川がぐしりとエレベアの前髪を支流にした。生温く濡れた感触は不思議と不快ではない。


「一生のお願いだから……戦いも杖を振るのもやめてほしい。落ち着いて、気持ちを整理してからもう一度にして。踊りはそれからだって教えるから……!」

「なによそれ……」


 魔法を使わない自分にどれだけの価値があるものか。そもそも。


「グズグズしてられないのよ、アナタは忘れてるかもしれないけど」

「おばあ様のことならわたしも一緒に考えるから! 代わりにどうしたらいいか、だから……」

「……どうできるってのよ」


 弱った。どうやらまた意固地になっているらしい。


「今のエレベア、母様とおんなじ目をしてる。最後を、終わりを覚悟してる目」


 唐突に指摘されて片目を覆った。キッと分不相応な強さでニラんでくるシャラのまるい瞳。


「もう嫌なの。置いて行かれるのも一人でそれを忘れようとするのも。だからぜったい教えない」


 ハッキリした拒絶に再び胸の底へ冷たい水が湧いた。


「そんなこと……! じゃあアタシの気持ちはどうだっていいっての? ちょっと可愛いからってなんでもワガママ押し通せると思わないで!」

「エレベアこそ! 普段エラそうにしてるくせにこんな時だけ自棄にならないで!」


 ゴチッと間近にあったおでこが威力をもって一押しされる。偶然じゃない、歯を食いしばった一発だった。


「ったぁ、やったわね、このっ!」

「なぁんですかぁ!」


 べちすこと。お互いに服を掴み合い、それを払い合う。シャラの手技は存外すばやく慣れを感じさせる。エレベアの手をベッドと身体で挟み込み、攻撃らしい攻撃をさせない。


「アタシのどこがヤケになってるってのよ!」

「わかりま……せんけどっ、命は二の次みたいに思ってません?」

「当り前じゃない!」


 なんて馬鹿な質問、と一蹴する。


「生きてるだけの人間になんの意味があるの? 不本意な自分をひきずって生きるくらいなら、最後まで自分の価値を曲げずに死ぬほうを選ぶわ。おばあ様さえ無事ならアタシはどうなったって!」

「それ以外は!? ないんですか!? たとえばその、ゆっ友情のためとか……!」

「べつにアンタに不自由させるなんて言ってないでしょう。アタシに万が一があったってシャラには……ぶっ!」


 べちすこ。


「そんな話今してないでしょう!?」

「痛ったいわね暴力女、そういう話じゃなきゃなんだってのよ!」

「わたしと一緒にいたいって言ったのは嘘だったんですか!?」

「アタシの気持ちなんてどうでもいいじゃない!」

「よくありませんッ!」


 一瞬の隙をついて下になった腕が引かれる。バランスを崩したエレベアの両手首をまたがったシャラが抑え込んだ。


「……エレベアは、わたしよりもおばあ様をとるんですね」

「はあ?」

「だってそうじゃないですか」


 陰になって見えにくい表情に。いつもよりほんの少し低いだけの声に。

 一瞬でも怯んでしまった自分を恥じる。こんな、こんな物の軽重けいちょうもわかってないようなヤツに。


「アンタ普通に生きてるでしょう!? いつ死ぬかもわからない相手に嫉妬なんて正気!?」


 がり。


「い゛っ!?」


 噛まれた。鎖骨の上。ついにやったなこの女。

 肌を離れた唇からつたう銀の糸が玉になり、ひやりと首元を転がる。

 そういえばもともと実父から人生ごと巻き上げようとするヤバい奴だったと今更ながら思い出した。


「じゃあ、エレベアが死んだらわたしも死にます」

「な……」


 視界の真ん中にもどってきたシャラの目は真剣そのもの。というよりはもはや他の意見を受け付けないような頑なさがあった。たったいま閃いたその条件を、唯一の道と信じきっているような。


「それでいいなら教えます。踊りだってなんだって」

「何言ってるの、もうちょっとマシな冗談――っ」


 ぎり、とベッドに縫い止められた手首が強く握られた。爪が浅く皮膚に食い込み、血が不足した指先が抗うように張りつめる。


「本気です」


 あ、怖い。

 心がさっきと別の理由で冷たくなる。部屋に刃物はあったっけ? と不安に思考をめぐらせる。

 それ以上なにも言わずじっと見詰めてくるだけのシャラに、ついに根負けした。


「……わかったわよ」


 仕方がない。だってそんなことは受け入れられない。

 命の価値は砂一粒、それが魔杖士の心構えだ。そうでなければ身を焦がす火の下へ滑り込むことも、軽く頼りない翼に大空で全てをゆだねることもできはしない。

 シャラの命が上乗せされればきっと自分は戦えなくなる。シャラの出した条件はその点でどちらを選ぼうが同じという厄介なものだった。


「今夜はいいわ。ちょっと頭冷やしましょ。あちこち痛いし」


 煮え切らない答えに不服気な表情を増したシャラだったが、体が痛いというとぱっと手を離した。

 そのままシャラに背を向けて横になると目を閉じる。


「エレベア」


 しばらく後ろでもぞもぞとやっていて、ようやく静かになったと思ったらお腹へ腕を回された。

 なに? と背中越しの態度だけで返す。


「好きです」

「……さっきも聞いたわ」


 後ろ首に吐息があたった。上下ふたつの湿っぽいなにかが肌に触れるか触れないかのところまで近づけられる。やがてそれはおあずけをくったように離れていき、かわりに胴の腕が苦しいくらいにエレベアを抱きしめた。


「捨てないで、くださいね」


 回された手のひらをを自分のそれで包む。窮屈さから逃れる風をよそおって、全身をシャラのそれにうずめた。


(歯まで立てといて何を躊躇ってるんだか)


 本当はわかっている。シャラに無理強いするのは簡単だ。でもそれをする気にはどうしてもなれなかった。

 大きくて不自由な彼女にしがみつかれていることに、面倒さより嬉しさが勝る。

 捨てなければと思う。シャラではなく、そんな風に感じる自分自身を。半端な安寧やすらぎにとらわれたままでは自分はずっと宙ぶらりんのまま。


(やめよう。やめる。大丈夫できるわ、アタシは大魔女の娘だもの)


 生温い誘惑を振り切って前に進む。そうすることでしか自分は価値を証明できない。


  ――アタシにもあったのかもしれないよ、ぬくい杖がね


 寝入りばな、イステラーハの声を聞いた気がした。

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