8. 秘伝、立つ鳥

 早朝、くずれ焼け焦げた宿の裏庭。

 地面と水平に伸ばした右腕を、吸いつくようにクラブが周回する。

 そのまま持ち上げると、杖は重力にしたがい背中を通って左腕へ。

 ひじを曲げ、跳ね上げ、落ちてきた杖を足首でキャッチ。それでも回転は止まることがない。

 前腕ほどの長さしかない木の魔杖はうつり気で、常に気をき振りまわしてやらないと身に着いてはくれない。そんな飽きさせないところがエレベアは他の中杖や長杖よりも好きだった。


 黙々と繰り返す。作業のように、作業にならないように。

 仮想の敵を思い浮かべようとして、昨日のハイサムとの戦いがよみがえりわずかに旋回がヨレた。


「……」


 即座に修正して反復軌道にのせる。その間はわずかでクラブはそのヘッドをかすかに揺らがせただけだ。


(やり直し)


 じわり汗のにじむ体と空腹を抱えて、それでも身体は同じ動作を繰り返す。ひたすらに。腐った軒下のきしたの木くずを誰かが踏む音を聞くまで。


「おはよう、見せ物じゃないわ」

「はわっ、ご、ごめんなさいおはようございます!」


 ぺこんと下げられた頭にひかれてほどかれた赤髪が落ちる。

 顔にかかるそれをもたもたと払う仕草にゆるみかけた顔をぎゅっとしかめた。どうかしている。


「もう少しで終わるから待ってなさい」

「そ、それがあの、あの人が目を覚まして……というか起こされて」


 案外早かったなと思う。無理をおして練習に出た意味があったというものだ。


「どうせ虚勢をはって何でもない顔で稽古してるだろうから呼んで来い、って」

「……そう」

「言われた通りでし――いたっ」


 ぴしっと鼻頭を指ではじいてやるとシャラは黙った。フロアへの廊下をずかずかと歩く。


「ここ、お水ってどこでむんですか?」

「表通りまでいくと朝夕に水売りが出てるわ」

「お腹すいたんですけど……」

「あら奇遇、アタシもよ」


 前を向いたまま後ろへ応える。くい、と法衣レオタードの背中部分がつままれた。


「やめて伸びるでしょう」

「なんか冷たくありません?」


 むくれた顔を冷ややかに見返した。


「お姫様みたいにしてもらえると思った? ちょっとおめでたいんじゃない」

「わっわたしはエレベアさんのために実家を捨てたんですよ、駆け落ちですよ!」

「いつでも帰れるように保険をかけてるくせに」


 そもそも数刻しかいなかった場所に実家もないものだ。

 そうですけど……と口ごもるその進路を壁に手をついて塞いだ。


「大事にしてあげてもよくてよ。アナタの切札とっておきを教えてくれるならね。覚悟がつかないなら手伝ってあげましょうか。心から望んで何もかも見せられるように」


 巻き布に覆われた腹部へ手のひらを押し当て、そのままゆっくりと上にずらしていく。わずかに微笑んでやると見上げた翠の瞳がゆれた。

 ぎゅんっと逸らされる顔とエレベアを押しやる腕。


「お、お姐さま方みたいなことしないでください! エレベアさんわたしより年下ですよね!?」

人生経験ひんへいふぇいへんじゃこっちが上よ」

「わたしが上です! わたし十七年、エレベアさんはっ?」

「十五年」

「はい勝ちー! いぇい!」

「バーカ」

「人が気にしてることをポンポン口にしないでください!」

(気にしてはいるのね)


 篭絡ろうらくするにしてもどうも身が入らないと感じる。顔はいいのに残念なヤツ、と。

 身をひるがえしてホールへ入る。

 壁を背もたれに座ったテオドシアが船をこいでいた。


「やせ我慢はお互い様みたいね」

「んがっ……おお! おひいさまか、今日も機嫌が悪そうじゃの!」


 寝ぼけまなこが見開かれると同時、快活すぎて脳にくる声が響く。


「おかげさまでね」

「クハッ、剣呑けんのんな声も懐かしかど。鍛錬もサボッちょらんようで感心、感心」

「おだてても許さないわよ」


 この女は裏切り者だ。イステラーハから誰より信頼され愛されておきながら、今こうしてジダールの手先に甘んじている。

 杖を腕に交差させて差し向けると、薄い涙袋なみだぶくろが笑みの形にふくらんだ。


「よか、殺せ」

「……」

「じゃっどん聞きたかこつもあっじゃろう。何でん話すでまずは座りやんせ」


 パンパンと回帰したその手が床を叩いた。エレベアはホールを見渡し、隅によけられたボロ椅子に目をつける。

 引っ張ってくると腰掛け足を組んだ。


「じゃあ聞くけど」


 見下げるとまっすぐに見上げ返してくる。静かで外連味けれんみのない目だった。


「どうしておばあ様を守って死ななかったの」

御師おしさまん指示でな。ひとたび争いとなればジダール様を殺さんではおけまいと思われたんじゃろう。主だった家人には総無事なにごともなくせよと命じられた」


 王命をむこうにまわしてもテオドシアならそこまでやるだろうと確かに思われた。そしてイステラーハは憎しみから実の息子に杖流を継がせないわけではない。


「それでおばあ様を見殺しにするつもりだったの」

「無論そげん気はなか。待っちょったんさ、正しく道統を継ぎジダール様に対抗できる向こう見ずをな」


 穏やかだった眼差しが厳しい色を帯びる。


「御師さまはあてにだけはこうも言われた。技いたらねば遠ざけよ、例え手足を折ってでも、とな」


 エレベアを指しての事とわかった。たった今も資格を問われているような気がして、表情を消して心を固くする。


「それで?」

「……よか、技は一途いちず。経験はおいおい。あきらめの悪さはさすがのもんじゃ。あてらはおひいさまに賭けっど」


 ふぅ、とエレベアは足を組み替えた。


「そう、勝手になさい」

朋輩つれあいもできたらしゅうて何よりんこつじゃ」


 一転して優しい目をしたテオドシアに首筋がふわっと熱くなった。


「……どいつもこいつも、選ぶ権利くらいアタシにもあるわ」

「ひどくないですか!?」

「クハハ照るっな、照るっな」


 座ったまま脇にひかえたシャラの手首を引き寄せる。


「それで、コレはどういうこと? 何で先代の秘伝が服着てそのへん走り回ってるわけ?」

「人をニワトリみたいに言わないでください!」


 ニワトリなら値がつくぶん手放しで喜べるが。

 テオドシアはそれよ、と縛られた両足で座りなおした。


「詳しくはわからん、が先々代が御師さまに秘事を教えんままに亡くなられたんは確からしい。そして後宮ハレムにはその高弟の一人がおる、と」

「おばあ様の……相弟子あいでし?」


 うむ、とうなずいたテオドシアから隣へ視線を向ける。シャラは思い出したように手を打った。


「そういえば母様は、おつかえした主様から踊りを習ったと」

「ほう、ちゅうこつは」

「その高弟とやらが、踊りにしてそれを教えたってこと? ……なんでそんなまだるっこしい」


 舞踏の大元が魔杖術の型だとして、踊りからその武術的意義を見いだすのは骨が折れそうだと思う。昨夜は偶然状況がはまったから浮かんだにすぎない。


「後宮はあれで建前にウルサイ場所じゃでな。特に武術には厳しかち聞く。杖はあくまで祭礼の道具ちゅうこつでな」


 そういえば地上の楽園――ただ一人のための――とうたわれる後宮にも聖樹神ユーピトネルの祭祀という役務があったのを思い出す。


「御師さまは御師さまで研鑽けんさんば重ね、いくつかの秘事には自力でたどり着いたち聞くがな。昨夜の逆手陰陽もそんひとつじゃ」

「ふぅん、ともかくその主様とやらに直接聞くのが早そうね。後宮に潜り込むのはそう難しくないし」


 宮と名がついてももはや小さな町のごとき一画であり、様々な用事で出入りする者は男女問わずいる。もちろん、女のエレベアの方が入り込みやすいのは当然のことだ。


「あのぅそれが」

「なに、やっぱり戻りにくい事情でもあるの?」


 入るのは難しくないが出るのは別と聞く。特に王の伴侶たる后妃とそれに仕える女官はほぼその邸を出られない。招夫つまどいが基本の後宮で、王の訪れを歓待するに不備があってはならないからだ。


「いえ、そもそもそのお方はもう後宮を出ています」

「はぁ?」


 きょとんとしたエレベアに対してテオドシアは何かを察したようだった。


「なるほど、つまりは御師さまと似たようなご境遇ちゅうこつか」


 ――今の王は身罷みまかられた先王を嫌っておったゆえな。彼の色のついたものはみなみな捨ててしまいたいのよ。


 エレベアはイステラーハの言葉を思い出した。


「昨日、先の王様の喪が明けました。同時にわたしの主様もお役目を解かれたんです」

「それでその方は今どこにいるの?」

「わ、わかりません」

「はあ!?」


 お花畑だとは思ったがここまでとは。自分の一番太い身寄りをどうして把握していない。


「そもそもが母の主様ですし、あとのことはイーリスの家に頼んであるからと。御屋敷の場所もその時に教えてもらって……」

「行ったら追い回されたわけね。ていよく厄介払いされたんじゃない、アンタ」

「そっそんなことありません! 主様はとても立派でお優しい方です!」


 どうだか。ともあれこれで手掛かりは目の前のシャラしかいなくなったわけだ。


「旧縁を頼られるとは仰っていましたが……」

「いいわ、しょうがないからこの際アンタの踊りでもいいことにする。ひとつ見せるもふたつ見せるも一緒でしょ」

「もーう教えません!」


 目を三角にしてこちらを睨んだシャラはいよいよそっぽを向いてしまった。


「……おひいさまよ、体面ばかり気にしちょってはすぐ嫌われてしまうど。御師さまは尊大じゃっどん決して粗略そりゃくでなかったものを」

「アタシはおばあ様とは違うもの」


 そもそもそのために苦労して連れてきたのだ。

 寝床には文句のひとつも付けなかったくせに、と不可解な気分になる。

 テオドシアはそんなエレベアを意外そうに見たあと。


「クハッ、そうか。ならば忠告も無粋じゃな。好きにやっとよか。もっともお嬢様の曲げたヘソを戻せたらじゃが」

「シャラ、お腹すいたでしょ。ご飯食べに行きましょ」

「へえっ?」


 名前で呼ぶとシャラは振り向き、それからしまったという顔で再びそらした。


「お水、服、お風呂」

「う、うっ」

「ぜんぶ必要でしょ。せいぜいお互い利用して目的を果たしましょ、シャラ」

「……むぅ」


 ぐぅ、と腹の虫がないた。なんとも素直なことだ、と思ったが口には出さない。


「守ってあげるし、アンタの父親から全部をぶん奪ったら何不自由なく暮らさせてあげるわ。――だからアタシと一緒に来なさい」

「っ行きます」

「うわ、」


 いきなり振り向き手をとられて思わずそれを払う。しゅんとうつむかれて再度こちらからそれを握りなおした。


「……やれやれ、たった一言いうとにどれだけかかっとね」


 テオドシアが天井をあおぐ。そのスカートのスリットへ手を突っこんだ。


「あっん、コラ何をすっか!」

「財布」

「エレベアさん、わたしも少し持ってますから! すごくいかがわしいカンジになってますよ!?」


 文字通り尾羽おばね打ちらした初日から一夜明け。二人はまず空腹を満たすべく宿を出た。

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